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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

頂き物の大根から考えた、ハレの日とケの日のご飯のこと。


収穫の季節を迎えて、我が家にもあちこちから秋の実りが届くようになりました。

 

昨日は私が実家からカボチャやお芋を。

先日は夫が現場でもらったと大根やネギの束を抱えて帰りました。

夫の母からはムカゴ。

下校途中に畑仕事をしてた近所のおばちゃんからもらったと息子達があれこれ抱えて帰る日もあります。

 

夫がもらってきた立派な大根を下ゆでして、とりあえず炊こうと鍋に入れ、おだしと醤油とお酒を入れて。

柔らかくなってきたところで、でもこれだけだとちょっと物足りないかなぁ、と冷蔵庫にあった厚揚げを投入してみたところでふと思いました。

 

この料理、なんて名前なんだろう。

 

名前をつけようと思ったら「大根と厚揚げの煮物」とか「炊き合わせ」とかそれなりの名前がつけられるのかな。でも私は、その名前の料理を目指して作った訳ではなくって、そこにあった大根をとりあえず食べられるように炊いて、そこにあった厚揚げを入れてみた。

これが、今日のうちの晩ご飯のおかずの一つになる。

 

料理って、たぶんそもそもはこういうことだったんだろうなと、お鍋の中の大根と厚揚げを眺めながら思いました。

 

「そこに「在る」食べ物を、食べられるようにする行為」

 

手に入れた食材を、口に入れられる状態にするということ、それが料理の始まりで、そして多分、ごく最近まで家庭料理というのはそういうもんだったんじゃないかなと。

 

採れたもの、獲れたもの、頂いたもの、手に入れられたもの、その、手に入ったものを家族が食べられるような状態にしたもの。

それは、レシピも名前もない、おうちのごはん。

 

 

伝統的子育てだの家事だの色々と言われていて、昔より家電もいろんなサービスも増えて、主婦の仕事は楽になってるはずだってよく言われる。いろんな面でそれは確かにそうだなと思う。

 

でも「家庭料理を作る」ということに特化して考えたとき、結果としてそう楽になってないような気がずっとしていて、それはなんでなんだろうって不思議だった。

 

ご飯は炊飯器で簡単に炊くこともできるから、エリーちゃんみたいにかまどで四苦八苦しなくてもよくなった。電子レンジも冷蔵庫も、いろんな調理器具も半調理の食材もあるから調理そのものは楽にできるようになってる、はず。

 

なのに夕方のTLにはご飯作るのめんどくさい母さんの声が並ぶし、私も例に漏れず毎日おっくうな気持ちでご飯を作ってる。

 

楽になってるはずなのになんでだろう。

 

その答えが、大根のお鍋の中にあるような気がしたのです。

 

手に入った大根を、手元にある材料で「食べられるようにしたもの」

同じように、頂いたり、手元のお金で手に入れられたものの中からなんとか食べられるものを煮たり炊いたり焼いたりして、食べてきてた。

 

その、料理それぞれの名前も特に無いおうちでのご飯が、いつしか名前のあるメニューで構成された献立を先に考えて、そのための食材を買い集めて数種類の料理で構成された作品を作り上げるものになってきてるのかもしれない。

 

その完成度の高いところが目標というか、一般的なレベルだという認識になんとなくなっちゃってることが、日々の献立を決める苦悩や買い物の苦労や作る手間を増やすことになっちゃったりしてるのかもしれないなぁと。

 

 

少し前に私がTwitterで、体調悪くてしんどいから晩ご飯はレトルトのパスタソースをゆでたスパゲティにかけるだけの晩ご飯にしちゃったよごめんよと呟いたんですね。

そしたらアメリカの晩ご飯とかけっこうそんなもんだよという声を頂いて、確かにそういうのはよく見聞きするなぁと。ホームステイしてた友達も似たようなことを言ってた。いやそこを目指せというわけではないのだけど、でも、もっと手を抜いても良いんじゃないかなぁと思ったりする。

 

栄養なんて1週間のトータルでバランスがとれてれば良いって市の栄養士さんも言ってたし、とそんな都合のいい情報を思い出してみたりもする。

 

完成度の高い、写真を撮りたくなるようなご飯はたまの「ハレの日」だけでも良いのかもしれない。

 

そのために毎日たいへんな思いをしてご飯を作り上げてしんどくなっちゃうより、ケの日(なにもない日常)は簡単に済ませて楽して楽しくて笑ってる母さん父さんで良いんじゃないかなぁ。

 

 

野菜が毎日届く、って田舎ならではなので都心にいたらそうそう無いことなのかもしれないし、うちも時期が過ぎたらぱたっと来なくなるからいつでも貰い物でなんとかなるわけでは決して無いし「在る物だけで食う」ってことを現代に続けるっていうのは多分無理な話なんだろうとは思う。

でもそこまでではなくっても、昔はそんな風だったんだし今のスタンダードな教科書通りの食卓にしようって意気込まなくても良いんじゃないかなという、そういうことを考えながら炊いていた大根が、ふと気づいたら夕方お腹をすかせた息子たちにごっそり「味見」されていて晩ごはんのおかずが一種類消滅してしまうという、そんな余談まで付いて来てしまったご飯のお話でした。

 

余談ですが、以前Twitterで呟いたことがある「今月のお献立表を先に決めちゃう」っていうのは結構快適に継続してます。献立を決めるのがあまりに苦痛だったため学校と幼稚園の給食メニューを元にメインの1品だけを先に1ヶ月分決めちゃって、あと副菜は適当に、というやり方。

メインが決まってるので何日分かまとめての買い物がし易いし、貰った野菜やなんかを適当に副菜にしちゃえばいいし、あと決めてても忙しさや冷蔵庫にあるもの次第で献立表無視しちゃうこともあるのでそのくらいの適当さで日々手を抜き抜きごはん作ってます。

今日はこれから、お昼休みに自宅へ戻ってカボチャを煮て、昨日残った厚揚げと、あとなんか肉っぽいものを用意したら良いかなと企んでおります。献立に書いたメニューは「かしわうどん」だからそれでも良いかな。

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