スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

産後のレスと「接触欲」

TLにRTされて流れてきたんだけど、「接触欲」という単語。

人間は誰かにぴったりひっつくと精神的に安定しますがそれって難しいよね、とかそういう感じのツイートでした。

 

これ、実感のある方も多いと思います。

おなかが痛いときに信頼する誰かにおなかをさすってもらったらちょっと楽になったとか、癇癪まわしてる子を抱きしめると落ち着くとか、色んなケース、色んな状況下で、色んな理由から、この現象は結構頻繁に日常生活の中で起こっているんじゃないかなと思います。

 

理由と言うのは、例えば大好きなお母さんに注目してもらえたと言う安心感とか、抱きしめられることで情報が遮断されるとか、ホルモンの関係とか、色々複雑に絡んでいるのでそのメカニズムを解析するっていうのは結構に難しいことなんだろうなとは思います。

 

今回注目したいのはそのなかの、性欲と絡む部分です。

 

私は、性欲のなかの一要素はこの「ひっつきたい欲」なのかもしれないなとこっそり考えています。そして性欲全体に対する接触欲の割合は、男性より女性の方が比率が大きいんじゃないかな、と。

 

女性の産後の性欲減退、それは小さい子を持つ夫婦間に起こりがちな問題を引き起こします。性欲が変わらない夫の要求に妻が以前のように応えずお互いに辛くなる、というケース。

 

これ、大きくふたつに分かれるな、と。

1.妻が拒否することで夫が不満を募らせ夫婦喧嘩が頻発するケース

2.妻が断固拒否で夫にストレスが強くかかるケース

 

※1 深刻なトラブルが起こっている、と想定するケースの話なのでもっと軽い感じでセックスレスになってる場合は違ってくると思います。

※2 もちろん男性側が拒絶するケースも少なからずあると思いますが、私はそれについての知識や経験がないので書けませんごめんなさい。

 

結論を最初に言っちゃうと、どちらのケースも結局は性欲の話ではなく相手へのコントロール欲の暴走、自分の状況に相手が合わせればそれで済むのにという単なる我侭。それはどこからやってくるかと言うと、相手を一人の尊厳ある人として見てないから。いわゆる、モラルハラスメントに近い状態と考えます。人により家庭により程度はさまざまだと思いますが。

1つめは夫から妻へ、2つめは妻から夫へのハラスメント、の可能性を秘めているのかなと思います。

 

じゃあこれをどうすればいいの、というのは性欲とはちょっと遠い話になるのかも。

過去のエントリでいうと

オットという他人に抱く幻想 - スズコ、考える。

夫への殺意の話、の裏話。 - スズコ、考える。

こんへんにリンクするかなと思います。

 

で。

とりあえず程度はそこまで根深くないけどとりあえず妻側の性欲減退が多少なり改善すればもうちょっとお互いの関係が前に近くできるようになるんじゃないの?とも思ったりもして、じゃあそもそも何で性欲が減退しちゃうのか、ということを色々と考えてみました。

 

「産後の授乳中はホルモンの関係で性的欲求が減退する」

これはよく見聞きすることなんですが、オキシトシンというホルモンの影響がどうも大きいようです。

オキシトシンには末梢組織で働くホルモンとしての作用、中枢神経での神経伝達物質としての作用がある。

末梢組織では主に平滑筋の収縮に関与し、分娩時の子宮収縮させる。また乳腺の筋線維を収縮させて乳汁分泌を促すなどの働きを持つ。このため臨床では子宮収縮薬や陣痛促進剤をはじめとして、さまざまな医学的場面で使用されてきており、その歴史は長い。最初は女性に特有な機能に必須なホルモンとして発見されたが、その後、男性にも普遍的に存在することが判明している。また、視床下部室傍核 (PVN) や視索上核 (SON) にあるニューロンから分泌され、下垂体後葉をはじめ様々な脳の部位に作用し機能を調節している。

 

オキシトシンの分泌調節はまだわかっていないことが多いが、PVNやSONでのオキシトシン合成量が、血液中へのオキシトシン放出と関係していると考えられている。愛撫抱擁などの皮膚接触性交渉による子宮頚部への刺激によっても放出されるため、『抱擁ホルモン』と呼ばれることがある。(参考オキシトシン - Wikipedia

 

分娩時の陣痛を促進する、また産後は授乳時や子宮を収縮させる等の働きを女性にもたらすホルモンで、皮膚の接触のときなどにも放出されているようです。

また、以前NHKの特集で見た記憶があるのですが、闘争本能を抑制する働きもあるとようです。結婚式に出席したり、産まれたばかりの赤ちゃんを見に集まったりと、誰かが幸せそうにしている場面に遭遇するときにも放出されるらしく、このホルモンで充足感、幸せな気持ちを得ることで闘争本能が抑制され、集団のなかでの紛争を抑制する効果があると考えられている、というような内容でした。

余談ですがこの番組を見て、結婚式を盛大にやったり、子どもが生まれた家で折々に親戚郎党が集まって宴会(初誕生や七五三等)を開くという習慣が昔から各地に根付いているのがなんとなく納得いったような気がしました。

 

私は、女性の性的欲求の要因、このオキシトシンの放出欲求と強く関係があるんじゃないのかな、と思ったんですね。「人肌が恋しい」ってやつです。

女性の場合男性と違って、セックスの目的の中に射精という具体的な結末みたいなのは別に無いじゃないですか。イクっていうのは近いところにあるのかもしれないけどでも男性のソレほど絶対無いと充足できないものでもない。

 

抱きしめられたいとか、人肌に触れたいとか、そういう「ひっつきたい欲」って女性の性欲にとって大きな要素を占めているような気がするんですね。

 

で、じゃあなんで産後レスになりやすいの、したくなくなるの、ってことに繋がります。

よく、こういうネタの記事や経験者の声として「疲れてるから」「寝たいから」ってあるじゃないですか。あれはもうほんと、その通りだと思うのですね。まず、そこだと思うんです。とにかく、乳児の世話で寝られない、一日中振り回されてる、疲れてる、だから「そんなことするより寝たい」が正直なところ。

じゃあ致したかったらそこを少しでもカバーできるようにフォローできるように旦那さんが家事育児参加の比率を増やしたり家電増やしたりして対応したら違ってくるかもね、と言うのが一つのステップ。

 

今回ホルモンのことに触れて突っ込みたいのは、その先。

奥さん、オキシトシンが十分出てませんか?と言うこと。

 

オキシトシンが放出される要素は上にもかきましたが、授乳中であることがまず一つ。そしてこれが見落とされがちな要素だなと思ったんですが、子どもと素肌がぴったりひっつく時間が長い、っていうこと、無いですか?

 

うちの末っ子は1歳で断乳したんですが、その後も3歳になる今も夜は引っ付いて寝たがります。不安だからなのかなんなのか、ぴったり抱っこして寝たがる日もあれば添い寝しつつ私の服に手を入れてあちこち触りながら寝る日もあり。

 

離れられるほど熟睡してくれるまで、幸せでもあり暑くもあり時に鬱陶しくもあり…

 

そんな状況で毎晩寝てるので、授乳してなくても夫にひっつきたい欲があんまり湧いてこないなぁ、と思ったんですよね。

でも最近、おちびさんも少しずつ親離れなのか、兄ちゃんたちと寝る日が出てきたり、私と少し離れたところで寝ちゃう日も増えたりで、ぴったり接触がやや減ってきて。そしたらなんとなく人肌恋しい自分がおりまして。

 

上にも書いたように、レスになる理由もオキシトシンが放出される要素も一様ではないので、こうだからこう、って簡単にリンクできることではないんだろうなとは思います。

 

でもレスで悩んでる旦那さんや、自分の性的な欲求減退で困ってるママさんがもしいたら、この「こどもと素肌がひっついてる時間、長いかも」は考える一つの要素になるのかなと思います。

もちろん、じゃあそれを減らせばいいって言うほど簡単なことではないんですよね。子どもにとっては母親との接触による精神的な安定は成長のために絶対必要なものだから。

 

でも、メカニズムがわかると少し納得がいったり、旦那さんを説得しやすくなったり、自分の気持ちがコントロールがしやすくなったりしないかな、という意味で、頭の片隅に置いておくと役に立つかもしれないな、と思います。ホルモンの影響だとわかればお互いに嫌な気持ちも薄れて相手への不満がつのらず育児が落ち着いた後もレスが続く、と言うことが無くなるかもしれないし。

結局「フル稼働」がダメなんじゃないかと思ったこと。

以前のエントリ


夫婦だけで育児なんかやっぱり無理ゲーでしたごめんなさい。 - スズコ、考える。

になんかたくさんのブコメやコメントを頂きまして、また色々と考えるきっかけになりました。

 

このエントリのなかで私は最終的に「誰かをどんどん頼ろうよ」というような結び方をしたのですが、書き終わってしばらくして、あれ?ってなったんですね。頭の中で。

 

というのは、私はこの話題について書こうと思った当初、ここに帰着させようと思ってなかったんです。脳の中でぐるぐる考えているときは、違うことを考えてて。

 

でもいざ書き始めたらあの日あの勢いで最後、あそこに落ち着いたのでした。

 

では私は当初、どんなことを考えていたのか。

 

違和感を自分の中でこねくりまわして改めて考えたところで出てきたのは

「家庭を「フル稼働」前提で回しちゃだめじゃないか」

ということでした。

 

「フル稼働」

 

これ、ここ数年の私の状態そのものでした。仕事と家事と育児と自分の趣味と色んなお付き合いと、全部含めて「自分の能力をフルに出してやっと回るところ」を限界点として設定して色々なことを裁いていたような気がします。

いや、設定すら出来てなかったのかもしれない。とにかく、目の前のことを猛ダッシュで片付けて、夜中にやっと一息ついてダッツる、そんな日々だったような気がします。

 

そして、これは上のエントリにも書いたんだけど

それこそが親としてあるべき姿、みんなそうしてる、そうしないといけない。

そして、そういう姿である私は頑張ってる

とどっかで思ってたような気がする。

 

でも。

 

子どもたちが大きくなるにつれて、物理的に手がかかるのではない形のケアが必要になったり、自分の精神状態に限界を感じることがあったりして、そこで「これじゃダメだ」と気づいて。

 

そしてじゃあ誰かを頼ろうとかちゃんと感謝しようとか、そういう風に自分をシフトさせていく方向に考えを改め始めたんですね。

 

そういう視線で自分や自分の周りを改めて考えたところ、問題点がどこにあるかというとそれは「誰かがフル稼働する前提で担うボリュームを決めちゃダメなんじゃないの?」ってこと。

 

息子たちの通う小学校の先生方、いつもとても忙しそうなんですね。

こちらが相談する時間をとっていただくのも申し訳ないほど、残業をされていたり日中もあわただしく作業されていたり。

 

役員の関係や息子たちのことなどで校長教頭先生方とお話することがたまにありまして、そのときにも「~~してあげたいけど手が足らないのが現状で」という言葉はよく耳にします。

先生たちが少数精鋭でフル稼働してることが前提の学校、それは子どもたちを預ける環境としてはやっぱり心配ではあります。ここに人員的な余裕ができればもっといろんなことが解決していくんじゃないか、と思ったりもしています。簡単ではないからこそ今の形で皆さん頑張ってくださっているのだと思うのだけど。

 

会社で仕事をしていても、ギリギリの状態でまわしているときはミスが増えたりギスギスしたり、なんかしんどくなることも多く。

ブラック企業と言われるところなんてその典型だよね。

 

家庭も、同じだと思うのです。

 

フル稼働になっちゃ、だめなんだろうなと。

いつも忙しくしてること、全力で頑張ることが日常になってること、それはやっぱり、色んなひずみを生んじゃうんだなと。とても当たり前なことのようなのだけど、改めてそれを感じています。

 

自分がフル稼働でいて精神的に疲弊してきちゃうと周りの「フル稼働せずに生きてる人」が妬ましくなったり、フル稼働でないことがおかしいという考え方にすらなっちゃうような、そんなこともあるんじゃないかなと。

 

人生の中で、フル稼働で頑張る時、って言うのがあること、そのメリットは否定しないです。頑張らないといかんときもあるし、頑張ったときにしか得られないものもある。

 

でも、それを日常にしてしまうと、自分が思っている以上に周りを困らせることになるんだろうなと思うのです。

 

というようなことを下書きに保存してそこから先が書けずにいたら、WMとして著名な治部れんげさんのこんなツイートが流れてきました。

 

この、つい思いがちな感情、私も思い当たるものがあるのです。

私が頑張ってることの成果、賜物、ついそう思ってしまって、突っ走っていた。でも本当は、いろんな人が支えてくれていたり、色々なラッキーが重なったりして乗り越えられてきていたに過ぎなかった。

これは、先日のエントリで私が白旗をあげた、その理由そのものでした。

大きな問題に遭遇することもなく、努力だけで何とかなっているような程度で済んでいただけだった、それが現実でした。

 

そしてその、努力してるんだという自負によって、ラッキーであることの自覚も、支えてもらえていることへの認識も薄いままだったと、痛感した結果が、前回のエントリの結末となった「人をちゃんと頼ろう」という結論でした。

 

フル稼働であること、それは「イレギュラーが無いという前提」と同義だと思います。

無いといいなと心のどこかで思いつつ、何事も起こらず過ぎていく運のよさに胡坐をかいている状態。その不安定さを標準に設定してしまうことは美談でもそれが親として当たり前でもなんでもなく、無理なことをしてるんですよ、子どものためにも自分のためにも周りのためにも良くないですよ、ということを、しつこくても何度でも表明し続けたいと、そう思うのです。

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