スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「嫌なのは誰か」 ~自分が感じるストレスを減らすために


GWも終りにさしかかり、そろそろ休日疲れが顔に出てきたスズコです。

仕事がぎゅうぎゅうの夫とひとり育児でストレス半端ない私、ちょっとしたことで互いにいらっと来て朝すっきり送り出せなくてモヤモヤしたり。

そんな中こどもたちがそれぞれ遊んでくれている隙間の時間に、

はなこさんの

「察してほしい」気持ちをなくせば夫婦喧嘩は8割減る - はなこのブログ。

ほう太パパさんの

話し合っても夫婦間のトラブルが解決しないあなたへ。 - ほう太パパの七転び八起き

を、とても面白いなぁと思いながら読んでいました。

 

自分の気持ちを具体的に言葉にせずに察することを求めすぎてこじれてしまうこと、私も何度もそうやって喧嘩にいたってきたので、とても親近感がわくというか、うんうんそうだよねえとうなづきながら、そして、もっと早くこういう風に冷静に夫婦関係を考えておけばよかったなぁと思いながら、読みました。

 

ほう太パパさんのエントリ、ふわっと読んだだけだと「結局、どっちかが我慢すればいいってこと?」っていう結論にも受け取れそうだな、と思ったので、いやそうじゃないぞ、ということを私なりに書いてみたいな、と思いあれこれ考えてみました。

 

この「片側だけが我慢すればいいってことなのか」ということ、これ私の過去のエントリの感想としても何度か見たことがあるものでした。

育児中に感じる、寝ている夫への殺意とその対処法。 - スズコ、考える。

育児のストレス、の一番て結局これじゃないか?と思ったこと。 - スズコ、考える。

あたり。

ここらへんの記事で私は、相手が変わることを暗に求めることで結局自分が苦しくなる、自分が変わるほうが楽、という、ほう太パパさんの上のエントリと同じような結論に至る話を書いてきました。

 

これね、結局自分だけが我慢すればいい、相手を野放しにするしかない、っていう自分に対する抑圧や相手への諦めと受け取られがちだな、とブコメ等々を拝見していて思いました。

 

でも。

実はそうじゃないんですね。

ほう太パパさんのエントリでの例を利用して具体的に解説してみますね。

 

電子レンジのドアを開けっ放しにする妻、それが嫌な夫。

夫が嫌な理由は、「電子レンジの扉が炊飯器のちょうど真上にあるために、翌朝、予約タイマーで動き始めた炊飯器からの湯気によって、扉にびっちょりと水滴がつく」から。そして「とにかく電化製品がぬれるということが生理的に受け付けない」から。

 

だから、妻に「電子レンジを使ったら扉を閉めろ」と言う、が妻は変わらない。

 

そこで、ほう太さんは自分で夜寝る前にしまってるかチェックすることで自分のなかの落としどころを見つけた。これを、妻に対する諦めととらえるかというと、私はそうは思わないんですね。

 

これは、妻に対する諦めではなくて「自分がこだわっていることを自分で解決した」だけだったりするわけです。

 

奥さんは、電子レンジの扉が開きっぱなしになっていようと、そこに炊飯器の蒸気があたろうと、水滴がつこうと、家電製品が濡れようと、いっこうに気にならない、だから、改善の必要はないわけです。

実際それで電化製品がすぐに壊れるわけでも、奥さんが困るわけでもない。

困っているのは「それが嫌でたまらない」旦那さんだけなんですね。

その自分で困っている、見るのが嫌だと思うことを、自分で解決した。ただそれだけのことだったりするわけです。

 

こんな風に、夫婦間で相手がやることのなかで自分が嫌だと思うことに関して、自分の納得のいくように相手が変わることを暗に求めてしまって、結局自分のストレスの種を増やしていることはよくあるんじゃないかなぁ、と思ったりします。

 

自分がまったく気にならないこと、自分が無意識にやってること、自分がついそうしてしまうこと、自分がずっとそうやってきたこと、それを、「私が気に入らないからやめて」と配偶者に言われたら、やっぱりカチンと来ると思う。

でもそれが相手のストレスになるのならやめよう、とすんなり思うこともあるかもしれないけど、それはあくまでも相手がそう思えたら、という話。

 

自分が嫌だと思うことを修正しない相手が悪い、と思ってしまったら、そこから自分の思うとおりに動かない相手へのストレスがどんどん増幅してしまう。

 

相手の行動で何か困ったと思ったら、いらっときたら、ストレスを感じたら、まず、その困った理由をよく考えてみることをお勧めします。

 

たとえば、夫があちこちに服を脱ぎ捨てることが気に入らないとき。

張本人はどこに服が脱ぎ捨てられていようと生活するうえでは全く気にならないのかもしれない。むしろ、次また同じものを着ようと思ったときそこから取ればいいから楽とすら思っているかもしれない。

妻がそれにストレスを感じたとしたら、それが何故かを考える。

 

誰かが来たときにみっともないから?

床に服が落ちているのが我慢ならないから?

一度着たものは洗濯するか風を通すかしないと不快だから?

服が落ちているような雑然とした部屋で暮らしたくないから?

 

自分の中で思いついた理由を書き並べてみると良いと思います。

その中に一つでも、旦那さん自身が困っている理由があるか、ということ。

ほとんどなかったりするんですよね。自分が不快、というのがほとんどを占めていたりする。

だったら、「私が見たくないから」「私が嫌だから」→「私が片付ける」

もしくは「私が嫌だから」→相手に配慮を求め協力を促す→相手が応じて気をつけてくれる→「ありがとう」

だと思うのです。

この2つの行動、まったく違う次元に思えて実はとても近い。自分のストレスのための行動だと自分で理解してるからこそできることだからです。

 

相手が自分の思うように改善すべきだと思っていたら、2つ目のパターンの「ありがとう」はすんなり出てこなかったりします。相手が変わることは自分の中で至極当たり前だからです。

でも相手からしたら、自分が何も不快に感じないことを配偶者が不快だと思っているからこそ行動を変えた、それは結構な方向転換だと私は思います。そこに、感謝の気持ちがついてくることでお互いの感じるストレスを最小限にとどめられるんじゃないかなと思ったりしつつ、これもっと早く気づいとくべきだったよなぁと夫婦生活10年を越えて今更ながらちょっと後悔したり。

 

おまけ。

ほう太さんの上のエントリのなかの、吐き出すまでの時間を置くというの、私とても良いなと思います。冷却期間を設けることでどうでもよくなってしまうことも結構多いし、自分の側の問題点に気づいたりもするので。

結局、何でも話し合えば解決する、というわけではないんですよねえ。

話し方聴き方実践をやってみた。 - スズコ、考える。

でも経験あるけど、一番最初に口から出てくる不満やモヤモヤした気持ちは、カッとなって出てくるもの。それを自分なりにうまく本人以外に吐き出したりして消化したら本当の気持ちや自分の粗が見えてきたりすることもあったりするから。

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