スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

結局子だくさんは何が大変なのってこと。


陣痛なうでおなじみの志乃さんから子沢山母としての苦労話を求められまして、あれこれお答えしておりました。

詳細はこちら。

子どもを産んで育てる覚悟について、子沢山人気ツイッタラーに「陣痛なうの人」が聞いてみた - Togetterまとめ


たくさんアクセスがあるみたいで私のもとへも感想や改めてのRTをいただいたりしました。ありがとうございます。

今日は、先日の出来事から子沢山ゆえの大変さみたいなことを書いてみたいと思います。

我が家は双方の実家が近いので日常的に行き来が多く、立ち寄ったときの流れで誰かが「泊まりたい!」となってのお泊まりが割りと良くあります。

冬休みには実家の都合に会わせて上の3人が交代でお泊まりさせてもらって、いつも狭い家に4人ぎゅうぎゅういるうちの子達は家の中に子供が一人という素敵環境を満喫させてもらいました。

さて上3人がお泊まりを希望したとき、毎回「ぼくも!」と元気に手を挙げる小さい人がいます。キラキラした笑顔でぼくも!ぼくも!と跳び跳ねるのは4歳になったばかりの末っ子三男坊、そしてそれを怪訝そうに見るお祖母ちゃんと私。

彼には前科があるのです。
過去に数回、泊まりたいと騒いで準備してもらっては夜中に「やっぱり帰る~!」と泣き叫んで送り返された前科が。


「また帰るって言うんじゃないの?」「言わない!」「いや寒いし送っていくのも迎えにいくのも大変だからダメだってば」「暖かくなってからにしたら?」と母と私が説得を繰り返す、というのがこの冬休みに何度かあった光景。


三男4歳、思い返せば長男がはじめて実家に止まったのは私が次男を生んだ1歳半の頃。次男は寝付きの良い子だったのでたしか長男とセットで1歳過ぎからお泊まりしてました。娘はちょっと遅めだった気がするけど三男が生まれる3歳の頃にはもう普通にお泊まりしてたと思います。

三男も3歳の頃から私が夜の外出でいない日は夫や長男と寝ていたし、私が家事を片付ける間に一人で寝てた日もあるので「お母ちゃんがいないと寝られない」わけではないはず。なのに4歳になるのになんでお泊まりはできないんだろ、と、そんなことを周りにちらほら話していたら「うちも!」「あそこの子も!」と同じように末っ子お泊まり苦手説があちこちから湧いてきました。

2人目ちゃんや3人目ちゃんなど兄弟の数や家族の環境は様々ですが、上の子はそう難はなかったのに末っ子ちゃんは寝入りそうになっても泣き出して帰りたがったとか、いったんは寝たけど夜中に起きて帰ると騒いで迎えにいったとか……もちろんお泊まりが楽々できた末っ子ちゃんもたくさんいるとは思うんですが、うちの子たちのなかでなんで三男だけやっぱりおうち帰る!ってなるのかな、って考えたときに思い当たることがいくつかあったんですね。

ひとつ目は、ごねればなんとかなること。
次男が生まれるときに深夜だったこともあり長男を実家に預けてから夫に産院まで連れてってもらったんですが、そのときにその旨を伝えてお留守番しててねとお願いしたときの長男の顔はいまでもおぼろげながら覚えています。
小さいなりに何かを察したような顔つき。
そんな逼迫した事情は今のところ三男にはありません。お父ちゃんもお母ちゃんも元気で家にいて、いつでも迎えに来てくれると思ってる。帰れないからと我慢するという選択肢は無さそうです。


ふたつ目は、自宅とお泊まりの環境の違い。
上の子達にとって自ら希望したお泊まりは「お一人様経験のできる貴重な時間」でもあります。
子供のいないジジババの家で、大人に囲まれておもちゃもおやつも独り占め。広いお部屋でのびのびと、兄弟げんかともチャンネル争いとも無縁で過ごす。

でもそんなお泊まりも、普段お兄ちゃんたちに甘えさせてもらってなんでも譲ってもらえている三男にとっては特段のメリットと言うわけでもなく。


そりゃ、お父ちゃんお母ちゃんいない寂しさを乗り越えてでも掴みとりたいメリットでもないんだろなぁ。


そう思っていたら、逆に上の子たちはその、家では満たされないことを得るためにいろんな我慢や努力をしているのかもしれないんだな、と気づきました。

まだ小さな2歳3歳のうちから、お兄ちゃんお姉ちゃんとしての我慢をしてきてる子どもたち。それは、人として成長していくための糧として良い面もあるのかもしれないし、悪い面もあるのかもしれない。

その、子どもたちの心のこと。

それが、4児の母として暮らす私の、今の一番大きな気がかりでもあり苦心しているところでもあるような気がします。子どもたちが小さい頃の、嵐のような戦争のような、お世話に手がかかっていた時期を経て今を考えた時に一番時間と神経を使っているのはそこでした。

たとえ一人でも、子どもを育てていたらその子の精神的ケアには配慮が必要だと思います。園や学校でお友達とうまくつき合えているか、勉強や運動面で困って気にしていることはないか、それが交友関係に影響を与えていないか、等々。それが、純粋に4倍。
そしてなによりも大きいのが、兄弟間の人間関係から来るそれぞれへの負担を考えること。単純に人手が足りないという意味でのケア不足の可能性を常に考えていたり、それぞれの兄弟同士の相性の善し悪し、そこからくる兄弟喧嘩などのストレス要因、上の子ほど我慢をする機会がどうしても増えてしまうこととそれを汲み取って穴を埋めていくこと…。2人兄弟だと子ども同士では1対1の人間関係ですが4人となると1対1だけでも6パターン、そこから2対1とか3対1とか加えはじめるともう何パターンあるのか頭が…(数学の階乗とか使えば簡単に出ますよね…もうすっぽり忘れてしまいましたが)


兄弟が多ければ家の中で色々な遊びかたが出来るとか、寂しく無いとか、いろんなメリットはもちろんあるのだけど、それはうるさいとか自分のスペースが狭くなるとか兄弟のやったことでとばっちりを受けてしまうこともあるとか、デメリットと常に隣り合わせになっていて、それでそれぞれの子がどんな影響を受けているか、ケアが必要な状態になっていないか、という目を配り声をかけ手をかける。

言葉で書くと簡単に実行しているようにも感じられるかもしれませんが、そのことを考えて夜寝られない、ということもしばしばなほど、メンタルのあまり強く無い私には負担の大きいことでもあります。いじめられた記憶がある人間にとっては子どもがちょっとお友達ともめたと聞いたりその場面を見てしまったりすると、本人への心理的な影響を考えて夜中ひとり布団の中で悶々としてしまったりすることも。

幸いこれまでは園や学校の先生方、周りの親御さんたち等環境に恵まれていたので比較的穏やかに流れることができていたのですが、今年初めて担任に恵まれないという事態に直面してこれまで偶然による幸運にいかに助けられていたかを痛感しているところです…。
そしてそうなってみると、助けてくれる人、理解してくれる人の存在に何度も救われることになって有り難さを身にしみて感じます。
「年齢が上がるほどに対応は難しくなります。特に男の子は小3〜小4がタイムリミットですよ」とは息子の件で相談していた時のスクールカウンセラーさんの言葉。そのくらいの年齢を境に、親に何でも話したり、親の働きかけに素直に応じて問題の解決を図ったり周囲を頼ったりすることが難しくなっていくのだそうです。でも難しい年齢になってきた子どもたちが問題を抱えた時、親だけで乗り切るのは多分とても難しい。親が孤立してしまうことで解決からどんどん離れていってしまうケースを私も周囲でいくつか見てきました。カウンセラーさんからもよくあることだと言われました。


志乃さんのまとめてくださったまとめの中には小さい頃の奮闘した苦労話みたいなことが主な気がしたのですが、今思い返せばそのときに自分で頑張らなくてもいろんな人の手を借りたり手を抜いたりしてもそんなに影響は大きく無かったなと思ったりします。粉ミルクを使おうが母乳を頑張って出そうが、その母乳の質がどうだろうが、母親が働いていようがいまいが、多分根っこの部分の、子どもを大切に思う気持ちがあれば間違わずに乗り切れるんじゃないかと思う。だから、その時期は夫も含めいっぱい人や制度を頼ること、その練習を小さいうちにたくさんしておくこと。もし小さい頃にそれをなるべくしないようにと思って自分の力だけで突っ走ってしまうと、たぶん思春期に近づいて心のケアが必要になって来たときに周囲と連携していくのが難しくなってくるんじゃないか、と思います。


長男がまだよちよち歩きのころに、4人の父である知人と道で会って「目が離せなくて大変で」とこぼしたときのこと。
当時その方のお子さんは大学生から小学生、幼児相手にあたふたする私に「早く手が離れたら良いと思うでしょ、でも小学生のときは小学生の、中学高校大学と、そのときどきで大変さはどんどん変わっていくんだよ〜」と笑って話してくれたそのことが、今でも折に触れ思い出されます。手が離れればその先のこと、目が離れればまたその先のこと、長男の成長とともにその変化をまさに感じてきた10年間でした。それが4人分、それぞれ違っている状況やさらにそれが絡み合った事案に対応し続ける日々。その大変さがいつ終わるのか私にもまだわかりません。

もう40をとうに過ぎて社会的な地位もあり立派に独立している息子さんのことを今もなにかと心配している近所のおばあちゃまのことを思うと、もしかしたら棺桶に入るまでその日は来ないのかもと思うこともあります。4人がそれぞれどんな大人になっていくのか想像だにできませんが、自分も育児をかなり双方の親に助けてもらっているし、その覚悟もしとかないといかんのかな〜と遠くの山を眺めながら気が遠くなったりもしています。まぁ、その経験を楽しんでいる自分もいるし結局自分にできることしかできませんが。

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