スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

主語を「私」に変えることと、その副次的な効果

お祭りのおこづかい

めっきり秋らしくなってきて、私の住んでいる地域でも秋のお祭りがちらほら。

お祭りの出店を楽しみにしている子どもたちはそれぞれにおこづかいを貯めていました。

それに加えて私や夫、祖父母からもお祭りだからとそれぞれに追加をもらっていたのですが、お金の使い方があまり上手ではない次男と三男は予想より使い過ぎてしまったらしく、案の定足りなくなって私やおじいちゃんたちに交渉を始めました。

 

「お祭りに行くのにおこづかいちょうだい」

という息子たちに、私は

「今月お母ちゃんの用意してた予算はもう余分がないから、お母ちゃんはあげられない」

と断りました。

息子たちは残念そうな顔をしつつも、仕方がないと諦めていました。

 

私を攻略できなかった息子たちは、おじいちゃんを狙います。

同じように打診した息子たちにおじいちゃんは

「次男くんは修学旅行も控えてるし、三男くんは運動会もあるし、あまり出歩いたりお金を使ったりしないほうがいいんじゃないか」

と提案。私の予想通り、次男と三男は納得がいかずそれぞれにブスブス文句を言っています。

 

私とおじいちゃんのNOの違い

同じようにお金がもらえなかったのに、なぜ私の話には納得し、おじいちゃんの話には納得できなかったのか。

 

答えは、主語。

「行動の主は誰なのか」という部分です。

 

私は「私は払えない」と自分を主語にしてNOをハッキリと伝えました。

おじいちゃんは「君はこうしたほうがいい」と、主語を息子たちにして遠回しな表現で諦めさせようと促しました。

 

この、遠回しな表現を使われたことで、息子たちはおじいちゃんのNOをハッキリ認識することができなかった、それが納得できない状況つながっていたのだろうと思います。

 

遠巻きなNOが腑に落ちないのは次男だけ?

発達障害のある次男は特に、大人がやんわりとたしなめるような表現を理解できない傾向にあります。

 

では発達障害ではない子ならすんなり理解できるのか、というと、実はそうでもないような気がしています。

 

次男以外の子たちも、おじいちゃんのような言い回しをされると「納得はいかないけどそれ以上言えないからとにかく諦める」という、腑に落ちない状態になっているのをよく見かけます。

「おじいちゃんはおこづかいくれないんだな」というのは理解できるし、それ以上食い下がると面倒なことになるのもわかるから、言わない。

 

発達障害の次男は空気を読んでとりあえず引き下がるということができないので、納得いかないといつまでも引きずってしまって、結果「聞き分けのない子」のように見えてしまう。

 

わかりづらいけれど、納得のいってない他の子達

でも他の子たちも、言えないから言わないだけでストレスをためる結果になってしまっているんですね。

 

主語を「私」に変えることの副次的な効果

「私は」行かない

「私は」やらない

「私は」こうして欲しいと思っている

 

主語を自分に変えることで、子供たちに自分のメッセージが伝えやすくなる。

子供たちに対する接し方のハックのようなものと思っていたのですが、意識し続ける中で意外なことが見えてきました。

 

子供に声かけをするとき、主語を相手や漠然とした曖昧な状態から「私」に限定する。

これ、やってみてハッとしたんです。

ただ言い回しを変えるだけではダメ、考え方そのものを変えなければ、主語を「私」にして発言することができないんです。

 

「私」を主にすると、同時に発言に対する自分の責任がぐんと増します。

ぼんやりした表現で適当なことが言えなくなってくるんですね。

 

おじいちゃんの発言を例にすると、

「おじいちゃんはあげない」

「そんなにお金は使わない方がいいと思う」

打診に対してとる自分の行動(今回は【おこづかいはあげない】)は変わらないのです。

 

でも、前者は自分の確固たる意志がそこにあるのに対して、後者だと自分の発言の中に相手に対する責任を負うような話が入ってないんですね。

悪者にならないようにぼんやりぼやかして逃げてるようにも見えます。

この、弱腰の逃げが、子どもに対しても説得力なく見えるんじゃないかなぁとも考えたりしています。

 

主語を「私」にしようと意識した結果…

指摘や注意の主語を「私」にしようと意識するようになってから、子どもに対するお小言の頻度がかなり減りました。

言おうとしたときに「そこまで言うようなことじゃなくない?」と踏みとどまることが増えたからです。

 

なんとなく世間一般の線引きの中でそれはダメじゃないかな〜とぼんやり思っていたけど、改めて自分の尺度で考えたらそこまで制限することじゃないんじゃないか、と思うようなことがとてもたくさんあったんですね。

 

お祭りのおこづかいのような話でも、お金の余裕がたとえある時でも

「〜くんはもうトータル○円使ってる。

 小3でそれ以上使うのはやりすぎだとお母ちゃんは思う。

 だからあげない。」

と、私を主語にした返答を話すと子どもなりに色々と考えた反応が返ってきます。

 

どんな屁理屈をこねてきても「私はこう思う」という筋はハッキリ主張している前提が共有できているので話がこじれることはあまりありません。

 

おわりに

もしうちに次男のような子がいなかったら、私はおじいちゃんのような曖昧な声かけをしがちだったかもしれないな、と思ったりします。

発達障害のある子との暮らしは本当に大変。

大変だから2兆くれとツイートしたくなるくらい大変なんだけど、でもこういう、ほかの子に対しても有益な接し方のヒントをくれたりすることが割と良くあって。

彼のおかげで培ってこられている私のスキルもだんだん増えているし、それは他の子たちにもいい影響を与えてくれてる。

大変なこと、しんどいことばっかじゃないよな〜と、たまには思ったりするのです。

質問箱へのお返事 〜ADHDのお子さんへのオススメの本について〜

少し前になりますが、質問箱へこんなご質問をいただきました。

 

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(すいません、テキストの状態で抜き出すやり方がわかりませんでした)

 

ご質問いただいてから時間が空いてしまってごめんなさい。

バタバタしていたこともあるのですが、もう一つ事情がありまして。

 

この質問をいただいたのは連載させてもらっているゼクシィみんなの体験記の8月分の原稿を送った直後で、内容がちょっと被っているのでどうしたものかな〜と思っておりました。

 

その連載記事が今日アップされたので、折も良いかなと今日お返事をしたためることにした次第です。

 

その記事がこちら

zexybaby.zexy.net

この記事の中で私は、「本好きな子に育てる」ではなく「本が嫌いでない子になってもらえたら」という我が子への願いについて書いています。

 

お返事の大半はこの記事の中に入っているのではないかな、と思うので、よければご一読くださいませ。

 

さて、ここからはご質問の内容により特化したお返事を書こうと思います。

一般的なお話ではなく、質問者さんのお子さんのこと。

 

質問の中でお子さんについて「ADHD傾向のある小1」との情報をいただいています。

国語の音読もちょっと大変そうな様子なので、文字を読むという部分について若干しんどさのあるお子さんなんじゃないかな、と思いました。

音読はできているようなのでディスレクシア(読み書き字障害)と診断がおりるほどではないのかもしれませんね。

ただ、文字の読みづらさや、ADHD由来の落ち着かなさ、他のことに興味がそれやすく文字に集中できない…何が原因かはわかりませんが、年齢相応より少し文字を読むのが苦手なご様子。

でも私は専門家ではないので「なぜか」の部分にはクローズアップせず「とりあえず今、読むのが苦手なんだろうな」という前提でお話をさせてもらえたらと思います。

 

1年生の段階で読むことに苦手があれば、本を読もうという気持ちになりづらいのは自然なことなんじゃないかな、と思います。

お子さんにとっては、文字や文章はまだ十分な情報を得る手段になり得てない、と考えても良いのではないかな、と。

 

うちの次男もいろんな凸凹のある子です。

中2の今でも、小3の弟よりも遅れている部分もあるなぁと見てて感じるほど。

でも、そんな彼の発達が遅れている部分も、彼自身の1年前や3年、5年前と比べたら彼なりのペースで成長をし続けています。他の子に比べたらとてもゆっくりではありますが。

 

質問者さんのお子さんの文字や文章を読む能力も、きっととてもゆっくりゆっくり、伸びていくんじゃないかと思います。

同じ年齢のお子さんと比べるとちょっと悲しくなってしまうかもしれませんが、それでもきっと、彼なりのペースでゆっくり発達し続けていくはずです。

 

じゃあどう伸ばすか、となるとこれはもう言語療法とか専門家の領域に入っていくと思うので、私からはあくまでも親としてできることをご提案しますね。

 

大事なのは、ゆっくりな彼の発達を焦らず見守ることだろうと思います。

(と言っても焦りますよね、わかりますわかります)

 

①絵を見て楽しむ→

②読んでもらってお話を楽しむ→

③自分で読む

 

すごくざっくりですが、本を楽しむのも段階があると思うんですね。

お子さんが今どの辺にいるかな、っていうのを確認してみてください。

 

質問文の中からは本をお絵描きの見本にしているようなお話がありますよね。

 

では、お話の内容についてはどうでしょうか。

興味のある分野のことならお母さんが読むのを聞けますか?

もしそれができる段階にあるなら、積極的にその時間を持つのはどうかな、と思います。

 

一緒に図書館に行って、興味のある本を見つけて、それをお母さんが読む。

年齢相応ではなく、より小さい子を対象にしたところから選んで良いと思います。

いわゆる絵本として並んでいるもの、その中でも1ページあたりの文字が少なく、単語の間にスペースがあって読みやすいものが良いかなと思います。

 

それを、お母さんが読んだり、一緒に読んだりする。

 

まずはお母さんが読むことからでいいと思います。

親が楽しそうに読んでたら、もしかしたら一緒に読みたくなるかもしれません。

その雰囲気が感じられたら、1文ずつ交代で読んでみるのもいいと思います。

 

読みづらそうなときは今読んでいるところを文を指でなぞってあげたり、定規のようなものを文の下に当ててみたり、本人が読みやすくなるような手助けをしてあげるのも良いと思います。(この辺りに興味がおありの時は、ディスレクシアに対する支援について調べると参考になるアイデアがいろいろ出てくると思います)

 

無理に本人に読ませなくても、年齢を気にせず何歳でも読み聞かせをやっていいんじゃないかな、とも思います。

 

本の中に物語や情報があることを知ることで、お子さんにとって本が「絵の描かれたもの」から「読み物」へと少しずつ変わっていくのではないかな。

 

読み聞かせることも無理強いはせず、お子さんが読んで欲しいと思うときだけにしてもいいと思います。

 

鉄道や虫に興味があるということは、好きなものがちゃんとありますよね。

その好きなものについての情報が本に詰まっていると知ること、そこに書かれている文字でそれがわかる、自分で読んでみようと思う、そこに自発的に至るまで、ゆっくりゆっくり見守ってあげるのはどうかな、と思います。

 

ものすごく時間がかかると思います。

気が遠くなる話かもしれません。

 

でも、そうやってゆっくり見守ってあげればきっと、本は彼の人生を彩る一つの大事なパートナーになっていくんじゃないかと思います。

 

発達のゆっくりな子を育てるのは本当に気力のいることです。

ものすごく長いスパンで見守らないといけない。

焦る気持ち、はやる気持ちをぐっと抑えることの連続です。

 

周りの子たちの成長していくのを見ながら、泣きたくなる日もあるかもしれません。

通常級にいて、頑張ればある程度できることもあるグレーの子を育ててると、よりそれを強く感じるかもしれません。

 

でも、やっぱりいろんなしんどさがある子だから。

頑張ればできるってことは、頑張らないとできないってことでもあるから。

 

だから、彼のペースに沿いながらゆっくりゆっくり見守ってあげられたらきっとお母さんと楽しい本の時間を培っていけるんじゃないかと思います。

 

余談ですが、学校の図書の時間に本を選ぶのが難しいという件については担任の先生に相談するのも良いと思います。

担任や図書館司書の先生と一緒に選んでもらったり、選ぶのがしんどいときは借りるのをパスさせてもらってもいいんじゃないかな。

学校の図書を借りない分、図書館や本屋さんなどに足を運んで本人にも手に取れるような本と触れ合う機会を作っておくのも良いと思います。

 

あと、学校で借りた本を必ずしも読まないといけない、という概念を捨てる、というのもひとつの手です。

借りる練習をしてきた、くらいのやんわりした感じで読まずに返したっていいと思うんですね。持ち帰るのが重いなら、読めないので置いて帰ってもいいか、と交渉するのもありだと思います。それか、すごく薄い本を借りちゃうようなちょっとずるい逃げ道を見つけちゃってもいいかもしれない。

 

もう今年の夏休みは終わってしまったけど、長期休みに貸出のために図書室が開放されていることはありませんか?

もしあれば、その日に一緒に図書室に行って、この辺の本を借りたらどうかな、って借りやすそうな短くて薄い絵本をいくつか探しておくのもありかな、と思います。

 

こんなかんじでいかがでしょうか??

また追加のご質問があったらいつでもどうぞ〜〜。

 

 

余談ですが。

発達さんと暮らしていく中で、私が時々ハッとすることがあります。

つい、いろんなことを【年齢相応】に考えてしまいやすいこと。

 

発達がゆっくりな部分があることは頭ではわかっているのだけれど、見た目はそれなりに育っていたり、計算や受け答えなど年齢相応かときに同年齢の子よりも秀でている部分もあるがゆえに、ついいろんなことが年齢相応にできるような気持ちになっていたりするのです。

 

でも、そうやってグイグイ引っ張ろうとして先走って、ふと次男がついてこれていないことに気づくことがあるんですね。

 

あ、そうか、この子はここがすごく苦手だったんだ、無理なことだったんだ、まだゆっくりだったんだ。

 

ひとつひとつの分野ごとに、この子の発達は今どのくらいかな、どんな方法ならわかるかな取り組めるかなって考えながら対応しなきゃいけない。

それは時に辛い修行のようでもあり、時に楽しい宝探しのようでもあります。

 

今回は本を読むということに特化してお話をしましたが、発達に凸凹がある子たちが何かに取り組みづらそうにしていたり、苦手があったりする時には【年齢】ではなく【そのトピックに関する発達段階】を探って対処していくというのは共通する対処の手段かなと思います。

 

どうあがいても発達しきれていないスキルは身につけられないと思うんですね。

これは次男を見ていても、自分自身の体感からもそう思います。

知的な遅れがなければ頭では「こうしたほうがいい」は理解できたりします。

でも、頭でわかっていてもどうにも体がついてこないことがあるんですね。

それは、頑張りが足りないとか訓練がたりないとかだけの話ではなくて、やっぱり「成長が追いついてない」というのもすごく大きな影響があると思っています。

 

ある程度の努力を経てもできないものは時間しか解決できない、だからやんわり見守るしかない。無理強いしてもメンタル削れて本人が苦しむだけ。

それが、次男と14年暮らしてきて私がいま辿り着いた、達観の境地みたいな感覚です。

 

今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

認知特性をもとに息子にあった勉強法を探った話

前回、次男の家庭内のトラブルを防ぐための手立てとして認知特性の傾向を参考にした話を書きました。

この、認知特性テストのことを別の形で利用した話を今日は書こうと思います。

 

我が家には今、高校受験を控えた長男がいます。

もともとあまり勉強そのものを好まず、また部活に打ち込んできた彼。

部活を引退したいま、やっと本腰を入れて受験について考え始めている、かなりのスロースタートな状態です。

 

さて、今までテスト勉強らしいこともしてこなかった彼にとって最初の課題が

「どうやって勉強したらいいのか」

だったのには、さすがに親の私もビックリしました。

確かに宿題以外の勉強をしている様子もなかったので仕方ありません。

 

というわけで、どうやって勉強したらいいかのヒントを得るために認知特性テストを利用することにしました。

 

前回は次男の視覚優位な部分を会話に活かす形で利用しましたが、今回は記憶の仕方に利用します。

 

参考にしたのはこのムックです。

 

最新科学で解き明かす最強の記憶術 (洋泉社MOOK)

最新科学で解き明かす最強の記憶術 (洋泉社MOOK)

 

 古いものなのですが、今はこちらの方が新しいのかもしれません。

 目次の中に認知特性テストとそれをもとにした勉強法について触れられているようです。

最強の勉強法 (洋泉社MOOK)

最強の勉強法 (洋泉社MOOK)

 

 

認知特性テストをしたところ、視覚の3Dタイプが高いらしい結果が出た長男。

彼が記憶しやすいような、概念を映像で取り込んだり、映像をイメージしやすいような絵入りの参考書を活用するような勉強法を勧めました。

 

ちなみに次男はカメラアイタイプも合わせて高いため、これに加えて絵や地図などパッと目で見て理解しやすいような教材を活用すると覚えやすいようです。

ポスター学習も視覚優位の彼らには向いている学習法だと思います。

うちも、年齢ごとにトイレにいろいろと貼っています。

 

彼らにとって反復練習はあまり意味が無いのではということもテストの結果から推測できます。

二人とも漢字の書き取りは昔から大嫌いでした、次男は特に!

「こんなことやっても意味がない!」

とよく言っていたなぁと思い出します。

一度で覚えているのだから何回も書く意味がわからない、とよく言っていました。

 

それもそのはずです。

この、文字を反復して書くことで覚えやすくなるのは彼ら視覚優位のタイプではなく、言語優位のタイプ、その中でも文字にして覚えるのが得意な「言語抽象タイプ(辞書タイプ)」の人なのだそうです。

 

私はこの特性がかなり強めです。漢字の書き取りは全然苦にならなかった記憶がありますし、学生時代もテストのために文字をびっしり配して整理したノートを作って覚えていました。

 

ちなみに余談ですが、学校の先生を生業にしている方はこの、辞書タイプの方が比較的多いのではないか、と聞いたことがあります。

学校の先生が漢字の書き取りによる反復練習には効果がある、というのはそのためだと。自分にとっては効果の高い方法だから学校の宿題として取り入れられやすいのではないか、と聞き、なるほどと目からウロコがボロボロ落ちました。

 

聴覚の優位性が高い方はラジオを聴くなど耳から情報を入れる学習法が良いとされています。

詳しいことはムックの中に詳しく書かれていますので、気になる方は是非参考になさってみてください。

 

記憶の仕方は本当に人それぞれ違うんだな、と改めて思います。

こんなにいろんな違いがあるのに、一律同じ勉強法を押し付けられる形になる学校という場所は彼らにとってもいろんないづらさがあるところなのかもしれません。

 

夢のような妄想ではあるのですが、こんな認知特性についてのテストが小学校や中学の入学段階で行われ、先生がそれぞれの子たちの特性に合わせた指導を取り入れてくれたり、特性に合わせた学習法を勧めてくれたりしたら、と思ったりしています。

いつかそんな未来がくるでしょうか。

 

指示の出し方ひとつをとって見ても、視覚優位の子たちにとっては目からわかりやすい情報が入ってくれば取り入れやすく、言語優位の子たちにとっては文字で完結に書かれていたら理解しやすく、聴覚優位の子たちにとっては音声の指示が取り入れやすい。

 

方法として全然違うのに、学校や家庭の中で、先生や親のやりやすい形、自分がわかりやすい形に固定してしまってないか。

 

余談ですが、これらムックの内容全てに私が賛同しているわけでも、全面的に肯定しているわけでもありません。

あくまでも傾向を探るためのツールとして取り入れやすいと考えているに過ぎません。

脳科学の分野はトンデモにつながりやすい微妙なものもたくさん出ています。どれが正解でどれは怪しいのか、私も全て把握しているわけではありません。

 

ただ、この認知特性テストに関しては、自分のざっくりとして傾向が探れること、またそこから対人関係や勉強法に活かす指標にしやすいと思い、生活の中に取り入れています。

 

親子でも全然特性が違うこともあります。

自分がやりやすかったからといって我が子がそうとは限らない、テストの結果は私に如実にそれを突きつけてくれました。

 

自分にあった勉強法で長男が無事志望校に合格できるよう、これからいよいよ本格的な受験シーズンを家族で迎えます。

次男と家族の騒音問題を紐解くための認知特性の話。

相変わらず適当な更新頻度です。

昨夜、次男の聴こえ方と家族との関わりについて本人と話したことを覚書として書いておこうと思います。

 

きっかけは、次男の発するゲームや動画の音量でした。

狭い我が家では、リビングやキッチン周りのような共有スペースでゲームしたりテレビや動画を見たりするときに周囲の人間が「うるさい」「もうちょっと静かにして」と音量を下げるように声をかけることは日常茶飯事ではあります。

 

その中でも、次男が家族からそれを指摘される頻度はずば抜けて多く、テコ入れをしたい課題だとずっと思っていました。

 

彼に対して防止策として

①音を出すものは自室で利用する

②共有スペースではヘッドホンを着用する

などいくつかの提案をしてきましたが、なかなかうまくいきません。

ヘッドホンやイヤホンの質の問題もあるのかもしれませんが使用感が良いものは天井知らずであることや、買うたびに無くした壊したが発生する彼の特性を考えてもあまり高いものには手が出せません。

大きな音を出したければ自室へと促しても、それが家族により自分の行動を制限していると受け取られパニックに繋がることも多々。

 

そして昨夜も、リビングで私と三男が録画したドラマを見ている横で大きな音で動画を見始めた次男。

 

三男が怒り、私が音のことを指摘したら次男は怒り出しました。

クールダウンを待ってテーブルに座って話そう、と持ちかけました。

 

ここしばらく、彼と話すときは白い紙と紙を用意するようにしています。

認知特性のテストとその後の観察で彼が視覚の認知が飛び抜けて高く、また聴覚認知が弱いことがわかってきたからです。

 

白い紙に、テレビを見ていた私と三男、その横で音を立てた次男の絵を描きました。

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こんな感じで、適当ですが位置やそこにある物が見えるように描いています。

この絵を見ながら、次男の出している音のこと、私と三男が見ているテレビのこと、状況を整理して話しながら、この場面で次男がどこまで知覚していたかを探ります。

 

話を掘り下げていって、彼に、こうして見せました。

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最初に描いた絵の「彼以外の部分」を手で覆って見せると、ハッとした顔をする次男。

そうです、彼にとって見えていたのはこの部分だけ。

目の前で起こっているのに、私と三男がテレビを見ていること、その音を聴いていること、自分が出した音がそれと干渉するということは、彼の中にはない状態で世界を見てたんだろうなということがわかります。

 

でも、私や三男は次男の見えている世界がそんなに狭いと思って生活していません。

私は知識として彼の特性を理解はしていますが、残念ながら日常生活全てにおいて彼のその特性を十分考慮しながら生活できるほどの余裕も持ち合わせていませんし、三男を含むきょうだいはなおさらです。

 

次男が大きな音を出していたら咄嗟に、自分と同じ感覚の持ち主だという前提でものを見てしまいます。

つまり、

 

私と三男がここでテレビを見ているのが目の前で分かっているはずなのに大きな音を出した

→こちらに配慮がない=喧嘩を売っている?もしくは邪魔をしようとしているのか?

 

三男は咄嗟にそう判断して、次男に対して怒りに近い苦情を言葉にしました。

 

でも次男にとっては私が手で隠さなかった範囲しか見えていません。

なぜ自分が怒られるのかも、音のことで指摘を受けるのかも、咄嗟にはわからなかったんだろうと思います。その理解できない状態で、パニックが怒りに変わった。

 

時系列で彼と私たちに起こったことを絵に描きながら、次男に説明していきます。

うんうんなるほどと聞きながら、怒って申し訳なかったと謝る次男。

 

君が悪いわけじゃないよと話しながら、絵に手を乗せたり、外したりして見せます。

君が見ていたのはここ、でも周りの家族にはここまで見えてた、だからそう言った。

でも君はその時にはここしか見えていないから、なぜ家族からそう言われるかわからなかったんだよね、とゆっくり話しました。

 

この辺で、彼にとって必要なのは衝動的に出る怒りをコントロールすることだろうという課題が見えてきますが、それは今回は掘り下げずにおきました。

 

話が入る状態になったように見えたので、ここでもうひとつ話してみることにしました。

それが、聴覚認知の話。

 

認知特性テストでも、その前に医療機関で受けたウイスクの結果でも、彼の聴覚認知はとても弱いという結果が出ています。

聴力が弱いのではなく、耳で聴こうとする能力に神経を割いていないという方が良いのかなと思います。

 

声をかけても返事をなかなかせず叱られるということも良くありました。

今は学校では

  • 一斉指示を聞き漏らす可能性が高い
  • 呼ぶときは遠くから名前を叫んでも耳に入らないことがあるから、近くで声をかけたり、肩を叩いてこちらに意識が向いたのを確認してから話し始めてほしい

などお願いしています。

今回は、この聴覚認知の弱さから自分の出す音に対する意識も低いのでは?と感じてある実験をしてみました。

 

ちょうど、私と次男が座って話しているテーブルから離れたところで三男が動画を見ていたので

「その音を最大まであげてみて」

とお願いしました。

次男と私は向かい合って、会話を続けます。

タブレットから流れてくる大音量の動画の音は、私にとっては会話が継続できないほど耳障りなものでした。

次男に

「どう?」

と聞くと

「全然気にならない」

と答えます。

 

三男に、タブレットを置いてこちらに来るように頼みます。

次男と同じ位置に来た三男に

「あの音を聞きながら会話するとしたらどう?」

と聞くと

「無理、すごい気になる」

と。

 

どちらが良いとか悪いとかではなく、騒音と感じる音のレベルが、恐らくは次男のそれと、私と三男のそれに大きな開きがあることがわかりました。

その場にはいなかった夫や長男、娘のそれはまた、それぞれに違うのだろうという話も次男としました。

 

大事なのは、どちらが偉いとか偉くないとか、どちらに合わせるべきかどうか、とかではないのだろうと思います。

 

今回わかったのは、うるさいと感じる音のレベルが家族それぞれに違いがあること、また次男のそれは他の家族より恐らくはかなり低い、大きな音がしていても彼はあまり気にならないでそこにいられるのだろうということがわかります。

 

また、視野の狭さから自分が出している音に対する配慮が欠ける側面があるのだろう、ということも話せました。

 

昨日の結果として、

 

次男にとっての課題)

次男がうるさいと思っていなくても周りの家族にとってはすごくうるさい音かもしれない

→だから、指摘されたら音量を下げたり移動できたりするといいね

 

家族にとっての課題)

次男がうるさい音を出してしまっていても嫌がらせや攻撃ではなく、周りが見えていないだけかもしれない

→だから、周りも咄嗟に怒るのではなく具体的な改善策を次男に伝えられたらいいね

 

という双方の課題が一応、共有できた状態になりました。

 

私や三男にとって、自分が不快な音が次男にとっては平気なものだった(自分たちの方が過敏だったとも言える)というのを共有できたのも大きな収穫でした。

 

どこまで次男や三男の頭の中に残り、腑に落ちたのかはわかりません。

断片くらいしか理解できてないかもしれない。

 

ただ、こうやって目に見える形、明らかにわかる形でものごとの認知の仕方や音に対する感覚が家族それぞれに違うということをクリアにしていくこと。

それは、次男のためだけではなく他の家族にとっても、自分と他の人間は同じ仕組みで動いていないかもしれないこと、自分を基準にしていたら危ういかもしれないことを知る良い機会になっているのだろうと思いました。

 

余談ですが、本文中に出て来る「認知特性テスト」はこの本の中にあったものを使用しています。

認知特性を知るためにと思って購入した本ですが、思わぬ副次的な成果がありました。

それは、私と次男の認知特性のタイプが大きく異なっていることが明らかになったこと。

 

次男は視覚認知の2タイプがそれぞれに突出して高く、それ以外の項目は大きく凹んでいました。

私は逆に、言語性の2タイプが突出して高い結果が出ました。

 

この認知特性の傾向の違いが、私が次男に対して「何を考えているのかわからない」「彼の困難をわかってあげられない」と思ってきた要因のひとつだったんじゃないか、と考えています。(もちろん、他の要素も多分にあるのだろうとは思いますが)

 

ダラダラと長くなりましたが、今日はこのくらいで。

わが家流「ミングル」ができました。

料理研究家の有賀薫先生の「ミングル」という構想に出会ったのが3日前のこと。

その時の衝撃を思わず書き残しておりました。

 

suminotiger.hatenadiary.jp

ずっと頭の中はそのことばかり。

以前から使い勝手が良いとは言えなかったわが家のキッチンをなんとかしたい、ミングル構想からヒントを得られないか…とあれこれ試行錯誤し続けておりました。

 

まず。

現状のわが家のキッチンの問題点を色々と洗い出す作業から。

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もようがえ前のわが家のキッチン。

もともと、リビングとキッチンの仕切りがないだった間取りでした。

そこを私が一人で作業しやすいように上部が作業台として使える食器棚を並べてカウンターに。

これまでは主に私しか家事をしなかったこと、家が狭く自分だけの部屋がない私にとってカウンターで仕切られたキッチンは私だけの巣のような感覚もありました。

 

ただ、ここしばらく問題を感じていたのも確かです。

まず、夫が料理をする頻度が増え、体格のいい(太っているともいう)夫が行き来するのにかなり狭く感じているようでした。

 

また、子どもたちがお手伝いをしてくれたり、自分で料理をすることも増えてきていました。

以前のキッチンでは、シンクに誰か立っているとその後ろをもう一人通るのがやっと、という狭さ。

コンロの前にも1人しか立てないし、シンク横の作業スペースでだれかが違う作業を始めたらコンロも使いづらくなってしまっていました。

 

とにかくこの動線の問題をなんとかしたい。

 

有賀さんのミングルの、4方を囲めるスタイルがとても気に入ったので、これをなんとかわが家に合う形で取り入れられないだろうか、と考え、行き着いた答えがこれです。

 

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もようがえ後

カウンターとして使っていた低い食器棚を1つは撤去、1つは炊飯器置き場として移動しました。

これを機に食器の中で普段出番のほとんどないものは処分したり、押入れの奥にしまいこんだり。毎日家族が使う最低限の食器だけを残す形になりました。(ミニマル!)

 

ミングルのような調理台が欲しかったので、ネタを探しにホームセンターへ。

木材売り場など色々と見る中で、2人がけ用なのかな、正方形の小さなダイニングテーブルが破格値で売られていたのでそれを連れて帰りました。

 

調理や食事のために使う調味料の類をしまう棚が欲しかったので別の場所で使っていた小さな棚をテーブルの横へ。上にタイルを敷いて作業台として使えるようにしました。

 

棚の一番下の段をカセットコンロ置き場に。

これで、作業台の上にコンロを出せばミングルとしての機能がより強化できそうです。

 

炊飯器や電子レンジはコンロと並べる形に。それぞれの場所でだれかが作業しても邪魔になりにくくなりました。

 

ミングルのように水周りも一緒にできたらよかったのですがさすがにそれは無理。

でも、作業スペースの真後ろにシンクがあるので特に問題はなさそうです。

 

こうして、わが家らしい「ミングル」が完成しました。

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わが家流「ミングル」

シンクに誰か立っていたり、横の作業スペースで何かやっていてもコンロでの作業がスムーズになりました。

 

これまで子どもたちが手伝いたいと言ってくれても1人が限界だったのだけど、4人それぞれがキッチンに来て何かしていても特に邪魔になることもなく動けるようにもなりました。

 

朝も、それぞれが自分の食事を用意するのがとてもスムーズ。

テーブルの上にオカズや常備菜をちょこちょこ置いておけばバイキングのように子どもたちがそれぞれ取っては、奥の座卓に座って食べたり、椅子に座ってそのままテーブルで食べたり。

 

そうそう。

テーブルの下には別の場所で使っていた丸椅子を2つ置いています。

昨日は帰ったら三男がそこで宿題をやってました。

 

買い物の荷物を仮置きして整理したり、ちょっと書き物をしたりするのにもテーブルがいい仕事をしてくれています。

 

上の絵も、夕食の後にテーブルに座って一杯やっていたときにキッチンに子どもたちが来て、それぞれになにやらやっているのを眺めながら描きました。

 

とりあえず完成した、わが家の「ミングル」っぽいキッチン。

これからまたいろんなマイナーチェンジをしていくのかな〜とワクワクしております。

料理研究家 有賀さんの「新時代のごはん装置『ミングル』」という面白そうなことから考えたアレコレ。

昨夜、TwitterのTLにこんな記事が流れてきました。

新時代のごはん装置「ミングル」を自宅に作ってみた話|有賀 薫|note

 

おそらくこれからの10年、家庭料理はもっと変化し、簡略化していくだろうと思うのです。時代の流れに、逆らうことはできません。
でも一方で、日々の食の豊かさは人生の豊かさに直結する。スープの仕事を通じて、これもまた真実だと感じています。 

この相反するふたつのことがらをどうするかという課題にこたえるために、家での食事をよりコンパクトにする、新しい形のごはん装置を考えました。そして、自分の家を実験台に、プロトタイプを作ってみました。

リンク先でそのプロトタイプ「ミングル」の画像を見ることができます。

ミングルの由来は

やれる人がやる。やりたい人がやる。
みんなで、ぐるぐる料理する。
だから、ミングル。
 

 

面白い。

 

ぐるぐる、というオノマトペが表すように、通常のキッチンのような一方向からのアクセスではなく、四方から手を出せる作りになっています。

調理台兼テーブルの下には食洗機が作りつけられていて、洗う・作る・食べる・片付ける、が全部この小さな空間の中でできる、そして一人ではなく誰かと一緒にできる、とても面白い発想だなぁと思って私の脳は昨夜からこのミングル構想の虜になっています。

文字通りぐるぐる、ずっとこのミングルの発想をどうにかして我が家に取り込んでやりたいと思って考え続けているのです。

 

有賀さんの発想やそのコンセプトをそのまま真似したいのではありません。

このミングルの構想を拝読して私の脳が耕された理由、それは「キッチンを自分たちのいまの形に合わせてコンパクトに組み直す」という部分。

 

文中にある有賀さんの最初のコンセプトメモがこちらです。

 

現代の家族が暮らしの中でかかえる問題解決のための実験的なキッチン

【現状と課題】少人数家庭が増え、男・女・子供、みんなが多忙になっている現代において、複雑に進化しすぎて尺に合わなくなっている料理をどう簡便にし、なおかつ暮らしの質を落とさないようにするか。

【解決方法と目標】現在は主婦(または主夫)ひとりに偏っている料理を夫や子供など家族内メンバーが少しずつ分担し、みんなが参加することによって(キャンプやバーベキューなどのときに作業をともにすることで仲間意識が強まるように)日々の暮らしの中でもコミュニケーションを楽しく深めることができ、それに伴って主婦の負担も自然に減らせるようにする。

【キッチンとしての課題】ただ、現在の家庭のキッチンやそこからくる台所仕事は大きく複雑になり過ぎて、他のメンバーがそこに立ち入るようなフラットさ・敷居の低さがない。キッチンや料理をより簡素化することで、家庭内のみんなが一緒に、あるいは自発的に作業できるような家庭料理と食のスタイルを提案したい。

 

バーベキュー!

そう、我が家はわりと頻繁にガレージでバーベキューをするのですが、回を重ねるごとに洗練されているのを感じるのですね。

最初の頃は後片付けが本当に億劫で、ヨレヨレのままとりあえず生ものだけ片付けてあとは翌日に持ち越して…なんてことも。

道具の配置やどんな道具をどう使うか試行錯誤したり、ガレージに中古の小さな冷蔵庫を置いたりと工夫を重ね、今では食べ終わる頃には網と炭の処理くらいしか残らない状態になるまでミニマルにバーベキューを楽しめるようになってきています。

 

そして家族がそれぞれに動きながらスムーズに食事を楽しむ。

 

誰か一人がキッチンにこもって作って、それから食べる、じゃなくて、家族全員の生活の中にご飯を作ることや食べることがもっと自然に入ってくる感じ。

 

そうか、あの空間をキッチンにも導入することでもっと毎日のご飯が楽に!楽しく!なるはずだ!!!

 

と脳内で打ち上げ花火がいくつも上がったのが昨夜。

 

そこから、我が家の狭いキッチンをどう組み直せば我が家らしい「ミングル」が仕上がるだろうか、とずっと考え続けています。

 

有賀さんがもともとお考えになった構想とはかけ離れていってしまっているかもしれないのですが、あの発想は私にとっては「こうしたらどうだろう」という答えの提示というよりは、「こんなこともできるよ、あなたの家族にはどんな形がいいと思う?」っていうとてもワクワクする提案のように聞こえたのです。

 

この、既存の、一般的なあり方を自分の、また家族のあり方に沿うものに作り変えていくという発想は、発達障害のある子どもや特性のある自分たちの暮らしや学校生活の中ですでに馴染んでいるものではありました。

 

みんなと同じ方法で宿題をやるのがしんどい次男は、彼なりにどう対処していくかを私と一緒に考え、先生に協力をお願いしています。

 

また、家の中の収納もどうしても散らかってしまう部分をどうするか、どこに収納を作ると物が片付きやすいか、どの道具を使うとやりやすいか…

 

トライアル&エラーを繰り返しては、家の中をどんどん変えてきた私が、なぜキッチンのこれに気づかなかったのか!!!すごいことに出会ってしまった!!!

という状態なのです。

 

私(または夫)が主に調理をして、それを子どもたちが運ぶ、というスタイルが続いてきた我が家ですが、上の子たちが自分たちのペースで料理をすることも増えてきました。

子どもと一緒にキッチンに立つことも多いけど、やっぱり狭いし子どもが邪魔になってイラッとすることもないわけではなく…

 

ミングルの構想を取り入れて我が家なりのやり易い形を見つけることで、子どもと一緒に料理をしたり、子どもたちが自主的に料理や食事を楽しんだりする空間が作れたらなぁ…

 

有賀さんのミングルは水周りまで改修した規模の大きめものなので簡単には導入できないかもしれないんだけれど、食卓にホットプレートやIHヒーターを置いてそこで調理してその流れで食べる、という形を取り入れてみるだけでも全然視点が違ってくるかも。

 

こうあらねば、みたいな自分の中に染み付いたものをガタッと変えるきっかけに出会えた。

脳みそが耕されてとってもワクワクしながら、さてどんなことをやってやろうか、と企んでいるところなのです。

夏休みを目前に、宿題にどう取り組むか問題について

いよいよ夏休みが近づいてまいりました。

夏休みをテーマに…と考えた時、我が家でまず持ち上がる問題があります。

それが「夏休みの宿題」


計算や漢字のドリル、日記、新聞づくり、工作や自由研究…

なるべく子供に任せて、と思いつつそうはいかないのが難しいところ。

今回は、毎年奮闘する中で「ここはおさえとかないと!」っていうポイントをまとめてみようと思います。


最初のカギは「学期末」

我が家で長期休みの宿題の一番恐ろしいこと、それは「紛失」です。
始業式ギリギリになってあれがないこれがないと言い出して何度大慌てしたことか。

それを防ぐために、宿題をまとめて持って帰った段階でチェックして整理するようにしています。

クラスや学年にもよりますが終業式の数日前に配布されることも多いので要注意です。

夏休み明けに提出するもののリストを事前にお知らせしてくれるケースも多いと思います。
(うちの子の小学校では学期末のPTAの時にお話があることが多いです)


学校からもらってきたプリントやドリル類を、子どもと一緒にリストと照合します。
先生によっては大きな封筒にチェックリストをプリントし、それに宿題をまとめて入れて配布してくださる場合もあります。これはとてもありがたい。

もしそういうケースが用意されていない場合は、百均の書類ケース(透明でチャック式で開封できるものが便利)などを用意し、「夏休みの宿題は全部ここにまとめる」と決めておくと便利です。

 

 こういう感じのとか

 こういう感じのとかにまとめて入れとくのです。

 

ここまで下準備をしておけば、夏休みの間の帰省やキャンプなど外に宿題を持ち出す機会があるときでも紛失を最小限に食い止めることができます。


進み具合をどうチェックする?

ここは、個人差が非常に大きいところだと思います。

任せていたら自主的にやれる子もいると思いますが、残念ながらそうでないお子さんもいらっしゃるかと。(もちろんうちの子も…)

これなら絶対うまくいく!なんて素敵な方法はご紹介できませんが、我が家がやってきた対策をいくつか。


1、日単位、週単位の到達目標を設定する。

めどが立てば取り組みやすいタイプのお子さんにオススメな方法です。

ドリルやプリント集を単純に日割りや週割りして、1日(1週間)にどこまで終われば最後までたどり着けるか、を計算して目安を書いておく。
カレンダーに記入しておいてできたらシールを貼るとかもアリだと思います。


ごほうびが効くタイプのお子さんなら、それが達成できたら○○(臨時おこづかいやケーキを食べる、行きたいところに遊びに行く、とか)と、目標達成のごほうびを用意しておくのも。


2、バッサリわけちゃう。

コンスタントに取り組むのが苦手で、40日分という途方も無い量でまず心が折れてしまうタイプのお子さんにオススメの方法です。
(うちの次男です)

40日分が辛いなら20日分、それも辛いなら10日分に分ける。
つまり、夏休みの宿題をバッサリ4分の1にして、残りは預かっておく。

目に見える宿題の量を減らすことで取り組みやすい環境を作ること、また、もし途中で滞っても10日ですっぱりリセットして次の課題に移ることで心を折れにくくする目的もあります。

プリント集をバラバラにしてもいいし、ドリル形式のものなら最初10日に計算、次の10日に漢字、など課題ごとに分けるのもありです。

1の方法と似ていますが、違うのは区切りをしっかりつけるところです。

区切りごとに終わらず残ってしまうことが予想される場合は、夏休みの最後数日を計算に入れずに分けておいて「残った宿題をやる日」を作っておくのも良いと思います。

ここでもごほうび作戦はお子さんにより有効です。


3、環境を変える。

家の中のいつもの環境だと中だるみしてしまいがちなので、時々図書館の自習室に行ってみたり、勉強可のファミレスやカフェでおやつやお茶と一緒に宿題を、というのもアリだと思います。

外へ出なくても、家の中の環境を変えるだけで取り組みやすくなったりします。

例えばアウトドア用のワンタッチテントを出して机を持ち込んでみるとか、段ボールハウスを作る、リビングの椅子を組み合わせシーツやタオルケットをかけて秘密基地を作る、押入れの中身を出して隠れ家を作る…等々、いつもの学習スペースではないところを子どもと一緒に用意して「非日常感」を出してあげるのも面白いと思います。


それでもうまく進まなかったら…

親がどんなに奮闘しても環境づくりに取り組んでも、どうにも宿題が進まないこともあると思います。

もちろんそうならないのが一番ではあるけれど、でもせっかくの夏休みなのに宿題のことばかりで辛いばっかりなのは親子ともによろしくない。私も次男の宿題をなんとか終わらせないとと一生懸命になり過ぎてお互いにパンクしてしまい、児童精神科の主治医にストップをかけられたことがありました。


その時に主治医から言われたことは、次男が中学生になった今も子育ての軸として大事にしています。


それは、宿題はあくまでも本人のものだということを忘れちゃダメだ、ということ。

 

本人と先生の間のお約束だから、お母さんにできるのはサポートまで。
もし期日までに終わらせることができなかったとしても、それをどうするかも本人の課題。
いつまでにここまでがんばるからそれでいいか、とか、〆切をいつまで延ばしてもらえるか、とか、先生と交渉できるようになるのも大事なスキルのひとつ。

と主治医から言われました。

 

終わらなかった時の交渉スキルについては、小学校の頃の通級指導教室でも本人が身につけるほうがいいと練習をしてきました。

「期限内に絶対に終わらなければならない」

ではなくて

「期限内に終わらないならどうすればいいかを自分で考え提案と交渉ができる」

というのも、大人になっていく彼らにとって大事なことなんだろうと思います。


与えられた課題に期限内に自力で取り組める子ばかりじゃないけど、そんな子たちもその子たちなりに頑張りながら取り組んでいく方法は必ずあります。

怒ったり叱ったりしても成果が上がるわけじゃないことは次男で痛感しました。

そうやってお互いに辛い夏を過ごすより、ライフハックを駆使しながら本人がほどほどに頑張れるほうがいい、最近やっとそう思えるようになりました。

 

中学生になった今は次男の宿題は学校の担任と個人的にお願いしている学習支援の先生にお任せをしているので(思春期で私が介入するとこじれるので…)、今年は娘と三男のサポートが主になるかな〜という感じです。

たまに次男を連れて外で勉強しにいくのも良さそう。


ちょっとずつサポートをしながら、楽しい夏休みの終わりを迎えられるように、今年もお母さんとしてできることをできるだけ、やっていこうと思っています。

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