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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

娘の音読から始まった考える旅の行き着いたところ。

こどものこと


かなり前からちらほらとTLに流れて来ていた、2分の1成人式という学校行事の話。

年上の子がいる先輩母さん達からそういう行事があるということは聞いていたのだけど、最近その行事に対する批判的なツイートがたくさん流れてくるようになりました。

個人的にはそんな個々の事情が関係してそうなネタ、全員参加でやらなきゃいいのにな〜と思ったりしてました。

 

娘の音読で気づいたこと

数日前、1年生の子どもの音読を聴いていたとき。読んでいたのは「みぶりでつたえる」という文章で、その内容は「私たちは言葉だけではなく手や表情を使って色々な気持ちを伝えています」というもの。

 

台所仕事をしつつ一生懸命読む娘の声を聴きながら、その、みぶりでつたえようという内容、視覚にハンディのある方を置いていく内容だよなぁとひねくれたことを考えてしまった私。でもそりゃそうだ、「見える」人の方が大多数なわけだし、第一今子どもたちの通う公立の小学校には視覚障害のある子も教員もいない。「身振りが伝わる」ことが当たり前の環境、それが標準設定のところで行われる授業だから別にそれで問題がある訳じゃないよねえ、なんてあれこれ考えておりました。

 

その、標準設定、ということ。

あぁ、2分の1成人式もそういう風に存在してるんだろうな、と。

 

学校の「標準設定」

「両親が揃って一緒に暮らしていて、お父さんが働いていて、お母さんが家事をしている家庭で愛され大事にされて育てられている子ども」それが、恐らくは今子どもたちが通う学校の「標準設定」なんだろうなと。

 

そう思わせる行事は2分の1成人式だけじゃないんですね。

子どもたちが1年生の頃の宿題に「おかあさんのしごとしらべ」というのがありました。学校が求めていたのは「お母さんが家でどんな家事をしているかを知ってお母さんのたいへんさを知って感謝しよう、お手伝いする気持ちを育もう」という感じのこと。

仕事の内容を書き込むプリントが配布され、子どもたちはそれに母親がやっていることを逐一記録して、参観日にそれぞれが発表をするという趣向でした。

平和なクラスのなかでは「おとうとをしかる」とか「おとうさんとけんかする」なんてことを書いてきた子がいて笑いが起こったりする、楽しい授業。でもそれが楽しく書けない家庭の子がいたら…2分の1成人式の批判のなかで出ているような悲しい思いをする子が出てしまうかもしれないなぁと。

2分の1成人式という行事も、上に書いたような標準設定の枠内にある家庭の子とその親にとってはさして問題のあるものではないのかもしれなくて。その標準設定からずれている子がどのくらいいるか、ハンディと違って分かり易いものではないだけにそれを学校が想定するのは容易ではないのだろうしだからこその廃止論なんだろうなと色々な方の意見を拝見していて思いました。

 

お父さんも家事を多く担っている家庭だと「おかあさん」に限られていることが学校の求めていること考えていることと現状がズレていくような気がして気になっていた授業の一つでした。現状に合わせて変えないといけないんじゃないかなぁと。

  

 

変わらない、学校という場所

学校という場所に子どもが所属して役員をしたりして訪れる機会が増えていく中で、自分が通っていた頃と変わっていない場所であることを思い知らされることがよくあります。それはいい意味でも悪い意味でも。

 

前に書いた事があったけど、息子たちの通う地元の公立小学校。校舎の建て替えがあったのは私が小さい頃と聞いているから30年以上前でしょうか。トイレは今も基本的に和式なので入学してトイレで困る子がいると今も耳にします。石鹸は最近ようやく液体式ハンドソープを見かけるようになりましたがまだまだ主流はみかんが入ってる赤いネットに入った固形石鹸。教室の机やイスも、給食のときに使うシートも、実験の道具も、夫が通っていた30年近く前から同じだそうで。

 

もちろん、その場で問題が生じたり制度が変わったりして変える必要が出ているものはじわじわと変わっていっているのだろうな、とは思うのだけど、でも世間がどんどん変わっていっても色々な事情で「変える」ことのハードルが高いのも公立の学校の特徴なんだろうな、とそういう光景を見ていても思います。

 

少しずつ少しずつ

子どもたちが経験した「おかあさんのしごとしらべ」。クラスの中にお母さんが一緒に暮らしていない子がいた年があってそのときその子には「おばあさんのしごとしらべ」というプリントが配られていたと子どもたちが話してるのを聞きました。(悪口とかではなくて、1年生なのでみんな屈託なく「〜〜ちゃんちはおかあさんいないからおばあちゃんがごはんつくってるんだって」「へ〜」って感じでした)その子がどんな気持ちだったのか、私にもわかりませんがこれ、その子だけ違う、じゃなくて「かぞくのしごとしらべ」とかにしちゃうとみんな同じになって良さそうだな〜とそのときは思ったりしました。

 

そのときの子どもたちの状況にあわせて、先生たちも試行錯誤をしているのだろうなぁと思うしそれを人数分想定するのって大変なんだろうな、と思う。でも、少しずつ少しずつ、それぞれの子どもたちの状況に寄り添った形で学校の授業の内容も変わっていくといいなぁ、とも思ったりします。

 

小学校を、変えていく力

小学校で大きく変わった!と思うのは絵の具や習字道具なんかの、一般の企業が入ってる物販。デザインとか重さとか、昔と全然違う感じ。外と繋がりのあるところはバシバシ変わるのかなぁ…。(いやもちろん絵の具バッグの柄とか別に大きな影響が無いからっていえばそれまでなんだけどあくまで一例ということで)

そう考えると、PTAとか保護者会とか地域との連携とか、面倒な部分も大きいけど学校と外との繋がり、ってやっぱりなんとか保っておかないといけない部分なんだろうな、と思ったりします。それは自分が役員をやったりしていることで学校側の事情を知る機会があったり、変えた方が良さそうなところについて他の保護者と相談したり学校に問題提起をしたりする機会が得られている経験があるからでもあります。

支援学級の整備なども保護者がまとまって働きかけを続けることで支援の拡充をはかったりされている様子。

そういう経緯を見聞きしていると、学校という組織を変えていくために保護者や周囲の大人が出来るのは小さな声やクレームではなくて、まとまって声を上げていくことなのかなと思ったりします。もちろんなんでも保護者の言うままになるわけではないし、それでは良く無いとも思う。でもフェアな関係で子どもたちの環境を考えていく、そのために子どもたちのそばにいる大人としてどう行動したら良いのかな、と改めて考えたりしています。

 

娘の音読から、ぐるぐる回ってこんなところに行き着いたところで、今日は終わり。

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