今朝の次男くん
今朝、こんなツイートをいたしました。
あと15分で家をでるようなタイミングの中学生がパジャマのままポケモンやってるのを黙って見守るだけの簡単なお仕事です
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2019年11月18日
私をフォローしていらっしゃる方はご存知かもしれませんが、我が家にポケモン(ソード)が導入されたのは一昨日のこと。
ポケモンは発売されるたびどっちも買うのが定番だった我が家でしたが、末っ子ももうDSやってないし、今回の発売は関係ないかな〜〜と思っていたら甘かった。
受験生のはずの長男が「ねえ…」と声をかけてきたときには後ろにキラキラした目の小・中学生がゾロゾロと待ち構えていました。
まぁそんなこんなで我が家のSwitchにダウンロードされた新しいポケモン、今のところきょうだいでそれなりに譲り合いながらそれぞれに楽しんでいるようです。
で、今朝です。
次男の寝起き問題は以前から我が家での課題でした。
が、今朝はスイスイと起きてきた(はずだった)次男。
子どもたちがそれぞれに朝の準備をバタバタとしている中で悠然とSwitchの前に座る次男。
Oh Boy? どうするつもりだい?
ええ、心の中にビバリーヒルズ的な何かを飼ってないととても平常心では対応できないんですよ。
だってもう7時を過ぎているのだもの。
次男がいつも出かけるのは7時半くらい、今は7時15分くらい。
そして彼はまだパジャマ。朝ごはんもまだ。
で、Switchの前に座って起動しようとしている次男。
さて、どうしよう
若干パニクりましたが、ここで注意をしたところで思春期真っ盛りの彼にとっては耳障りなだけ、キレられるだけ。
ならば黙ろうではないか。
そう思って心を落ち着けるべく、スマホを手にTwitterの画面を開きました。
で、冒頭のツイートをしたのでした。
ゲームをやめる気配のない次男。
このままでは遅刻します。
朝ごはんを食べる時間も取れそうにない。
身だしなみを整える時間もおそらくは取れないし、慌てて出かけることで忘れ物もするだろうと思う。
遅刻しそうになって慌てて出かければ階段から落ちるかもしれないし、気が急いたまま行けばイライラして級友とのトラブルにつながるかもしれない。
思いつくトラブルと防いで来た私
想定されるトラブルはいくつもあります。
そのどれもが、私が今ここでゲームをやめさせて朝の準備に取り掛かれば防げるだろうものです。
注意欠損や遂行機能の弱さがある彼に対して、私は小さい頃からそうしてきたのも事実です。
そうしなければ彼の生活はままならなかったから。
そうしなければ彼は家の外での活動に参加できなかったから。
でも、もうひとつ私が忘れてはいけない理由があります。
そうしなければ私の親としてのあり方が問われてしまうから。
ちゃんとしてない親だと言われてしまうから。
あそこの家はと陰口を叩かれてしまうから。
あそこの子だからと子供が不利益を被るかもしれないから。
こうやって言葉にすると「そんなことに囚われていた情けない親だ」と思われるかもしれません。自分のことをそうやって責めてしまうかもしれません。
でもね、私はそうは思わないです。
だって、そうしないとやってこれなかったんだもの。
次男にも私にも他の子どもたちにも必要なことだったもの。
学校も社会もシビアです。
親がちゃんとしてないとみなしたら途端に対応が悪くなる先生も知ってます。
次男がここまでいろんな方のサポートを受けてこられた要因の中には「お家の方がしっかりしてるから」という理由があるのも事実だと思っています。(はっきりそう言われたことがあります)
でも、だからそれを、どんどんやっていい、いつまでもやっていい、というものでもないんだろうな、と思うのです。
思い出した、ドクターストップ
次男が5年生くらいの頃だったと思います。
お世話になっている児童精神科の先生に、私が次男の宿題に介入するのを止められたことがあります。
当時の次男は【家で宿題に取り掛かる】というのがとても難しい状態でした。
取り掛かればそれなりに終わらせることができるものの、スタートするということがとにかくできない。
優しく諭したり、勉強部屋の工夫をしたり、ご褒美を用意したり、内容を検討したり、こちらとしても打てる手をすべて出し尽くしている状態。
それでも彼は、宿題という単語が出るなり癇癪を起こしてしまう状態に至ってしまいました。
それを医師に相談した時に出たのが、ドクターストップ。
宿題をやめるというのではなく「宿題に関してお母さんの介入禁止」というドクターストップでした。
医師は当時多くは語りませんでしたが、私が次男の課題に介入しすぎていることに気づいていたんだろうと思います。
そんなこと言われても、と躊躇する私に先生がこう言いました。
「お母さん、高校生になっても宿題の面倒みてあげるの?そうしたいの?」
そんなの嫌です、という私に、でしょう、と笑う医師。
「じゃあ、やってあげたらダメよ、宿題は彼と担任の先生との間の契約であって、お母さんの問題ではないのだから」
目から、ウロコと涙となんかいろんなものがぼろぼろ落ちたのを覚えています。
介入問題と、転機で見えて来た「親としての自責」
とは言っても彼はまだ小学生で、担任の先生は「宿題はおうちの方が見てあげてください」の一点張り。板挟みの状態が2年続きました。
その間も私は「ドクターストップがかかっているので私はできません」を貫きつつ、通級指導の先生に協力してもらって宿題が辛いときの対応の仕方の練習などをしてもらってきました。
(具体的に書くと長くなりますが、例えば期限に間に合いそうになかったら延長の申し出を自分でする、量を減らして欲しければその交渉を自分でする、など、自分の課題としてリカバリー方法を学び訓練していくような感じです。)
この宿題問題で転機だと感じているのは、中学の入学です。
ドクターストップの件は学校にも伝えましたが、基本的に色々な問題は「親の責任」ではなく「次男の課題」と捉えて対応をしてくれるようになりました。
とても、気が楽になったと同時に、これまで私が周りから「親の責任」という圧を受け、それをとても大きく感じていたのだということに気づきました。
無関心に見える夫との喧嘩の中で
「次男のことをみんな私のせいだって言う!みんな私のせいにする!」
と泣いた夜もありました。
次男の周りでトラブルが起こるたびに自分が責められているような気がしていたのだと思います。実際に責め立てられたこともありましたし、教員からお母さんがもっと頑張ってと言われたこともありました…。
その連続の中で、私はきっと次男を取り巻くトラブルを「私がなんとかしないと」とずっと思って行動して来たんだろうと思うのです。
特性の強い子だからこその難しさと私の不安
慌ただしくすぎる日常の中で、私のやってきたことが正解だったかはわかりません。
医師からストップをかけられるくらいだから、多分間違った対応も山のようにあったんだろうと思います。いや、ありました、ありましたよ、ありますよ、多分すごくたくさん。
もっといい親だったらと悔やまれるのだけれど、そうやって足踏みしててもその間にも子供たちの時間はどんどん流れていきます。
これが、特性の強くない子だったら、ゆっくりでない子だったら、多分また感じ方は大きく違うんだろうと思います。
しっかり者の長男や娘には、次男に感じるような不安はありません。
失敗しても大丈夫だいってこい!と背中を押せる自信があります。
宿題に関しても彼らにやれと迫ったこともないし、先回りして失敗を防ごうという気持ちもそこまで強くはありません。
でも、次男に対しては途端にそれがとても難しいことになるのです。
頭ではわかっていても、感情がついてこない。
とても心配でとても不安で、彼が直面するだろう失敗をなんとか防いでやりたくなるのです。
なんなんでしょうね、この感じ。
私の中のトラウマがそうさせるのかもしれないし、生い立ちの問題かもしれないし、なんだか本当によくわからないけど、今は掘り下げるのはやめとこうと思います。
なんだかわかんないけどそこにある、私の不安。
そう、私の不安。
次男の問題ではなくて、私が不安でたまらないのです。
そのことに気づいてからは、少し距離をおいて物事を考えられるようになった気がします。
ブレブレになってるなって思うときは話を聞いてくれる友達にぐちぐち吐き出します。
夫や友人に話を聞いてもらったり、Twitterやブログで整理したり、みんなによしよししてもらったりして、またがんばってる感じ。
そして、今朝の次男と私。
こういう、口を挟みたいのをグッとこらえて時間の経過を待つためにはTwitterはとても役に立つ。我慢している自分をみんなに誉めてもらったり同志と励まし合ったりしながら場を動かず様子を見つつ気持ちはそとに飛ばせる。 https://t.co/9oWwkxFmU0
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2019年11月18日
こうやって私が自分の不安に負けないようにTwitterを使って心を遠くに飛ばしている中、彼はのうのうとポケモン、やってました。
そして
あ、やめた。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2019年11月18日
Twitterでは書かなかったけど、途中「7時21分」とだけ棒読みで声に出す時報の役を2度ほどやりました。
それ以外何も言わず、働きかけることもなく、ただスルーしていたら彼は自分でゲームをやめ、モタモタと着替え、そこにおいてあったご飯をノロノロと食べ、ちょっと頑張れば遅刻せずに学校にたどり着けるくらいの時間にヨロヨロと(でも機嫌よく)家を出て行きました。
これが、今日の彼にとっての正解だったんだ、と思います。
次男の課題、私の課題
朝ごはんも適当にしか食べていないので、多分お昼を待たずにお腹がすいただろうと思います。
準備の時間が取れてなかったので忘れ物もあると思います。
多分パジャマの上に学ランを無理やり着て行ったので、体育があれば笑われているかもしれないし、何かはみ出て先生に注意されてるかもしれません。
ハンカチとティッシュも多分持ってません。
寝癖も直さないままだったと思います。
お腹をすかせて授業中だらしなくしているかもしれません。
忘れ物があって先生に叱られたかもしれません。
身だしなみを整えないまま行ったので女子に不潔だと嫌われるかもしれないし、いつもいちゃもんをつけてくるらしい男子にからかわれるかもしれません。
私にはそこまで見えてしまうので、じゃあそうならないように次男を守ってあげたいとつい思います。
次男にはそこまで見えてないので見えている私がなんとかしてあげないとと言う気持ちも湧きます。
でも。
想定されるのは次男の課題であって私の解決する課題ではないこと。
それを私の課題としないでいるというのが、私の課題。
おわりに
とりあえず次男に関しては、もう手を離していい時期が来ているのかもしれない、と思うのです。
本当はもっと早くても良かったのかもしれない。
でも私の心の準備ができるのが少し時間がかかってしまいました。
多分、特性のある子ほど、心配なところが多い子ほど、こうやって手を離すのは難しいんだろうと思います。
今ここでこう書いている私も、また要らぬ手を次男に出そうとしてしまうかもしれない。というか多分やります。やってしまうと思う。
何歳で子どもの手を離していいのか、私にもわかりません。
手を離すとは言っても見守りやお世話を全部やめるわけにもいきません。
でも次男は少なくとも、遅刻しないように学校に行くだけの力はもう身につけている。そこを私は見誤らないようにしなくてはならないのだと思います。
まだまだ惑い続けるだろうけど、Twitterでぼちぼち吐き出しながら、言葉にしながら、他の仲間たちに聞いてもらったり褒めてもらったり励ましあったりしながら。
少しずつ少しずつ、ゆっくりゆっくり、彼らの育っていっているだろう力を信じて離れていこう、と思った朝の備忘録でした。