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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

愚痴に具体的な助言をしたくなる理由


昨日の夕方、DSを抱えた次男が嬉しそうに走ってきまして(いやDS抱えたまま走るなや転んで壊したらどうすんの、と思いましたが!)

「お母ちゃん!やっと!やっと倒せたんだよ!」…そこからカタカナの名前のなんとかいう妖怪だかモンスターだかと戦い続けた俺の奮闘記を展開する次男の話をうんうんと聴いて、嬉しそうな様子になんだか私も嬉しいなぁと思いながら晩ご飯の用意をしなきゃと荷物を片付けて台所へと向かいまして。

 

しばらくすると絶叫する次男の声が。

ぼろぼろと涙をこぼしながらやってきて「データが…データが…」と。聴けばセーブが出来てなかったと。あの難敵を倒す前まで戻ってしまったと。それをさめざめと泣きながら延々と語る次男と目の前に並べた作業しかけの食材、さぁどうしようかと思いました。喉の辺りまで出て来ているのは「またやればいいじゃん」「もう一回やってみたらきっと倒せるよ」とか、そういう種類の助言でした。

 

でもあえてそれを飲み込んで、ぐっと堪えてただただ泣きながら自分の悲しさを訴える次男に相槌を打ち続けてみました。というのは思い出したから。いつもそのパターンで私が喋り続けようとする次男を遮って解決策を提示しては「でも…」「だって…」という言い訳じみた話が続き、それがだんだん鬱陶しくなってきてお互いなんかモヤモヤしながらやりとりを続けてしまうという、消化不良な時間を割いて来た過去を。

 

相槌や言った言葉のおうむ返しを続けながら、一度だけ「さっき、すごく頑張ったんだって言ってたもんね、悔しいよね」と同調を挟みました。

 

その辺で次男はすーっと落ち着いていって、気づいたらテレビを見ていた兄のところへ行って笑って一緒に見てました。

 

 

あぁやっぱり、ただ聴けば良いんだなぁ、あぁ悔しかったんだって気づいたんだなぁ、それで気持ちにきりがついたんだなぁと眺め乍ら思いました。湧いた感情が何かということを整理することや気持ちのきりの付け方をまだ意識していないんだなと改めて感じた出来事でした。

 

この、誰かにただ話を聴いてもらってスッキリする、という経験、女性が愚痴を言うのに良く似てるなとふと。よく見聞きするあれです「おばちゃんたちが集まって延々自分の愚痴を言い続けていて双方やりとりは成り立ってないのにみんなすっきりしてお開きになってる」とか「妻が帰宅した夫に愚痴を言い、夫がそれに現実的なアドバイスをしては場を壊す」という現象に良く似ているなと。

 

このことを論じるときに、よく「女は愚痴を言う生き物で男は具体的な解決策を示したくなる」とか「男は愚痴は言わないから女の気持ちは分からない」とか性差を交えられることがあります。この傾向は確かに私も感じることはあるので、何かしらの違いはあるんだろうな、と思いつつ同時に、息子たちがその愚痴をこぼす経験を経て良い方向に転じている現状を見ていると「これ、男の人にも必要なことなんじゃないの?」と思ったりしました。

 

そこで掘り返す過去の記憶。

結婚した男友達と飲み会とかで会った時になぜか私に向けて語られる嫁の愚痴、仕事の愚痴。奥さんが働いてるから俺も終電で帰ってから洗濯干したりするんだよとかそういう種類の、へーそうですかっていうレベルのやつが多かった気が。とりあえず解決策は必要なさそうなんでうんうんと聴いてその場が終わることがそういえばよくあったなと。独身の頃も飲み会で男性の愚痴を聴くことは結構ありました。(うっかり彼女の愚痴を色々聴いてあげた結果浮気してると彼女から誤解されて修羅場になりかけた悲しい過去まで思い出しました…。)

 

相槌やおうむ返し、同意、適度な褒め、これホステスさんの技でもありますよね。私が経験したように他の女に色々言うことで浮気を疑われることもあるのかなぁと思うと、スナックとかそういうある種合法的な場で日頃の愚痴をこぼす男性も多いんじゃ…と。

 

結局、男は泣き言を言わないとか、家庭に愚痴は持ち込まないとか、そういう男性という性に押し付けられて来たジェンダー的なことや彼女や奥さんに誤解されては色いろ大変という経験則とか、そういう背景から「人前では愚痴らない」という男性像を何となく当てはめられたり当てはめたりしてるんじゃないかなと。

 

でも男性が妻の愚痴に対してついアドバイスをしたくなる気持ち、私はすごくわかるんですね。

最初に書いたように息子たちが私に話を聴いてもらおうとやってくるとき、たいていこちら側の都合は無視です。自分のタイミングで押し掛けてきていやおうなく感情をぶつけられる。私はお母さんという立場なので息子たちの成長のためにこの相槌を打ちながら話を聴くという時間が必要であることや、それで息子が笑顔になるというささやかな喜びや、結果的に長引かせる問答より時間的にも短く済むことを経験として知っているので耐えるですよ、そのメンドクサイやりとりに。

 

ええ、メンドクサイんです。

晩ご飯作る用意して、作業に取り掛かってるときに、まぁ多少手は動かしてはいるけど顔を見ながら様子を伺いながら「ちゃんと聴いてるの?」って思われないように意識しながら相槌をうち適切なタイミングで言葉を返して行くという作業、忙しいときはほんとにメンドクサイ。早く切り上げたいと思うとつい、適切なアドバイスを与えて「はいこれでいいでしょ?」って言いたくなる。

母親なんだから優しく受け止められるものだろうとか言われちゃうかもしれないけど、いやそんな聖人君子じゃないんで、聖母じゃないんで、寝ぼけたこと言ってんなよと。我が子だろうと汚いときは汚いと思うし相手するのメンドクサイときはメンドクサイと思います、はい。

 

この自分のめんどくささを元に、「妻の愚痴に具体的な助言を与えたくなる」のは、男だから、じゃなくて「メンドクサくて早く切り上げたい」からじゃないかという仮説を己の中に打ち立ててみました。

 

いやもちろん脳科学うんぬんを理由に性差ベースの理由付けがあるのも読んだことはあるんですけどね。

 

めんどくさいから早くここから抜け出したいという心理が、場を切り上げる為の手段としての「具体的な解決策」を持ち出すことにつながり、それがただ話を聴いて欲しかった妻の逆鱗に触れている。

 

それをふまえたら、仕事帰りの夫を捕まえて愚痴を言う、はお互いのためにメリットのない行為ということなのかもしれない。愚痴を言う相手を変えるなり、タイミングを見計らうなり、妻のその背景を汲み取って夫がその時間を相槌で耐えるのもありなのかもしれない。(結果的にその方が後に尾を引かないから対処が楽だったりするし)

 

んで、私はただ聴いて欲しかっただけなんだ、ということに気づくことのメリットはもう一つあって、それは「対面、対人でなくてもいい」ということなのかもよということ。要は、自分の中に渦巻いている感情をアウトプットすることに意味があるわけなのだから、それが対面でなくても、ネットに書いてみる(鍵をかける等の自衛は必要かもですが)とか、日記をつけてみるとか、手紙を書くとか、そういう方法でも落ち着けるかもしれない。

 

私は最近夫と話す時間がないときはLINEでだだだっと長文送りつけることがあります。文字にして吐き出すことで落ち着けること、伝えとかないといけないことを後でと思っていて忘れていてのトラブルを避けること、とりあえず書いてはみたけどこれは別に夫に言わなくていいやってことは送信前に消せること、そして最大のメリットは「彼に余裕がある時に読めること」

 

可愛い我が子からやられてもメンドクサイ、そんなタイミングを考えない愚痴はやっぱり良く無いなぁと思うと同時に、それでも夫に聴いて欲しいって思うことも、そう思って自分を頼ってくれている人がいるということも、全部、良い方向に持っていけたら良いなあって思う。

 

考えなしに無駄打ちしないとかそういう聴いてもらうための配慮も、大切な人の辛さを和らげるために聴くという心構えみたいなのも、双方に必要なのかなと思ったりしています。

 

今はただ聴いて欲しかったという子どもたちの言葉を受け止める時期なのかなぁと思いながら、そのうちその言葉をどうやって外に出すといいかということを考えないと周りに迷惑をまき散らすことにもなるのかなとも思うと、適切な場や方法を考えるためのフォローもおいおいしていく必要が出てくるかもしれないのかな、と考えたりしています。

 

傾聴に関してはこちらに詳しい記事を書いた事がありますのでご参考までに。


話し方聴き方実践をやってみた。 - スズコ、考える。

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