スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

わが家流「ミングル」ができました。

料理研究家の有賀薫先生の「ミングル」という構想に出会ったのが3日前のこと。

その時の衝撃を思わず書き残しておりました。

 

suminotiger.hatenadiary.jp

ずっと頭の中はそのことばかり。

以前から使い勝手が良いとは言えなかったわが家のキッチンをなんとかしたい、ミングル構想からヒントを得られないか…とあれこれ試行錯誤し続けておりました。

 

まず。

現状のわが家のキッチンの問題点を色々と洗い出す作業から。

f:id:suminotiger:20190830132404j:plain

もようがえ前のわが家のキッチン。

もともと、リビングとキッチンの仕切りがないだった間取りでした。

そこを私が一人で作業しやすいように上部が作業台として使える食器棚を並べてカウンターに。

これまでは主に私しか家事をしなかったこと、家が狭く自分だけの部屋がない私にとってカウンターで仕切られたキッチンは私だけの巣のような感覚もありました。

 

ただ、ここしばらく問題を感じていたのも確かです。

まず、夫が料理をする頻度が増え、体格のいい(太っているともいう)夫が行き来するのにかなり狭く感じているようでした。

 

また、子どもたちがお手伝いをしてくれたり、自分で料理をすることも増えてきていました。

以前のキッチンでは、シンクに誰か立っているとその後ろをもう一人通るのがやっと、という狭さ。

コンロの前にも1人しか立てないし、シンク横の作業スペースでだれかが違う作業を始めたらコンロも使いづらくなってしまっていました。

 

とにかくこの動線の問題をなんとかしたい。

 

有賀さんのミングルの、4方を囲めるスタイルがとても気に入ったので、これをなんとかわが家に合う形で取り入れられないだろうか、と考え、行き着いた答えがこれです。

 

f:id:suminotiger:20190830132257j:plain

もようがえ後

カウンターとして使っていた低い食器棚を1つは撤去、1つは炊飯器置き場として移動しました。

これを機に食器の中で普段出番のほとんどないものは処分したり、押入れの奥にしまいこんだり。毎日家族が使う最低限の食器だけを残す形になりました。(ミニマル!)

 

ミングルのような調理台が欲しかったので、ネタを探しにホームセンターへ。

木材売り場など色々と見る中で、2人がけ用なのかな、正方形の小さなダイニングテーブルが破格値で売られていたのでそれを連れて帰りました。

 

調理や食事のために使う調味料の類をしまう棚が欲しかったので別の場所で使っていた小さな棚をテーブルの横へ。上にタイルを敷いて作業台として使えるようにしました。

 

棚の一番下の段をカセットコンロ置き場に。

これで、作業台の上にコンロを出せばミングルとしての機能がより強化できそうです。

 

炊飯器や電子レンジはコンロと並べる形に。それぞれの場所でだれかが作業しても邪魔になりにくくなりました。

 

ミングルのように水周りも一緒にできたらよかったのですがさすがにそれは無理。

でも、作業スペースの真後ろにシンクがあるので特に問題はなさそうです。

 

こうして、わが家らしい「ミングル」が完成しました。

f:id:suminotiger:20190830133745j:plain

わが家流「ミングル」

シンクに誰か立っていたり、横の作業スペースで何かやっていてもコンロでの作業がスムーズになりました。

 

これまで子どもたちが手伝いたいと言ってくれても1人が限界だったのだけど、4人それぞれがキッチンに来て何かしていても特に邪魔になることもなく動けるようにもなりました。

 

朝も、それぞれが自分の食事を用意するのがとてもスムーズ。

テーブルの上にオカズや常備菜をちょこちょこ置いておけばバイキングのように子どもたちがそれぞれ取っては、奥の座卓に座って食べたり、椅子に座ってそのままテーブルで食べたり。

 

そうそう。

テーブルの下には別の場所で使っていた丸椅子を2つ置いています。

昨日は帰ったら三男がそこで宿題をやってました。

 

買い物の荷物を仮置きして整理したり、ちょっと書き物をしたりするのにもテーブルがいい仕事をしてくれています。

 

上の絵も、夕食の後にテーブルに座って一杯やっていたときにキッチンに子どもたちが来て、それぞれになにやらやっているのを眺めながら描きました。

 

とりあえず完成した、わが家の「ミングル」っぽいキッチン。

これからまたいろんなマイナーチェンジをしていくのかな〜とワクワクしております。

料理研究家 有賀さんの「新時代のごはん装置『ミングル』」という面白そうなことから考えたアレコレ。

昨夜、TwitterのTLにこんな記事が流れてきました。

新時代のごはん装置「ミングル」を自宅に作ってみた話|有賀 薫|note

 

おそらくこれからの10年、家庭料理はもっと変化し、簡略化していくだろうと思うのです。時代の流れに、逆らうことはできません。
でも一方で、日々の食の豊かさは人生の豊かさに直結する。スープの仕事を通じて、これもまた真実だと感じています。 

この相反するふたつのことがらをどうするかという課題にこたえるために、家での食事をよりコンパクトにする、新しい形のごはん装置を考えました。そして、自分の家を実験台に、プロトタイプを作ってみました。

リンク先でそのプロトタイプ「ミングル」の画像を見ることができます。

ミングルの由来は

やれる人がやる。やりたい人がやる。
みんなで、ぐるぐる料理する。
だから、ミングル。
 

 

面白い。

 

ぐるぐる、というオノマトペが表すように、通常のキッチンのような一方向からのアクセスではなく、四方から手を出せる作りになっています。

調理台兼テーブルの下には食洗機が作りつけられていて、洗う・作る・食べる・片付ける、が全部この小さな空間の中でできる、そして一人ではなく誰かと一緒にできる、とても面白い発想だなぁと思って私の脳は昨夜からこのミングル構想の虜になっています。

文字通りぐるぐる、ずっとこのミングルの発想をどうにかして我が家に取り込んでやりたいと思って考え続けているのです。

 

有賀さんの発想やそのコンセプトをそのまま真似したいのではありません。

このミングルの構想を拝読して私の脳が耕された理由、それは「キッチンを自分たちのいまの形に合わせてコンパクトに組み直す」という部分。

 

文中にある有賀さんの最初のコンセプトメモがこちらです。

 

現代の家族が暮らしの中でかかえる問題解決のための実験的なキッチン

【現状と課題】少人数家庭が増え、男・女・子供、みんなが多忙になっている現代において、複雑に進化しすぎて尺に合わなくなっている料理をどう簡便にし、なおかつ暮らしの質を落とさないようにするか。

【解決方法と目標】現在は主婦(または主夫)ひとりに偏っている料理を夫や子供など家族内メンバーが少しずつ分担し、みんなが参加することによって(キャンプやバーベキューなどのときに作業をともにすることで仲間意識が強まるように)日々の暮らしの中でもコミュニケーションを楽しく深めることができ、それに伴って主婦の負担も自然に減らせるようにする。

【キッチンとしての課題】ただ、現在の家庭のキッチンやそこからくる台所仕事は大きく複雑になり過ぎて、他のメンバーがそこに立ち入るようなフラットさ・敷居の低さがない。キッチンや料理をより簡素化することで、家庭内のみんなが一緒に、あるいは自発的に作業できるような家庭料理と食のスタイルを提案したい。

 

バーベキュー!

そう、我が家はわりと頻繁にガレージでバーベキューをするのですが、回を重ねるごとに洗練されているのを感じるのですね。

最初の頃は後片付けが本当に億劫で、ヨレヨレのままとりあえず生ものだけ片付けてあとは翌日に持ち越して…なんてことも。

道具の配置やどんな道具をどう使うか試行錯誤したり、ガレージに中古の小さな冷蔵庫を置いたりと工夫を重ね、今では食べ終わる頃には網と炭の処理くらいしか残らない状態になるまでミニマルにバーベキューを楽しめるようになってきています。

 

そして家族がそれぞれに動きながらスムーズに食事を楽しむ。

 

誰か一人がキッチンにこもって作って、それから食べる、じゃなくて、家族全員の生活の中にご飯を作ることや食べることがもっと自然に入ってくる感じ。

 

そうか、あの空間をキッチンにも導入することでもっと毎日のご飯が楽に!楽しく!なるはずだ!!!

 

と脳内で打ち上げ花火がいくつも上がったのが昨夜。

 

そこから、我が家の狭いキッチンをどう組み直せば我が家らしい「ミングル」が仕上がるだろうか、とずっと考え続けています。

 

有賀さんがもともとお考えになった構想とはかけ離れていってしまっているかもしれないのですが、あの発想は私にとっては「こうしたらどうだろう」という答えの提示というよりは、「こんなこともできるよ、あなたの家族にはどんな形がいいと思う?」っていうとてもワクワクする提案のように聞こえたのです。

 

この、既存の、一般的なあり方を自分の、また家族のあり方に沿うものに作り変えていくという発想は、発達障害のある子どもや特性のある自分たちの暮らしや学校生活の中ですでに馴染んでいるものではありました。

 

みんなと同じ方法で宿題をやるのがしんどい次男は、彼なりにどう対処していくかを私と一緒に考え、先生に協力をお願いしています。

 

また、家の中の収納もどうしても散らかってしまう部分をどうするか、どこに収納を作ると物が片付きやすいか、どの道具を使うとやりやすいか…

 

トライアル&エラーを繰り返しては、家の中をどんどん変えてきた私が、なぜキッチンのこれに気づかなかったのか!!!すごいことに出会ってしまった!!!

という状態なのです。

 

私(または夫)が主に調理をして、それを子どもたちが運ぶ、というスタイルが続いてきた我が家ですが、上の子たちが自分たちのペースで料理をすることも増えてきました。

子どもと一緒にキッチンに立つことも多いけど、やっぱり狭いし子どもが邪魔になってイラッとすることもないわけではなく…

 

ミングルの構想を取り入れて我が家なりのやり易い形を見つけることで、子どもと一緒に料理をしたり、子どもたちが自主的に料理や食事を楽しんだりする空間が作れたらなぁ…

 

有賀さんのミングルは水周りまで改修した規模の大きめものなので簡単には導入できないかもしれないんだけれど、食卓にホットプレートやIHヒーターを置いてそこで調理してその流れで食べる、という形を取り入れてみるだけでも全然視点が違ってくるかも。

 

こうあらねば、みたいな自分の中に染み付いたものをガタッと変えるきっかけに出会えた。

脳みそが耕されてとってもワクワクしながら、さてどんなことをやってやろうか、と企んでいるところなのです。

夏休みを目前に、宿題にどう取り組むか問題について

いよいよ夏休みが近づいてまいりました。

夏休みをテーマに…と考えた時、我が家でまず持ち上がる問題があります。

それが「夏休みの宿題」


計算や漢字のドリル、日記、新聞づくり、工作や自由研究…

なるべく子供に任せて、と思いつつそうはいかないのが難しいところ。

今回は、毎年奮闘する中で「ここはおさえとかないと!」っていうポイントをまとめてみようと思います。


最初のカギは「学期末」

我が家で長期休みの宿題の一番恐ろしいこと、それは「紛失」です。
始業式ギリギリになってあれがないこれがないと言い出して何度大慌てしたことか。

それを防ぐために、宿題をまとめて持って帰った段階でチェックして整理するようにしています。

クラスや学年にもよりますが終業式の数日前に配布されることも多いので要注意です。

夏休み明けに提出するもののリストを事前にお知らせしてくれるケースも多いと思います。
(うちの子の小学校では学期末のPTAの時にお話があることが多いです)


学校からもらってきたプリントやドリル類を、子どもと一緒にリストと照合します。
先生によっては大きな封筒にチェックリストをプリントし、それに宿題をまとめて入れて配布してくださる場合もあります。これはとてもありがたい。

もしそういうケースが用意されていない場合は、百均の書類ケース(透明でチャック式で開封できるものが便利)などを用意し、「夏休みの宿題は全部ここにまとめる」と決めておくと便利です。

 

 こういう感じのとか

 こういう感じのとかにまとめて入れとくのです。

 

ここまで下準備をしておけば、夏休みの間の帰省やキャンプなど外に宿題を持ち出す機会があるときでも紛失を最小限に食い止めることができます。


進み具合をどうチェックする?

ここは、個人差が非常に大きいところだと思います。

任せていたら自主的にやれる子もいると思いますが、残念ながらそうでないお子さんもいらっしゃるかと。(もちろんうちの子も…)

これなら絶対うまくいく!なんて素敵な方法はご紹介できませんが、我が家がやってきた対策をいくつか。


1、日単位、週単位の到達目標を設定する。

めどが立てば取り組みやすいタイプのお子さんにオススメな方法です。

ドリルやプリント集を単純に日割りや週割りして、1日(1週間)にどこまで終われば最後までたどり着けるか、を計算して目安を書いておく。
カレンダーに記入しておいてできたらシールを貼るとかもアリだと思います。


ごほうびが効くタイプのお子さんなら、それが達成できたら○○(臨時おこづかいやケーキを食べる、行きたいところに遊びに行く、とか)と、目標達成のごほうびを用意しておくのも。


2、バッサリわけちゃう。

コンスタントに取り組むのが苦手で、40日分という途方も無い量でまず心が折れてしまうタイプのお子さんにオススメの方法です。
(うちの次男です)

40日分が辛いなら20日分、それも辛いなら10日分に分ける。
つまり、夏休みの宿題をバッサリ4分の1にして、残りは預かっておく。

目に見える宿題の量を減らすことで取り組みやすい環境を作ること、また、もし途中で滞っても10日ですっぱりリセットして次の課題に移ることで心を折れにくくする目的もあります。

プリント集をバラバラにしてもいいし、ドリル形式のものなら最初10日に計算、次の10日に漢字、など課題ごとに分けるのもありです。

1の方法と似ていますが、違うのは区切りをしっかりつけるところです。

区切りごとに終わらず残ってしまうことが予想される場合は、夏休みの最後数日を計算に入れずに分けておいて「残った宿題をやる日」を作っておくのも良いと思います。

ここでもごほうび作戦はお子さんにより有効です。


3、環境を変える。

家の中のいつもの環境だと中だるみしてしまいがちなので、時々図書館の自習室に行ってみたり、勉強可のファミレスやカフェでおやつやお茶と一緒に宿題を、というのもアリだと思います。

外へ出なくても、家の中の環境を変えるだけで取り組みやすくなったりします。

例えばアウトドア用のワンタッチテントを出して机を持ち込んでみるとか、段ボールハウスを作る、リビングの椅子を組み合わせシーツやタオルケットをかけて秘密基地を作る、押入れの中身を出して隠れ家を作る…等々、いつもの学習スペースではないところを子どもと一緒に用意して「非日常感」を出してあげるのも面白いと思います。


それでもうまく進まなかったら…

親がどんなに奮闘しても環境づくりに取り組んでも、どうにも宿題が進まないこともあると思います。

もちろんそうならないのが一番ではあるけれど、でもせっかくの夏休みなのに宿題のことばかりで辛いばっかりなのは親子ともによろしくない。私も次男の宿題をなんとか終わらせないとと一生懸命になり過ぎてお互いにパンクしてしまい、児童精神科の主治医にストップをかけられたことがありました。


その時に主治医から言われたことは、次男が中学生になった今も子育ての軸として大事にしています。


それは、宿題はあくまでも本人のものだということを忘れちゃダメだ、ということ。

 

本人と先生の間のお約束だから、お母さんにできるのはサポートまで。
もし期日までに終わらせることができなかったとしても、それをどうするかも本人の課題。
いつまでにここまでがんばるからそれでいいか、とか、〆切をいつまで延ばしてもらえるか、とか、先生と交渉できるようになるのも大事なスキルのひとつ。

と主治医から言われました。

 

終わらなかった時の交渉スキルについては、小学校の頃の通級指導教室でも本人が身につけるほうがいいと練習をしてきました。

「期限内に絶対に終わらなければならない」

ではなくて

「期限内に終わらないならどうすればいいかを自分で考え提案と交渉ができる」

というのも、大人になっていく彼らにとって大事なことなんだろうと思います。


与えられた課題に期限内に自力で取り組める子ばかりじゃないけど、そんな子たちもその子たちなりに頑張りながら取り組んでいく方法は必ずあります。

怒ったり叱ったりしても成果が上がるわけじゃないことは次男で痛感しました。

そうやってお互いに辛い夏を過ごすより、ライフハックを駆使しながら本人がほどほどに頑張れるほうがいい、最近やっとそう思えるようになりました。

 

中学生になった今は次男の宿題は学校の担任と個人的にお願いしている学習支援の先生にお任せをしているので(思春期で私が介入するとこじれるので…)、今年は娘と三男のサポートが主になるかな〜という感じです。

たまに次男を連れて外で勉強しにいくのも良さそう。


ちょっとずつサポートをしながら、楽しい夏休みの終わりを迎えられるように、今年もお母さんとしてできることをできるだけ、やっていこうと思っています。

支援学校の高等部と、ADHDなら子ども生むな、のツイート主さんに思うこと。

何となく5時過ぎに目が覚めて、Twitterを眺めてました。

 

誰かが怒ってるらしいのがわかりました。

怒りの先にあったのは「ADHDが遺伝すると病院で言われたから子供を産むか悩む」というツイートに対して「生むべきでない、ギャンブルするな」というツイートで。

 

次に目についたのは支援学校高等部の先生というアカウントを監視してます、というツイート。

 

昨日からフォロワーさんたちがちらほら、ひどいアカウントがあったと話してたのはこれか、と。

 

新しいアカウントのようだったのでホームからアカウントを全部遡って読みました。

 

辛いね、どっちも誰もかれもしんどいね。

 

ADHDの自覚があり(投薬なしで生活できてるので未診断ですが)ADHD児を育てる私としても、障害のある子を育てる親の私としても、どっちもザクザク刺さるしんどい話。

 

でも不思議と、どちらのツイートも見ててそんなに傷つきませんでした。

 

どちらも、ツイート主さんがとても悲しくて苦しんでる最中に見えた。

私は今そこにいないから、傷つかなかったのかもしれない。

 

ヒリヒリするような痛みがツイートから見える。

 

自分が抱えているものが苦しい

当事者に迷惑かけられてる

周りに迷惑をかけているのを見るのもしんどい

納得いかない人事が辛い

 

ふたりのツイートからは現在進行形のしんどさが見える、ダラダラ血を流してるように見える。

 

どれも、主語が「私」なら、どんどん吐き出してよかった辛さなのに。

 

『あなたの辛さを誰かのせいにしてるよ、大丈夫?』

『自分のしんどさで人を傷つけてるよ?気づいてる?』

 

これは、特性がありかつ他罰的な思考をしやすい次男に私がわりとよく言う言葉。

 

彼が自分のしんどさをうまく言葉にできないまま人に八つ当たりするたびに「主語を自分に置き換えてごらん」と話す。

 

『僕が学校で嫌なことがあってイライラしてたから言葉が悪かった』

『僕の意見を採用してくれなくて悲しかったから○○さんにひどいこと言ってしまった』

 

落ち着いてゆっくり、主語を自分に置きかえる。

 

叱られ過ぎて自尊感情が低いことが原因なのか、先天的なものなのか専門家でない私にはわからないけれど、自分の感情を言葉にするのが苦手な次男。

これは私も身に覚えのあることで、現在進行形の自分の苦しさがクリアに自覚できず、でも苦しさだけが自分にあってわけがわからなくて人に当たり散らしたことも何度もありました。

 

「私は」辛い

「私は」悲しい

「私は」この言葉に傷ついた

「私は」納得がいかない

「私は」親にされたことが嫌だった

 

ひとつずつ主語を私にして言葉にしていく。

自分の苦しさが私を主語にして見えてくる。

 

あなたの苦しさはなんですか?

それはどこにあるの?

誰かのせいだとしたら、それは誰?

 

主語を自分にして丁寧に言葉にしないと、怒りや苦しみをぶつける矛先を間違えてしまう。

 

次男が自分の抱えるもので苦しんだ末、無自覚に人を傷つけることが少しでも減らせるように、そして無自覚に人を傷つけることで自分に跳ね返ってくるものを少しでも減らせるように。

 

お母さんとしての私が気を付けているのはそんなこと。

 

周りが見えないくらい、周りを傷つけても構わないと思うくらい、今がしんどいのかもしれない。

 

でも、それでもそれゆえに人を傷つけることが許容されていいわけない。

 

障害のある人もない人もみんなそれなりに助け合って生きてる。

そのなかで傷ついたり納得のいかないことで苦しんだりしてるのはあなただけじゃないし、あなたが傷ついたことをあなたを主語にして言葉にしてもいいんだよ。

 

でも、その苦しみを理由に人を傷つけたらいけない。あなたの苦しみはあなたのものだから、それを塊にして撒き散らしたら必ず自分に跳ね返ってくるよ。

 

私は、我が子に、ハンディを抱えて生きていく子に、それでいいとは言えない。

自分の苦しみは自分で言葉に出来ないといつまでも自分の中から消えてなくならないから。

そのままでは人のなかで幸せに生きていけないんじゃないかと思うから。

 

特性も生い立ちの辛さもいろんな苦しみも、それゆえに不幸になるんじゃないよ。

それを不幸のままにしないで済むよう自分の言葉にして人に助けられ生きていってほしいと、私は我が子に対して思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親としての私の役割を考えた、夜の話。

読み聞かせボランティアのための絵本を探しにいった図書館で、なぜかふと活字が読みたくなって向田邦子さんの随筆集を借りてきたのは先週のこと。

 

心地よい向田さんの文章を読みながら、あーまた最近ブログ書いてないなぁ、とふと思いました。

もともとTwitterをやってて言い足りないことを書くために始めたこのブログも、その時々の私の思いついたことを書くというまとまりのないものに行き着きつつあります。

まるで自分自身を体現しているようだと思ったりもしています。

 

やりたいやりたいと言いつつなかなか実現できないこんぺいとサロンも、本は集まったけれどなかなか活かせていない金平糖文庫もこのブログも、思いつきとその後の迷走ぶりは私の人生そのままのような気がします。

 

そして、それに対して「これではダメだ、頑張らねばならない」と自分に課してしまうのもまた、私を構成する大きな要素の一つで。それによって成されたものあれば、自分を追い詰める要素になったものもある。

 

先週末、そんな自分の中の「ねばならない」の壁が少し崩れるような、そんな経験をしたので書き残しておこうと思います。

 

「育児が、辛い」

きっかけは、次男のことでした。

特性の強い彼の扱いは、中2になり思春期を迎えてさらに難しくなっています。

これまで見られなかった反抗的な態度が出るようになり、また学校で頑張る反動が家で出るようにもなり。

 

そんな次男に対するいわゆる育児のストレスのようなものが私の中で堰を切って流れ出したのが、先週の金曜日のことでした。

 

Twitterで仲良くしてる先輩ママさんたちのグループDMにしんどさを書き連ねながら、涙が止まらなくなりました。

 

友人たちは口々に「とにかく休め」「逃げろ」「離れろ」「いろんなことをサボれ」と言ってくれました。

瞬時にそれを受け入れられるほどの余裕もなく、ただただスマホの画面を流れていくその言葉を眺めながらしばらく泣くことしかできませんでした。

 

「とりあえず、サボろう」

友人たちに愚痴を聞いてもらったこと、その後次男の担任が時間を作ってくれて少し相談したこと…

とりあえずその日の夕方には少し精神的に落ち着いて、助言を受けた「とりあえずサボる」をやって見る気持ちになりました。

 

本当は私が実家に帰るなりホテルにこもるなり、家族から完全に離れた方が良かったのかもしれません。

 

が、なにぶん受けてしまった仕事やしてしまった約束があるだけになかなかそういうわけにもいきません。

とりあえず、家事という家事は極力控えることと、育児という行為から離れてみようと思いました。

子どもたちには接するけど「お母さんとしての自分」ではなくて、ちょっと同席する大人、大きいお友達、くらいの感覚に設定を変えた感じです。

 

大きいお友達と、子どもたち

翌日土曜日。

私は小3三男と彼のお友達を連れて1日出かける約束をしていました。

 

中2次男は友人と出かける約束があり1日いない前提でした。

お金を浪費しやすい彼には普段は昼に出るときはなるべくお弁当やおにぎりを持たせていましたが、今回は「お昼ご飯代」と小銭を渡しました。

 

家でゆっくりしたいという小6娘に「お昼どうする?」って聞いたら「コンビニに行って買いものしてみたい」というのでまた小銭を渡しました。

 

中3長男は寝てたのでそのまま放置して、三男と出かけました。

 

午前中は三男がお友達と公園で遊ぶのを眺めながら読書に耽り、昼にお友達のママが合流して一緒にランチ。

午後は川遊びに行きたいというふたりを連れて別の公園へ。

お友達ママとおしゃべりをしながら遊ぶのを眺め、お友達にバイバイしてからは三男をサッカー教室へ送迎。

 

娘から「百均行きたい」と連絡がきたので拾って一緒に買い物をしてちょっとお茶。

 

三男を迎えに行ってから、夕飯もがっつり手抜きして適当に。

食後に三男がお友達に誘われた星空観察に合流。ぷらっとついてきた長男が行きたがってたお店に寄ってデザートを買って帰宅。

 

この間、いつもなら子どもたちに注意をしていただろうなっていう言動があっても特に何も言わず極力スルーしました。

 

「あぁ〜きょうはほんとうに楽しかったよ…」

1日私と離れていた次男は、もらったお昼ご飯代とお小遣いを足して前々から欲しがっていたゴジラ的な何かを手に入れてホクホクしてました。

お昼はどこで何をどうしたのか気にはなりましたが、あえて聞きませんでした。(おそらく私の実家でばあちゃんに何か食べさせてもらっただろうとは思いましたが)

 

スマホを見ながらゴロゴロしていた私のそばに寄ってきた三男が

「あぁ〜きょうはほんとうに楽しかったよ…」と呟いてうっとりしてました。

 

三男だけでなく娘も、そしていつも喧嘩ばかりの次男と長男もそういえば心持ち穏やかです。

家事も私がやらない分、それぞれが率先してサクサク動いていたようで不在の間にお風呂の用意や食器洗いも終わっていました。

 

リビングにきょうだい4人が集まると必ず起こっていた喧嘩がその日は起こらなかったのに気づいた頃、三男が私の横でニヤニヤしながら寝息を立てていました。

 

これで、いいのかもしれない。

子どもたちが外で困らないように、将来困らないように、辛い思いをせずに済むように。

 

「子どものため」と思いながら、いろんな防衛線を張り巡らせて育ててきたような気がします。

それが正しかったか間違っていたかはもう確認のしようがないのだけれど、少なくとももううちの子たちに対してはそれは要らなくなってきているのかもしれない。

 

子どもたちが楽しく喜んで過ごすために必要なものを用意するだけでもいいのかもしれない。

 

身につける必要があるものはもう手渡せたのかもしれない。

親としての役目が変わるターンに立っているのかもしれない。

 

そんなことを思いながら見た、幸せそうな三男の寝顔と眺めながら飲んだビールの味を、多分一生忘れない。

知ることで、見える世界が変わった三男の話

相変わらずたまにしか書かないブログですが、今日は三男がふと漏らした一言から考えたことを。

 

三男とバードウォッチング

我が家は三男が生まれる前くらいから家族で野鳥の会のバードウォッチングに参加することがたまにありました。

私がもともと野鳥に興味があったのと、子どもたちに自然観察の機会を与えられたらという思いから。

 

野鳥の会の先生方や、同行する博物館の学芸員さんたち、虫や魚に詳しい参加者の方々と 山や川に出かけて鳥だけでなくいろんなお話を聞く楽しい時間を、三男も他の子どもたちも楽しみに参加しています。(兄たちは最近は部活や他の予定で来られないことも多くなってきましたが)

 

野鳥の観察というと静かにして遠くの鳥の声を聴いたり、離れたところにいる鳥をスコープでとらえて観察したりすることがメインになります。

 

歩けるようになった頃からしょっちゅう参加していたとは言っても、三男は鳥そのものよりも歩く道々で見かける虫や魚、川の流れの方に興味を示していました。

そんな興味にも学芸員さんや野鳥の会の先生方も優しく見守って、時に一緒に観察してくれたり。

 

そんなゆる〜い感じでバードウォッチングにふわっと参加している三男でした。

 

「よく鳥を見つけるんだよ」

そんな三男が、先日一緒に車で移動している時にふと私に声をかけました。

 

「ねえ、お母ちゃん」

「ぼくね、最近、鳥をよく見つけるんだよ」

 

おや??と思いました。

 

「鳥がよく見つけられるようになったの、ふしぎ〜〜」

 

と三男。

 

我が家の周りの鳥が急に増えたわけではありません。

じゃあなんで、三男は鳥が見つけられるようになったんでしょう。

 

【興味を持つ】というフィルターのようなもの

三男が突然鳥に目がいくようになったのは、きっと鳥を意識するようになったからだろう、と思います。

 

それまで当たり前の日常の中の風景の一部でしかなかった野鳥たち。

人間が気にしてもしなくても関係なく、鳥たちは空を飛び、電線に止まり、道端をてくてく歩いてる。

わざわざ意識をしなければ目に止まることもないただの景色なんだろうと思います。

 

その景色の中から、鳥だけがぐっと浮き上がって見えるようになったのは、三男の中で鳥という存在が「意識する対象」に変わったのだろうと思います。

 

「好きなものだから、見えるのかな」

鳥が見えるようになって不思議そうな三男に、

「君が鳥のことを知って、興味があるからよく見つけるようになったんじゃないかな〜」

と話しました。

「そうか〜虫とか魚とかもぼく好きだからよく見つけられるもんね〜」

と三男。

 

「鳥もだんだん好きになってきたんだな〜」

とニヤニヤ笑っておりました。

 

おわりに

三男が今回言葉にした感覚、実は私が初めてバードウォッチングに参加した後感じたものと同じでした。

 

当たり前のいつもの道を歩いていても、鳥の声が耳に入る、飛ぶ鳥が目に入る。

あの不思議な感覚を三男も経験したんだな〜とちょっと嬉しくなりました。

 

興味のあるものが一つ増えると見える世界が変わってくるあの感じ。

 

そしてその興味は、次はその興味あるものを守ることにもつながっていくのかな〜と感じています。

 

鳥のことに興味を持ち身近に感じていることで、三男は鳥たちの環境を守ることもいつか意識できるようになるかもしれません。

このことを教えてくれたのは、やはり観察会でご一緒した虫の先生でした。

その時のことを書いた過去記事はこちら。

 

suminotiger.hatenadiary.jp

人はいとも簡単に、知らないことを「ないもの」にしてしまう。

これは、生き物に対してだけではないことだな〜とTwitterでいろんな議論を眺めていても感じることです。

 

「知る」ということの意味、「ないもの」にしないために自分ができること。

 

三男の何気ない一言から、いろんなことを考えさせられた備忘録でした。

 

おまけ

新・山野の鳥―野鳥観察ハンディ図鑑

新・山野の鳥―野鳥観察ハンディ図鑑

 

 

新・水辺の鳥―野鳥観察ハンディ図鑑

新・水辺の鳥―野鳥観察ハンディ図鑑

 

三男の愛読書。カバンからサッと取り出して開く姿がなかなか様になってきました。

学校とどうやって交渉する? 〜担任にうまいこと配慮をねじ込む問題について

先日ツイッターでちょっとアンケートらしいツイートをしまして

 

圧倒的に多かった

②担任にうまいこと配慮をねじ込む問題

について書いてみたいと思います。

 

なんと偶然にも同じタイミングでなないおさんも同じネタで記事を書こうとされていることがわかったので今回はコラボ企画にしようよ!ということで4/18 PM8:30に同時にアップすることに。(双方がアップされた後でどっかにリンク貼りますね〜)

 

ファイティングポーズになってませんか?ドッジボールになってませんか?

学校と交渉していく上で一番大事なのが、どんなスタンスで臨むかです。

ツイッターでよく私が言及するのが「ファイティングポーズをとってませんか?」ということ。こちらが臨戦態勢をとれば当然ですが向こうもそれに応じることになってしまう。

また、要望をドッジボールのように相手に投げつけてませんか?」ということ。

f:id:suminotiger:20190418093935j:plain

自分がやってほしいと考える要望を塊にして相手に「これをやってね!」と投げつけてしまっていたら交渉は成り立ちません。

相手にとって「こちら側の状況を無視している」と受け取られてしまいかねず、関係が悪化したり不信感を抱かれたり、困った保護者だと認定されて話が通りにくくなってしまうかもしれません。

 

対等にテーブルにつくために

交渉をするためには対等な立場で話し合いのテーブルにつかねばなりません。

学校側と保護者側、どちらが上でも下でもない、というスタンスで臨むことが大切です。

学校・先生は子供を真ん中に挟んで「一緒に育てていくパートナー」という認識を保護者の側が持っていると学校側も同じようなスタンスを取りやすくなると思います。

 

なにを求めるか、という大きな問題

話し合いのテーブルにつく前の準備として大きな問題があります。

「学校に具体的になにをどんなふうに求めていくか」という課題を整理しておくことです。

ケースによってはここが一番大変だと感じている方も多いだろうと思います。

今回は

  1. 具体的な困りが明確になっていてどうしてほしいかがある程度見えている場合
  2. 心配や不安があるけれどなにをどう求めていいかわからない場合

の2つに分けて話を進めてみようと思います。

 

1、具体的な困りが明確になっていてどうしてほしいかがある程度見えている場合

この場合、上で挙げたドッジボールのように「こうして!」を丸ごと投げたくなってしまうかもしれません。が、それではうまく通りません。

 

①「母の暴走ではない」と示すための準備

まず準備しておくと良いのが、それを「誰が言っているか」です。

親(特に母親)が希望する、というだけだと根拠としては弱いと私は感じています。

病院の医師や心理士、スクールカウンセラーや教育相談の先生、通級の先生など、親以外の第三者がこの子にとってそれが必要だと考えている、というバックボーンがあると交渉の場で説得力がぐんと上がると思います。

配偶者がいる方であれば「夫も同じ意見である」という項目が追加されるとより良いと思います。

 

過去に学校の先生方とお話をしていて「母親の暴走」を恐れているのかな、と感じることが何度かありました。根拠なく不安が募って学校に過度な要求をしてくる母親が少なからずいること、そしてそういう保護者対応に困った経験のある先生も多くいらっしゃいます。

こちらが求めることも「お母さんが心配しすぎなんじゃないか」と受け取られると一気に交渉が不利になります。

 

医師の意見書があればかなり強いですし、ペーパーでなくても「医者(心理士・〜の先生)がそう言っている」という話だけでも自分の暴走ではないのだという表明になります。

私の例だと、過去にはプロ以外だと「親の会で」とか「知識のある友人が」という話を出したこともあります。何でもかんでも出せばいいというわけではないので注意が必要ですが、自分だけが思い込んでいるわけではないということを示す方が話し合いがしやすい、というのは念頭に置いておくと良いと思います。

 

②自分の案は不完全であることを意識する

具体的な対策を求めたいとして、こちらが想定した具体策を100%通そうとするとうまくいきません。

 

保護者はあくまでも保護者の目線しかありません。

学校の都合や先生の事情、他のお子さんの状況など学校の先生が見えているものまでは想定できませんよね。

つまり、保護者が想定した具体策は想定の時点ですでに、学校で実行するための完璧な案ではない。片側からの視点しかない不完全なものなんですね。

 

ですから、その不完全な案を飲ませることはお子さんにとっても良いとは限りません。

そして、学校側の事情が見えていない案だけ出されて「飲むか飲まないか」という話をされてしまうことは先生にとっても気持ちの良いものではないと思います。

 

③まず、心配ごとを共有

具体的な策を持って話し合いに挑むと、どうしてもそれをいの一番に言いたくなってしまうのですが、そこはまずグッと堪えた方が良いと思います。

まず先生と共有した方が良いのは、策ではなくて

「何が心配か」「どんな困りがあるか」

という、子供本人の困りや保護者の不安などの「ぼんやりしたもの」です。

f:id:suminotiger:20190418094015j:plain

 

④お互いの具体策を出し合う

そのぼんやりしたものを共有した上で、

「先生はどんな風に見ていらっしゃいますか」

「学校としてはどんな事例がこれまでにありますか」

など、先生の見立てや学校側の事情、前例などについて質問します。

その会話の中で、

「自分は(例:医師は、カウンセラーは)こういうのはどうかなぁと思うけど学校としてはどうですか?」

と、意見を伺う形でこちらが持ってきた案を先生にも提示すると話がうまく進みやすいです。

 

⑤100%の答えではなく、落としどころを見つける

②でお示ししたように、自分が考えた案というのは片手落ちの可能性もあるものなので100%通すのはまず無理です。

でも、100%通らず諦める必要もありません。目の前の子供は困っているし、学校はそこに寄り添ってもらえないと困ります。

④のようなやり取りをしながら、こちらの事情と子供の困り、そして学校側の都合、双方が少しずつすり合わせながら、今回の落としどころを見つけることが大切です。

f:id:suminotiger:20190418094052j:plain

経験から、こちらが望んだ要求が8割通れば大成功、5割くらい受け入れてもらえたら御の字で次に繋げられる、という感覚で学校に出向いています。

 

⑥次の話し合いにつなげるために

学校と保護者が話し合った末に出した答えが正解とは限りません。

すり合わせていった打開策なので、それが効果があるかどうかはやってみなくてはわからない。

そして、それを学校側に投げるだけだと成果が出ているかどうかも確認ができません。

私は、打開策が決まって先生にお願いをした時、話し合いの最後は「やってみたところでどうかをまたお話ししたい」ということを先生に伝えるようにしています。

 

2、心配や不安があるけれどなにをどう求めていいかわからない場合

次に、具体的に何をどう求めていいかわからないけど心配や不安がある状態について考えます。

 

これは、一般化してお話しするのがとても難しいなと思うのですね。

どんな困りがあるかは千差万別だからです。

 

ただ、取れそうな策としていくつかあげておきます。

 

①先生に直接聞く

当たり前すぎるけれど当たり前な対策がまずこれです。

具体的に先生に対して、不安な気持ちを話したり、困っていることを話したりすること。その時間を取っていただくこと。

通常級在籍のお子さんの場合は、その話をする場に特別支援コーディネーターの先生に同席していただく、というのも手だと思います。

担任とコーディネーターそれぞれに、どう見ているか、というのを聞いて学校でどんな対応ができるのかについてお話を聞くのも良いと思います。

 

②専門家(支援者)に聞く

これも当たり前すぎる対策すぎてわざわざ書くようなことではないんだけど、でもすごく大事なことですね。

必要な対策について話していける専門家に一発で出会えるかというとそれはすごくハードルが高い。

並走してくれる支援者に出会えたら本当にラッキーだなぁと思います。

 

この項目については今の段階でこれという細かいことを書く材料が揃わないので今回はこのくらい触れる程度でご容赦ください。

整理できたら後日続編が書けるかもしれません…

 

最後におまけ。話し合い方のコツ

ここまでは話し合いを進める手順について書いてきましたが、最後にちょっとだけ私が学んだり親の会で教えてもらったりした、話し合いをするときのコツについて書いておこうと思います。

 

①ゆっくり、低い声で

高い声、早口だと相手に威圧的に感じられることがあります。

いつもよりゆっくり言葉を出すこと、低いトーンで話すことを意識すると相手に自分の言葉が伝わりやすくなります。

 

②話の聞き方は「遮らない・相槌・オウムがえし」

いわゆる「傾聴」と呼ばれるお話の聞き方です。

相手が話しているときに遮って自分の話を始めないこと。

これをやると相手から「自分をないがしろにしている」と受け取られたり、不快さを与えて交渉がうまくいかなくなる可能性があります。

相手が話しているときはただ聞くのではなく、言葉の途切れる合間で「うんうん」「なるほど」と相槌を挟むこと。相手が大事なことを言ったときは「〜〜ですね」と同じ言葉を返して確認すると相手に「ちゃんと話を聞いている」「理解している」という印象を与えることができます。

 

③我が子の話を鵜呑みにしない

「うちの子がこう言ってた」ということを根拠に話をするときに気をつけなくてはいけないことです。

目の前で起こったことを後で言葉にするとき、大人でも自分のフィルターを通してしか話せません。

子供ならなおさら、自分の目線からしか話せませんし、自分がやらかしたことをうまく認識できていなかったり罪悪感からボヤかして話したりすることは十分あり得ます。

発達障害で認知の歪みがあるタイプのお子さんだとなおさら、話を聞くときには注意が必要です。

 

子供の話はあくまでも子供の目線から見た話であることを意識して話を進める必要があります。ここをすっ飛ばして我が子が見たものが正確であるという前提に立ってしまうと、先生や他の保護者との会話が成り立たなくなってしまいます。

 

低学年の頃はうまく状況を話せない拙さについて、また年齢が上がっていくごとに意図的に話をずらしたり、家での顔が学校での顔と違っていくことについても意識しておく必要があるかなと思います。

自分が見ている我が子の姿が全てではないのだ、ということを意識しておかないと、学校とのやり取りの中で思わぬ落とし穴にはまってしまうかもしれません。

 

④感謝の気持ち、ねぎらいの言葉を忘れない

学校の先生方はクレームを入れられるのは日常、でも成果を褒められる機会はあまりないんだろうな〜とこっそり思っています。

日頃から関係性をうまく築いておくために、先生がやってくれて嬉しかったことや子供が喜んでいること、家で話してくれたことなどを小まめに先生に伝えるようにしています。

また、話し合いの場でもこちらの要求を1出すときは2感謝する、くらいのバランスで先生に負担だけを強いるつもりはないのだと伝えるようにしています。

 

おわりに

とてもとても長くなってしまいましたが、お役に立てるお話になったでしょうか。

子供に困りがあればあるほど、学校との間でいろんな交渉をしていくことになり親としても負担が大きいなぁといつも思います。

ただ、日頃から意識して学校とうまく関係を繋いでおけば何かトラブルがあったときにも対応がスムーズに進みやすいなぁとも感じます。

次男が小学校の頃、彼がトラブルを起こしたとき周りのお家の方に「イシゲさんのお宅はしっかり対応してくれるから安心してください」と言ってもらえていたと聞いて、頑張ってきてよかったなぁ、ありがたいなぁと思ったこともあります。(と同時に身が引き締まる思いがしたのも本当のところですが)

 

何かあったときに駆け込む!というのではなく、日常的に担任と信頼関係を築いておくことを意識しておくこと、その上での交渉術と考えていただけるといいのではないかなぁと思っています。

スポンサードリンク