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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

子供たちに与えてきたものと、奪ってしまったかもしれないもの。


おはようございます。スズコです。

先日の記事のアクセス数がなんだかいきなり伸びていて何が起こったのかいまいち分かっていないのですが、今日はその続きみたいなことをちょっと書こうと思います。

 

1つ目のエピソードは、中学生のお子さんがいる近所の先輩ママとの立ち話の中で聞いたことです。「部活のお世話が大変なのよね」とママさん。お子さんは私が20年まえに卒業した中学校に通っています。こんど遠征するときのお世話の当番になっていると。

彼女から聞いたタスクの内容はこんな感じです。(生徒数20名弱の運動系女子のみ)

・遠征のための大型バスと運転手を手配する。

・前日までに部員の昼食用コンビニおにぎりを人数分予約する。

・当日朝、コンビニにおにぎりを取りに行き、6時半の学校出発に間に合うよう顧問に届ける。

・保護者は自家用車に乗り合って試合開始に間に合うよう現地へ赴き、ドリンクなどの手配をする。

 

え?でした。

自分が同じ年齢の頃どうしてたかを振り返ったんですね。

同じ学校の同じような部活だったのだけど、私たちの頃は自分でおにぎりを買ったり作ったりして昼食を用意して出かけていた記憶があります。母親に作ってもらった記憶はあまりなくて、たまにそうやって買えるコンビニおにぎりがなんだか新鮮だったのを覚えてます。

遠征に行くのは保護者の車を出してもらったこともあったかな、大抵は何処へ行くにも公共の交通機関を使っていました。鈍行で2~3時間立ったまま揺られてふらふらして、同じ目的地まで行く剣道部の先輩が道具の上に座らせてくれたことも。

20年という時間の中で、何かが少しずつ変わっていまに至っているのだろうなと思います。それを、ただ「過保護すぎる!」と非難するつもりはないんですね。多分、いろんな理由や個々の事情や実際に起こったトラブルや、そんないろんなことの積み重ねで少しずつ改変していった結果だと思うので。

 

ここで、もう1つのエピソードにいきます。

舞台は大きく飛んで、ニュージーランド南島のオットセイの子供たちのお話です。

子供たちが毎週録画している番組の中にNHKの「ダーウィンが来た」という番組があります。動物たちのドキュメンタリー番組で、最近発見されたことや研究結果など割と新しいことをちゃんと取り入れて科学的な視点で作られているので面白く、気に入ったものは子供たちが何度も再生していたりします。

その中で、オットセイの子供たちの観察記録の回がありました。

昨日それをまた子供たちが見ていたのですが、家事をしながら一緒に眺めていました。

ニュージーランドの保護政策のおかげでオットセイは数を増やし、磯にはたくさんの子供たちが溢れていました。お母さんは授乳するための栄養を得るため、沖に出て餌をとり続けます。(あまちゃんのOPが流れるのがNHKらしくていい感じです)

母親に置いていかれた子供たちは磯で遊ぶのですが、なんせ狭い。沖には天敵のホオジロザメがいるので危険。そこで子供たちは、川をのぼることを覚えました。河口からどんどん上流へ、浅い川を登っていきます。かなり切り立った岩場も器用にのぼり、かなり上流の森の中にある滝壺までたどり着きます。そこにはたくさんのオットセイの子供たちが。

 

その姿を眺めながら、水族館で芸をしているオットセイとの違いをふと思いました。

安全で管理された環境の中で、栄養価の高い食事を適度に与えられて、健康状態や精神状態をチェックされながら必要なレクチャーを受ける。。。

あれ?これ今の子供たちと同じじだなぁ、とぼんやり考えていました。

森の中には天敵がいないので楽しげに遊ぶ子供たち。画面には嵐で増水した川のなかでもその濁流を流されつつも楽しむオットセイの姿が。そこで画面は川遊びをする人間の子供の映像に代わり「子供たちは遊びの中でいろんなことを覚えていくのですね」とナレーション。

野生のオットセイは安全な環境で自由に遊んでいた昔の子供たちなのかなぁ、今の子供たちは飼育下にある動物と同じなのかなぁ、そう思うと、飼育下の動物たちの不妊や育児放棄の問題が、人間界の問題と無関係ではないような気もしてくる…いやそんな悲観的になることでもないんだろか。

 

そう思いながら、上の2つのエピソードと、先日の記事がなんとなく頭の中でリンクし始めました。

 

デフレのメリットとして、貧困であることが目に見えづらくなった。この恩恵は非常に大きい家庭もあると思います。子供たちは昔の母のように、教室で肩身の狭い思いをすることも、施されて引け目を感じることも、貧乏だといじめられることもあまりない時代、心が傷つかない、いい時代になっていっている側面も大きくあると思います。

でもその裏側で、モノがあふれること、貧困が一見してわからないこと、そのそれぞれのデメリットもまた、これからじわじわと湧いてくるのではないかと子供たちと接していてなんとなく感じています。

 

中学校の部活の件も、子供たちを負担や危険などから回避するために選んできた手段かもしれないけど、それは裏側では子供たちに自力で出来ることをやる機会を奪っているのかもしれない。(※これに関してはうちの子が中学生になってからまたいろんなことが見えてくると思うので今はあまりいろんなことは言えません)

 

オットセイのエピソードから見えることもそう。

子供たちのためにと整備されたこと、毎日の食事、親の負担、それらは全て、子供たちのためによかれと思ってみんながやってきたこと。子供たちの安全のために、死なないように、行政や親たちがやってきたこと。でもそれが整ったいま、子供たちはそれと引き換えに失ってしまったものもたくさんあるのかな、と。

 

じゃあ簡単に、昔に帰ればいいなんて簡単な話ではないよね。

田舎暮らし万歳、自然な生活万歳、みんな都会を捨てて田舎でローライフを!なんて話ではなくて。(いや、それを望んで実践してる方は素敵と思うの、ただみんなそうしよう、じゃないの)

いま、もう都市の中に子供たちが存在してる。物質的に豊かな時代に子供たちが生きてる。それを、私たちが今ここで育ててる。(うちはかなり田舎な方だけど)

その中で、知っているだけでも違うんじゃないかな、と思うからブログに書きました。答えは、それぞれがそれぞれの暮らしの中で見出していくしかないと思うから書けない、わかんない、それが本音です。

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