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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

大人【は・が・の】問題。


今日はおまつりで、子どもたちはおじいちゃんたちと露店を冷やかしにうろうろ。

私はひとりポツンとお留守番で、ゆっくりさせてもらいながらまたあれやこれや考えたりしています。

 

先日のエントリを書いた後に考えていたことを今日は。

 

昔読んで衝撃だった本の中に、

 

大人問題 (講談社文庫)

大人問題 (講談社文庫)

 

 という本があります。

最初に読んだのはたぶん10年以上前、まだ子どもがいなかった独身のころだったと思います。

タイトルは「大人問題」

「大人」と「問題」の間には、が、の、という文字が添えられています。

 

この本、五味太郎さんがご自身の育児を通して感じた

「子どもの問題に見えるけど実は大人の問題じゃない?」ってことを短いエッセイで綴っている本です。

内容そのものは思想的な偏りがややあるものもありますが、その視点はなかった!という目からうろこな内容も多くて、未だにたまに読み返しています。

 

で。

先日のエントリ

こどもたちはなぜ「責め合う」のか。 - スズコ、考える。

に対するブコメなどで「子どもを通して見える大人の問題なんじゃない?」っていうコメントをいくつか頂いて、この本を思い出したのでした。

 

責め合う子どもたち、それは、今放映されているNHKの朝の連ドラ「花子とアン」のなかでも戦前の子どもたちが貧乏な家の子を罵ったりする場面が見られ、それを小4の息子と一緒に見ながら「君らとそっくりだねえ」と笑ったりもしたように、今に始まったことではないんだろうなと思います。

わが身を振り返っても、そういう経験がぼんやりと思い出されたり。

(おぼろげですが私は注意しちゃう方のタイプだった記憶があります。)

生まれてくる子どもたちそのものは、たぶん今も昔もそう変わらない、それは事実だと思います。もちろん体型や体質など長い時間をかけて少しずつ変わってもいっているのだろうけど。

 

私もつい、子どもたちの問題について考えるとき、いま目の前の子どもたちをどうしようか、ということを考えてしまいがち。

でも「責め合う」こともそうなんだけど、子どもたちになにか問題が起こっているとき、その問題を突き詰めて考えていくとその要因が大人の有り方にあるのではないか、というところに行き着くことはとても多いなぁと思います。

 

今日明日は運動会のところも多いようで、朝からTLには運動会での大人のマナーに対するご意見がちらほら。場所取りや指定のテント以外の場所へのタープなどの設置、ペグを打ち込んじゃう等々、やりたい放題に見える親御さんたちの動きとそれを愚痴る声、とか。

こういうのを眺めていても、子どもたちが今抱えている問題が大人世代でも如実にかかわっているなぁとやはり思うのです。

学校という規制をすべき存在と保護者との関係性、周りの空気を読めない保護者のおかしな言動、周りの空気を気にするあまり感じるストレス、周りに自分と同じ思考や配慮を過度に求めて起こるストレス。

 

教室で起こっていることに良く似ています。

やはり、大人【は・が・の】問題なのだろうなと。

 

教室で子どもたちがストレスを感じていがみ合うのも、大人が教室と言う箱を作っているからなわけで。箱をとりはらって野山に放り出せば子どもたちはいがみ合わず責め合わずに穏やかに過ごすことができる。本質的に相手を責め続けるように育っているわけでは決してないのだろうなと思います。

 

大人が作った環境の中で、大人が抱える問題を如実に映し出しているのが子どもたちのいる世界なのかもしれない。ということは、その問題を解決するためには子どもたちをコントロールすれば良い、って話じゃたぶんない。

そして、子どもたちがストレスを感じないように、もめないように、困らないように、いじめとか起こらないように、昔のように枠を取り払えばよいかというとそうじゃないとも思う。

 

子どもたちは今のこの環境の中で生きていて、この環境の中で大人になっていく。そこを変えることは私たちにはできないから、だから、いまこの環境の中で、子どもたちの問題をどう解決していくかを、大人としてどう対応していけるのか、どう対応していくべきなのか、大人がまずどう変わるほうがよいのか、ということを考えなくてはならないのだろうな、と思ったりしています。

 

なんかまどろっこしくてスッキリしない終わり方だけど、おまつりだから今日はこれでおしまい。

また今度につづく。

 

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