スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

図書室のこと、 ~いじめられている君へ、って書けなかった話。


ものすご久しぶりに、私のブログらしいエントリを書こうと思います。

いろいろありまして、エントリを書いたり、止まったままの「話し方聴き方実践」の本を読み進めることも出来ずにいましたが、今日はふと目に留まったさっこさんのエントリ

子供にとって窮屈な社会 - 仕事は母ちゃん

を読んでふと思い出したことを書こうと思います。

 

少し前に、某新聞のweb連載「いじめられている君へ」「いじめている君へ」というのがありまして、そこにはさかなクンやはるかぜちゃんなど著名人がいじめを受けている子やいじめている子へのメッセージがたくさんつづられていました。

それらを読みながら、私は当時こうツイートしました。

「いじめられたら、本を読め。いじめられているときは自分の居場所がそこになくなって死ぬほど辛くなる。でも本の中にはそことは違う世界がある。今居場所がないそこだけが世界じゃないことを教えてくれる。教室にいづらくなったら図書室に逃げればいい。図書室へ逃げて、本を読め」

 

これは、高校時代に自分がいじめを受けていた時期に実践していたことでした。

寮生活で、いじめのボスは同級生の寮生っだったので私の逃げ場は教室にも寮の部屋にもどこにもありませんでした。学校でも寮でも授業であてられたとき以外言葉を発することが出来ない、と言う状態が数ヶ月続き、気が狂いそうだったのを時々思い出します。月1度の帰省のときだけが幸せな時間で、日曜の夕方にはまた寮に戻らなくてはならない、期待を込めて私を都会の進学校に入れてくれた両親にはとても言い出せず、寮に入ったらまた針のむしろのような生活が待っていました。

 

そんなときに私が足を向けたのが、図書室でした。

休み時間になると図書室に行き本を借り、図書室や中庭の隅でずっと本を読み続けました。純文学やミステリー、科学や伝記や、とにかく手当たりしだい何でも読みました。

休みの日は区の図書館に1日篭ったり、大きな本屋さんをうろうろして少ないお小遣いでちまちまと新書や文庫を買ったりもしていました。

 

狭い教室、狭い寮のなかでどこにも自分の逃げ場なんかないと思って苦しくて、そしてこの狭い世界の中でうまく対応できていない自分はダメな人間なのだと思いまた苦しくて、16年そこそこしか生きてない自分のつたない脳みそはパンク寸前でした。今になってみれば卒業まで耐えればいいだけだとか、誰かに相談すればよかったのにとか思えるのですが、当時の私にはそんなこと考えることも出来ませんでした。とにかく、今ここ、それが世界のすべてで、そこが安らかな場でないことが苦しくて仕方なかった。

 

そんな私にとって、本を読むことはその、ちっぽけな世界から一瞬抜け出せる体験でもありました。読書に没頭することで、そこに違う世界が見えました。自分がいる今ここだけが世界じゃないということが見えてきた瞬間でもありました。

 

ドラえもんの異次元ポケットのように、本を開いたらそこに違う世界があった。顔を上げるとまた辛い現実が待っているから、ただただ文字に目を落とし、嵐が過ぎるのを待っていたような、そんな時間でした。

 

いじめを受けていたのは今振り返ってみるとそう長い期間ではなかったのかもしれません。しばらくそんな風にやり過ごしていたら、気づいたら私への関心は薄れ、ぽつりぽつりと話し相手が出来ていったように思います。

 

そんな経験から、私は「いじめられたら本を読め」「居場所が無くなったら図書室に行け」と、思ったのでした。

 

でも。

さっこさんのエントリにつづられているように、今は図書室の入室に制限が設けられている学校も増えてきているようです。不良のたまり場になる、というなんとも悲しい理由だと上記エントリには書かれています。そんな不良ははったおせばいいのにという簡単な問題ではたぶん無いんでしょうね。今の子ども達を取り巻く色んな事情が絡み合って、図書室に吹き溜まる子ども達をどうすることもできない現状がそこにあるのかもしれません。

 

図書室に逃げられなかったら、いじめられてる子はどこへ行けばいいんだろう。

いや、じゃあ違うところに行けばいいし、本は図書館で借りればいいし、それだけのことなのかもしれないんだけど、でも、私にとって学校の図書室は、そこに入れば誰の声も耳に入らず静寂の中で自分の世界に入り込める、大事な場所でした。

 

うちの子どもたちの入学予定の中学高校が今どういう対策をとっているのか、今後どうなるのかも分からないですが、さっこさんの仰るように、ただ遊具を撤去するように空間を閉じることでしか大人が対応できなくなってしまっていることは私も胸が痛みます。

 

大人でも子どもでも、何かの問題に直面したときに立ち向かったり、冷静に問題を回避するための努力はまず必要だけど、でもその中で心がとても疲れてしまったときに「逃げていい」ということを知ることも私は必要だと思ってる。

 

いじめなんかその典型、解決ができないなら逃げる方がいい。その逃げる場所は、できるだけ押し付けがましくない形で大人がここにいていいよって用意してあげられたらいいのになぁと思う。手を広げてここへいらっしゃい!っていうんじゃなくて、そっと用意されている、シェルターみたいな場所。

いや図書室は本を借りたり読んだりするところで、本来いじめのシェルターではないんだけど。でも私が学生の頃はそこが、比較的安全なシェルターであったんだよね、というお話でした。

 

完全版 いじめられている君へ いじめている君へ いじめを見ている君へ

完全版 いじめられている君へ いじめている君へ いじめを見ている君へ

 

 

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

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