スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「コントロールしたい欲」について考える。


九州は大雨、子どもたちの下校はいつもより早めに引率下校になると連絡がはいりました。

これから四国も大雨になるとのこと。ニュースを眺めながら渇水の心配をされていたさっこさんのことをぼんやりと思ったり。

さて。そのさっこさんの先日のエントリ

小学3年生はややこしいお年頃 - 仕事は母ちゃん

の中でも触れられていたのですが、小3が教室内で暴行、というニュースがありました。

うちの息子たちもいままさにこの年代、他人事ではありません。特に4年の長男のクラスは担任が変わってから今まで表出してなかったそれぞれの子の色んな面が噴出したのか、ギャングエイジだからなのか、小さなトラブルが頻発するようになってきました。

うちの子が言われるやられることもあれば、言うやる側に回ることもあるようで、本人から話を聞いたり周りの親御さんたちから情報を得たり。

 

その中で見えてきたこと。

子どもたちのトラブルの大半でその根底に「相手をコントロールしたいという欲求」があるのではないか、ということ。

学校でしてはだめと言われていることをしている子がいたので注意したけどやめなかったから口論になった、自分がやりたいと言った遊びに賛同してくれなかったから腹が立って蹴った、等々。

 

この「コントロールしたい欲」は簡単に言うと自分本位な我儘なのだよね。

みんなが自分の思うように動かないことへの苛立ち。

正義感ゆえに注意するという行動に出る子もいて、でもその注意に応じなかったときに相手の意志を無視しても自分の忠告に応じるべきだという感情が沸き起こったら、それは正義感ではなくてコントロール欲だと思う。

 

そしてまた、相手から「コントロールしたい」と欲求をぶつけられた方もまた、その抑圧から逃れたいと反発をしたりストレスをためたりする。

 

息子たちの揉める様を見ていて、この構造をどうやったら断ち切れるのだろうかと思わずにはおれない。もちろん直接的な介入は出来ないし、自分たちでそういう経験を何度も繰り返して衝突がない対人関係の築き方を自分なりに構築してもらうしかないのだけど、でもあまりに頻発しているのを見ていると、何かできることはないのかな、とぼんやり考えたりしています。なかなかに難しいですが。

 

この、相手をコントロールしたいという欲求、改めて考えると大人のトラブルでも深く関っているなぁと思います。

夫婦間で、夫に育児をして欲しいと思ったときのアプローチの仕方次第で揉めてしまうときや姑が嫁いじめるのもこの欲求あるよなとか。

子どもが言うことを聞かなくてイライラするのも、助言したのに相手がそれをそのまま受け入れなかったから腹が立つとか悲しいとか、勝手に期待していたことを相手が望むとおりしてくれてなかったから怒るとか。

 

あと、ネット上でよく見られるのですが何かの思想を持っている人たちがその思想に反する人たちを叩くときにもこのコントロール欲求が見え隠れしているような気がします。

思想やその主張そのものに賛同できることがあっても、それを主張するやり方のなかで相手が自分の思う通りに変わることを強制的に求める姿勢が見えるともったいないなと思ったりします。

せっかく主張したいことがあってそれそのものは良い内容であったとしても、そこに支配欲が絡んできてしまうとその主張の中に「それに従わない相手への苛立ち」が紛れ込んできてしまってせっかくの思想が誤解される結果になったり、コントロール下に置かれたくないという反発を生んでしまったりするのかなと。

 

この、相手をコントロールしたいと思う欲求。

私は自分や自分の周りでなにか人間関係の問題が起こっているときに根っこにこれがないかな、と考えるようにしています。

これが潜んでいるということ、そしてそれがどんな影響をもたらしているかを考えると、問題がシンプルに見えてきたり、相手を不快にせずに問題を解決するための方法が見えてきたりすることもあったりします。

 

なんか抽象的な書き方になってしまったのだけど、常々意識しておかないと自分もつい周りを無意識にコントロールしようとしてしまうような気がして怖くて、時々こうやって文字にして意識しなくてはいけないなと思ったりしています。

 

子どもたちのトラブルにどんなサポートができるかわかりませんが、とりあえず「相手をコントロールしようとして揉める」悪い見本にはならないようにすることを心がけねばならないなと改めて思っていたら雨があがりました。
さぁ、下校してくる息子たちとまたどう過ごしたものだか。

スポンサードリンク