スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

注意欠陥な私が課題を飛び越えるために必要ななにか、の話。



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これと

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これを

 

続けて読んでうは!と思ったことを今日は。

 

3ツイートと「1分やろう」

原稿用紙を広げて、これを埋めるのか…と思うと確かにすごくハードルが高いのだけど、3ツイート(140字×3)って言われたらなんだそれだけなのってなる、というのが最初のリンク先の記事。

 

そして、めんどくさくて取り掛かれない特性のあるADHDの人向けに「とりあえず1分やってみよう」という心の切り替えで作業がはかどるかもしれないという2つめの記事。

 

共通してるのは「タスクの細分化」です。と言うとなんかライフハックっぽい感じがするのだけど。

 

この手法、あれだ、と思ったのが次男の宿題。

 

次男のめんどくさい宿題と私の課題

宿題がおっくうだと嫌がる次男。これはADHD傾向が有る彼の特性なのかもしれないのですがどうも「宿題というそのもの」のハードルが他の子に比べてとても高い。ついハードルの低い漫画を読むことやゲームやテレビに手をつけてしまって、高いハードルを自分で設定してる宿題や苦手なことは後回しにしてしまう。

 

これ、私も自分自身に覚えが有ることで。

仕事や書類の提出や何かの連絡等々、やらないといけないということが分かっているのについTwitter覗いたりねこを集めたりしてしまう、やらなくてはならないことも期限も分かっているからずっと何となくモヤモヤしたものを抱えたまま楽な方に流れてしまう。

でもやらないといけないのは分かってるからしんどくなるし納期のギリギリ前にバタバタ手をつけることになってしまう。

 

んでそんな次男や私に有効だったのがこの、タスクの細分化でした。

 

宿題の山と、プリント1枚

宿題の山を机の上に築いて目を反らす次男に、その中からプリントを1枚引っ張りだして「これ、やるのに何分かかる?」と聞くと「3分くらい」と返ってくる。「じゃあとりあえず、この3分だけやろう」と机の上にプリント1枚と鉛筆だけ残す。と、サラサラっと3分もかからず終わる、でこっちを見る次男。「続きどうする?」と聞くと一度エンジンがかかったからあとはスムーズにいくことも多くて。

 

私も同じ。

面倒な抱えてるタスクを紙に書き出してどれくらいかかるかなって思ったり、とりあえず思いついた時に簡単そうなのから片付けていくとラクになっていく感じ。これを経験的にやるようになっていました。

 

「スモールステップ」と跳び箱

よく発達障害の子向けの指導や育て方で「スモールステップ」という言葉が出てくるのはこれなのかな〜と思います。本などでは、達成感を得るために簡単な課題をまず設定して出来たら褒める、の繰り返しをしていくと良いという書かれ方だったりします。褒められることが極端に少なくなることで自己肯定感が低下することを防ぐ為なのかな、と読んでいて思っていましたが最近ふと気づいた事。それは私も次男も、目の前にあるタスクが本来のボリュームよりかなり大きく重たく感じているような気がするのです、それは特性ゆえなのか、何なのかはわからないのですが。

 

スモールステップ、つまり階段。階段を上がって高い所まで行くときに1段の高さが高すぎると子どもは上がれなくてくじけてしまうから、それを低めに設定してあげて段々登っていけるようにしてあげよう、という指導法、でもめんどくささに押しつぶされて目を反らしているときの私にとってはそこにあるのは階段ですらないのです。

イメージで言うと跳び箱。本来の目的の高さより遥かに高いと勝手に妄想を膨らませた、高い高い跳び箱が自分の頭の中にあって、それを一気に飛び越えちゃおうとしてはくじけていた,そんな気がします。

 

1分やろう、というジャンプ台

そんな私や次男にとって、1分やろう、とりあえずこれだけやろう、細分化したら大したことないじゃん、っていう発想は階段のステップを低くするというよりは、跳び箱を飛び越えるためのジャンプ台のようなイメージです。心の中で助走だけ何回もしては高い跳び箱の目の前で諦めてしまっていたところに、ジャンプ台をひとつ用意してあげることで

一度加速さえ付いてしまえばあとは飛び越える力を持っていることも多いのになんでやれないんだろう、と自分でも不思議になることはあります。そうなんです、小さな段をずっと用意してあげなくても最初に手をつけるための噛み砕きをフォローすれば次男はやれることがたくさんある。出来ないことが多いのではなくて、取り掛かるのが苦手なんだと気づいたのは最近のことです。

 

ジャンプ台があれば、飛べる。

能力的にどうしてもできないことは人それぞれあると思います。それは身体的な事情だったり得手不得手だったり環境要因だったり色々だと思うけれど。

でも、その出来ないことのなかにはジャンプ台をひとつ置いてあげるだけで出来ることもあったりもする。出来てない自分、取り掛かれない自分、出来ない自分、から、ジャンプ台が何かを知ることで飛べないと思っていた跳び箱を飛べる自分や子どもの力に気がつくこともあるんじゃないかな、とそんなことを考えています。

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