スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

私が「息子に家事を仕込む」ことに抵抗を感じた理由。


前回の

息子に家事なんか仕込まないぞ。 - スズコ、考える。

のブックマークが気づいたら200を超えていてビックリしています。

タイトルが悪かったんだよね、夜中の勢いでダーっとかいてつけちゃったのが良くなかった。あれで変なふうに受け取られちゃってちょっと失敗したなぁと反省しております。

 

で。

たくさんついたブクマをざざっと流し見ていた中で気になったことを、今日は書こうと思います。

 

まずたくさんの方が指摘されていた「自立するための最低限の家事は必要でしょう?」ということ。

うん、これはホントそうと思う。そしてそれは私の中で当たり前すぎて改めて書く事すら思いつかなかった。

というのも、うちからは自宅から通える範囲内に大学や短大、専門学校はありません。なので、地元の子は高校を出たら通学や就職で離れていく子がほとんどなんですね。私自身は高校から県外に出ましたが、周りのほとんどの子たちは18歳で自宅を出て一人暮らしや寮や下宿暮らしをすることになります。

そんな環境で育った私なので、うちの子たちも高校を出たら家を出る、と思っています。うちの子たちにとっては親元にいるのは高卒まで、そこからは一人で暮らす、という前提で育てているので、家事を全く教えない、というのは念頭にありませんでした。あ、でも全部教えるっていうのは無理だからそれなりに教えるからあとは自分で適当に身につけてね、という程度のゆるさではあります。

でも全国的に見たらそうじゃないんだよね、これはホント、うっかりしてました。

 

じゃあ教えるのに仕込まないってどう言うこと?と思われるかもしれません。

なので、私が「仕込む」という言葉やそれが出てきたであろう背景に感じた感情について書こうと思います。

 

私は「いい大学を出て経済的に安定した職を得、同じような有能な公務員か大企業に勤める跡取りではない男性と結婚すること」だけが幸せへの道だ、という母の言葉を浴びながら育ちました。それ以外の道に行くことは不幸せだ、親不孝だ、と。

なので、母の理想の娘となるべく一生懸命勉強し国立大学へ行きましたが、途中で爆発して母から逃げ、母が大反対した相手と結婚するに至りました。

今で言うところの、毒親というやつだったのかな、と振り返ってみて思います。思い返せば、母が私に命じた女性像は彼女自身のコンプレックスそのものでした。貧しさゆえに上の学校に上がれず高卒で働き、職場でいじめられ、父と結婚したものの長男で家業を継いだ自営業の父との暮らしは苦労の連続だったといつもこぼしていました。収入が安定せず趣味に飲みにと出歩く父との暮らし、舅姑との同居、等々、彼女が辛く苦しいと思ってきたことを娘に背負わせまいという気持ちだったのかなと、今は振り返ることができるのですが、被せられていた当時の私にとってはそれは本当に重くのしかかるプレッシャーでした。

交友関係や交際関係も厳しく制限され、彼女の望む女性になる以外の道は許されなかった。今それを母が聞けば、多分「そんなに気にしなくても良かったのに」と軽く言われるかもしれません。母にとってはその程度のことでも、受ける側の子供にとっては親のそういう意図は恐ろしく大きなものでした。

 

そんな私が、家事を手伝わない夫を持つ奥さんたちが「うちの旦那みたいになってもらっちゃ困るから息子には家事ができる夫になってもらわないと!」と話している姿が母に重なったのだと思います。自分が失敗したから息子にはこうなって欲しい、娘にはこうなって、こういう人を選んで欲しい、そういう子供への願望は、親として自然と沸き起こるものかもしれない。でもそれを口に出して、子どもが親のその意図を感じたら、それは子どもにとっての足かせの一つになってしまうのではないか、という恐怖が私にはあります。過敏な反応なのかもしれない、母のような親に育てられていない、支配を受けずに子ども時代を過ごした人には想像もできない感覚かもしれません。

 

私は「仕込む」という言葉に、母のしてきたような調教に近い教育を感じて抵抗があったのかなぁと思います。こうなるべき、という姿を求めるやり方に感じたのではないかなと。そんな風に重く感じず使っている方は多いと思うし、本来の意味もそれほど強いものではないのかもしれない。でも私には「家事を仕込む」という言葉の中に、母親のコンプレックスを子供に背負わせるような強烈な印象を受けてしまったのだと思います。

 

親の価値観は、時に子供を親の想像以上に縛り付けてしまうのではないかなと、そんな風に思います。私はトラウマがあるので多分人より過敏にそれを考えてしまうのだと思う。

 

そして私にも、家事は夫婦で分担が当然、という風潮に流されていた時期がありました。ネット上ではそれが主流という感じだったし、周りでも「~~は夫の担当」という知人もいたのでみんなそうしてるんだと勝手に思っていて。

でも、●●は夫の担当、と決めていても自営業で地元の付き合い等々、不定期に出かける機会の多い夫は突然出かけたり帰るのが遅れたりしてそれがうまく回らない、ということがこれまで何度もありました。やってくれなかった夫に腹をたてていた頃も、それで喧嘩したことも、家事の負担=私への愛情と思って不満を抱いていたこともありました。

でも、私がおもにやりながら夫が家にいて起きてるときは頼めばたいがいのことはやってくれる(※夫は肉体労働&ロングスリーパーなので家で寝てることも多い)のでそれで夫が楽しく家にいてくれて、子どもたちが夫婦喧嘩やピリピリした空気に触れないで済んで、私が心地いいならそれでいいのかな、と思うようになってきました。

 

そんな私たちのもとで育つ子どもたちは、学校から帰ったらその足でお風呂場へ向かいお風呂掃除の用意をしたり、私が洗濯物をたたんでいたら横に来て手伝ってくれたりと、家事を抵抗なくやってくれたり、手が回らない私がなんでもさせていたからか自分のことは自分でというのを自然とやってくれているので助かってます。もちろん、自分の分の洗濯物をほったらかしてゲームしていて私が叱るなんてこともしょっちゅうですが。

 

夫とのあいだで家事の分担を明確にせず私がおもにやっていることについては、子供たちの将来にどう影響するのか今の段階ではわかりません。

先日小3の長男が「お父ちゃんは家でやることがぼくたちやお母ちゃんより少ないのはなぜ?」と聞いてきました。

なので、夫が子供たちが寝ている間にも働いていること(夜間に仕事が入ることもよくあります)、体をたくさん使う仕事でデスクワークの私よりはるかにつかれているから休養が必要なこと、などを話し、息子も納得してくれました。

 

こどもに「お父ちゃんの方がやってない」と感じさせてしまったのは私の手落ちだなぁとも思い、また夫にも長男がそう言ってたよと伝え、夫婦でちょっと反省しました。

 

私も夫も未熟な人間なので、私たちみたいな夫婦になれ、これが理想だ、とは口が裂けても言えません。息子たちには家事についても夫婦の関係についても、これはあくまでもうちのやり方、うちの形、君たちは将来自分たちの家庭を自分の大事な人たちと作っていく、その時に自分たちで話し合いながらベストな形を見つけていかなくてはならないんだよ、ということを日々の暮らしの中で少しずつ伝えていけたらいいなと思っています。

 

たくさんのブクマについたコメントやTwitterでの感想の中には、私の意図を読み取って理解してくださった方もたくさんいて、嬉しく思います。

そして今回のことで、言葉を伝えるということの難しさも感じたし、タイトルの付け方の難しさも痛感しました。いろんな意味で、勉強になった記事になりました。

 

それではお仕事に戻ります。

 

※2014.03.11、ちょっと内容を修正しました。家長という概念について、書いた当時と思うところが変わってきて自分の中で違和感が出てきたので。

スポンサードリンク