スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「熱中症による乳児死亡防止」のハフポ記事を違う目線から。


最近はFacebookにも個人的な投稿のほかに記事が良く流れてくるようになったな~と思っていたら、ハフポのこんな記事が流れてきました。

 

天才的な発明をした少年 熱中症による乳児死亡を防止する方法とは

 

アメリカで昨年44人のお子さんが車内に置き去りになり熱中症等で死亡したという経緯を経てテネシー州の少年が画期的な発明をした、というこの記事。

 

一読してまず私が気になったのはこの部分。

元ハフポストアメリカ版のコラムニスト、Lisa Belkinはこう述べている。「誤って子どもを置き去りにし、死なせてしまうことは、誰にでもありうることです。親を非難し罰したところで、次の過ちを防ぐことはできません。事故が起こりうると想定し、回避するためのシステムを築くほうが、はるかに現実的で有意義です。」 

 え?

「誤って子どもを置き去りにし」????

 

自分自身を振り返って、母になり10年、4人の子どもたちを連れて色々なところへ出向いてきましたし、自家用車も公共の交通機関も色々と利用してきましたが、1度として子どもたちを「誤って置き去りにした」ことはありません。

一歩家から外に出たらそれぞれの所在を常に確認し続ける状態。

 

なので、この記事を読んで、いやいやそんな発明意味ないでしょ?うっかりなんて置き忘れないよ?置き去り死の事件ってパチンコ屋とかの意図的な置き去りでしょ???そんな親がこんな道具使わないよ!とまず思いました。

 

twitterやFBに並ぶコメントもおおむねそんな反応。うんうんそうだよね、置き忘れたりしないよね……と思いながらコメント欄を流し見していたら、在米の方のあるコメントが目に留まりました。

要旨ですが、普段子守をしない父親が1日面倒を見ることになり、車に乗せて出社していつもの感覚で車庫に車を入れてそのまま出勤しお子さんを置き忘れて亡くなったという事故が実際にあった、というのです。

 

アメリカ人だから、日本人だから?

国民性とか気質と言うのは確かにあるだろうな、と思う。

でも、ずぼらな日本人も、ざっくりした日本人もいるだろうになぁ、と思っているときに気づいたのです。

 

私は自分でもたぶん置き忘れないし、「こんな事故の可能性のある相手には子どもを預けない」んだな、と。

 

私を含む、ありえないと反応していた多くの方にとって、「子どもを預ける」というのは「自分と同じ程度の慎重さで子どもの命や生活の維持に配慮してくれる人に託す」のではないかなと思います。だから夫や義父母に子どもを預けるときにピリピリしてしまうこともあるし、保育所の保育の質にも気を配るし、そうしてもらえる相手がいなければ預けることすら出来ない。

それに、もし預けた先で何か事故が起こってしまったとき「そんなところに預けたから」という選択主のミスというダメージも受けることになる。

 

だから、私は「うっかり車内に子どもを置き忘れちゃうかもしれない誰か」に子どもを任せることはたぶんできないだろうなと思う。(いや、そんなうっかりな父親はそうそういないだろうけども)

 

育児をしていると、特に低月例、低年齢のときに自分以外の人に子どもを預けるということがなかなかできず、結局自分が楽になれず育児ノイローゼに近くなること、よくあるんじゃないかと思う。

私自身も、特に上の子たちが小さい頃は簡単に子どもを預けることもできず、預けるとしても本当に信頼できる人にしか頼めないという時期もありました。

 

そんな時期に欧米の育児の仕方を知っている知人に「もっとフランクに預ければいいのに」と言われたことがあるのを思い出しました。親戚やシッターに預けて夫婦の時間やひとりの時間を取ればいいのに、と。

 

うっかりの事故で亡くなってしまったかもしれない子どもたちのことを思うと簡単に預ければ良いとかそういう話ではないと思うのだけど、でもその子たちの向こう側のたくさんの、日本人が考えるよりも気軽に預けられる子ども達の存在と、それにより保護者が楽になっているという現実もあるのだろうな、とこの記事を通して思いました。

 

更に、あの国の人たちと同じ感覚では子どもを預けることは出来ないのだろうな、ということと、その国の育児の仕方をそのまま取り入れることも出来ないのだろうなということも、ひとつの事故を通して感じることがこんなにも違うこの記事を通して改めて考えたことでもあります。

 

国民性、というのは私が思っていたよりもはるかに大きい差異なのかもしれない、と、改めて考えるきっかけになりました。

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