スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

夫婦だけで育児なんかやっぱり無理ゲーでしたごめんなさい。


今日は、昨夜とても反省したことを書きます。

 

AERA最新号のこの特集

家事中に救急車で運ばれ…男性が語るイクメンの今 〈AERA〉|dot.ドット 朝日新聞出版

のトピックのなかに「大黒柱のままの両立は無理ゲー」って言葉がありまして、それに対して私、こんなことを言いました。

 

でも。

夜中に悶々と考えたんですよ。

大黒柱とまではいかなくても私もフル稼働で頑張っちゃいるけど、それを前提にして育てるってどうなんだろうって。

いやもうそもそも抱え込んで夫婦だけで踏ん張ること自体無理ゲーなんじゃないの?

 

長男を産んだ10年前からずっと

 

「母親なんだからしっかりしなきゃ」

「父親なんだからもっと何でもしてよ」

「親として、まず夫婦でなんとかしなきゃ」

 

と思い続けた日々でした。

その思いを元に夫にも色々と無理難題を押し付けてきたような気もがします。

 

双方の実家は近かったもののそれぞれ軋轢や色んな感情もあり、それなりに頼ることはあっても「あくまで緊急的なもの、なるべく頼らないようにしよう」と思いながらやってきたように思います。

 

そしてそれは、いつしか「自分は頑張ってる」という自負となっていたような気がします。口に出して主張しないまでも、どこかでそれを自分の支えにしながらギリギリの家事育児生活をまわしていたような気がします。

 

そして今、私は「夫婦だけで頑張らないと」と思った自分を捨てて降伏します。

白旗あげます。

ごめんなさい、奢りでした。

無理でした。

 

夫婦二人だけで頑張り続けることに何のメリットも無かったと改めて痛感し、そして自分たちで!と突っ走っていた過去の自分の未熟さを情けなく思っています。

 

実は先日から、我が家ではある問題が勃発していました。

 

今回我が家を襲ったのは、小学校高学年の息子に起こったトラブルでした。

このエントリの本題ではないし現在進行形のことなのでここで詳細には触れませんが、学校で起こりがちなトラブルに巻き込まれてしまった状態です。

彼自身が抱える問題もあり、またその問題により彼自身が負った心の傷も深く、夫と二人何度も学校等に足を運んで状況の改善のためにすべきことを模索しています。

 

仕事しながらその対処に負われ、さらにほかの子のお世話をし、更に長男自身のために今まで以上に接する時間を増やさねばならない。正直言って、かなり大変なことを背負う羽目になりました。

結果的に私たちは、双方の実家や親しい友人たちに事情を説明し、長男のために時間を割くために下の子たちを預かってもらったりと家事育児負担を軽減するためのお手伝いをお願いせざるを得なくなりました。

 

幸い周囲は快く受け入れてくれ、アドバイスをしてくれたり(実家の親に関しては見当違いなこともかなり多いですが…)いろいろな面で助けてもらえ、なんとか少しずつ前に進むことが出来ている感じです。

 

自分自身がフル稼働してる、いっぱいいっぱいの状態で日常を送っちゃってるとこの、イレギュラーなことが起こったときの反動がものすごくあるんだということに、今回改めて気づきました。

 

いやほんとに、情けないのです。

 

今まで、頼らず頑張っているんだ!と突っ走っていたのにいざイレギュラーなことが起こったら自分たちだけではどうにもならずに周りに助けを求めなきゃいけなかった。

そんな自分に思うのです。

「じゃあもっと早くから、ちゃんと頼ればよかったのに」って。

 

求めれば得られる手助けが、長男を産んだときからずっとそばにはあったのに私はその手を借りないことこそが親としてあるべき姿だと勝手に思い込んでいました。

借りないことが偉い、とすら思っていたのかもしれません。

借りずに頑張る私すごい、と思いたかったのかもしれません。

 

でも。

 

いざと言うときに細部まで自分でカバーできないなら、夫と二人でカバーできないなら、そんなの本来あるべき姿でもなければベストの状態でもなかったんだろうな、と。

ギリギリいっぱいのところで奮闘する自分に酔っていただけで、結局こどもたちのことを一番に考えることは出来ていなかったのかもしれない、と思うのです。

 

 

イレギュラーな事態が起こらないままだったら、夫婦だけで育て上げることもできるのかもしれない。

 

でも、病気や怪我、災害、親の不調や経済的なトラブル、いじめ等学校で起こる問題等、子どもたちや自分たちがいつどんなトラブルを起こすか巻き込まれるかは本当に分からなくて、それはやっぱり常に想定をしておかなくちゃいけないと改めて思いました。

 

そして、想定するだけじゃなく普段からできるだけ、気持ちよく周りに頼ったり頼られたりの関係を作っておくことが、もし問題が起こったときにそれを長引かせないようにしたり子どもたちの負担を減らしたりするためにも必要なんじゃないか、と。

 

実家が遠かったらそんなの無理、と思うかもしれないけど、例えば預けられる施設をあらかじめリサーチしておくとか、友達同士でそういう話をしてみるとかできることを少しずつでもいいと思う。

そうなったらどうしようか、と想定しておくだけでも違うと思う。

 

かつての私のように「頼らないのが筋」と思い込んでいる人も少なからずいるし、そういう声を思うと声高にこんなこと言えないと思うかもしれない。

だからこそ、こういうことを口にすることで少しでも多くの人が、周りを頼ろうとする親に対して寛容でいてくれるようになると良いなと思うのです。

 

甘えだといわれようと、情けないといわれようと、声を大にして言います。

 

夫婦だけで子どもを育て上げる前提で子育てするの、無理です。無謀です。

もし出来てる人がいたらそれ、すごい偶然でラッキーなことです。

 

だから、頼ってください。

頼られたら快く応じてください。

頼ろうとする人を寛容に見守ってください。

 

 

頼らせてもらったらありがたいと思って、そしてまた自分が頼られるような年の重ね方をしたいと、そう思うのです。

 

AERAさん暴言吐いてゴメンナサイ。

イクメンでも母親でも何でも、あれもこれもと抱え込んで子ども育てるのはやっぱり、無理ゲーです。

 

追記です。 

ちゃんと頼らなかった自分が情けないのは、今までも本当は周りにたくさん支えてもらっていたのに罪悪感を和らげるために「これは非常事態だから頼んでるんだ、しかたないんだ」という気持ちがわいてきてしまったり、注意が足らずに手助けを受けたことに気づけなかったりして結局、受けた援助に対して認識や感謝が甘かったような気がするからでもあります。

 

頼って生きることを意識することで初めて、周りのありがたさが見えてくるのかもしれないなと思いました。 

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