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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

同じコミュニティのなかで 〜4月2日「世界自閉症啓発デー」に寄せて

発達に関すること


なないお(id:nanaio)さん発の「世界自閉症啓発デー」にみんなでブログで発信しよう!というこの企画に乗っかって、私も私の言葉を綴りたいと思います。

昨日からたくさんの方が参加されていて障害の詳細や当事者の方の声が寄せられているようです。私もあとから時間を見つけて目を通したいなと思っています。

 

主催のなないおさんの記事はこちら。

nanaio.hatenablog.com

 

 

私は、ここでもちらほら書いてきましたが「なんとなく自覚のある当事者」です。診断は受けていませんが、色々な本や情報を得るにアスペルガーの傾向もADD(注意欠陥障害)の傾向もどちらも持ち合わせているのではないかと思います。今のところ、多少の生きづらさは感じていますが幸い工夫しながら生活できているのでまぁいいかなという感じです。なので、診断を受けたり手帳の交付を受けたりして外的支援を必要としている当事者の方からしたら当事者を名乗るのもおこがましいと感じられるのではないか、と思う側面もありますが、その、微妙な所にいる当事者からの声と思って頂ければと思っています。

 

スペクトラム、という種類の障害

自閉症について調べていると出てくる、スペクトラムという言葉。日本語訳は「連続体、分布範囲」、自閉症ADHDなどの発達障害は、ONかOFFではなく、定型発達とされている種類の人から重度の発達障害と診断される方までなだらかな連続体のなかのどこかに存在している種類の障害と考えられているようです。

 

一言でアスペルガーと言っても、社会の中で生活することが出来ず支援が必要な方もいらっしゃるし、私のように人とコミュニケーションをとりながら生活している方も、自覚すらない方も、様々です。ハッキリ障害という表現や指摘なくちょっと奇異な人として物語の題材になることもあるように思います。(最近読んだ中だと「舟を編む」の主人公馬締さんは恐らくは傾向のある方であろうと読みながら思いました)

 

なんだなんだ、そうだったのか

この言葉、あれっと思った方もいらっしゃると思います。marumushixid:marumushixさんのブログのタイトルです。

marumushix.hatenablog.com

これ、まさに私が発達障害という言葉やその詳細について知り、調べ、自覚をしたときに思った事なのです。「あのときのあの周りの対応は、あれが上手くいかなかったのは、あの人に嫌われたように感じたのは、夫のこの言葉にこんな風に反応したのは、自分がこれまで感じてきた辛かったことは、ここに起因してたんだ、なんだなんだ、そうだったのか!」 って本当に目から鱗の連続でした。

 

自分で引いていた、ライン

私は自分のその傾向に気づくまでは、自閉症という言葉を聞いても映画「レインマン」に出てきたようなサヴァン症候群の方やコミュニケーションをとることが出来ないとかクレーン現象を見せるとか、そういうイメージしかなく、自分やうちの子たちとは違う、線を引いた向こう側にいるような印象を持っていたような気がします。

障害児学級と普通学級に壁があるように、自分とその種類の方には境界線が有る、自分たちは違う、とどこかで思っていたような気がします。

 

でも、自分にも思い当たる所が多々有ること、本人に恐らく自覚は無いだろうけど知識を持った目で見てみると特性の片鱗が見え隠れする人が周囲にもかなりの数いるということ、そして、スペクトラム(連続体)であるということ。そこには、ラインなんか無かったんです。

 

小中学生の6.5%、クラスに2〜3人

2012年の文部科学省の調査では、小中学生の6.5%に発達障害の可能性がある、という結果が出ているそうです。40人のクラスに2〜3人いるという計算になります。これは、支援が必要と感じられる子ということになると、実際は目立った困難が無い、自覚する程度ではないけれど傾向を持っている子の存在も含めると恐らくはその倍以上はいるんじゃないかと思います。(私も小学校で問題を抱えたことは特に無かったです。おかしな行動はあったような気がするのですが、先生に恵まれていたのかもしれません。)

 

いじめや仲間はずれなどのターゲットになりやすい子、逆にいじめ加害者になる子たちも恐らくは発達障害の特性と無関係ではないと思います。

私も自分自身が仲間はずれにされていたと感じた事は過去にありますが、振り返ってみるとそれは自分の空気が読めていない行動が引き起こしていたなと思う場面もあったし、相手がそうだったのかもしれないと思い当たることも今になって思えばあるように思います。

 

障害≠短所

障害というとマイナス要素ばかりが目立つかもしれませんが、特性があるが故の長所もまたあると私は思っています。特性がやや強い次男は近所に住んでいる高齢の爺婆様たちにとても愛されています。それは彼が人見知りをしないから。通りがかりにお婆ちゃんたちの井戸端会議に声をかけて一緒にお茶をごちそうになったりして大変に可愛がられていたりします。過去に書いた事が有るのですが(NHK「大心理学実験」と「空気を読め(ま)ない私」 - スズコ、考える。)そういう空気の読まなさによるメリットは自分自身でも感じた事が有ります。

アスペルガーの方の仕事の丁寧さや嘘をつかない性格が重宝される場もあると思います。そんな、それぞれの良い所を上手く活かしながら一緒に生活して行けたら、と思うのです。

 

特別支援の拡充と並行して求めたい、教育のユニバーサルデザイン

障害の程度が重い子たちへの支援は昔に比べて遥かに、教育現場では対応が進んでいると思います。それと同時に、並行して進めて欲しいと私が願っていること、それが教育のユニバーサルデザイン(UD)化です。

  • 教室のユニバーサルデザイン
  • 授業に集中できるよう、黒板の周りの装飾は最低限にする。一日の流れや授業の流れを掲示する。など。
  • 伝わりやすい授業
  • 子供に分かる言葉で伝える。ゆっくり話す。ポイントを板書する。視覚化する。など。
  • ・ルールの設定
  • 学級内のルールをきちんと定め、明文化する。ルールを分かりやすい所に掲示する。など。

以上にあげた項目は、支援の必要な児童に対しては「必要不可欠」な支援、その他の生徒に対しては「あったらいい」支援であると言えるでしょう。特別支援教育を普通学級に持ち込むという考え方ができるかもしれません。

教育のユニバーサルデザイン化~ユニバーサルデザイン教育とは?~-教員採用試験対策/教師・教職の募集情報|教員ステーション

 

以前見たNHKエデュカチオの発達障害の回では、これを実践されている日野第三小学校が紹介されていました。一日のスケジュールが分かり易く掲示されていたり、ルールの明文化や時間を視覚的に見やすくする工夫などが紹介されていました。この学校では発達障害と診断されていない子どもたちにとっても取り組み易さが増しているようでした。

 

UDは障害児のためのもの、ではない

これは家庭の中でも感じることです。ADHD傾向のある子どもへの対応を学ぶために色々な本を手にしましたが、発達障害の子に良いとされている接し方には定型発達の子に対しても有効なケースが多くありました。それは逆に、自分がいかにこれまで手を抜いて子どもたちに接してきてしまったのかを痛感することにもなりました。

定型の子は、大人が中途半端な分かりづらい指示を出しても、ルールや関係性が分かりづらくても、何となくその場で察する努力をして動いたり、表面上うまく見せてその場をやりすごせたりします。その、やりすごせる能力に親として甘えていたことに気づいて情けなくなったんですね。

 

適当に言えばそれなりに動く子、それが定型の子たちだとしたら、彼らは彼らで、分かりづらい大人からの指示や表現にストレスを感じているのも事実で、発達障害の子たちはそれを正直に大人に「分かりづらいよ」と教えてくれる存在でもあったのだと。

 

ユニバーサルデザイン化により教室が発達障害の特性がある子にとっても、定型の子にとっても過ごし易い場になれば、お互いの長所を活かし合える場が増えるのではないかなと思っています。

 

完全な球体といびつなボール

発達障害の事を学び始めた頃に教えてもらった表現で、ボールと穴の例えがありました。

人が、ボールです。人生やタスクが穴です。完全に欠点の無い人間を完全な球体だとしたら、人はそれぞれ自分の得手不得手をもとにいびつな形をしています。そのいびつさが小さい人も居るし、大きい人もいる。そしてタスクの穴もまたその時々で形を変えるので、上手く通り抜けられることもあるし通り抜けられない事もある。それを、自力で通り抜けられるように工夫が出来る人もいるし、出来ない人も居る、その出来ない人の穴を広げてあげたり、ボールの形を変えるお手伝いをするのが専門家の支援なのだと。

完全な球体の人、というのは恐らくはそう多くは無いと思います、居ないかもしれません。みんなそれぞれの形をしていて、穴を通り抜けるときの困難の度合いによってはフォローが必要な方もいる、というのがスペクトラムの障害だと言われる所以なのだろうと考えています。

 

いろんな、いびつなボール

教室にも潜在的にかなりの数いるであろう発達障害の傾向を持つ子どもたち。それはひいては、社会の中にも、私の周りにも、会社の中にも、通勤電車の中にも、かなりの割合でそれなりの特性を持つ人がいるということかもしれない。みんなそれぞれのいびつさを持って生きている連続体の一部なのかもしれません。

完全な球体であろうとしなくても、目指さなくても、それぞれが自分のいびつさを受け止め周囲の人のいびつさを理解し、一緒に暮らしていけたらいいなぁと願っています。

 

青い光の下で

今夜、全国各所でランドマークが青く照らされるそうです。(どこが実施するかはこちらから→http://happy-autism.com/liub2.html)その光を見上げるあなたの隣に居る人は、もしかしたら発達障害の傾向を持っている人かも知れません。あなた自身の中にも、気づいていないけど傾向を秘めているかもしれません。

自閉症は、発達障害は、ラインの向こう側にある万人にとって縁遠いものでは決して有りません。障害者だと線を引いて区分けして生きていけるものではありません。同じコミュニティのなかに、同じ教室のなかに、同じ会社のなかに、当たり前に存在してそれぞれの得意な部分を活かして生きけたらいいなと、願って止みません。

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