朝のコーヒーを飲みながらぼんやりTLを眺めていたら、
AED使用遅れ大学生死亡 両親が大学側に賠償求め提訴 - MSN産経west
というニュースが目に留まりました。
訴状によると、那須さんは今年3月3日、同大サッカー場でランニングをした後の午前9時31分ごろ、過呼吸などの症状が出て意識が低下した。
学生トレーナーが救急車を要請し、6分後に心臓マッサージを開始。14分後には救急車が到着し、救急隊員が他の部員が持ってきていたAEDを使った後に病院搬送したが、那須さんは4日後、脳に酸素が届かなくなる蘇生(そせい)後脳症で死亡した。
原告側は「AEDの電気ショックが1分遅れるごとに救命率は7~10%低下する。すぐにAEDを使っていれば救命できた可能性が極めて高く、大学側は監督義務を怠った」と主張している。
この事故ではAEDが適切に使用されなかったということを焦点に訴訟が起こされているようです。学童クラブの運営に関る身としては、このような対応についての責任問題というのは他人事ではありません。
つい最近も、学校に設置されているAEDの使用について会長会議で話が出たところでしたが、そのときにも学校設置だけでは休日の対応などが不安なので各教室に設置できないか、という話も出、ただ費用の面や維持管理の面から考えてもなかなか難しい、という話になりました。
※余談ですが、AEDの設置には購入に30~50万円、電源の確保と維持のための電力、パッドに使用期限があるのでその維持管理等の経費がかかるようです。レンタルもありそれは月額5000円程度からあるみたいです。
その中で会議出席者の中の医療従事者の方から
「まずAEDありき、という考え方はおかしいのかもしれない。誰かが倒れたら、まず1人が救急車を呼ぶ。もう1人が本人の状況を確認して心臓マッサージと人工呼吸を開始する。もう1人動ける人がいた場合そこでAEDをとりにいけと指示を出す。AEDが使えるのは救急救命のために動ける人員が最低3人は必要で、3人目がいたときに初めてAEDの使用が可能になる。まず救急車、そこは間違えたらいけない」
というお話があり、なるほど、と思いました。
私も何度か自治体やPTA連合の主催する救命救急講座に参加したことがあり、その一連のマニュアルや心臓マッサージの方法、AEDの使用法などは頭には入っていますがそれでもその方が仰ることを聞くまで「AEDをすぐ持ってこないと」という考えで話を進めていたことに気づき、不勉強だなと改めて思いました。
こういう話をしていると出てくるのですが「救急車を呼ぶのに1人かかりきりになるの?」という疑問。
そこは、誰でもその辺の人が簡単に出来てすぐ終わるんじゃないの?ということ。
でもね。現実はそうじゃなかったよ、という私の体験談をここに記しておこうと思います。
数ヶ月前、自宅の近所を車で通りかかったとき、近所の独居のおじいちゃんが道路の真ん中で仰向けに倒れているのを発見しました。夕方、まだ明るい時間帯。すぐに夫が車を止め、私が車を降りて確認に向かいました。
おじいちゃんの顔は赤くお酒臭かったので、酔っ払って倒れたんだなとわかりました。
後頭部から出血していたのでその場から動かしてよいかの判断ができなかったので、ひとまず近所の人に声をかけ、細い路地ではあるけど車が入ってくる可能性はあったので両側に車が来ないよう止めてもらってスマホから119番通報を試みました。
が、手が震えるんですよ、アホみたいだけどほんとに。
スマホからだから市外局番と119番を押したんだけど、なかなかうまく全部の数字が押せない。そして押せても携帯だから?なかなか繋がらない。
通話終了のボタンを押してまたかけなおして…とあたふたしてたら向こうから着信が。
「ご連絡いただきましたよね?」と、すいませんすいませんと言いながら、質問に一つずつ答えていきました。
順番や詳細な言葉は覚えていませんが、誰が、どこで、どんな状況か、ということを質問されてそれに答えていく感じです。
その間私は通話にかかりきっているので当然他の方と会話はほぼ出来ません。
現場では集まってきたほかの近所の方々が声をかけたり、交通整理をしてくれたり、出血をしている部分を誰かが持ってきたビニール袋とタオルで押さえている方もいました。
その様子を眺めながら、質問に答え、自分の名前や救急車の誘導の方法などを話します。
と淡々と書いていますが現実にはかなりテンパっていたと思います。
受け答えも一つずつ簡潔にはできずどもったり、あたふたしたりしてしまっていたと思います。
電話を切ってからはおじいちゃんの側に座って「もうすぐ救急車くるからね、だいじょうぶだからね」と声をかけていたような気がするのですが、あとから考えればたぶん数分間のその時間がとても長く感じました。
遠くから救急車の音が聞こえて、それを聞いたときに張り詰めてバクバク言っていた心臓がすーっと落ち着いていくのを感じたのを覚えています。
体中の力がふーっと抜けて、お任せしていいんだ、と思った瞬間でした。
周りの方々が救急車を誘導してくれて、降りてきた隊員さんが処置をしてくださり、通報した人間として隊員さんと少し話しました。
近所の顔見知りのおじいちゃんで、意識もある状態で、周りにもたくさんの大人の人が集まっていて、それでもそんなに私は通報することすらまともに出来ないほど手が震えていました。
これが学童のプールで子どもが意識をなくしているなどの状態だったら、はたしてそこにいる大人は冷静に救命行為を行うことができるんだろうかと思うと怖いなと思います。
小学校でも年1回は保護者向けの講座があるし、色々な団体が主催するものに参加することもできる現状を考えると、その機会に年に何度でも参加しておくこと、その際に出来るだけ実践的な対応を学んでおくこと、聞くだけでなく体験が出来そうなら手を挙げて経験しておくこと、とりあえずそれくらいしか出来ることはないかもしれないけど、経験しておくことは大事だなと改めて思います。
最初の記事に戻ると、大学の部活動中の出来ごとでAEDを持ってきたのは学生との記述もありました。
それを考えると、小中高で子どもたちに向けての救急救命の講座やレクチャーを積み重ねておくということも大事なことではないかな、と考えています。何か機会をもてたらいいなぁ。
余談ですが、倒れている人を見ると動かしていいかが分からないと思うのですが、後に受けた救命救急講座でそれを質問したら隊員さんに「道路などで倒れているほうが交通を妨げたり二次的な事故に繋がる可能性もあり危険なので、その場合は複数の方でゆっくり動かして構いません。動かさないと救急車にも載せられないわけで、動かしてはいけないわけではないんですよ」と教えていただきました。
また、その話の流れから「倒れている人を見たら先ず何をしたら良いかわかりますか?」と聞かれ「近寄る」と答えたら、惜しい!と。「先ず、自分の安全を確認してから近寄る、が正解」とのこと。
あ!っと思って走り寄って車にひかれるという事故も想定されるわけで、まず自分の安全を確認するのがさき、それは絶対に忘れないで下さいね、と。
なので、私が経験した上記の事故の場合、救急車を呼びながら他の人におじいちゃんを安全な場所へ移動してもらうよう指示するのが正解だったのかもしれません。
そうすれば救急車が来るまで車が通れないよう止める必要もなかったし、救急車も現場に入りやすかったのかもしれないなと思います。
やはり現場を何度も経験しないとわからないことだらけだなあ。