スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

認知特性をもとに息子にあった勉強法を探った話

前回、次男の家庭内のトラブルを防ぐための手立てとして認知特性の傾向を参考にした話を書きました。

この、認知特性テストのことを別の形で利用した話を今日は書こうと思います。

 

我が家には今、高校受験を控えた長男がいます。

もともとあまり勉強そのものを好まず、また部活に打ち込んできた彼。

部活を引退したいま、やっと本腰を入れて受験について考え始めている、かなりのスロースタートな状態です。

 

さて、今までテスト勉強らしいこともしてこなかった彼にとって最初の課題が

「どうやって勉強したらいいのか」

だったのには、さすがに親の私もビックリしました。

確かに宿題以外の勉強をしている様子もなかったので仕方ありません。

 

というわけで、どうやって勉強したらいいかのヒントを得るために認知特性テストを利用することにしました。

 

前回は次男の視覚優位な部分を会話に活かす形で利用しましたが、今回は記憶の仕方に利用します。

 

参考にしたのはこのムックです。

 

最新科学で解き明かす最強の記憶術 (洋泉社MOOK)

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 古いものなのですが、今はこちらの方が新しいのかもしれません。

 目次の中に認知特性テストとそれをもとにした勉強法について触れられているようです。

最強の勉強法 (洋泉社MOOK)

最強の勉強法 (洋泉社MOOK)

 

 

認知特性テストをしたところ、視覚の3Dタイプが高いらしい結果が出た長男。

彼が記憶しやすいような、概念を映像で取り込んだり、映像をイメージしやすいような絵入りの参考書を活用するような勉強法を勧めました。

 

ちなみに次男はカメラアイタイプも合わせて高いため、これに加えて絵や地図などパッと目で見て理解しやすいような教材を活用すると覚えやすいようです。

ポスター学習も視覚優位の彼らには向いている学習法だと思います。

うちも、年齢ごとにトイレにいろいろと貼っています。

 

彼らにとって反復練習はあまり意味が無いのではということもテストの結果から推測できます。

二人とも漢字の書き取りは昔から大嫌いでした、次男は特に!

「こんなことやっても意味がない!」

とよく言っていたなぁと思い出します。

一度で覚えているのだから何回も書く意味がわからない、とよく言っていました。

 

それもそのはずです。

この、文字を反復して書くことで覚えやすくなるのは彼ら視覚優位のタイプではなく、言語優位のタイプ、その中でも文字にして覚えるのが得意な「言語抽象タイプ(辞書タイプ)」の人なのだそうです。

 

私はこの特性がかなり強めです。漢字の書き取りは全然苦にならなかった記憶がありますし、学生時代もテストのために文字をびっしり配して整理したノートを作って覚えていました。

 

ちなみに余談ですが、学校の先生を生業にしている方はこの、辞書タイプの方が比較的多いのではないか、と聞いたことがあります。

学校の先生が漢字の書き取りによる反復練習には効果がある、というのはそのためだと。自分にとっては効果の高い方法だから学校の宿題として取り入れられやすいのではないか、と聞き、なるほどと目からウロコがボロボロ落ちました。

 

聴覚の優位性が高い方はラジオを聴くなど耳から情報を入れる学習法が良いとされています。

詳しいことはムックの中に詳しく書かれていますので、気になる方は是非参考になさってみてください。

 

記憶の仕方は本当に人それぞれ違うんだな、と改めて思います。

こんなにいろんな違いがあるのに、一律同じ勉強法を押し付けられる形になる学校という場所は彼らにとってもいろんないづらさがあるところなのかもしれません。

 

夢のような妄想ではあるのですが、こんな認知特性についてのテストが小学校や中学の入学段階で行われ、先生がそれぞれの子たちの特性に合わせた指導を取り入れてくれたり、特性に合わせた学習法を勧めてくれたりしたら、と思ったりしています。

いつかそんな未来がくるでしょうか。

 

指示の出し方ひとつをとって見ても、視覚優位の子たちにとっては目からわかりやすい情報が入ってくれば取り入れやすく、言語優位の子たちにとっては文字で完結に書かれていたら理解しやすく、聴覚優位の子たちにとっては音声の指示が取り入れやすい。

 

方法として全然違うのに、学校や家庭の中で、先生や親のやりやすい形、自分がわかりやすい形に固定してしまってないか。

 

余談ですが、これらムックの内容全てに私が賛同しているわけでも、全面的に肯定しているわけでもありません。

あくまでも傾向を探るためのツールとして取り入れやすいと考えているに過ぎません。

脳科学の分野はトンデモにつながりやすい微妙なものもたくさん出ています。どれが正解でどれは怪しいのか、私も全て把握しているわけではありません。

 

ただ、この認知特性テストに関しては、自分のざっくりとして傾向が探れること、またそこから対人関係や勉強法に活かす指標にしやすいと思い、生活の中に取り入れています。

 

親子でも全然特性が違うこともあります。

自分がやりやすかったからといって我が子がそうとは限らない、テストの結果は私に如実にそれを突きつけてくれました。

 

自分にあった勉強法で長男が無事志望校に合格できるよう、これからいよいよ本格的な受験シーズンを家族で迎えます。

次男と家族の騒音問題を紐解くための認知特性の話。

相変わらず適当な更新頻度です。

昨夜、次男の聴こえ方と家族との関わりについて本人と話したことを覚書として書いておこうと思います。

 

きっかけは、次男の発するゲームや動画の音量でした。

狭い我が家では、リビングやキッチン周りのような共有スペースでゲームしたりテレビや動画を見たりするときに周囲の人間が「うるさい」「もうちょっと静かにして」と音量を下げるように声をかけることは日常茶飯事ではあります。

 

その中でも、次男が家族からそれを指摘される頻度はずば抜けて多く、テコ入れをしたい課題だとずっと思っていました。

 

彼に対して防止策として

①音を出すものは自室で利用する

②共有スペースではヘッドホンを着用する

などいくつかの提案をしてきましたが、なかなかうまくいきません。

ヘッドホンやイヤホンの質の問題もあるのかもしれませんが使用感が良いものは天井知らずであることや、買うたびに無くした壊したが発生する彼の特性を考えてもあまり高いものには手が出せません。

大きな音を出したければ自室へと促しても、それが家族により自分の行動を制限していると受け取られパニックに繋がることも多々。

 

そして昨夜も、リビングで私と三男が録画したドラマを見ている横で大きな音で動画を見始めた次男。

 

三男が怒り、私が音のことを指摘したら次男は怒り出しました。

クールダウンを待ってテーブルに座って話そう、と持ちかけました。

 

ここしばらく、彼と話すときは白い紙と紙を用意するようにしています。

認知特性のテストとその後の観察で彼が視覚の認知が飛び抜けて高く、また聴覚認知が弱いことがわかってきたからです。

 

白い紙に、テレビを見ていた私と三男、その横で音を立てた次男の絵を描きました。

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こんな感じで、適当ですが位置やそこにある物が見えるように描いています。

この絵を見ながら、次男の出している音のこと、私と三男が見ているテレビのこと、状況を整理して話しながら、この場面で次男がどこまで知覚していたかを探ります。

 

話を掘り下げていって、彼に、こうして見せました。

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最初に描いた絵の「彼以外の部分」を手で覆って見せると、ハッとした顔をする次男。

そうです、彼にとって見えていたのはこの部分だけ。

目の前で起こっているのに、私と三男がテレビを見ていること、その音を聴いていること、自分が出した音がそれと干渉するということは、彼の中にはない状態で世界を見てたんだろうなということがわかります。

 

でも、私や三男は次男の見えている世界がそんなに狭いと思って生活していません。

私は知識として彼の特性を理解はしていますが、残念ながら日常生活全てにおいて彼のその特性を十分考慮しながら生活できるほどの余裕も持ち合わせていませんし、三男を含むきょうだいはなおさらです。

 

次男が大きな音を出していたら咄嗟に、自分と同じ感覚の持ち主だという前提でものを見てしまいます。

つまり、

 

私と三男がここでテレビを見ているのが目の前で分かっているはずなのに大きな音を出した

→こちらに配慮がない=喧嘩を売っている?もしくは邪魔をしようとしているのか?

 

三男は咄嗟にそう判断して、次男に対して怒りに近い苦情を言葉にしました。

 

でも次男にとっては私が手で隠さなかった範囲しか見えていません。

なぜ自分が怒られるのかも、音のことで指摘を受けるのかも、咄嗟にはわからなかったんだろうと思います。その理解できない状態で、パニックが怒りに変わった。

 

時系列で彼と私たちに起こったことを絵に描きながら、次男に説明していきます。

うんうんなるほどと聞きながら、怒って申し訳なかったと謝る次男。

 

君が悪いわけじゃないよと話しながら、絵に手を乗せたり、外したりして見せます。

君が見ていたのはここ、でも周りの家族にはここまで見えてた、だからそう言った。

でも君はその時にはここしか見えていないから、なぜ家族からそう言われるかわからなかったんだよね、とゆっくり話しました。

 

この辺で、彼にとって必要なのは衝動的に出る怒りをコントロールすることだろうという課題が見えてきますが、それは今回は掘り下げずにおきました。

 

話が入る状態になったように見えたので、ここでもうひとつ話してみることにしました。

それが、聴覚認知の話。

 

認知特性テストでも、その前に医療機関で受けたウイスクの結果でも、彼の聴覚認知はとても弱いという結果が出ています。

聴力が弱いのではなく、耳で聴こうとする能力に神経を割いていないという方が良いのかなと思います。

 

声をかけても返事をなかなかせず叱られるということも良くありました。

今は学校では

  • 一斉指示を聞き漏らす可能性が高い
  • 呼ぶときは遠くから名前を叫んでも耳に入らないことがあるから、近くで声をかけたり、肩を叩いてこちらに意識が向いたのを確認してから話し始めてほしい

などお願いしています。

今回は、この聴覚認知の弱さから自分の出す音に対する意識も低いのでは?と感じてある実験をしてみました。

 

ちょうど、私と次男が座って話しているテーブルから離れたところで三男が動画を見ていたので

「その音を最大まであげてみて」

とお願いしました。

次男と私は向かい合って、会話を続けます。

タブレットから流れてくる大音量の動画の音は、私にとっては会話が継続できないほど耳障りなものでした。

次男に

「どう?」

と聞くと

「全然気にならない」

と答えます。

 

三男に、タブレットを置いてこちらに来るように頼みます。

次男と同じ位置に来た三男に

「あの音を聞きながら会話するとしたらどう?」

と聞くと

「無理、すごい気になる」

と。

 

どちらが良いとか悪いとかではなく、騒音と感じる音のレベルが、恐らくは次男のそれと、私と三男のそれに大きな開きがあることがわかりました。

その場にはいなかった夫や長男、娘のそれはまた、それぞれに違うのだろうという話も次男としました。

 

大事なのは、どちらが偉いとか偉くないとか、どちらに合わせるべきかどうか、とかではないのだろうと思います。

 

今回わかったのは、うるさいと感じる音のレベルが家族それぞれに違いがあること、また次男のそれは他の家族より恐らくはかなり低い、大きな音がしていても彼はあまり気にならないでそこにいられるのだろうということがわかります。

 

また、視野の狭さから自分が出している音に対する配慮が欠ける側面があるのだろう、ということも話せました。

 

昨日の結果として、

 

次男にとっての課題)

次男がうるさいと思っていなくても周りの家族にとってはすごくうるさい音かもしれない

→だから、指摘されたら音量を下げたり移動できたりするといいね

 

家族にとっての課題)

次男がうるさい音を出してしまっていても嫌がらせや攻撃ではなく、周りが見えていないだけかもしれない

→だから、周りも咄嗟に怒るのではなく具体的な改善策を次男に伝えられたらいいね

 

という双方の課題が一応、共有できた状態になりました。

 

私や三男にとって、自分が不快な音が次男にとっては平気なものだった(自分たちの方が過敏だったとも言える)というのを共有できたのも大きな収穫でした。

 

どこまで次男や三男の頭の中に残り、腑に落ちたのかはわかりません。

断片くらいしか理解できてないかもしれない。

 

ただ、こうやって目に見える形、明らかにわかる形でものごとの認知の仕方や音に対する感覚が家族それぞれに違うということをクリアにしていくこと。

それは、次男のためだけではなく他の家族にとっても、自分と他の人間は同じ仕組みで動いていないかもしれないこと、自分を基準にしていたら危ういかもしれないことを知る良い機会になっているのだろうと思いました。

 

余談ですが、本文中に出て来る「認知特性テスト」はこの本の中にあったものを使用しています。

認知特性を知るためにと思って購入した本ですが、思わぬ副次的な成果がありました。

それは、私と次男の認知特性のタイプが大きく異なっていることが明らかになったこと。

 

次男は視覚認知の2タイプがそれぞれに突出して高く、それ以外の項目は大きく凹んでいました。

私は逆に、言語性の2タイプが突出して高い結果が出ました。

 

この認知特性の傾向の違いが、私が次男に対して「何を考えているのかわからない」「彼の困難をわかってあげられない」と思ってきた要因のひとつだったんじゃないか、と考えています。(もちろん、他の要素も多分にあるのだろうとは思いますが)

 

ダラダラと長くなりましたが、今日はこのくらいで。

わが家流「ミングル」ができました。

料理研究家の有賀薫先生の「ミングル」という構想に出会ったのが3日前のこと。

その時の衝撃を思わず書き残しておりました。

 

suminotiger.hatenadiary.jp

ずっと頭の中はそのことばかり。

以前から使い勝手が良いとは言えなかったわが家のキッチンをなんとかしたい、ミングル構想からヒントを得られないか…とあれこれ試行錯誤し続けておりました。

 

まず。

現状のわが家のキッチンの問題点を色々と洗い出す作業から。

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もようがえ前のわが家のキッチン。

もともと、リビングとキッチンの仕切りがないだった間取りでした。

そこを私が一人で作業しやすいように上部が作業台として使える食器棚を並べてカウンターに。

これまでは主に私しか家事をしなかったこと、家が狭く自分だけの部屋がない私にとってカウンターで仕切られたキッチンは私だけの巣のような感覚もありました。

 

ただ、ここしばらく問題を感じていたのも確かです。

まず、夫が料理をする頻度が増え、体格のいい(太っているともいう)夫が行き来するのにかなり狭く感じているようでした。

 

また、子どもたちがお手伝いをしてくれたり、自分で料理をすることも増えてきていました。

以前のキッチンでは、シンクに誰か立っているとその後ろをもう一人通るのがやっと、という狭さ。

コンロの前にも1人しか立てないし、シンク横の作業スペースでだれかが違う作業を始めたらコンロも使いづらくなってしまっていました。

 

とにかくこの動線の問題をなんとかしたい。

 

有賀さんのミングルの、4方を囲めるスタイルがとても気に入ったので、これをなんとかわが家に合う形で取り入れられないだろうか、と考え、行き着いた答えがこれです。

 

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もようがえ後

カウンターとして使っていた低い食器棚を1つは撤去、1つは炊飯器置き場として移動しました。

これを機に食器の中で普段出番のほとんどないものは処分したり、押入れの奥にしまいこんだり。毎日家族が使う最低限の食器だけを残す形になりました。(ミニマル!)

 

ミングルのような調理台が欲しかったので、ネタを探しにホームセンターへ。

木材売り場など色々と見る中で、2人がけ用なのかな、正方形の小さなダイニングテーブルが破格値で売られていたのでそれを連れて帰りました。

 

調理や食事のために使う調味料の類をしまう棚が欲しかったので別の場所で使っていた小さな棚をテーブルの横へ。上にタイルを敷いて作業台として使えるようにしました。

 

棚の一番下の段をカセットコンロ置き場に。

これで、作業台の上にコンロを出せばミングルとしての機能がより強化できそうです。

 

炊飯器や電子レンジはコンロと並べる形に。それぞれの場所でだれかが作業しても邪魔になりにくくなりました。

 

ミングルのように水周りも一緒にできたらよかったのですがさすがにそれは無理。

でも、作業スペースの真後ろにシンクがあるので特に問題はなさそうです。

 

こうして、わが家らしい「ミングル」が完成しました。

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わが家流「ミングル」

シンクに誰か立っていたり、横の作業スペースで何かやっていてもコンロでの作業がスムーズになりました。

 

これまで子どもたちが手伝いたいと言ってくれても1人が限界だったのだけど、4人それぞれがキッチンに来て何かしていても特に邪魔になることもなく動けるようにもなりました。

 

朝も、それぞれが自分の食事を用意するのがとてもスムーズ。

テーブルの上にオカズや常備菜をちょこちょこ置いておけばバイキングのように子どもたちがそれぞれ取っては、奥の座卓に座って食べたり、椅子に座ってそのままテーブルで食べたり。

 

そうそう。

テーブルの下には別の場所で使っていた丸椅子を2つ置いています。

昨日は帰ったら三男がそこで宿題をやってました。

 

買い物の荷物を仮置きして整理したり、ちょっと書き物をしたりするのにもテーブルがいい仕事をしてくれています。

 

上の絵も、夕食の後にテーブルに座って一杯やっていたときにキッチンに子どもたちが来て、それぞれになにやらやっているのを眺めながら描きました。

 

とりあえず完成した、わが家の「ミングル」っぽいキッチン。

これからまたいろんなマイナーチェンジをしていくのかな〜とワクワクしております。

料理研究家 有賀さんの「新時代のごはん装置『ミングル』」という面白そうなことから考えたアレコレ。

昨夜、TwitterのTLにこんな記事が流れてきました。

新時代のごはん装置「ミングル」を自宅に作ってみた話|有賀 薫|note

 

おそらくこれからの10年、家庭料理はもっと変化し、簡略化していくだろうと思うのです。時代の流れに、逆らうことはできません。
でも一方で、日々の食の豊かさは人生の豊かさに直結する。スープの仕事を通じて、これもまた真実だと感じています。 

この相反するふたつのことがらをどうするかという課題にこたえるために、家での食事をよりコンパクトにする、新しい形のごはん装置を考えました。そして、自分の家を実験台に、プロトタイプを作ってみました。

リンク先でそのプロトタイプ「ミングル」の画像を見ることができます。

ミングルの由来は

やれる人がやる。やりたい人がやる。
みんなで、ぐるぐる料理する。
だから、ミングル。
 

 

面白い。

 

ぐるぐる、というオノマトペが表すように、通常のキッチンのような一方向からのアクセスではなく、四方から手を出せる作りになっています。

調理台兼テーブルの下には食洗機が作りつけられていて、洗う・作る・食べる・片付ける、が全部この小さな空間の中でできる、そして一人ではなく誰かと一緒にできる、とても面白い発想だなぁと思って私の脳は昨夜からこのミングル構想の虜になっています。

文字通りぐるぐる、ずっとこのミングルの発想をどうにかして我が家に取り込んでやりたいと思って考え続けているのです。

 

有賀さんの発想やそのコンセプトをそのまま真似したいのではありません。

このミングルの構想を拝読して私の脳が耕された理由、それは「キッチンを自分たちのいまの形に合わせてコンパクトに組み直す」という部分。

 

文中にある有賀さんの最初のコンセプトメモがこちらです。

 

現代の家族が暮らしの中でかかえる問題解決のための実験的なキッチン

【現状と課題】少人数家庭が増え、男・女・子供、みんなが多忙になっている現代において、複雑に進化しすぎて尺に合わなくなっている料理をどう簡便にし、なおかつ暮らしの質を落とさないようにするか。

【解決方法と目標】現在は主婦(または主夫)ひとりに偏っている料理を夫や子供など家族内メンバーが少しずつ分担し、みんなが参加することによって(キャンプやバーベキューなどのときに作業をともにすることで仲間意識が強まるように)日々の暮らしの中でもコミュニケーションを楽しく深めることができ、それに伴って主婦の負担も自然に減らせるようにする。

【キッチンとしての課題】ただ、現在の家庭のキッチンやそこからくる台所仕事は大きく複雑になり過ぎて、他のメンバーがそこに立ち入るようなフラットさ・敷居の低さがない。キッチンや料理をより簡素化することで、家庭内のみんなが一緒に、あるいは自発的に作業できるような家庭料理と食のスタイルを提案したい。

 

バーベキュー!

そう、我が家はわりと頻繁にガレージでバーベキューをするのですが、回を重ねるごとに洗練されているのを感じるのですね。

最初の頃は後片付けが本当に億劫で、ヨレヨレのままとりあえず生ものだけ片付けてあとは翌日に持ち越して…なんてことも。

道具の配置やどんな道具をどう使うか試行錯誤したり、ガレージに中古の小さな冷蔵庫を置いたりと工夫を重ね、今では食べ終わる頃には網と炭の処理くらいしか残らない状態になるまでミニマルにバーベキューを楽しめるようになってきています。

 

そして家族がそれぞれに動きながらスムーズに食事を楽しむ。

 

誰か一人がキッチンにこもって作って、それから食べる、じゃなくて、家族全員の生活の中にご飯を作ることや食べることがもっと自然に入ってくる感じ。

 

そうか、あの空間をキッチンにも導入することでもっと毎日のご飯が楽に!楽しく!なるはずだ!!!

 

と脳内で打ち上げ花火がいくつも上がったのが昨夜。

 

そこから、我が家の狭いキッチンをどう組み直せば我が家らしい「ミングル」が仕上がるだろうか、とずっと考え続けています。

 

有賀さんがもともとお考えになった構想とはかけ離れていってしまっているかもしれないのですが、あの発想は私にとっては「こうしたらどうだろう」という答えの提示というよりは、「こんなこともできるよ、あなたの家族にはどんな形がいいと思う?」っていうとてもワクワクする提案のように聞こえたのです。

 

この、既存の、一般的なあり方を自分の、また家族のあり方に沿うものに作り変えていくという発想は、発達障害のある子どもや特性のある自分たちの暮らしや学校生活の中ですでに馴染んでいるものではありました。

 

みんなと同じ方法で宿題をやるのがしんどい次男は、彼なりにどう対処していくかを私と一緒に考え、先生に協力をお願いしています。

 

また、家の中の収納もどうしても散らかってしまう部分をどうするか、どこに収納を作ると物が片付きやすいか、どの道具を使うとやりやすいか…

 

トライアル&エラーを繰り返しては、家の中をどんどん変えてきた私が、なぜキッチンのこれに気づかなかったのか!!!すごいことに出会ってしまった!!!

という状態なのです。

 

私(または夫)が主に調理をして、それを子どもたちが運ぶ、というスタイルが続いてきた我が家ですが、上の子たちが自分たちのペースで料理をすることも増えてきました。

子どもと一緒にキッチンに立つことも多いけど、やっぱり狭いし子どもが邪魔になってイラッとすることもないわけではなく…

 

ミングルの構想を取り入れて我が家なりのやり易い形を見つけることで、子どもと一緒に料理をしたり、子どもたちが自主的に料理や食事を楽しんだりする空間が作れたらなぁ…

 

有賀さんのミングルは水周りまで改修した規模の大きめものなので簡単には導入できないかもしれないんだけれど、食卓にホットプレートやIHヒーターを置いてそこで調理してその流れで食べる、という形を取り入れてみるだけでも全然視点が違ってくるかも。

 

こうあらねば、みたいな自分の中に染み付いたものをガタッと変えるきっかけに出会えた。

脳みそが耕されてとってもワクワクしながら、さてどんなことをやってやろうか、と企んでいるところなのです。

夏休みを目前に、宿題にどう取り組むか問題について

いよいよ夏休みが近づいてまいりました。

夏休みをテーマに…と考えた時、我が家でまず持ち上がる問題があります。

それが「夏休みの宿題」


計算や漢字のドリル、日記、新聞づくり、工作や自由研究…

なるべく子供に任せて、と思いつつそうはいかないのが難しいところ。

今回は、毎年奮闘する中で「ここはおさえとかないと!」っていうポイントをまとめてみようと思います。


最初のカギは「学期末」

我が家で長期休みの宿題の一番恐ろしいこと、それは「紛失」です。
始業式ギリギリになってあれがないこれがないと言い出して何度大慌てしたことか。

それを防ぐために、宿題をまとめて持って帰った段階でチェックして整理するようにしています。

クラスや学年にもよりますが終業式の数日前に配布されることも多いので要注意です。

夏休み明けに提出するもののリストを事前にお知らせしてくれるケースも多いと思います。
(うちの子の小学校では学期末のPTAの時にお話があることが多いです)


学校からもらってきたプリントやドリル類を、子どもと一緒にリストと照合します。
先生によっては大きな封筒にチェックリストをプリントし、それに宿題をまとめて入れて配布してくださる場合もあります。これはとてもありがたい。

もしそういうケースが用意されていない場合は、百均の書類ケース(透明でチャック式で開封できるものが便利)などを用意し、「夏休みの宿題は全部ここにまとめる」と決めておくと便利です。

 

 こういう感じのとか

 こういう感じのとかにまとめて入れとくのです。

 

ここまで下準備をしておけば、夏休みの間の帰省やキャンプなど外に宿題を持ち出す機会があるときでも紛失を最小限に食い止めることができます。


進み具合をどうチェックする?

ここは、個人差が非常に大きいところだと思います。

任せていたら自主的にやれる子もいると思いますが、残念ながらそうでないお子さんもいらっしゃるかと。(もちろんうちの子も…)

これなら絶対うまくいく!なんて素敵な方法はご紹介できませんが、我が家がやってきた対策をいくつか。


1、日単位、週単位の到達目標を設定する。

めどが立てば取り組みやすいタイプのお子さんにオススメな方法です。

ドリルやプリント集を単純に日割りや週割りして、1日(1週間)にどこまで終われば最後までたどり着けるか、を計算して目安を書いておく。
カレンダーに記入しておいてできたらシールを貼るとかもアリだと思います。


ごほうびが効くタイプのお子さんなら、それが達成できたら○○(臨時おこづかいやケーキを食べる、行きたいところに遊びに行く、とか)と、目標達成のごほうびを用意しておくのも。


2、バッサリわけちゃう。

コンスタントに取り組むのが苦手で、40日分という途方も無い量でまず心が折れてしまうタイプのお子さんにオススメの方法です。
(うちの次男です)

40日分が辛いなら20日分、それも辛いなら10日分に分ける。
つまり、夏休みの宿題をバッサリ4分の1にして、残りは預かっておく。

目に見える宿題の量を減らすことで取り組みやすい環境を作ること、また、もし途中で滞っても10日ですっぱりリセットして次の課題に移ることで心を折れにくくする目的もあります。

プリント集をバラバラにしてもいいし、ドリル形式のものなら最初10日に計算、次の10日に漢字、など課題ごとに分けるのもありです。

1の方法と似ていますが、違うのは区切りをしっかりつけるところです。

区切りごとに終わらず残ってしまうことが予想される場合は、夏休みの最後数日を計算に入れずに分けておいて「残った宿題をやる日」を作っておくのも良いと思います。

ここでもごほうび作戦はお子さんにより有効です。


3、環境を変える。

家の中のいつもの環境だと中だるみしてしまいがちなので、時々図書館の自習室に行ってみたり、勉強可のファミレスやカフェでおやつやお茶と一緒に宿題を、というのもアリだと思います。

外へ出なくても、家の中の環境を変えるだけで取り組みやすくなったりします。

例えばアウトドア用のワンタッチテントを出して机を持ち込んでみるとか、段ボールハウスを作る、リビングの椅子を組み合わせシーツやタオルケットをかけて秘密基地を作る、押入れの中身を出して隠れ家を作る…等々、いつもの学習スペースではないところを子どもと一緒に用意して「非日常感」を出してあげるのも面白いと思います。


それでもうまく進まなかったら…

親がどんなに奮闘しても環境づくりに取り組んでも、どうにも宿題が進まないこともあると思います。

もちろんそうならないのが一番ではあるけれど、でもせっかくの夏休みなのに宿題のことばかりで辛いばっかりなのは親子ともによろしくない。私も次男の宿題をなんとか終わらせないとと一生懸命になり過ぎてお互いにパンクしてしまい、児童精神科の主治医にストップをかけられたことがありました。


その時に主治医から言われたことは、次男が中学生になった今も子育ての軸として大事にしています。


それは、宿題はあくまでも本人のものだということを忘れちゃダメだ、ということ。

 

本人と先生の間のお約束だから、お母さんにできるのはサポートまで。
もし期日までに終わらせることができなかったとしても、それをどうするかも本人の課題。
いつまでにここまでがんばるからそれでいいか、とか、〆切をいつまで延ばしてもらえるか、とか、先生と交渉できるようになるのも大事なスキルのひとつ。

と主治医から言われました。

 

終わらなかった時の交渉スキルについては、小学校の頃の通級指導教室でも本人が身につけるほうがいいと練習をしてきました。

「期限内に絶対に終わらなければならない」

ではなくて

「期限内に終わらないならどうすればいいかを自分で考え提案と交渉ができる」

というのも、大人になっていく彼らにとって大事なことなんだろうと思います。


与えられた課題に期限内に自力で取り組める子ばかりじゃないけど、そんな子たちもその子たちなりに頑張りながら取り組んでいく方法は必ずあります。

怒ったり叱ったりしても成果が上がるわけじゃないことは次男で痛感しました。

そうやってお互いに辛い夏を過ごすより、ライフハックを駆使しながら本人がほどほどに頑張れるほうがいい、最近やっとそう思えるようになりました。

 

中学生になった今は次男の宿題は学校の担任と個人的にお願いしている学習支援の先生にお任せをしているので(思春期で私が介入するとこじれるので…)、今年は娘と三男のサポートが主になるかな〜という感じです。

たまに次男を連れて外で勉強しにいくのも良さそう。


ちょっとずつサポートをしながら、楽しい夏休みの終わりを迎えられるように、今年もお母さんとしてできることをできるだけ、やっていこうと思っています。

支援学校の高等部と、ADHDなら子ども生むな、のツイート主さんに思うこと。

何となく5時過ぎに目が覚めて、Twitterを眺めてました。

 

誰かが怒ってるらしいのがわかりました。

怒りの先にあったのは「ADHDが遺伝すると病院で言われたから子供を産むか悩む」というツイートに対して「生むべきでない、ギャンブルするな」というツイートで。

 

次に目についたのは支援学校高等部の先生というアカウントを監視してます、というツイート。

 

昨日からフォロワーさんたちがちらほら、ひどいアカウントがあったと話してたのはこれか、と。

 

新しいアカウントのようだったのでホームからアカウントを全部遡って読みました。

 

辛いね、どっちも誰もかれもしんどいね。

 

ADHDの自覚があり(投薬なしで生活できてるので未診断ですが)ADHD児を育てる私としても、障害のある子を育てる親の私としても、どっちもザクザク刺さるしんどい話。

 

でも不思議と、どちらのツイートも見ててそんなに傷つきませんでした。

 

どちらも、ツイート主さんがとても悲しくて苦しんでる最中に見えた。

私は今そこにいないから、傷つかなかったのかもしれない。

 

ヒリヒリするような痛みがツイートから見える。

 

自分が抱えているものが苦しい

当事者に迷惑かけられてる

周りに迷惑をかけているのを見るのもしんどい

納得いかない人事が辛い

 

ふたりのツイートからは現在進行形のしんどさが見える、ダラダラ血を流してるように見える。

 

どれも、主語が「私」なら、どんどん吐き出してよかった辛さなのに。

 

『あなたの辛さを誰かのせいにしてるよ、大丈夫?』

『自分のしんどさで人を傷つけてるよ?気づいてる?』

 

これは、特性がありかつ他罰的な思考をしやすい次男に私がわりとよく言う言葉。

 

彼が自分のしんどさをうまく言葉にできないまま人に八つ当たりするたびに「主語を自分に置き換えてごらん」と話す。

 

『僕が学校で嫌なことがあってイライラしてたから言葉が悪かった』

『僕の意見を採用してくれなくて悲しかったから○○さんにひどいこと言ってしまった』

 

落ち着いてゆっくり、主語を自分に置きかえる。

 

叱られ過ぎて自尊感情が低いことが原因なのか、先天的なものなのか専門家でない私にはわからないけれど、自分の感情を言葉にするのが苦手な次男。

これは私も身に覚えのあることで、現在進行形の自分の苦しさがクリアに自覚できず、でも苦しさだけが自分にあってわけがわからなくて人に当たり散らしたことも何度もありました。

 

「私は」辛い

「私は」悲しい

「私は」この言葉に傷ついた

「私は」納得がいかない

「私は」親にされたことが嫌だった

 

ひとつずつ主語を私にして言葉にしていく。

自分の苦しさが私を主語にして見えてくる。

 

あなたの苦しさはなんですか?

それはどこにあるの?

誰かのせいだとしたら、それは誰?

 

主語を自分にして丁寧に言葉にしないと、怒りや苦しみをぶつける矛先を間違えてしまう。

 

次男が自分の抱えるもので苦しんだ末、無自覚に人を傷つけることが少しでも減らせるように、そして無自覚に人を傷つけることで自分に跳ね返ってくるものを少しでも減らせるように。

 

お母さんとしての私が気を付けているのはそんなこと。

 

周りが見えないくらい、周りを傷つけても構わないと思うくらい、今がしんどいのかもしれない。

 

でも、それでもそれゆえに人を傷つけることが許容されていいわけない。

 

障害のある人もない人もみんなそれなりに助け合って生きてる。

そのなかで傷ついたり納得のいかないことで苦しんだりしてるのはあなただけじゃないし、あなたが傷ついたことをあなたを主語にして言葉にしてもいいんだよ。

 

でも、その苦しみを理由に人を傷つけたらいけない。あなたの苦しみはあなたのものだから、それを塊にして撒き散らしたら必ず自分に跳ね返ってくるよ。

 

私は、我が子に、ハンディを抱えて生きていく子に、それでいいとは言えない。

自分の苦しみは自分で言葉に出来ないといつまでも自分の中から消えてなくならないから。

そのままでは人のなかで幸せに生きていけないんじゃないかと思うから。

 

特性も生い立ちの辛さもいろんな苦しみも、それゆえに不幸になるんじゃないよ。

それを不幸のままにしないで済むよう自分の言葉にして人に助けられ生きていってほしいと、私は我が子に対して思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親としての私の役割を考えた、夜の話。

読み聞かせボランティアのための絵本を探しにいった図書館で、なぜかふと活字が読みたくなって向田邦子さんの随筆集を借りてきたのは先週のこと。

 

心地よい向田さんの文章を読みながら、あーまた最近ブログ書いてないなぁ、とふと思いました。

もともとTwitterをやってて言い足りないことを書くために始めたこのブログも、その時々の私の思いついたことを書くというまとまりのないものに行き着きつつあります。

まるで自分自身を体現しているようだと思ったりもしています。

 

やりたいやりたいと言いつつなかなか実現できないこんぺいとサロンも、本は集まったけれどなかなか活かせていない金平糖文庫もこのブログも、思いつきとその後の迷走ぶりは私の人生そのままのような気がします。

 

そして、それに対して「これではダメだ、頑張らねばならない」と自分に課してしまうのもまた、私を構成する大きな要素の一つで。それによって成されたものあれば、自分を追い詰める要素になったものもある。

 

先週末、そんな自分の中の「ねばならない」の壁が少し崩れるような、そんな経験をしたので書き残しておこうと思います。

 

「育児が、辛い」

きっかけは、次男のことでした。

特性の強い彼の扱いは、中2になり思春期を迎えてさらに難しくなっています。

これまで見られなかった反抗的な態度が出るようになり、また学校で頑張る反動が家で出るようにもなり。

 

そんな次男に対するいわゆる育児のストレスのようなものが私の中で堰を切って流れ出したのが、先週の金曜日のことでした。

 

Twitterで仲良くしてる先輩ママさんたちのグループDMにしんどさを書き連ねながら、涙が止まらなくなりました。

 

友人たちは口々に「とにかく休め」「逃げろ」「離れろ」「いろんなことをサボれ」と言ってくれました。

瞬時にそれを受け入れられるほどの余裕もなく、ただただスマホの画面を流れていくその言葉を眺めながらしばらく泣くことしかできませんでした。

 

「とりあえず、サボろう」

友人たちに愚痴を聞いてもらったこと、その後次男の担任が時間を作ってくれて少し相談したこと…

とりあえずその日の夕方には少し精神的に落ち着いて、助言を受けた「とりあえずサボる」をやって見る気持ちになりました。

 

本当は私が実家に帰るなりホテルにこもるなり、家族から完全に離れた方が良かったのかもしれません。

 

が、なにぶん受けてしまった仕事やしてしまった約束があるだけになかなかそういうわけにもいきません。

とりあえず、家事という家事は極力控えることと、育児という行為から離れてみようと思いました。

子どもたちには接するけど「お母さんとしての自分」ではなくて、ちょっと同席する大人、大きいお友達、くらいの感覚に設定を変えた感じです。

 

大きいお友達と、子どもたち

翌日土曜日。

私は小3三男と彼のお友達を連れて1日出かける約束をしていました。

 

中2次男は友人と出かける約束があり1日いない前提でした。

お金を浪費しやすい彼には普段は昼に出るときはなるべくお弁当やおにぎりを持たせていましたが、今回は「お昼ご飯代」と小銭を渡しました。

 

家でゆっくりしたいという小6娘に「お昼どうする?」って聞いたら「コンビニに行って買いものしてみたい」というのでまた小銭を渡しました。

 

中3長男は寝てたのでそのまま放置して、三男と出かけました。

 

午前中は三男がお友達と公園で遊ぶのを眺めながら読書に耽り、昼にお友達のママが合流して一緒にランチ。

午後は川遊びに行きたいというふたりを連れて別の公園へ。

お友達ママとおしゃべりをしながら遊ぶのを眺め、お友達にバイバイしてからは三男をサッカー教室へ送迎。

 

娘から「百均行きたい」と連絡がきたので拾って一緒に買い物をしてちょっとお茶。

 

三男を迎えに行ってから、夕飯もがっつり手抜きして適当に。

食後に三男がお友達に誘われた星空観察に合流。ぷらっとついてきた長男が行きたがってたお店に寄ってデザートを買って帰宅。

 

この間、いつもなら子どもたちに注意をしていただろうなっていう言動があっても特に何も言わず極力スルーしました。

 

「あぁ〜きょうはほんとうに楽しかったよ…」

1日私と離れていた次男は、もらったお昼ご飯代とお小遣いを足して前々から欲しがっていたゴジラ的な何かを手に入れてホクホクしてました。

お昼はどこで何をどうしたのか気にはなりましたが、あえて聞きませんでした。(おそらく私の実家でばあちゃんに何か食べさせてもらっただろうとは思いましたが)

 

スマホを見ながらゴロゴロしていた私のそばに寄ってきた三男が

「あぁ〜きょうはほんとうに楽しかったよ…」と呟いてうっとりしてました。

 

三男だけでなく娘も、そしていつも喧嘩ばかりの次男と長男もそういえば心持ち穏やかです。

家事も私がやらない分、それぞれが率先してサクサク動いていたようで不在の間にお風呂の用意や食器洗いも終わっていました。

 

リビングにきょうだい4人が集まると必ず起こっていた喧嘩がその日は起こらなかったのに気づいた頃、三男が私の横でニヤニヤしながら寝息を立てていました。

 

これで、いいのかもしれない。

子どもたちが外で困らないように、将来困らないように、辛い思いをせずに済むように。

 

「子どものため」と思いながら、いろんな防衛線を張り巡らせて育ててきたような気がします。

それが正しかったか間違っていたかはもう確認のしようがないのだけれど、少なくとももううちの子たちに対してはそれは要らなくなってきているのかもしれない。

 

子どもたちが楽しく喜んで過ごすために必要なものを用意するだけでもいいのかもしれない。

 

身につける必要があるものはもう手渡せたのかもしれない。

親としての役目が変わるターンに立っているのかもしれない。

 

そんなことを思いながら見た、幸せそうな三男の寝顔と眺めながら飲んだビールの味を、多分一生忘れない。

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