私が住んでいるところは九州とはいえ寒さも厳しいところなので、秋がきたかと思うと山が色づく頃には一気に冬を感じます。
このあいだまで半袖のTシャツを着ている子どもたちに慌てて引っ張りだしたトレーナーを着せ、すぐに手袋やマフラーが必要になり、冷房として使っていたクーラーを掃除する間もなく暖房に切り替える。
洗濯物は日をおうごとに乾きにくくなり、衣替えは遅々として進まず、部屋干しの洗濯物とあわてて引っ張りだした冬物の入った衣装ケースとで家が占領されてしまう。
今年も、そんな冬が猛ダッシュで我が家にやってきました。
のんびり夏を楽しんでいて出遅れた私は今になって慌てて、4人の子どもたちそれぞれの衣類を整理します。
夏物は来年も着られそうなものと今年までのものに分け、気温が高い日を想定して数枚をタンスに残す。
夏の初めにしまった冬物のケースを引っ張りだし、一人ずつ呼んでは着せたり合わせたりして今年も着られるかを確認し、着られそうな物だけをタンスにしまう。
着られそうにない服は親戚や友人宅へのお下がり用と来年へ持ち越し用へ仕分け。
空になった衣装ケースに夏用の服をしまい、去年持ち越した分やお下がりで頂いた冬物をチェックし、4人それぞれのタンスと衣装ケースの整理。
そして、足りない冬物を買い足すべくチェックリストを作成。
とつれづれと書いたけど手をつけたまままだ半分くらいしか終わらずに家はカオス。
そんな状況なのに昨日も今日もお天気が微妙。
まだ乾かない昨日から持ち越しの洗濯物の隙間に今日の洗濯物を干しながら、寒い風のなか毎年思うのです。
「四季なんてなければいいのに!」「ずっと夏ならいいのに!」
そして、毎年思うのです。
「や、冬が来なかったらみみくろさんが寂しいからダメ」
私には、数年前から仲良くしているみみくろさんというお友達が居ます。
冬が大好きな彼女が、毎年寒さが近づいてくるたびに呟く寒さを待ちこがれるツイートが、私は大好きです。
ブーツのこと、コートのこと、木枯らしのこと、遠い東京のまちで彼女が感じている、冬がきたことを感じさせる、彼女のワクワクする気持ちがちりばめられた言葉の数々を、毎年見かけては嬉しくなります。冬が来たなぁって思うのです。
私にとって、衣替えはめんどくさいし子どもたちは風邪だのインフルエンザだの気をつけないといけないし、こたつだのマットだの毛布だの汚しものも増えるしかさばるし乾かないし、外 遊びに付き合うのも寒いししんどいし、そんな面倒で仕方ない季節である冬。
でも私が大好きな友人にとっては、待ちに待った冬。
同じ日本の同じ冬なのに、私と彼女でこんなに感じ方が違うということがとても面白いのです。
疎ましくて仕方が無かったものが、誰かにとってとても大事で大好きなものであるということ。
寒さを疎ましく思うたびに心のどこかで、この寒さに心を躍らせている友人のことを思い、なんだか自分まで嬉しくなってくる、その不思議な感じがとても楽しい。
彼女に出会えたことで、私の冬は少し楽しくなりました。
誰かとの出会いが、疎ましかったものの良さを少しだけ見せてくれる、気づかせてくれる。疎ましいと思っていた気持ちが、少しだけだけど楽になる。
子どもたちにも、そんな出会いが一つでも多くありますようにと思いながら、駆け足で迫ってくる寒さに負けないように洋服の山と格闘する毎日。週末までになんとかしないと。