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「やる気が無いなら帰れ」考 〜当該保護者や学校関係者にお話を伺いました①

数日前からTwitterTogetterまとめで話題になっていた、担任から「やる気がないなら帰れ」と言われて本当に帰って来てしまった息子さんのエピソードを書いたふみきちさんのツイート。

 

 

まとめ記事ではコメント欄でのやりとりが加速し、閲覧数やコメント数、Twitterなどのリンクもかなりの数になっていて、特定の人たちにとって関心の高いトピックだったことが伺えます。

 

今回はツイート主であるふみきちさんに保護者としての立場から、また複数の学校関係者の方からも情報を頂いたので、「教員が生徒に『やる気が無いなら帰れ』と発言すること」についていくつかの視点から考えてみたいと思います。

 

「ふみきちさん」のこと

今回保護者としてお話を伺ったふみきち(id:fumikichi2525)さんは、はてなでお子さんの発達障害についての経緯などを書き綴られているブロガーさんです。

私とはTwitterでも相互フォローの関係にあり、以前から親しくさせていただいています。ふたりの息子さんの発達障害についての知識や経験の深さから、私も子供たちのことで困った時にはよく個人的にお話を聞いて頂いたり、相談させてもらったりしている方です。

 

今回の「やる気が無いなら帰れ」のシチュエーション

まず大前提として、今回担任が発言したシチュエーションを共有しておく必要があると考え、ふみきちさんにお話を伺いました。

 

ふみきちさんの次男さんは発達障害で支援を必要とするため、現在は公立中学校の支援学級に在籍しています。事が起こったのは夏休みの登校日。通常の授業の日ではなく、支援学級の子たちのクラブ活動のために用意された時間で、宿題のチェックや体育指導など、補習のような学習日だったようです。(※欠席のときは必ず連絡を入れるよう指示があったようです)

 

この当日の活動の中の室内運動の時間中に、暑かったこともあり機敏に動けていなかった次男さんに対して担任が発したのが「やる気が無いなら帰れ」という発言でした。

 

その発言を受けた次男さんは自主的に下校、本来の下校時間よりかなり早い帰宅となったので異変に気づいたふみきちさんが次男さんに話を聞いて、この担任の発言があったことがわかったようです。

 

この発言を受けて、母親であるふみきちさんは発達障害の次男さんが将来的に同じようなことを言われる場に遭遇したときにどう対処していくよう教えていくべきなのかについて思い悩んでおられました。

 

発達障害だから」帰って来てしまったのか

Togetterまとめ記事の中でも争点になっていたようですが、今回のこの「帰れって言われたから帰って来た」案件は発達障害児だから起こったことなのでしょうか。

 

ふみきちさんが次男くんがについて相談している専門の先生に相談されたところ「発達障害は関係ないと思う」と返答があったそうです。その担任の先生だから帰って来た、状況によっては次男くんはおそらくは帰らないことも選べたと思う、と。

 

次男くんはおそらくは「言葉をそのとおり受け止めてしまった」から帰って来たのではなく「帰れ」と言われたことで帰るという選択肢ができたのでそちらを選んだ、と考えられるのではないかと思います。

 

もちろん、発達障害の特性の出方によっては相手が言った言葉をそのまま受け止めて「帰るよう指示された」と理解して帰ってしまうケースもあるかもしれません。が、発達障害児(者)だから言外の意図が汲み取れなくて帰ってしまう、というわけでは必ずしも無いのだろうということがこの先生とのやりとりからはわかります。

 

私自身も特性を自覚して生活していますが、「やる気が無いなら帰れ」と言われたとして相手が本当に帰れと言っているわけではないだろうということは理解できます。また、うちの特性のあるうちの子たちもサッカークラブの指導の中で実際に言われた場面で帰らない方を選んだと聞いたこともありますし、逆に帰って来てしまったこともあります。

 

「やる気が無いなら帰れ」と言われて本当に帰ってしまうことは「言葉通り受け取ってしまう」という特性だから、ではないのかもしれません。

 

発言を受けても「帰れなかった」人たちの存在

あえてリンクは貼っていませんが、ふみきちさんのツイートを発端とするTogetterまとめではかなりの数の方が担任の発言に怒ったり、実際に言われたという自分の過去を振り返ったりしておられました。たくさんの方の琴線に触れるトピックであったのだろうと思います。

 

なぜそんなにたくさんの方の琴線に触れたのか、なぜ炎上したのか、その答えを紐解く鍵が「発言の意図をわかった上で帰ることを選べなかった」方がたくさんいらっしゃることにあるのではないかと思います。

 

発言者が想定しているであろうやりとり

「やる気が無いなら帰れ!」という発言をする指導者が想定しているのは、恐らくはこういうやりとりです。

 

「やる気が無いなら帰れ!」

 

「いえ、やる気はあります!」

「じゃあもっと見せてみろ!」

「はい!」

or

「すみません、がんばります!」

「よし!」

 

で、生徒が自主的にやる気を出して頑張る

 

そうやって突き放すことで相手の意欲を高める方法、としてこの手法が便利に使われてきたのかもしれません。

 

教育現場や職場で長く使われてきた過去とその背景

話題にしやすいトピックなのでしょう、以前私もハーネスのことで話題にしたことのあるテレビ番組の討論コーナーでも取り上げられていたことがあったようです。

この中では

「『上司の頭が冷えるまで』とか言う前に、なんでオマエが怒られたんだ? っていうところだろ!」
「絶対的に言えるのは、帰っちゃダメなんだよ! 何があっても仕事中に帰ったらダメ」

筆者もこれにまったく同感である。確かに本来は、スマホで何をやっているのか聞き、その答えに応じて具体的な注意をするのが理想かもしれない。しかし「やる気がないなら帰れ!」という言葉の揚げ足取りをする前に、そもそもの怒られた理由を考えないのはなぜなのかと首を捻ってしまう。

「今の時代なら上司が悪い」「『帰れ』って言われたら帰る」
「『帰れ』って言わなくても(いいと思う)何がダメでどうしてほしいとか言われれば、頑張るんですけど」

「帰れ」という言葉をそのまま受け取ってしまう人は、素直で良い部分も多々あるのかもしれない。しかし「この人はつまり、何を言わんとしているのか」と、状況から想像する努力を放棄しているともいえるのではないだろうか?

これは学校現場ではなく職場を想定しているのでイコールで語ることはできないのですが、「やる気が無いなら帰れ」という言葉は「何がどうダメでどうすればいいのか」を端折るために便利に使われてきたことがわかります。それを相手に働きかけて汲み取ろうとするのは言葉を発する上司の側ではなくて、教えを乞うべき部下の役目だと考えていることも透けて見えます。

 

この言葉がたくさんの方の記憶にあるようにこれまで学校を始めとする指導の場でも便利に使われて来たのはその、「教えてあげる側」である上司(教員)と「教えを乞う側」である部下(生徒・児童)の関係性が前提としてあること、双方がその力関係を理解して(もしくは抗えずやむを得ず受け入れて)いるからこそ成り立っていた言葉だったのかもしれません。

 

人間関係の変遷と価値観の変化

前述の記事の中にもあったように、今の時代には即さない言葉になりつつあるのを感じている方も少なからずいるのではないでしょうか。記事の中でも街頭調査では「帰る方が悪い」と答えた人の方が多いのですが、上司の叱り方が悪いと指摘した層の大半は若い人たちの声だったようです。

 

ふみきちさんのツイートが使用されたまとめ記事が炎上した背景には、この若い人たちと同じように「叱り方に問題があるのでは」と思っている方が多かったことが考えられます。私もふみきちさんのツイートをTLで見たときにはまずそれを思いました。

 

なぜそう感じるのか、その理由は、前述した人間関係の変遷にあるのではないかと考えます。

かつてのような絶対的な権力者・必ずつき従うべき歯向かってはならない存在としてのトップ(上司・先生・担任)と、従順に教えを乞うべき存在(部下・生徒・児童)という人間関係が既に崩壊しつつあること、特に学校現場では既にその力関係を利用した指導をすることは否定されてきている状況があります。

 

学校の中では教員は君臨する君主でも入門希望者が教えを乞うて集まる偉人でもなく、寄り添い指導する責務のある立場です。

児童や生徒は下僕でも先人に教えを乞う入門者でもなく、個々に寄り添った指導を受ける権利を持つ立場です。

 

まとめ炎上の背景

絶対的権力者である教員が「何を想定してそれを言っているか」を汲めている以上、たとえ表出している言葉が「帰れ」であってもそれに従ってならないぞという空気に歯向かうことはとても難しい。腹の中に不満を溜めつつ、理不尽だと思いつつ、教員の「言外の意図」を尊重することを選ばざるを得なかった、その鬱屈した感情、過去の記憶が、あのまとめ記事が多くの方の琴線に触れることになった背景にあるのではないかと思います。

 

分かっていても帰ることを選べない空気があったこと、それが苦痛だったこと、教員に対して理不尽だと不満に思った記憶があったこと、それらがマイナスの記憶として残っていること…。その記憶の蓋を開けたことが、あのまとめのアクセス数の多さとその中でわき起こっていた「担任が悪い」という流れの理由だったのではないかと思います。

 

「空気を読まない」特性と、読まなくてよくなっている空気

発達障害の特性がそう強くない方の多くは、場の空気を読んで自分の行動を選ぶことを自然と行う習慣が身に付いています。教員がたとえ言葉の上でも「帰れ」と提示して「言葉通りに受け取って帰る」ことが自分の中に選択肢として現れたとしても、明らかなヒエラルキーが存在する環境の中であえてそれを選ぶことはおそらくはそう簡単ではないはずです。「当然帰らないよね?」という空気を感じたときにそれに抗うことは多分とても難しい。

 

また、先の見通しを立てることに長けている人はその抑圧を受けた段階で当然「帰った時にどうなるか」が想像できるでしょう。相手をより怒らせて事態がめんどくさくなってしまう、それならここで折れといた方があとあと楽、という見通しを立てることができる。しかし、発達障害の特性のなかでその「見通しを立てることが極端に苦手である」という困難を抱えている人たちも少なからずいます。

 

発達障害ゆえの特性が発動するのは実はそこらへんなのかな、と考えています。

 

発言の意図を汲めないのではなくて、「帰れ」という選択肢が自分の中に存在した時に周囲の同調圧力に抗わずにそれを選ぶことに抵抗が少ない、そういう種類の「空気を読まない」特性、プラス「今帰ったらあとあとよりめんどくさくなる」という見通しを遠くまで立てるのが苦手という特性が発動されたときに、目の前の面倒な状況よりとりあえず帰ることを選んじゃう、という発達障害者(児)らしい行動が出てしまう。それが、ふみきちさんが懸念していた「空気を読まず行動してしまう」の正体なのではないかと考えています。

 

そして、前述したとおり学校現場での教員と生徒の人間関係は確実に変化しています。トップダウンでの指示ではなく、自分たちに寄り添った指示、その環境にいることに馴染んでいる子供たちにとっては、一部の教員が醸し出すその絶対的権力を利用するような空気を読む必要はなくなりつつある。

 

それでもふみきちさんが懸念するように、変わりつつあるといってもまだまだ社会のなかには蔓延している環境もあります。学校の中でも、また今後社会に出ていった先でも「やる気が無いなら帰れ」という発言をする人に出会うかもしれません。そのときにどうしていけばよいのか。

 

長くなったので一旦ここで区切って、次の記事では公立学校での現状と、将来的な対処についてふみきちさんや学校関係者の方に伺ったお話をまとめます。

「やる気が無いなら帰れ」考 〜当該保護者や学校関係者にお話を伺いました②

前回の続きです。

 

おさらいすると…

「やる気がないなら帰れ」という発言に悩むふみきちさんのツイートを発端として、その言葉を受けて本当に帰ってしまうことと発達障害の関連、またなぜその言葉がたくさんの方の琴線に触れたのかについて、ふみきちさんとの会話を元に色々と考えてみました。

 

 

 

今回はその続きとして、今の学校現場でこの「やる気が無いなら帰れ」という言葉を教職員が発したら、というお話や、ふみきちさんの息子さんをはじめ発達障害特性ゆえ本当に帰って来てしまいかねない子供たちがどう対処していけばよいのか、ということについて、ふみきちさんや学校関係者の方などにお話を伺った内容をまとめていきます。

 

学校でその発言が出たら…

現役で教員をなさっている方と、自治体で支援に関わるお仕事をされている方にお話を伺ったところ、お二方声を揃えて「NGワードだ…」と仰っていました。

 

未だに言っている先生もいるだろうけど、という前置きがあった上で、今の学校現場では「帰れ!って言ったら本当に帰るから、帰れとは言わないようにしている」「下手な指導の例として笑い話のネタになっちゃう感じ」のだそうです。

 

地域性や学校単位での校風の違いなどにもよるところが大きいかもしれませんが、お話を伺えた関東首都圏の公立小中学校勤務経験のあるフォロワーさん曰く、もし学校のなかでその発言が出たら職員室は大騒ぎになる、発言した教員には指導が入る、と仰っていました。

 

また、支援担当のお仕事をされている方も「教育委員会側も『帰れ』『出て行け』という言葉は子供の教育を受ける権利を奪うことになるから言ってはいけない、と話しているはず」と仰っており、教育現場では「帰れ」というワードそのものが禁止事項だという概念が広まりつつあるようです。

 

もし本当に子供が帰ってしまったら…

教員の「帰れ!」発言に乗っかって子供が自主的に下校してしまったらどうなるのかも伺ってみたところ「普通は校長室呼び出し案件」との返答を頂きました。

 

まず下校予定時間より前に子供が学校を出ているという問題。もし教員の「帰れ」発言があってもなくても、本来学校に居るはずの時間に子供が学校を出たことが分かったら教員はまず保護者に連絡、その後他の教員と連携して所在を確認、また学年主任や管理職に報告、という手段をとらねばならないのではないか、と現役教員さんのお言葉。

 

もしご自身の学校で「帰れ」発言のあとに不在→帰宅となれば学年主任や管理職と一緒に自宅まで謝罪に伺うような案件ではないか、とのことでした。

 

私の子供たちが通う学校でも、災害など緊急時の対応について学校の先生方と話した事がありましたが、児童を下校予定時刻より早く帰宅させるときは必ず担任が電話で保護者の在宅を確認し、同意を得てから下校させねばならないことになっている、と聞きました。

 

今回のふみきちさんのケースのような、通常の学校運営が行われている日ではないある種イレギュラーな登校日にそのルールが適用されるかどうかについては判断が難しいところだろうとは思いますが、本来の下校予定時刻より早く学校から出ているのを把握していても保護者に連絡が無かった点についての問題点は指摘されても仕方ないのではないか、と思われます。

 

先生に一極集中していないか、という懸念

ここまで読んで頂いた所で、今の学校の先生に過度の負担がかかっているのではと感じられた方も多いのではないかと思います。それは私も感じていていることですし、ふみきちさんご自身も想定されていることで、だから「教員が悪い」「指導の仕方が悪い」で一蹴できる問題ではないのではないのではないかと思います。

 

あの話題になってしまったTogetterのまとめ記事では「先生の指導力の無さ」に話が集中しているようにも見え、まとめに使うツイートの選別の仕方や編集方法からもその意図が垣間見えるような気がしました。

 

ただ、そこを責めても何も変わらない、むしろ担任個人を攻撃して余計疲弊させてしまうことにもなりかねない、とも思います。

 

ふみきちさんご自身もその流れを懸念され、こんな風にツイートされていました。

 

担任の先生がどんな背景があってあの「やる気が無いなら帰れ」というNGワードを口にしてしまったのかはわかりません。そういう思想がもともとあって日常的に言っているのかもしれないし、他に言葉を見つけられないほど切羽詰まって言ってしまっているのかもしれない。

どちらにせよそこをピンポイントで責めてもふみきちさんの息子さんの環境が良くなっていくことには繋がりません。学校の環境全体を、教職員のみなさんの就業環境をよりよくしていくべきだというマクロな視点と、ふみきちさんや次男さんにとって自分の目の前の困難とどう向き合っていくかというミクロな視点の双方が必要になってくるし、保護者としては先ず子供にとっての目の前の課題、ミクロな対応を優先して行くことになろうかと思います。

 

ふみきちさんの見つけた「こたえ」

複数のフォロワーさんたちとの会話や次男さんのことを相談している専門家の先生への相談からふみきちさんが見つけた3つの答えを教えてもらいました。

 

1、その場で確認する

言葉から相手の意図が見えなかったりしてその場の行動を決められない、という状態に陥ってしまったときの対処法、佐川・抜け首・なん ‏@nankuru28さんのアイデアです。

 

リスクとして、「おちょくってるのか!」とかえって相手を怒らせる可能性はゼロではないなぁとは思います。が、それで更に怒る人、というとそこである種の人付き合いを考える線引きができるかもしれない、という見方もできるかもしれません。

 

2、先送り&リカバリー

こちらは 寺島ヒロ @terashimahiroさんのアイデアです。 

 

この先送り法は私にとってとても画期的な方法に感じられました。

自分や子供たちのソーシャルスキルの向上のためにどんなトレーニングをしていくべきか、と考えたり情報を集めたりするとき、ついその視点が「その場をどう繕うか」に集中していたような気がするのです。定型発達の人と同じような行動がとれるようにどう繕えばよいか、定型発達の人の輪のなかで浮かないようにどうすればよいか、いつもそんな視点で考えて来たような気がします。

 

でも、そうではなくてよかった、それを教えてくれたのがこの寺島さんの方法でした。

 

今この場で答えを出さず、落ち着いて自分のペースで考えてからリカバリーすれば人間関係が大きく崩れることはない。たしかに、人間関係ってその場限りではないことのほうが多いんですよね。一度失敗しても誠意を持ってあとから働きかけて関係を修復することもできる。そしてこれに対応してもらえないなら関係の継続は難しいという判断指標にもなるのかなと。特性のある自分を受け入れてもらいながら関係を続けられる人というひとつのフィルターになるのかもしれません。

 

 

3、 その環境そのものから離れる

「やる気が無いなら帰れ」と発する人そのもの、その人の存在がある環境そのもの、そこから離れるのがベストではないか、というのが、ふみきちさんが相談をされた専門家の先生の助言です。

 

そんな甘いことが言ってられるのか、と言われるかもしれません。でも私も、これがもっとも次男さんにとっても、「やる気が無いなら帰れ」と言われて辛い思いをした過去のある人にとっても有効な方法なのかもしれない、と感じました。

 

自分が属している環境そのものを自分が変えていくというのは簡単な事ではありません、リスクも大きい。

でも、自分が属する環境を選ぶことはできる。

 

この視点を持っていること、合わないなら違う環境を求めて離れることは何も悪いことではなく、むしろ発展的で自分のためになるのかもしれないということ。それを知っておく、周囲から肯定されておくことのメリットはとても大きいと思います。

 

「帰れ」という言葉が出ない環境に身をおくこと、職場で言われたら退職を考えてもいい、とふみきちさんは療育の先生から言われたそうです。

 

学生の身分で環境を変える、避ける、というのはそう簡単ではないかもしれません。が、そういう道もあるのだ、それは選んでもいいのだ、と知っておくだけでも救いになってくると思うし、いずれ進路を選ぶときの指標にもなるのかもしれません。

 

3つの方法すべてがふみきちさんの息子さんに有効か、即効性があるか、というとそれはまた別のステップになるのだろうと思いますが、この策を含めていろいろと試行錯誤しながら本人にとってベストの方法を見つけていくことになるのだろうなと思います。

 

 

おわりに

ふみきちさんや学校関係者のお二人、またいろいろなフォロワーさんたちからたくさんのお知恵をお借りして、今回の記事を書く事ができました。

ご協力いただけたみなさまにこの場をお借りして改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

「やる気が無いなら帰れ」と言われたらどうしようか、これは私も、うちの子供たちにとっても他人事ではありません。田舎ゆえ、私たちの周囲にはまだまだこの言葉が実際に出てしまっているのを見聞きすることも日常的にあるのが現実です。

 

本当はこんな言葉が死語として消滅してくれたらいいのに、と思っています。でもそれは私がコントロールできることじゃない。

 

私も、子供たちも、たくさんのこの言葉で傷ついたことがある人たちも、その人なりの対処法を模索しながら少しでも穏やかな暮らしが続けられることを願ってやみません。

恐らくは時間が経過すればするほど、この言葉の効果は過去ほど得られなくなっていくはずです。師弟関係が明確な場以外では通用しなくなる日もそう遠くない。この言葉に頼って指導をしている人たちがそうではない、より相手に伝わりやすい方法を見つけられたらいいなぁとも思って居ます。

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