スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

発達障害、自閉症、多動…「かもしれない」と不安なときにまずできること

自閉症啓発企画へのいろいろな反応

なないお(id:nanaio)さん発の企画だった「世界自閉症デーコラボ2016」に私も1つ記事を書かせて頂きました。Twitterでのツイートをまとめたものや寄せられたブログ記事のまとめなど、なないおさんのブログ(うちの子流~発達障害と生きるに掲載されています。この企画に対するいろいろな声が、ブコメ欄やTwitter上で見られました。そのなかで私が気になったのが、啓発して広めようとする動きに対するものでした。

 

今回のコラボ企画やブルーライトアップのイベントなどによる「周知のための活動」で実際に発達障害自閉症、多動、などの言葉が周知されつつあることは私も肌で感じています。そういう広める活動の「弊害」という形で「うちの子発達障害かも…」と不安に感じてしまう保護者が出てくるのでは、という声が寄せられていました。

 

なないおさんに寄せられたその声のなかには、かもしれないと不安になった保護者が身近な知識を持っていそうな方にその不安を漏らして「〜〜ちゃんは大丈夫だよ」と言われて安心して…というエピソードが添えられているものもありましたが私はそこに不安というか、疑問を感じたんですね。それでいいのかな…と。

 

「大丈夫だよ」をかき集めていた頃

「もしかしたら…」と思っているとき、私もあちこちに「そうかもしれない」という不安を漏らした時期がありました。そのときに発達障害の専門家ではないけどそれなりの対子供経験のある職種の方や健診の保健師さんなどのちょっと頼れそうな方から「違うと思いますよ」「大丈夫だと思いますよ」と言われてホッとしたことがありました。

 

なぜホッとしたんでしょう。

 

それは、私が「この子は発達障害ではない」という安心材料がほしかったからです。大丈夫だと言って欲しかった。違うと否定して欲しかった。それをかき集めて私がただ安心したかった。

今になってみれば、それを求めて、そう言ってくれそうな人にそう言ってくれそうな形で不安を漏らしていたのかもしれない、とすら思います。

「かもしれない」恐怖…偏見や差別や将来に対する不安や悲観に押しつぶされそうで怖い。その怖さを払拭するために、違うと否定するための材料がほしかったんだと思います。

 

誰のせい?

子供の問題行動で悩んだり、保育園や子供たちの輪の中で他の子と違う行動をとる親が周囲からよく言われることがあります。それは「育て方が悪いんじゃないの?」とか「愛情不足なんじゃないの?」という言葉。発達障害の子供たちを育てる親御さんの中にはそんな周囲の言葉に傷ついた経験がある方も多くいらっしゃると思います。私もその1人です。実の親兄弟や親戚、学校関係者から言われたこともありました。

 

自分の何がいけなかったんだろう、と思い悩むなかでこんな言葉を浴びせられるのは本当に辛い。もし言われて辛い思いをしている方がいらっしゃるのなら「そんなことないよ」って言いたい。悩んでる時点で多分、愛情不足でも育て方が悪かったわけでもなかったと思うんですね。

ただ「育て方のせいじゃないか」という言葉、これ真っ向から全力で否定したいところですが冷静に考えるなら切り分ける必要があるんじゃないか、と私は思っています。なぜなら、要因と対策がごっちゃになっているから。

 

発達障害の要因

発達障害は生まれつきの脳の機能障害です。ですから「親の育て方が悪い」から引き起こされるわけではありません。どんな育て方をしていても発達障害の特性を持っていることは変わりません。「親の育て方」のせいで発達障害になるわけではないのです。

 

ただ希なケースとして、後天的に受けた虐待によって脳の一部に萎縮がおこり、その結果発達障害によく似通った言動を見せることがあるようです。これは被虐待児のケースなので混ぜて考えることはできないとは思いますが後天的な要因による問題行動のひとつの事例です。

 

もうひとつおさえておかねばならないこと、発達障害はオンオフの障害ではありません。グラデーションのように人によりその特性の様相は違っています。定型発達(発達障害ではない)人と発達障害で困難を抱えた人、という2種類しかこの世にいないわけではありません。その間には、発達障害の特性を持ちながらも気づくことすらなく自分なりに工夫をしたり失敗をそれなりに乗り越えたりしながら生活をしているたくさんの人たちがいます。(恐らくは私もそのひとりです)

 

発達障害とは「どんな脳みそを持っているか」という傾向のひとつでしかないのかもしれません。その傾向が環境など様々な要因の影響を受けて本人が困ったり、周囲が対応に苦慮したりすることになったときに障害として支援を必要とするのかなと私は考えています。

 

対策としての「育て方」「接し方」

どんな育て方をしても生まれ持った脳の特徴は変わりませんが「親の接し方で子供が変わっていく」のもまた事実なんですね。私が「接し方のせいじゃないのか」という心ない声を全力で否定できない理由はそこにあります。これは発達に問題のあるなしに関わらずどんな子に対しても言えること(当たり前ですよね)なのだけれど、特に発達に困難のある子には親や周囲の大人の接し方による影響を大きく受けやすいのではないかと私は思います。

「接し方のせいでそうなった」は否定したいし、その助言に隠された刃で手のかかる子の育児や心ない周囲の対応ですり減ったメンタルの保護者たちを刺さないで欲しいとも思います。でも「接し方を変えてみることで効果があるかもしれない」という対策という側面での「育て方」「接し方」。それを子供に合った良い方向に向けていくことは状況の改善のためにも子供の心を折れないように丈夫に育てていくためにもとても大事なことなんです。

 

怖くてもいいから、まずできることを

発達障害かもしれない、という不安から色々な情報をかき集めているときにここにいきついた方もいらっしゃるかもしれない。心の中の不安や怖さをどうする?乗り越えていくのかどうなのか。でもいつでも乗り越えられるわけじゃない。逃げたい時期には逃げればいいし、背を向けてもいいと思う。立ち向かえる強さを持ってないときにはそうしないと自分を守れないし、不安が募り過ぎているだけでもしかしたら発達障害ではない可能性だってある。

 

でも、そんな道が見えず困っているときでもできることがある。

今日のエントリの本題にやっと辿り着きました。

 

できるところからやってみよう

私がいままで見たなかで、幼児の段階から一番取り組みやすいのはこれかなと思います。

発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉かけ (健康ライブラリー)

発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉かけ (健康ライブラリー)

 

最初に手に取ったときには息子がかなり大きくなってからだったので「もっと早く出会いたかった!」と思った一冊。読み込んでから似たような子を持つ知人に譲りました。

 

この本を読んでまず思ったのは「これは発達障害の子以外でも使えるぞ!」ということ。発達障害の子に対する声かけや対応の仕方をまとめた本はたくさんありますが、その多くは実は定型発達の子にもかなり有効だったりします。

 

発達障害」だからこういう対応を必要とする、というわけではないんですね。本当はどんな子にもそういう丁寧な対応が有効なんです。発達障害ではない子たちは大人がちょっと手を抜いても間違った対応をしても子供の方がそれなりに受け流したりして過ごしてくれているだけなのかもしれませんが、発達の仕方に凸凹があったりする発達障害の子供たちはそんなに上手に大人の行動に対処することが難しい。

 

以前、トピシュさんが取り上げて話題になった本がありました。

この中で紹介されている学研のヒューマンケアブックスの中には「自閉症の子どものためのABA基本プログラム」シリーズがあります。

このシリーズも「自閉症の子どものため」と銘打たれていますがトピシュさんも書かれているように自閉症の子に限らずお子さんの育て方で悩んだときに役に立つ接し方がまとめられています。

 

声かけの仕方で以前ネット上で話題になったのは楽々かあさんこと大場美鈴さんの声かけ変換表かなと思います。

このサイトの「支援ツールのシェア」の中に「声かけ変換表」があります。

 

同じように子供への声のかけ方について私が過去に何度もこのブログで取り上げた本があります。

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

 

小学校より上くらいの子供への接し方を細かくレクチャーしてるこの本。この本は発達障害に特化した本ではありません。我が家の4人の子供たちは定型から支援の必要な子まで色々ですがどの子にも応用ができる内容になっています。

 

おわりに

お子さんが発達障害かもしれない、違うかもしれない。そのグレーな時期を親としてどう過ごすのかは生い立ちや性格、置かれた環境によっても様々なんだろうなと思います。でも親がどんな気持ちだろうと、前に進めず立ち止まっていようと、子供は子供の置かれた環境のなかで毎日を過ごしているんですね。親の心が揺れてても、立ち止まってても、子供たちはその間も成長を続けてるし、親が「障害かもしれない」と悩むような現状のなかで困難に直面しながら生き続けてる。だから、発達障害だからこうしないといけない、という前の段階でとりあえず、どんな子にも有効で簡単にできる手段をまず試してみることから始めてみたらどうかな、と思うのです。

 

その先でお子さんが成長とともに落ち着いていくかもしれないし、やっぱり発達障害だったということになっていくかもしれない。どうなるかなんて専門家にもそう簡単にはわからないことだから、とりあえずおうちの中からできること、周囲の大人に少しの配慮をお願いすればやってもらえそうなことから始めてみてはどうかな、と思っています。

 

そしてその先で、発達障害としての支援を考えるところへ保護者としての気持ちが向いてきたときにはなないおさんのブログがきっと役に立つことと思います。

どこに相談したらいいか、どんな手順を踏んでいくのかが丁寧に書かれています。地域差もあることなのでなんでも当てはまるわけではないですが、見通しを立てるための役に立つんじゃないかなと思います。

 

もし発達障害じゃなかったとしても、ここに書いて来たような声のかけ方や接し方を子供に合わせて使うことはきっと役に立つ。前に進むのが辛くても、その場で立ちつくさないで足踏みするだけでもちょっとずつ変化があると思うんですよ。


おまけ。

「かもしれない」ときに悩まなくてもいいような、違うと否定しなくてもいいような、そんな社会になっていくこと、それが叶えばきっと「育て方が悪い」とか「親のせいで」とか言われて傷つく人も減っていくんだろうなと思います。

そこを目指して自分ができることはなんだろう、というのが私のテーマでもあります。

でもまだまだ社会がそこまで整ってないから迷ったり戸惑ったり立ち止まったりしてしまうこともあると思う。今回はそんな不安な気持ちに寄り添えたら、と思って書きました。

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