こんな記事を読みました。
http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20140602ddlk04100127000c.html
仕事と子育て:娘は大切、仕事も必要 「保活」3回繰り返した31歳女性記者 当事者しか理解できない面も…実感 /宮城
毎日新聞 2014年06月02日 地方版
娘が1歳の時、保育園へ行きたがらない日がよくあった。言葉で気持ちを伝えられないせいか、服を脱いで裸になり、延々と大泣き。私の出社時間が迫り、床にへばりついた娘に無理やりオムツだけはかせて、抱っこ紐(ひも)に押し込み、保育園に連れて行ったこともある。この話を50代の男性にしたところ「母親なんだから、きちんとしつけないと」と言われた。反論できなかったが、子育てとは当事者しか理解できない面があるのかもしれない、と改めて実感した。
メディアによく取り上げられる「働く母親」たちは、社会的な肩書があったり、取材がしやすかったりする人が多いように思える。でも、普通の「働くお母さん」の生活の中にこそ世の中の課題が潜んでいることを、紙面を通じて伝えていきたい。
WMあるある、なのかもしれないし、いや働いてないお母さんたちにも共感できる側面もあるなぁと思った部分です。
私も子どもたちを育てながら、毎日のように思ってきました。
今夜は朝まで寝てくれるだろうか
熱を出さないだろうか
吐いたりしないだろうか
ご飯を機嫌よく食べてくれるだろうか
朝でかける前にぐずらないだろうか
着替えを嫌がらずしてくれるだろうか
乗り物の中でおとなしくしていてくれるだろうか
買い物が終わるまで癇癪を起こさずいてくれるだろうか
お友だちと喧嘩したりしないだろうか、ケガをさせたりしないだろうか
内容は違うかもしれないけど、育児の当事者という人たちのなかでこういう種類の不安にかられたことがある方は少なからずいるのではないかと思う。
私も長男を産んだ10年前から今日まで、程度の高低はあれ毎日のようにこの種類の不安を抱いては結果に安堵したり落胆したりの繰り返し。
その不安の繰り返しで疲弊している母親に対する
「ちゃんとしつけないと」
という言葉のなんと暴力的なことか。
厳しく叱りつければ、とりあえずは言うことを聞くのかもしれない。
お化けが来るぞと脅せば寝るのかもしれない。
泣いても相手をしなければ諦め疲れて寝るのかもしれない。
言うことを聞かない子を殴ればおとなしくなったのかもしれない。
でもそんなことが、この子のためになるとは私には思えなかったし、そうだからこそたくさんの母親たちが寝てくれ、愚図らずいてくれと願うのかもしれない。
歩いてきた母としての10年を振り返ったとき、どうしたらいいのか途方にくれていたそのいろいろな不安について、解決法はあったのかもしれないと思うこともある。
生活のリズムを整える工夫をしたり、言葉のかけ方を考えたり、予測して出来ることをしたりと対応のすべはあったのだろうなと思ったりもする。
でも、出来なかった。
それは私が未熟ゆえだったのかもしれないし、何より、そんなことを思いつく余裕、情報を得る余裕、実行する余裕が無かったのが要因だったのだろうと思う。
余裕が無い、それが、今の「しんどい育児当事者」の現状なんじゃないかな、と思う。
気楽に頼る相手はいない、悩みを口にすれば「躾が悪い」と自分が責められる、公共の場で泣かせれば舌打ちされ、何をするにも責められているようで辛い。
余裕を持とうと息抜きをしたくても預ける先はなかったり、あっても気持ちよくは預けられず気がかりだったり。
八方塞でどこにも何も吐き出せず、辛い、辛い、そんな状況で、私はそのとき出来ることをやった後はとにかく、お願いだからと願うことしか出来なかった。
熱を出すかもとかそんなのはほんとに自分でどうにも防ぎようはなかったりもするからどうしようもなくても当たり前なんだけど、そんな当たり前のことですら自分が責められているようで、自分が追いつめられているようで辛かった時期もあった。
余裕をそれなりに持てているときは、朝3歳児が幼稚園に行きたくないとぐずっても「そうか~じゃあどうしようか」と余裕を持って対応できたりもするし、そうやってこちらが悠々と接しているとしばらくしたら「やっぱようちえん、いくわ」と自分で用意をはじめたりもする。
この余裕綽々の対応は、時間だけじゃなくて心にも身体にも余裕がないと出来ないものなのです、不思議だけど。
じゃあその余裕、どうしたら持てるのか。
それはストレスの根源を自分なりに考えて打開していくしかなかったりもするので私にはご提案は出来ません。
でもね。
本人はそうやって余裕を持ちたいともがいてるとしたら。
周りの人が追いつめるような心ない言葉をかけること、泣いてる幼児に舌打ちすること、良かれと思っての育児アドバイスを押し付けること、をする前に、ちょっと待ったと思って欲しい。それは、たぶんなんの利益ももたらさない。
しんどいね、がんばってるね、息抜きできるといいね、とその母さんに言って欲しい、思って欲しい。
たとえ、あなたの眼から見たらまだまだ頑張る要素があるように見えても、それでも、すべての育児当事者をそうやって見て欲しい。
それだけで、救われる母親がいて、救われる子どもが必ずいるから。