スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「どっちもどっち」と「ふ〜ん」2つの発言から思う「自他の境界線」


大分で起こった悲しい事件、父親による放火殺人のことでここ数日のTwitterのTLでは色々な意見が飛び交っていました。父親の非情な行動への批判や母親に対する擁護、亡くなった子供たちへの哀悼の意の中に、RTされて「父親の行動が男性側から擁護されてるけど子供から見たら父親も母親も「どっちもどっち」だ、きっかけは双方にある、男が女がという話じゃない」という旨のツイートが流れて来、それに対する非難が続いていました。

 

『どっちもどっち』

4人を死に追いやった放火殺人事件に対する感想としての「両親どっちもどっち」というある種の過激さを含んだ言葉に私のフォロワーさんの中にも怒りをあらわにしている方が複数いらっしゃいました。

 

 

と私は思ったのだけど、批判が多く寄せられたのか当該のツイート主さんが少し後に、自分の経験とリンクしていて思わず反応してしまった、という旨のツイートをされていました。ご自身が過去に、父親が灯油を撒いて火をつけるのを目の当たりにするという経験をされていたようです。

 

自分の過去の経験と現実に起こったことがリンクして、過去がフラッシュバックされて怜誠意で居られなくなるということ、また当事者であった過去の自分と今起こっていることの境界線が曖昧になってしまうということ、それが言動にあらわれてしまうこと、これ、過去にも似たようなことがあったな、と。

 

『ふ〜ん』

発達障害をお持ちのお子さんがいるフォロワーさんがご自身が直面した悲しい出来事について語っておられたときでした。

幼児の息子さんを連れて公園に行ったときに小学生の子数人が息子さんに話し方や態度について「おかしい」「変だ」とからかう言動をとったことについて、その場で注意したけど怒りに震えたし悲しかった、という経験を語られ、傷ついていらっしゃる様子でした。

母親として同じような経験を持つ私はそれを拝見して過去の自分を思い出し、PCの前で手が震えたのを覚えています。

 

その方のお話について、親ではなく子という立場でそういう経験をされて来た方が「僕からしたらその話をきいても「ふ〜ん」という感じだ」というツイートをされていて。

「ふ〜ん」という感想に続くツイートを拝見していたらその方はご自身が障害ゆえにいじめられたことで親が直接表に出て注意したりすることで余計にいじめが深刻化した経験をお持ちのようでした。親が奮闘してもいじめが無くせるわけでもなく子供なりに諦めたり受け流したりしながら生きていくしかない、というようなコメントで、それはちょうどその数日前に同じ様にからかわれていた息子が「嫌だけど、でも僕が知らんぷりしてればいいことだし」と諦めるようなことを言っていたのを聴いたばかりの私にとっては「子供なりに現実を受け止めながらの人生があるんだろうか」と考えさせられるきっかけとなったりもしました。

 

でもその「ふ〜ん」という感想が当事者である障害児の母親の傷ついた気持ちに追い打ちをかけたのは事実です。それをあえて当事者の方に届く形で呟いた方はおそらくは上記の「どっちもどっち」のツイート主さんと同じ様に、過去の自分の経験とリンクし、似通いすぎていたその状況に冷静で居られず自他の境界が曖昧になっての発言だったのかな、と思いました。

 

思い返せば

この、トラウマを呼び覚ますような事柄に過剰に心を揺さぶられてしまうこと、そしてそれで自分のことと境界が曖昧になってしまうこと、自分にも経験があるような気がします。

自分自身の経験と似通っていること、自分自身が辛かったこと、それをそれなりに乗り越えて来たこと、それと同じような事件やトラブル、悩みに遭遇したときに、自分のそれと混ざり合いすぎてしまって冷静な判断が出来なくなり、当事者に助言するつもりが相手に配慮の無い言動として表してしまう。

 

そうやってこれまでにも傷つけてしまった方が恐らくは複数いらっしゃるのだろうなと、考えながら過去を思い返し胃が痛くなってきました…。

 

意識しているはずの「自他の境界線」が

発達障害関連でよく、自他の境界線が緩い、という表現を目にすることがあります。自分自身を振り返っても、そういう傾向を感じることはよくあり、日頃気をつけていることでもあります。私は私の脳しか知らないので程度については全くわからず、定型と言われる人たちがどのような程度の境界線を有して生きているのか分かりません。(もちろん程度が人それぞれなのだろうとは思いますが)でもトラブルを避けるために「私とあなたは違う人」というのは至極当たり前のことをいつも強く意識して行動している感じです。

 

自分の脳みその中身は人には分からないのだから、察して、ではなく具体的に言葉にして外に出さなくてはいけない。あなたの思考を私は理解していないのだから、分かったつもりになって行動してはいけない。日頃そうやって一生懸命意識しているそれらのことが、過去のトラウマを呼び覚ます出来事に遭遇することで吹っ飛んでしまう、それが、上記2つのツイート関連のトラブルの根底にあるような気がします。

 

おわりに

私も親との関係やいじめ関連や夫婦関係などでトラウマになるような色々な過去があるので、その手の話題に直面するとついそことリンクする自分の経験が吹き出してしまいそうになるのをよく感じます。抑えないと、と思いながら冷静であれと自分に強く言い聞かせることも。

でも実際にそれで人を傷つけてしまったこともある、その自分の過去をまたうけとめながら、気をつけないといけないなと思わせてもらったように思います。

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