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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

こどもたちはなぜ「責め合う」のか。


読み聞かせボランティアに行くようになって、先生のいない教室に入らせてもらうという機会に恵まれました。

子どもたちを静かにするよう促してから読み始めるのですが、そのときに落ち着かない子、何か書いたりしている子、喋っている子などがいると周りの子どもたちがその子に注意する、という場面に出会いました。

 

これ、こうやって書くと互いに注意しあって教室の平穏を保つためによい光景にも聞こえます。でも現実はそうじゃなくて、結構に殺伐としてるんです。

え、そんな強い言葉で?っておもうようなきつい言い方で相手を制する子、「~~くん!」って名前を大きく何度も叫ぶ子、出しているものを無理やりつかんでしまわせようとする子。後ろを向いている子の顔をぐっと押して前を向かせようとする子…

 

あぁなるほど、担任から何度も聞いていたトラブルの現状はこういう感じなのかと。

 

というのも、小4小3の息子たちが入学してから、何度かあった担任からのトラブル連絡。その中で「~くんが注意する言葉がきつくてそれにかっときて叩いたみたいです」とか「~ちゃんに注意しようとして喧嘩になったみたいです」という報告が何度かあり、息子たちには注意は先生の仕事なのだから気になっても直接言わず先生に言うように、とか、注意されてもかっとならないで、とか、その時々で話をしていて。

 

先生のいない教室でそれを目の当たりにして、あぁなるほどと思ったわけです。

 

そこを意識して子どもたちの様子を色々な場で観察してみたのですが、休み時間やサッカーの練習中等々、様々な場面で「何かしでかす子や和を乱す子の存在と、それをきつく注意したり罵ったりする子たち、それぞれが拮抗して起こる喧嘩」をよく見つけました。日常的に起こっていることなんだなぁ。

 

でも気になるのは、その殺伐とした感じなのです。

穏やかに制するとかではなく最初から強い口調でダメ出しをしたり、年齢に関係なく完全に上からの口調で非を責めたり、時に手をつかんだりとかなり強制的な感じで相手を押さえつけようとする子もかなり多くて、これはやられたら素直に聞き入れずに喧嘩にもなるよな、と思ってしまいました。

 

なんでそうなっちゃってるんだろう、と色々考えてみました。

 

推測1:先生の真似をしている

自分が先生になったつもりで注意してるのかな、と思ったのですが、いまの学校の先生はかなりソフトな叱り方をするのでその真似とは考えにくいな、と思いました。

 

推測2:親の真似をしている

これはあるかもしれないな、とわが身を振り返って反省しました。周りの目を気にするあまり、公共の場でもかなりきつく子どもたちを叱った経験があるので子どもたちにとってそれが悪い見本になってしまっているのかもしれないなと。

 

推測3:先生が促している

学校で「お互いに注意し合おう」などの指導がなされているのか?と思ったのですが、これはどうも違うようです。先日帰宅した小1の娘から「先生が『注意は先生の仕事です、みんなは言わなくてよろしい』って言った」との話を聞き、先生もこのことで手を焼いているのかも、と思いました。

 

推測4:言いたいから言っている

これはあるな、と思っています。非のある人を注意すること、非難することで自分が優位に立っているような、優越感を感じるような、そんな心理になることは大人でもよくあることで。

芸能人の起こした事件などのあとにネットでそういう発言を良く見るので子どもたちが同じように誰かを責めていい気持ちになることもあるだろうなと。

麻薬みたいなものなのかもしれないですね。うちの息子たちもストレスが溜まってるなと思うとお互いに責め合って喧嘩しているので、それが教室で起こっているのかもしれないなとも思います。

 

推測5:困ってるから

最初、推測4で結論が出たような気がしました。でもなんかモヤモヤしたものが残ったのでそこから少し考えて、出たのがこれです。

読み聞かせをする前「みんなが静かにしたら始めるよ」というと数人の子は自分だけ黙ってじっと座って始まりを待ちます。が子どもたちの中に「静かにしてない子」を探す子がちらほらいるのです。

静かにしていない子がいるために読み聞かせが始まらない、楽しみにしているのに聴けない、困る、から自分が注意する。という側面もあるのかな、と思いました。

注意しあってざわついている子どもたちに

「おばちゃんのところからみんなが何をしてるか、全部見えてるよ。お口があいてるのか、手はどうなってるか、背中はぴんとしてるか、どうしてるか全部。聴く態度になっていない子はおばちゃんからみたらすぐわかるから、注意はおばちゃんがするよ。だからみんなは聴く態度になったまま待っててくれる?」

と促すと、教室はすぐにしんと静まりました。

 

そこで気づいたこと。あぁこの子たちは「この場で注意するべきは誰か」を知らないんだなと。

授業中は先生が、何かの習い事のときはその先生が、班活動のときは班長が、本来はリーダーとして全体の活動を統制し、和を乱す場合はそれを制御する役割を担っているのだろうと思います。私が小さい頃はそうだったし、いまも形的にはそうなっているみたいです。が、そのリーダーとしての機能が低下しているのかな、と観察していて思います。

 

息子たちのサッカーチームの練習でも、キャプテン含む上級生の言うことを聞かない子が本当に多いのです。低学年では特に、時に大人である監督やコーチに対しても指導に反抗して暴言を吐いたり指示に従わない子もいます。うちの子がやってることもあって、その態度に私がカチンときてもうやめさせるぞと騒いだこともありました。

 

登校の班でも、先頭を歩く6年生の注意を聞かない子も多く困っている班も多いと学校で聞きました。

 

あぁ、リーダーが誰か分からないんだな、と。誰の指示に従うべきかを知らないんだなと。いやそもそもリーダーと言うものの存在を認識してないんだな、と。それが、この混乱の要因なんだなぁと。

 

いい意味で上下関係のない家庭で育っているいまの子どもたちにとって、互いに気づいたことを言い合うことはごく自然なことなのかもしれません。

それは民主的という意味ではとても理想的なのかもしれない。

でも小さな社会の中でたくさんの人が一緒に何かをするとき、そこにリーダーが存在し、そのリーダーが全体を統制し、混乱を起こさず何かを遂行する必要があることもまた事実で、その環境の変化についていけてない子たちがたくさんいるんだな、と思いました。

 

※と書きながら、デモクラティックスクールなど上下関係のない環境で過ごしている場合はどうなんだろうとふと思ったのですが、それを考え始めるとまた大変なことになりそうなので次への課題としたいと思います。

 

これ、リーダーを認識できないということは結果的には自分がリーダーになったときにその場を統制できないということにも繋がりかねないわけで、このまま大人になられるとちょっと困るぞ、と思うのでしばらくこの観点で子どもたちを観察してみたいと思います。おわり。

 

追記。
承認欲求について、ちょっと考えていたのだけどそういえば書いてなかったなとブコメを頂いてから気づきました。

褒められたいから、指摘した・気づいた僕・私えらいでしょ、って言う感覚で注意するの、これは実際にもあると思うのですね。でも年齢としてかなり下の子に多い印象です。幼稚園や保育園の年中児くらいから1年生くらいまでかな。

でも年齢が上がると、それだけでは説明がつかないのです。なぜなら彼らは大人が誰もいないところでもやるから。褒めてくれる人、認めてくれる人が誰もいない子どもだけの環境でもやるんですね。

それに、その行為を褒めてくれるはずの教師や親にとがめられてもまたやる。

だからそこには何か他の理由があるのではないか、とやはり思います。

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