スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

忘れることのできない、大きな失敗をしました。

昨日、自分の人生の中でも多分これ以上はないんじゃないかと思うほどの失敗をしました。

やらかしたことのあまりの重さ、被害の大きさに眠れない夜を過ごしながら、私の脳裏に浮かんだのは「これを書きのこさねばならない」と言うことでした。

 

ことの詳細は詳しくは書けませんが、少しだけ。

年末の行事で知人や親戚、子供たちそれぞれの友人が多数いる場で次男がパニックを起こして暴れ、そして私がそれを止めきれず、彼の感情を真っ向からぶつけられたことで自分を保てなくなり大きな声を出してしまうにいたりました。

 

子供たちの友人たちはとてもびっくりしていたし、とても怖かったと思います。

 

なぜあの場をすぐに離れられなかったのか、なぜイレギュラーな状況が苦手だとわかっている次男のことをもう少し丁寧にケアしてやれなかったのか、なぜ他の子たちを守ることができなかったのか、自分の判断ミスや対応の不味さに涙が止まらなくなります。

 

次男が落ち着いた後、それぞれの子供たちに謝らせてもらいました。

謝って済むわけではないことも重々わかっています。

寝られず、頭痛が止まらず、体にも不調が出たのでこれは良くないと思いました。

 

次男のかかりつけの児童精神科の先生に初めて会った時に言われた言葉を今も覚えています。

「お母さんがしんどくなったらいつでもお母さんの分のケアもできるからね」

 

それまで次男を抱えて暮らしながらそんなことを言われたことは一度もなかったので、診察室で泣きました。

そこから今日まで、月1回の診察のたびに次男の状況にプラスして家族が今どんな思いを抱えているか、私の状態はどんなかもお話をさせてもらっています。

 

昨日の出来事は、強く記憶が残りやすい私の特性上、おそらくは一生消えないとおもいます。

そして、その場にいた人たちにも同じように消えない怖い記憶を残してしまった。

悔やまれて悔やまれて、時間が巻き戻せるならやり直したい、なかったことにしたい、と今もそんな思いが絶えず押し寄せてきます。

 

なぜこんなことを書いておこうと思ったのか、私にもあまり綺麗に整理はできていません。

ただ、書かないといけない、と思ったので書いています。

 

いつも子供たちの対応についてここに書き記してきている中で、どこか自分がしっかり頑張ってやれている親だという思い込みがどこかにあったようにも思う。

そんな風に褒めてくれるコメントをいただくこともある。

 

でも、そんなことない、こんな風に失敗を繰り返しては悔やんで、泣いて、子供たちに謝って、ちっとも立派でもなければしっかりもしてない、そんな親だということをここに書いておきたくなったのかもしれません。

 

寝られなくて、夫に話を聞いてもらいました。

夫からかけられた言葉は、一生忘れません。

 

「取り返しのつかないことをしてしまったけど、でも一度の判断ミスで全てがなくなったりはしないから、壊れたものはまた少しずつ積み上げていけばいい、またゆっくり始めよう」

 

 

失敗は苦しいです。

でも、失敗を繰り返さないようにするためにできることもきっとあるから、と昨日、次男と話しました。2人で失敗してしまった、やらかしてしまった、だから、お互い何ができるか考えよう、と。

 

自分の感情を捉えることが苦手な次男も、昨日は頑張ってなぜパニックが起きたかを一生懸命言葉にしてくれました。

家族はじっとそれを聞いてくれました。

 

失敗するたびに、いろんな人に迷惑をかけてしまいます。

いろんな人を困らせ、手を焼かせてしまう。

たくさんの人に嫌な思いをさせ、悲しませてしまう。

 

でも、失敗するたびに話を聞いてくれたり、励ましてくれたり、そばにいてくれる人も私の周りにはいます。

助けてくれる人たちが私にはいるから、だから、どんなに大きな失敗をしても少し休んで、またゆっくり始めていくことができるのだろうと思います。

 

 

願わくば、子供たちそれぞれにもそんな風に支えてくれる人ができますように。

願わくば、今私を支えてくれている人たちとこれからもお互いに支えあっていけますように。

 

 

 

今年も私の、不定期すぎる更新頻度の言葉たちにお付き合いくださり、ありがとうございました。

来年もきっと私は、いろんな失敗を繰り返しながら子供たちと暮らしていくのだろうと思います。その度にボロボロになって、そしてまた、それも言葉にしながら、生きていくのだろうと思います。

 

みなさま、よいお年を。

来年が幸多き年となりますように。

 

2019年の年の瀬に寄せて  イシゲスズコ

「アスペルガーに産んで申し訳ない」という母親の言葉とあの事件に寄せて(長いです)

今朝、Twitterを開いてタイムラインを眺めていたら、元農林水産相事務次官の長男殺害についての報道が流れてきていました。

目に留まったのは容疑者の妻であり息子を殺された立場である母親が「アスペルガーに産んで申し訳ない」と法廷で証言したという記事のタイトルでした。

 

この一連の事件に関して、実は私は報道から自分を遠ざけていました。

子としての私と親としての私。

どちらにも思うところがありすぎて、その思いが溢れて生活をおびやかしすらしそうで、怖かったからです。

 

今朝「アスペルガーに産んで申し訳ない」という母親の言葉を見て、PCの前で少し膝が震えました。

あ、これは、言葉にしておかなくてはならない、そう思いました。

 

うちの次男は、ADHDアスペルガーを含むいくつかの診断名を持つ中学生です。

私自身は診断はなく暮らしていますが、発達障害の特性を自覚している身です。

 

私の母親は教育熱心で小さい頃から私に惜しみない教育を与えてくれました。

その熱心さが暴走して私は母の敷いたレールの上でもがきながら高等教育機関に送り込まれ、都会に出て初めて母の呪縛に気づいて大きな挫折を経験したという記憶を持っていますが、母の記憶の中の私は違うようです。

小さい頃は素直に勉強していたのに20歳を前に突然反抗期が来て私のいうことを聞いてくれなくて色々と台無しにしてしまった子、それが、母の私への評価でした。(面と向かって言われました)

 

しかし、当然ながら母は外部にそんなことを漏らしません。

母の周りでは私はいつまでも出来のいい娘であり、そして私もまた、それを演じられるからこそ今も母とそれなりの関係を保って生きていけているわけです。

 

そして、そんな私にまた、神様が試練を与えたような息子が生まれました。

4人いる子供の中で、ずば抜けて育てるのが難しい子、それが次男でした。

小さい頃はほかの子に比べて落ち着きがないかなぁという程度でした。

心配して相談した先でも「元気がいいだけですよ〜」と言われていました。

 

難しくなってきたのは小学校中学年くらいから。

今思い返せばこの頃から自閉傾向がかなり目立ってきたように思います。

反抗的な態度が出たり、癇癪を起こして暴れたり。

あちこちに相談してもなかなか糸口がつかめない日々が続いて疲弊し切った頃、たまたま出会った相談先で病院を教えてもらい受診、そこで初めて発達障害という診断がつきました。

 

くだんの事件の報道の中でも受診して診断が下りたという記事がありました。

専門家につながっていたのになぜ、という声も散見されました。

 

そうなんです、病院に行って診断が下りたとしても、そこですぐに色々な問題が解決するわけではないんですね。

次男の場合も、診断が下りたことで何かが劇的に変わったわけではありませんでした。

そこから先、今日に至るまで、彼の周りにあるサポートは全て私が駆け回って取り付けてきたものです。向こうからやってきてくれたものは一つもありません。

 

サポート以前に、情報そのものも向こうからはやって来てくれません。

どんな制度があるかも、どんな助成金が受けられるかも、どんなことを学校に求めて良いのかも、全部自分で調べるか、親の会や仲間内のコミュニティで教えてもらうしかありません。Twitterにはかなり助けられました。

それら制度にも地域差があり、よそで受けられるサポートがこちらでは全く機能していない、ということもありました。

 

そして支援を掴む過程も、全てうまくいっているわけではありません。

かなり待ったのに思うような回答がなかったり、何度も電話をかけたのに折り返しがなかったり、繋がったのに次男と相性が合わずうまく続けられなかったり、そんなことの連続です。

 

そんなやりとりの中でも、日常は過ぎていきます。

学校で暴れたと連絡を受けたら対応し、家で兄弟喧嘩があったらその仲裁をし、本人やきょうだいのケアをし、そして休む間も無く支援を受けるために奔走する。

 

これが、発達障害を持つ子を育てる家庭の現状です。

 

私の周りにも、同じように奔走する父母の立場の友人が何人もいます。

みんな、自分もそれぞれに困難を抱えながら子供のため家族のために毎日を送っています。

 

そんな日々の中で、自分を保てなくなるくらい疲弊することもあります。

ボロボロで、悪い方悪い方にしか頭が働かなくなってしまう。

 

なんの心配もなく学校に通えている子を育てる親御さんが羨ましくなることもあります。

支援学校や就労の目処がある程度立っているように見える身体など別の障害を持つ子の親御さんを羨ましいと思ったことすらあります。

なんで自分にばかりこんな難しい子育てが課せられるのかと泣いたこともあります。

 

そして、誰よりも一番苦しんでいる息子に対して

「こんな風に産んでしまって申し訳ない」と思い、泣いたこともあるのです。

 

そして、そんなことを考えてしまったと、自己嫌悪に陥るのです。

 

支援がうまく入って次男も落ち着いて過ごすことができ、私の気持ちも落ち着いてくるとそんな落ちる方向への思考は起きづらくなります。

 

あの法廷での証言が付された記事のタイトルを見た時に思いました。

あぁ、あの一番ダークな状態の時の私だ、と。

そして同時に、あの状態が何年も何十年も続いた結果なのかもしれない、と背筋が凍る思いがしました。

 

私はあの事件に関して、誰のせいだ、という方向で考えることはできません。

Twitterにもニュースサイトのコメントにも、どちらの方向からの意見も並んでいます。

テレビを見ないのでなんとも言えませんが、軒並み父親に同情的な報道がなされている感じでしょうか。それに対してネットでは息子に同情的な意見も散見されます。

でも、やっぱり私にはどちらの方向にも考えることができません。

発達障害を持つ子を育てる親がどれだけの負担を背負わねば暮らせないのかも、発達障害の当事者が極端な思考の偏りを持ちやすいことも、どちらも身を以て知っているからです。

 

教育虐待のことについても触れているツイートがありました。

親による教育面での虐待が引き金になっている可能性もあるかもしれません。

私自身、親から似たような圧力を受けてきた記憶があるので、その苦しさがわからないわけではありません。

 

でも、親の立場になってまた違うものが見えたのも事実です。

知的に高いアスペルガーの子たちは公立の小中学校でその知識の偏りやコミュニケーションの違いによりなかなか周囲に馴染めなかったり、いじめの対象になりやすかったりしてしまいがちです。

それを避けるために、荒れている地元の公立中学校ではなく私立への進学を子供に勧め、受験に臨んでいる家族も私の周りにも複数います。

私自身も地元の中学より、母の強引な勧めで受験した進学先の高校の特進級の中の方がはるかに居心地が良いものでした。(母にそんな意図はなかったようですが)

うちも、もし通える範囲に次男にちょうど良い私立があったら受験を考えただろうと思います。(幸い地元の公立が柔軟に対応してくれているので今はなんとかなってますが)

子供本人と話して決めた受験でも、実際の受験勉強は時に子供にとって苦しいものになる可能性もあります。

その受験の過程が親と子それぞれ、どんな形で記憶に残るかもわからないな、と思うのです。

 

アスペルガーの中には、嫌な記憶は強く残り、良い記憶はあまり残らない特性がある子もいます。(うちの次男がそうです。私も自覚があり日常の中で意識しています。)

親子双方に特性があれば、それぞれの記憶と実際のやり取りに食い違いがあるだろうことは容易に想像ができます。

(これらを鑑み、私の親に対する記憶もおそらくはかなり私なりにディフォルメされている可能性があると考える必要があると思っています)

 

今朝、このブログを書くためにいくつかの記事を読み、そこに記された家族の様子を読みました。

それをそのまま書いてある通りに読み取るわけにはいかないのが発達障害の難しいところだなぁと自分や息子のやりとりを思い浮かべています。

親と子双方に、家族に、記事の中だけでは計れないとてもたくさんの思いや苦悩、挫折や、儚く消えてしまった希望や、いろんなものがきっとあるのだろうと思うのです。

 

ここに書き記してきたような発達障害当事者の特性ゆえの苦しみ、記憶の特徴、親もまた当事者である可能性や、またその親が社会の中で背負う負担の大きさ…

この事件は、今まさに現在進行形である我が家の問題とリンクしすぎているがゆえにここまであえて目をそらしてきました。

 

なるべく情報を自分の中に入れぬようにしてきましたが、今朝、法廷で証言したという母親の言葉を見て、このままにしていてはいけないと改めて思いました。

 

発達障害のある子を持つ親が、彼女のように「自分が産んで申し訳ない」などと口にしていいわけないのです。

もし耐えずその苦しみが襲ってきたとしても、それは決して公の場で口にして良い言葉ではないのです。

我が子に聞こえてはならないし、オープンにしてはいけない。

 

願わくば、そんな気持ちにならないような社会資源を望みます。

 

そして、そう思う日があったとしてもこらえていけるようなサポートを。

 

診断を受けた子がスムーズに入っていける、間口が広く開かれたサポート体制を。

診断を受けた子を持つ親が苦しまずに済むような明るい未来を。

 

逆に言えば、今それが整っていないのが知的障害を伴わない発達障害当事者の現実です。

診断のできる病院はどこも予約でいっぱいです。

知的な遅れがないので診断が遅くなりやすく、療育に通えないケースも多いです。

早期に診断を受けたとしても、療育は園児まで。

公立の小中学校でも支援体制は手薄で、専門的な知識を持つ教員も多くはありません。

相談支援も手いっぱいで、後回しにされがちです。

 

私は、ペアレントメンター として発達障害児を育てる親御さんの話を聞く機会があります。先輩として励ましたくても、こちらにくれば大丈夫だよ、と言い切れない現実がそこにはあります。

我が子でさえ、明日どうなるかわからないのです。

今はかろうじて中学に通えていますが、担任が変われば不登校になることも想定しなくてはなりませんし、そうなった時に彼の学習をサポートしてくれる支援をまた自分で取りに行かねばなりません。

高校に行けるかもわかりません、高校がどんなサポートをしてくれるかも霧の中です。

一般の就職ができるのか、障害者として就労を選ぶべきなのかも、何も見えません。

自分であちこちに足を運び、声をかけ続けなければ、誰も教えてはくれないのです。

そして、教えてもらえたとしても息子がそこに適応できるかは、誰にもわからない。

誰も、そこに進んで並走してくれはしないのです。

それが、知的障害を伴わない発達障害児の現実です。

 

(知的や身体など他の障害でも体制としては似たような状況ではあると思いますが、体験していないので正確なことは書けません)

 

あの事件から社会が何かを得てくれるなら、発達障害に対する理解と社会資源の拡充を、と求めます。

悪者探しをしても誰も救われません、少なくとも私たち当事者親子の救いには全くなりません。

 

私たちは日々もがきながら、なんとか繋がったなんとか助けてくれている人たちの手を手繰り寄せながらかろうじて生きています。

あの事件は決して対岸の火事ではないのです。

我が家の未来かも知れない怖さが私にはあるのです。

 

親が子を殺すような悲しい事件が二度と起こることのないような、支援体制の拡充を。

取りに来る力のある親の子にしか届かない支援ではなく、支援希求力の弱い家庭へも届く支援を。

公教育の中で発達障害の子どもたちが苦しまずに済むインクルーシブ教育・特別支援教育の更なる拡充、教員の資質向上を。

 

それが、私の願いです。

 

そして、それを訴えながら保護者同士横の繋がりを持ってお互いを支えていく。

私に今できることを粛々とやっていくしかないと改めて思っています。

当事者の、その家族の、その周囲の人々の、苦しみが少しでも減ることを願って。

スパイスでカレーを作りながら考えた、自分のためだけのご馳走を用意するということ。

ここ何回か次男のことから考えた話題が多かったのですが、今回は私のこと。

 

たまにツイートをしていますが、最近、スパイスからカレーを作っています。

発端は多分、有賀先生の発案に影響を受けて我が家のキッチン周りを模様替えしたこと。

 


キッチン周りが使いやすくなって以来、ツイッターではリュウジ(@ore825)さんや作りおき食堂まりえ(@mariegohan)さん、山本ゆり(@syunkon0507)さんあたりの簡単料理アカウントを、Youtubeでは【かっちゃんねる】や【こっタソの自由気ままに】あたりの料理チャンネルをマメにチェックして着々とレパートリーを増やしております。

 


みんな大好き!あの人気メニュー サイゼリヤ風 辛味チキンの作り方【kattyanneru】

この辛味チキン何度作ったか…

かっちゃんねるの再現レシピはマジ神…(語彙力)

 

いろんなレパートリーが増える中で、チンするだけの簡単メニューはレンジに任せている間丸々手も頭も使わずに済むのが本当に助かっています。

コンロにかけていると焦げたり吹きこぼれたりを気にしなくてはいけませんが、電子レンジだとそれもなく。

レンジに入れていること自体まるっきり忘れてしまっていても(よくあります…)時間がきたらピピーっと教えてくれます…!すごく助かる!

 

その間に別の家事をやったりすることも多いのですが、レンジに家族の主菜を任せてコンロでは副菜作りや自分のためにちょちょっと酒の肴を作って晩酌を…なんて楽しみも始めたりしていました。

 

ラジオで初めて印度カリー子さんのことを知ったのはその頃。

ゲストとしてお話をされている中で基本のチキンカレーの作り方が紹介されていたのですが、これが驚くほど簡単。

 

東大院生のスパイス料理研究家・印度カリー子さんに3種類のスパイスだけで作る「スパイスカレー」を教わった - メシ通 | ホットペッパーグルメ

 

こちらにカリー子さんのスパイス解説や基本のチキンカレーのレシピが載ってます。

ひとりぶんのスパイスカレー

ひとりぶんのスパイスカレー

 

 

以前からスパイスカレーに興味はあったものの調味料を揃えるの大変そうだなぁとなかなか手を出せずにいました。

 

そして手を出せずにいた大きな理由がもうひとつ。

「食べたいのが私だけ」

 

そう、結婚して子どもたちが生まれて、ずっと私の料理は「家族のため」でした。

 

家族が喜んで食べること、栄養やその日の体調、家計…

さて今日は何を作ろうかと考えたときに浮かぶのはそんな項目。

 

毎度毎度自分を押し殺して家族のためにご飯を作るなんて殊勝なことをしてきたわけでは決してありません。

制約の中で私の好きなものや食べたいものはそれなりに作ってきましたし、疲れたときには盛大な手抜きも躊躇せずやってきました。

 

それでも「私しか食べないもの」をわざわざ作るのは時間的にも精神的にもなかなかハードルが高く、手を出そうとも思わないまま毎日が過ぎている感じでした。

 

どうしても印度カリー子さんのレシピで作ってみたくて、ふと思ったんですね。

「家族の分はレンジに作ってもらえばいいじゃない」

 

というわけで子どもたちの分は

まりえさんのキーマカレーを仕込んでレンジにお願いしまして。

その間に私は自分のためだけにせっせとスパイスカレーを作りました。

 

レンジにお願いしたキーマカレーを食べる子どもたちを眺めながら、すぐそばのコンロではスパイスカレーが煮込まれるいい匂いがしています。

 

自分のためだけのカレーは、ちょっと辛め。

甘めに作ったカレーに自分だけ上乗せでスパイスをかけるのよりずっと、美味しい。

お店の味さながらに出来上がった私のためだけのチキンカレーは本当に本当に美味しくて、何回かに分けて大事に食べました。

 

そのカレーを食べながら、自分のためだけに料理をするって贅沢だなぁと思うと同時に、家族のため誰かのための献立を考え作り続けることはじわじわと自分の自尊心のようなものを削り続ける日々でもあったんだなぁと思い返したりするのです。

 

そんなことをいうと叱られるかもしれません。

家族が聞いたら悲しいかもしれない。

 

でも、「みんなが食べられるもの」を作り続けるということを通して自分がじわりじわりと自分の食べたいものを押し殺してきたんだなぁと、それを、なんとなく言葉にして整理しておきたくなったのです。

 

家族がみんなで同じものを食べるのも、そういう形の幸せや楽しさがある。

でも6人いる我が家の家族は、好みも食べる量も食べられるものも、それぞれ全く異なっています。

大きくなっていくにつれ余計に、それぞれの食へのスタンスは多様になりつつある。

そんななかで、みんなが同じ時間に同じものを食べること「だけ」が当たり前の食事ではないということを考えるターンにきているのかもしれない、と思うのです。

 

我が家版ミングルの登場により、我が家の食事の風景は大きく変わりました。

それまで私がキッチンにこもってご飯を作り、できたよーと呼ぶと子どもたちがそれぞれ配膳の手伝いに来て、箸を出しコップを出し、全員揃っていただきます、でした。

 

今は、私がキッチンであれこれ用意しているとテーブルにふらっとやってくる子もいればこない子もいます。

私が何品か作っている間に、最初にできたものをおかずにササッと食べてまた自室に戻っていく子もいれば、最初から最後まで座ってコンロの前の私と喋りながらゆっくり食事をする子、ある程度で揃ったところでワンプレートに取り分けてテレビの前に座って食べる子…

一人の子が毎日同じ様子というわけではなくて、それぞれが日によっていろんなスタンスで食べている感じです。

 

その食事の取り方の変容と並行して、献立も変わりつつあるようです。

以前は「みんなが食べられるもの」がメインだったのですが、最近はそれぞれが好むものだけでなく、家族の中のだれかが嫌いで絶対に食べない(でも他の家族は好きなもの)も作りやすくなってきました。

 

食べることが大好きな三男は毎日の夕ご飯の献立や出てくる順番を確認して、自分の食べたいおかずのところでテーブルにつくよう自分のスケジュールを調整しているようです。(栄養のバランスとかは1食単位では考えてないし、そもそもかなり適当です)

 

我が家の食事風景の変容に伴って、私もこれまで何となく我慢する形になっていた「自分のためだけのご馳走を用意する」ということが楽にできるようになってきました。

 

「自分以外の家族が食べないもの」を「自分のためだけに作る」

そのとても贅沢でワクワクする時間、これまであまり意識してこなかったけれど、私にとっては必要な精神安定のための材料だったんだろうなぁと思います。

 

なんかとりとめもないけれど、今日はこのくらいで。

次男(が)行方不明(になってしまったと私が思った)事件を振り返る。

ぽかっと1時間ほど時間ができたので、なんかブログでも書こうかなと思い立ちました。

 

突然ですが先日、次男が行方不明になりました。

いや、正確には「私は行方不明になったと思った」です。

忘れてしまうのもなんなので、備忘録として書いておこうと思います。

 

次男が、忽然と姿を消しました。

学校が休みの日、彼がひとりで某所へ行く予定でした。

私は朝、予定より少し早い時間に彼を送り出し、当然そこへ向かったものだと思っていました。

が、帰る予定の昼になっても彼は戻ってきません。

おかしいと思いつつ、もう中学生の彼を慌てて探すのも…と思いました。

もう彼から手を離していこうというブログを書いたばっかりじゃないか、と思っていました。

お腹が空いたら帰ってくるだろう、そのうち戻ってくるだろう…

 

そんなことを思いながらお昼ご飯の片付けをしていたら、次男の友人が我が家を尋ねてきました。

午後から遊ぼうと待ち合わせをしていたのにそこに来ない、と。

 

約束をしてたのにすっぽかすなんて!とまたイラっとしました。

お友達には「じき戻るだろうからちょっと待ってて」と家で待つように伝えたのですが、彼が怪訝そうな顔をして言うのです。

 

「途中で(次男)くんの自転車を見たんです」

 

彼が自転車を見たと言うのは、午前中に次男が行く予定だった場所でした。

 

平静を装いつつ、何かがおかしいと頭の中がぐるぐる回りました。

彼が訪ねるはずだった相手先に連絡をすると「次男くん?それが来てないんだよね、自転車はあるから近くにいるのかと思ったんだけど見当たらないの」との返事。

 

何かがおかしい!

とりあえず、自転車を確認しに行きました。

あります、鍵をかけた状態で次男の自転車が置いてあります。

でも彼は見当たりません。

 

頭の中をいろんな可能性がよぎりました。

対人トラブル、事故、犯罪…

 

車で周辺を周りました。

夫に連絡して「これは警察に連絡したほうがいいんだろうか」と確認しました。

「とりあえず夕方まで帰らなかったらそうしよう」と彼は答えました。

なんて悠長なことを!次男はもうすでに何かに巻き込まれているかもしれないのに!

と腹の中で思いながら、いや冷静であれと言うもう一人の自分がいました。

 

「次男くん帰って来たよ」

車でウロウロする私の電話がなり、家にいる家族からそう知らされました。

とりあえず安全が確認できたのだとわかって、ハンドルを握る手から力がガクッと抜けそうになったのを覚えています。

 

結論からいうと、彼は訪ねる予定のところについたけれど予定より少し早かったので散策をしようと思い立ってうろついているうちに道に迷ってかなり遠くまで行ってしまっていたそうです。

ひと気のない山の方まで入ってしまい、たまたま出会った地元の方に事情を話して公共の交通機関を教えてもらい、なんとかそれで帰り着いたところだったと。

 

私が心配して探し回っていたことを知ると次男は、とても申し訳ないことをしたと悲しい顔をして言ってくれました。

 

私の中で顔を出した、不安

こうやって文字で書き起こすと「一件落着」感がものすごく出るのかもしれないのですが、当時の私にはそんな気持ちは全く起こりませんでした。

こんなことをしでかしてしまう彼に対してどうしたらいいんだろう…

行方不明状態の彼を探し回る中で私の中で顔を出した不安は、どんどん私の中で大きくなって私を支配しようとしていたような気がします。

 

明日も行ってらっしゃいと彼を送り出していいんだろうか、大丈夫だろうか…

どんな手を打てばいい?何を用意すればいい?彼にどう対応すればいい??

 

頭の中をそんな色々なことがマーブル状に混じり合ってぐるぐるぐるぐると回っている感じ。

 

マーブルの不安はだんだんドロドロと沼のような色になって、私の中を渦巻き、体の中全体に広がっていくような気がしました。

 

不安に囚われて見えなかった、次男の成果

ちょうどその頃、遊びに来ていた三男のお友達を迎えに、その子のママがやって来ました。

次男のこともよく知っている彼女に何気無く今日の出来事を話しました。

「もう、どうしたらいいんだか」と愚痴る私に彼女が笑って言いました。

「でも次男くん、自力で人頼ってバス乗って帰ってこれたんでしょ?初めてのところから。それすごくない?百点満点だよね」

 

漫画みたいに大きなハンマーで頭をガーンと殴られたような感じがしました。

これ、いつも自分が言ってることじゃないの!

 

「失敗は仕方ない、でもリカバリーできればいいんだよ。」

 

次男に自分がなんども何度も言って来たこと。

彼はそれをちゃんとやってのけていたのに、私は自分の不安に囚われてそれがちっとも見えなかったんだなぁと。

 

おわりに

次男に、とても心配だったこと、でもそれに囚われて君ががんばって帰ってきたことを褒めてあげられなかったことを詫びました。

気づかせてくれたお友達にも足を向けて寝られないわ…とおうちの方角を思わず調べたりもしました。

 

私の不安というのはなかなか根が深いもののようです。

その根の深い不安が、なぜ4人いる子のうち次男にだけより強く発動されてしまうのか、私にもよくわかりません。

 

ただ、今回のように自分の中で不安がどんどん大きくなる前に誰かに聞いてもらうってやっぱりすごく大事なんだろうなと思います。

Twitterで書くだけでも違うかもしれない。

不安モンスターは外に出さないと自分の中でどんどんどんどん大きく膨らんで私をすぐに支配してしまう。

 

苦しい時に「ちょっと聞いてよ」って言えるお友達がいること、改めてありがたいなぁと思っています。

 

おまけ

余談ですが…

今回次男がいなくなったことで自転車を置いたところの周囲の知り合い(彼が中学への登下校の時によく通るあたり)に「次男見てませんか」と声をかけさせていただきました。

そのいく先いく先で「あのしっかりした子よね」「いつも元気に挨拶して、声をかけてくれる優しい子ね」ととても肯定的な次男の評価をいただきました。

 

皆さんがとても彼のことをよく思ってくれていて、あの私が見ている「いろんなことができない次男」は、誰かにとってはそうじゃないんだな…と改めて自分が一部しか見えてないことに直面し、親としても人としてもまだまだだなと痛感するきっかけにもなったのでした…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遅刻しそうな次男と、私の抱える課題についての備忘録

今朝の次男くん

今朝、こんなツイートをいたしました。

 

 

私をフォローしていらっしゃる方はご存知かもしれませんが、我が家にポケモン(ソード)が導入されたのは一昨日のこと。

ポケモンは発売されるたびどっちも買うのが定番だった我が家でしたが、末っ子ももうDSやってないし、今回の発売は関係ないかな〜〜と思っていたら甘かった。

受験生のはずの長男が「ねえ…」と声をかけてきたときには後ろにキラキラした目の小・中学生がゾロゾロと待ち構えていました。

 

まぁそんなこんなで我が家のSwitchにダウンロードされた新しいポケモン、今のところきょうだいでそれなりに譲り合いながらそれぞれに楽しんでいるようです。

 

で、今朝です。

 

次男の寝起き問題は以前から我が家での課題でした。

 

が、今朝はスイスイと起きてきた(はずだった)次男。

 

子どもたちがそれぞれに朝の準備をバタバタとしている中で悠然とSwitchの前に座る次男。

 

Oh Boy? どうするつもりだい?

 

ええ、心の中にビバリーヒルズ的な何かを飼ってないととても平常心では対応できないんですよ。

 

だってもう7時を過ぎているのだもの。

次男がいつも出かけるのは7時半くらい、今は7時15分くらい。

そして彼はまだパジャマ。朝ごはんもまだ。

 

で、Switchの前に座って起動しようとしている次男。

 

さて、どうしよう

若干パニクりましたが、ここで注意をしたところで思春期真っ盛りの彼にとっては耳障りなだけ、キレられるだけ。

 

ならば黙ろうではないか。

そう思って心を落ち着けるべく、スマホを手にTwitterの画面を開きました。


で、冒頭のツイートをしたのでした。

 

ゲームをやめる気配のない次男。

このままでは遅刻します。

朝ごはんを食べる時間も取れそうにない。

身だしなみを整える時間もおそらくは取れないし、慌てて出かけることで忘れ物もするだろうと思う。

遅刻しそうになって慌てて出かければ階段から落ちるかもしれないし、気が急いたまま行けばイライラして級友とのトラブルにつながるかもしれない。

 

思いつくトラブルと防いで来た私

想定されるトラブルはいくつもあります。

そのどれもが、私が今ここでゲームをやめさせて朝の準備に取り掛かれば防げるだろうものです。

 

注意欠損や遂行機能の弱さがある彼に対して、私は小さい頃からそうしてきたのも事実です。

そうしなければ彼の生活はままならなかったから。

そうしなければ彼は家の外での活動に参加できなかったから。

 

でも、もうひとつ私が忘れてはいけない理由があります。

 

そうしなければ私の親としてのあり方が問われてしまうから。

ちゃんとしてない親だと言われてしまうから。

あそこの家はと陰口を叩かれてしまうから。

あそこの子だからと子供が不利益を被るかもしれないから。

 

こうやって言葉にすると「そんなことに囚われていた情けない親だ」と思われるかもしれません。自分のことをそうやって責めてしまうかもしれません。

 

でもね、私はそうは思わないです。

 

だって、そうしないとやってこれなかったんだもの。

次男にも私にも他の子どもたちにも必要なことだったもの。

 

学校も社会もシビアです。

親がちゃんとしてないとみなしたら途端に対応が悪くなる先生も知ってます。

次男がここまでいろんな方のサポートを受けてこられた要因の中には「お家の方がしっかりしてるから」という理由があるのも事実だと思っています。(はっきりそう言われたことがあります)

 

でも、だからそれを、どんどんやっていい、いつまでもやっていい、というものでもないんだろうな、と思うのです。

 

思い出した、ドクターストップ

次男が5年生くらいの頃だったと思います。

お世話になっている児童精神科の先生に、私が次男の宿題に介入するのを止められたことがあります。

 

当時の次男は【家で宿題に取り掛かる】というのがとても難しい状態でした。

取り掛かればそれなりに終わらせることができるものの、スタートするということがとにかくできない。

優しく諭したり、勉強部屋の工夫をしたり、ご褒美を用意したり、内容を検討したり、こちらとしても打てる手をすべて出し尽くしている状態。

それでも彼は、宿題という単語が出るなり癇癪を起こしてしまう状態に至ってしまいました。

 

それを医師に相談した時に出たのが、ドクターストップ。

宿題をやめるというのではなく「宿題に関してお母さんの介入禁止」というドクターストップでした。

 

医師は当時多くは語りませんでしたが、私が次男の課題に介入しすぎていることに気づいていたんだろうと思います。

 

そんなこと言われても、と躊躇する私に先生がこう言いました。

「お母さん、高校生になっても宿題の面倒みてあげるの?そうしたいの?」

そんなの嫌です、という私に、でしょう、と笑う医師。

「じゃあ、やってあげたらダメよ、宿題は彼と担任の先生との間の契約であって、お母さんの問題ではないのだから」

 

目から、ウロコと涙となんかいろんなものがぼろぼろ落ちたのを覚えています。

 

介入問題と、転機で見えて来た「親としての自責」

とは言っても彼はまだ小学生で、担任の先生は「宿題はおうちの方が見てあげてください」の一点張り。板挟みの状態が2年続きました。

その間も私は「ドクターストップがかかっているので私はできません」を貫きつつ、通級指導の先生に協力してもらって宿題が辛いときの対応の仕方の練習などをしてもらってきました。

(具体的に書くと長くなりますが、例えば期限に間に合いそうになかったら延長の申し出を自分でする、量を減らして欲しければその交渉を自分でする、など、自分の課題としてリカバリー方法を学び訓練していくような感じです。)

 

この宿題問題で転機だと感じているのは、中学の入学です。

ドクターストップの件は学校にも伝えましたが、基本的に色々な問題は「親の責任」ではなく「次男の課題」と捉えて対応をしてくれるようになりました。

 

とても、気が楽になったと同時に、これまで私が周りから「親の責任」という圧を受け、それをとても大きく感じていたのだということに気づきました。

 

無関心に見える夫との喧嘩の中で

「次男のことをみんな私のせいだって言う!みんな私のせいにする!」

と泣いた夜もありました。

次男の周りでトラブルが起こるたびに自分が責められているような気がしていたのだと思います。実際に責め立てられたこともありましたし、教員からお母さんがもっと頑張ってと言われたこともありました…。

その連続の中で、私はきっと次男を取り巻くトラブルを「私がなんとかしないと」とずっと思って行動して来たんだろうと思うのです。

 

特性の強い子だからこその難しさと私の不安

慌ただしくすぎる日常の中で、私のやってきたことが正解だったかはわかりません。

医師からストップをかけられるくらいだから、多分間違った対応も山のようにあったんだろうと思います。いや、ありました、ありましたよ、ありますよ、多分すごくたくさん。

もっといい親だったらと悔やまれるのだけれど、そうやって足踏みしててもその間にも子供たちの時間はどんどん流れていきます。

 

これが、特性の強くない子だったら、ゆっくりでない子だったら、多分また感じ方は大きく違うんだろうと思います。

 

しっかり者の長男や娘には、次男に感じるような不安はありません。

失敗しても大丈夫だいってこい!と背中を押せる自信があります。

宿題に関しても彼らにやれと迫ったこともないし、先回りして失敗を防ごうという気持ちもそこまで強くはありません。

 

でも、次男に対しては途端にそれがとても難しいことになるのです。

頭ではわかっていても、感情がついてこない。

とても心配でとても不安で、彼が直面するだろう失敗をなんとか防いでやりたくなるのです。

 

なんなんでしょうね、この感じ。

 

私の中のトラウマがそうさせるのかもしれないし、生い立ちの問題かもしれないし、なんだか本当によくわからないけど、今は掘り下げるのはやめとこうと思います。

 

なんだかわかんないけどそこにある、私の不安。

 

そう、私の不安。

次男の問題ではなくて、私が不安でたまらないのです。

 

そのことに気づいてからは、少し距離をおいて物事を考えられるようになった気がします。

ブレブレになってるなって思うときは話を聞いてくれる友達にぐちぐち吐き出します。

夫や友人に話を聞いてもらったり、Twitterやブログで整理したり、みんなによしよししてもらったりして、またがんばってる感じ。

 

そして、今朝の次男と私。

 

こうやって私が自分の不安に負けないようにTwitterを使って心を遠くに飛ばしている中、彼はのうのうとポケモン、やってました。

 

そして

 

Twitterでは書かなかったけど、途中「7時21分」とだけ棒読みで声に出す時報の役を2度ほどやりました。

 

それ以外何も言わず、働きかけることもなく、ただスルーしていたら彼は自分でゲームをやめ、モタモタと着替え、そこにおいてあったご飯をノロノロと食べ、ちょっと頑張れば遅刻せずに学校にたどり着けるくらいの時間にヨロヨロと(でも機嫌よく)家を出て行きました。

 

これが、今日の彼にとっての正解だったんだ、と思います。

 

次男の課題、私の課題

朝ごはんも適当にしか食べていないので、多分お昼を待たずにお腹がすいただろうと思います。

準備の時間が取れてなかったので忘れ物もあると思います。

多分パジャマの上に学ランを無理やり着て行ったので、体育があれば笑われているかもしれないし、何かはみ出て先生に注意されてるかもしれません。

ハンカチとティッシュも多分持ってません。

寝癖も直さないままだったと思います。

 

お腹をすかせて授業中だらしなくしているかもしれません。

忘れ物があって先生に叱られたかもしれません。

身だしなみを整えないまま行ったので女子に不潔だと嫌われるかもしれないし、いつもいちゃもんをつけてくるらしい男子にからかわれるかもしれません。

 

私にはそこまで見えてしまうので、じゃあそうならないように次男を守ってあげたいとつい思います。

次男にはそこまで見えてないので見えている私がなんとかしてあげないとと言う気持ちも湧きます。

 

でも。

 

想定されるのは次男の課題であって私の解決する課題ではないこと。

それを私の課題としないでいるというのが、私の課題。

 

おわりに

とりあえず次男に関しては、もう手を離していい時期が来ているのかもしれない、と思うのです。

本当はもっと早くても良かったのかもしれない。

でも私の心の準備ができるのが少し時間がかかってしまいました。

 

多分、特性のある子ほど、心配なところが多い子ほど、こうやって手を離すのは難しいんだろうと思います。

今ここでこう書いている私も、また要らぬ手を次男に出そうとしてしまうかもしれない。というか多分やります。やってしまうと思う。

 

何歳で子どもの手を離していいのか、私にもわかりません。

手を離すとは言っても見守りやお世話を全部やめるわけにもいきません。

でも次男は少なくとも、遅刻しないように学校に行くだけの力はもう身につけている。そこを私は見誤らないようにしなくてはならないのだと思います。

 

まだまだ惑い続けるだろうけど、Twitterでぼちぼち吐き出しながら、言葉にしながら、他の仲間たちに聞いてもらったり褒めてもらったり励ましあったりしながら。

少しずつ少しずつ、ゆっくりゆっくり、彼らの育っていっているだろう力を信じて離れていこう、と思った朝の備忘録でした。

「もっと出来るはず」と夫の能力を過剰に見積もってないですか、って話。

今朝は珍しく私以外の家族が私が家を出る前に出かけていきました。

いつもは誰かしら残ってて一緒にバタバタ出かけたり、夜勤明けの夫と入れ替わりだったりするんだけど。

 

で、久しぶりに手にした家でのひとり時間、バタバタとキッチンから居間に掃除機かけてあちこち片付けて、ちょっと冷めたコーヒー飲みながらキミちゃんの初恋の終わりを見届けじんわりしてたとこらへんで並行してのぞいてたツイッターで流れてきたツイートに目が止まりました。

 

 

なるほど。

とても的確な指摘だなぁと朝から唸りました。

 

私自身、とても覚えがあるのです。

 

子供たち4人の相手、学校からの連絡、明日の準備…

キャパ超えてあたふたしてるところに帰宅して悠々と座るオットから「そんなにイライラするなよ」と言われた時のあのなんとも言えない感情。

 

じゃあ!

じゃああなたがやってよ、宿題の丸つけも!

学校からの連絡を受けるのも!

忘れ物しないように準備するの手伝うのも!

晩ごはんの買い物も!

ご飯食べさせるのも!

ハミガキも!

薬飲んだかの確認も!

 

「俺は仕事してきたから」ってのうのうとそこに座ってんなよ!!

 

ってキャパ超えてキーキーなってる上に、我関せずで座ってる様子にまず腹が立ち、その上こちらのやり方に上から物申してくる姿勢にさらに腹が立ち。

 

あぁあ…情けない。

 

そんなケンカ、何度やったかわかりません。

 

このキーキーなるやつの原因は、キャパオーバーなんですよね。

私が私の許容量を超えたタスクを抱えてしまって手に負えなくなってる。

渦中にいるときはそんなこととても考えられないんだけど、落ち着いて友達に愚痴ったりしてて、あー抱えすぎだな〜と反省する。

 

家事育児で大変で、旦那さんが思うように動いてくれないっていう愚痴は私がTwitterを始めるずっと前から今までずっと、ネット上に何度も何度も流れてくる。

 

苛立つよね、いっぱいいっぱいになってるときに「稼いできてるから」「そっちは俺の担当じゃないから」って顔してそこに悠々といられると腹たつよね。

 

そういう苛立ちとか、キャパ超えをやらかしてしまった自分への反省とか、いろんなものをぐるぐるぐるぐる自分の中で整理しててある日思ったんですよね。

 

私、そんなスペック高くなくね?

 

って。

 

あれもこれも自分でできるできると思い込んで、抱え込んで、やろうとしてない?って。

 

育てられるつもりで4人産んで、抱えられるつもりで家事育児背負って、やれると思って仕事して、でもいまの私、どれも抱えきれてない。

キャパオーバーでキーキー怒ってる。

 

私の荷物が多すぎるんじゃなくて、もしかして私、そこまで能力高いんじゃなくないか。

 

「あー買いかぶってたなぁ、自分のこと」

 

もっと持てると思ってた。もっとできると思ってた。

でも、なんだ私、この程度なんじゃん。

 

そう思った時に肩の力が抜けたような気がしました。

部屋散らかってても、なんだ私この程度だしいいじゃんて。

ご飯が適当でも、私には無理だもんしょうがないじゃん、って。

 

そんな風に私、自分を甘やかしてたんですね。

で、今日、最初に紹介したツイート見てあれこれ考えてる時思ったんです。

 

「もしかしたら、夫のことも買いかぶってきたんじゃないだろうか」

 

仕事して帰ってきてもこれくらいできるでしょ?

私が大変なんだからこれくらいやってくれて当然でしょ?

なんでやってくれないの?

 

これまで感じてきたいろんなこと。

それ全部「夫ならできる」と思い込んでたなぁって。

夫の「出来る範囲」を過剰に見積もってたんだなぁって。

 

女性誌に載ってる午前3時に起きて完璧な家事をやろうとするスーパーワーママの記事を見て「ばっかじゃん、こんなの無理に決まってんじゃん」って思ってた。

 

でも私どっかで、自分は無理だけど夫はもっとできると思ってなかったかなぁ。

それ、無自覚に夫に押し付けてなかったかなぁって。

私がスーパーワーママじゃないみたいに、うちの夫もスーパーワーパパじゃない。

私と同じ、そこらへんにいるただの人なんだよね。

なのに、夫に対して「もっとできるでしょ、もっとできるでしょ」って思ってたなぁって。

 

最初に紹介したツイートの、相談してきた同僚の人も多分そうなんだよね。

奥さんに対して「もっとできるはず」って多分思ってる。

あれもこれもやって、その上メンタルを平常に保って子供を諭せと言ってる。

でも奥さんは多分そんなキャパない。

 

無理じゃん。

 

旦那さんが求める「子供を冷静に諭す」を奥さんがやるためには、それを可能にするための容量を空けないといけない。何減らす?どれを誰に託す?

 

ネットにたくさん転がってる、パートナーに対する不満の声。

お互いに相手への要求が過度になってる結果のもの、多くないかなぁ。

 

怠けてる部分もあるかもしれないし、甘やかせばいいって話でもなくて。

ただ、スパルタ的に「できるはずできるはず」って叱咤され続けたらしんどいんじゃないかなぁって思う。自分がやられたら多分苦しい。

 

旦那さんに対して、奥さんに対して「もっとできるでしょ?」「なんでやらないの?」って苛立ってしまったとき、相手に過剰に求めすぎてないかな、無理なことやらそうとしてないかな、っていうのは立ち止まって考えてみてもいいのかもしれないなぁと思ったりします。


腹立つのはたぶん相手の荷物が自分より少なく見えるから。


それは相手の荷物が少ないんじゃなくて、自分の荷物が多すぎるのかもしれない。

 

不満って相手の能力やキャパを見誤って過剰に見積もってしまってるから出てしまうものでもあるのかもしれないなぁ。

「期待してるからだ」とも言えるんだけど。

 

自分に置き換えてみたら「できるはずなのになんでやらないの?」って怒られるより「無理ない範囲で」って思いやってもらった方が頑張りやすい気もする。

あ、これ子育てでも同じだなぁ…(反省)

 

「身の丈」って言葉はここ数日あんまりよくない感じでネット上に流れてきてる言葉だけど、タスクに関しては自分や家族の身の丈をしっかり見極めないとお互い苦しくなるんじゃないかな〜と自戒をこめて思っている次第です。

「手取り14万」のツイートを通して考えた、視点の違いによる噛み合わなさについて

急な寒さに子供たちと慌てて長袖を引っ張り出した朝です。おはようございます。

 

今朝は、昨日のツイートに寄せられたたくさんの反応から考えたことを書いておこうかな、と。

 

本題に入る前に、前置きをします。

私がこれから触れる幾つかの事象について、私はその内容について議論したいわけではありませんので、それに関してなにか反応をいただいても対応しません。

あくまでも、それら事象の周りで起こっていることについて、気づいたことを書こうとしています。

 

まず、昨日のツイートとその反応について

 

これ、別にホリエモンさんの話だけに言及したというわけではなくて、以前から手取りが低いのは努力不足だ、自己責任だ、という話がよく上がっているのを踏まえてのツイートでした。

まぁタイミング的に、堀江さんのツイートに反応したと受け取られても仕方ないだろうとは思いますし、そういうリプライはたくさん飛んできてました。

 

この後、私はこんな風に補足のツイートをしてました。

 

この話題に関して私が話題にしていたのは、個人の転職や給与アップの話ではなくて、フルタイムで勤務する必要のある(副業前提ではない)職業で成人が自立できるだけの給与が稼げない、という社会の問題でした。

 

私自身、これらの職についているわけではありません。

が、なぜか私がそうであるという前提で転職を勧めるリプライや、そういう職を選んだのが悪いという自己責任論、負け犬がほざくな等の暴言など、まぁいろんなものが飛んできました。

 

地方の問題もあるのだという意見も多くありましたが、それには同意します。

私の住んでいる地域でも、無理をしてでも遠くの隣県まで通ったほうが給与が高いと転職して遠距離通勤している人もいます。

地元のハローワークはどれも軒並み手取りにすると15万前後になるような求人ばかりたくさん出て、経営者は口を揃えて募集しても人が来ない、人手不足だと言っています。

 

内容についてもっと思うところはたくさんありますが、今回の本旨ではないので言及はこの程度にしましょう。

 

主張と反応について整理する

私は「社会の問題」を語りました。

いくつかのツイートの中で触れた、保育士や学芸員や図書館司書、教員などはたくさんの人が生活していく中でゼロになっては困る職種であるにも関わらず、賃金が低い傾向が続いていると感じます。

いただいたツイートの中では専門の資格を持っていても無能だから低賃金の仕事しかできないのだというものもありましたが、専門性が必要な職種の賃金が低い状態が続くリスクについては看過できません。

 

実際、学校図書館に司書が集まらず司書不在の公立学校も出ています。

これは、子どもの学力にダイレクトに影響が出る可能性が高く、私はとても危惧しています。

本旨ではないのでこれ以上は掘り下げませんが、同じような専門性の低下による長期的な影響が出る可能性もあります。

 

このような長期的な社会への影響を不安視した結果の、専門職が食えない状況への警鐘を鳴らしたいわけです。

 

しかし、私のツイートへの反応の多くは、「社会」ではなく「個人」の問題としての視点のものだったように思うのです。

 

「個」の話であれば至極真っ当

 

転職すればいい、もっと早い段階から稼げる職を見据えて進学就職すればいい。

 

個人の話としては、大変もっともなのです。

 

夫が同じように給与について苦しんでいたら、私は「食うに困るわけだし、転職したら?」と言うと思います。

息子が進路について悩んでいたら、内容だけでなくどういう職がどのくらいの給与かを検討するのを勧めるでしょうし、保育士になろうとしていたら「給料安いよ?大変だよ?」とクギを刺すでしょう。

 

個人の今の辛さをなんとかする、個人単位で生き延びるために選択をする、という視点に立てば、現状打開のために動くべきだ、転職すべきだ、稼げる職に就くべきだ、と言うのは至極真っ当な意見だと思うのです。

 

どちらも「真っ当」、だから噛み合わない

私は、「社会」の視点に立てば、長期的なリスクを考えると今の、特に専門職の賃金が低い状況はとても看過できません。それは、真っ当な意見だと自分では考えています。

 

そして、「個」の視点に立てば、なるべく稼ぎの良い職を選んでいくべきだという意見も至極真っ当だと思います。

 

どちらも、真っ当な意見だと思うのです。

どちらも、間違ってない。

でも、視点が違う。だから噛み合わないのだろうと思うのです。

 

似たような「視点の違い」

ネット上(とくにツイッター上)で、同じような噛み合わなさがたくさんあるなぁ、と思うのです。

 

例えば、夫の育児参加のことが話題になっているとき。

残業が多くて帰りが遅い夫の現状についての話題に関して

 

①今の家庭の中でどう動けばうまく対応して乗り切っていけるか

②残業が当たり前になってしまっている社会の問題をどう改善していくか

 

①は各家庭の話、「個」の視点ですが、②は社会問題の話ですね。

ミクロ視点とマクロ視点という言い方もできると思います。

この両方の視点がごちゃごちゃになった状態で議論が拮抗しているのを見ることが良くあります。

 

私自身もここを整理できずに発言していた過去があるなぁと自覚があります。

ツイッターでいろんな方とやりとりし、教えてもらう中でだんだん切り分けられるようになってきたと思います。

 

家庭の中の話だけではありません。

ハンディのある子の支援を必要とする、という話をするときにも

①今の我が子の状況と学校環境の中でどこで折り合いをつけて妥当な線を探るか、という個人の視点での話と、

②理想的な特別支援とはどんなものか、特別支援が十分に受けられる環境が整備されるにはどうしていくべきか、という大きな視点の話と。

 

ここを上手に切り分けでいないと、理想に取り憑かれて足元を見失ってしまったり、逆に個人のメリットを基準に全体に無理に当てはめようとして歪みが生まれたりしてしまうのではないか、と思うのです。

 

おわりに

最初に紹介したツイートへの反応は今も止まらないので、いつまで続くのかな〜と思いながらぼんやり眺めています。

同意の声や、代弁してくれてありがとうという声、反論の中にも参考になる意見もそれなりにあり、なるべく目を通しています。

ただ、中にはあからさまな暴言を寄せる方もいます。

ナイフの絵文字が付いている方もいらっしゃいました。殺意があるという意味でしょうか。

さすがに、暴言やそういう絵文字による脅しのようなものは匿名のツイートであっても一瞬怖さは覚えますね。

 

言葉遣いや引用RTの使い方などの相手への印象についても考えるきっかけになったツイートになっているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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