我が家も無事夏休みが終わって、子どもたちは宿題や工作やたくさんの荷物を抱えてそれぞれの行き先へ向かって旅立ってゆきました。
今年一番良い顔をして始業式を迎えたのは次男。毎年ギリギリでやっつけの宿題を持って行ったり結局終わらないままだったりしていた彼が、丁寧に仕上げた宿題をたくさん抱えて誇らしい顔で登校していった背中を見送りました。
マイツールと#宿題やろうぜ の精神
去年までの私は、子どもたち(特に次男)の宿題を「みんなと同じように片付ける」ことに第一義を置いていたような気がします。
同じノートに、同じように丁寧に書くこと、同じようにタスクをこなすこと、それが「宿題をやる」ということだと思い込んでいたのかなと。そしてそれがスムーズにできない次男にとって苦痛で仕方なかったのが大量の宿題が出る夏休みだったのかもしれません。
今年それを覆すことになったのは、次男の受けている支援のなかで出会った「マイツール」という概念や、Twitterの盟友黄ちゃんの作ってくれた「#宿題やろうぜ」というタグの存在でした。
今年の次男は、毎年最後の1日までかかって泣きながらやる宿題を、マイツールを駆使することで最後1週間は自由研究にゆっくり充てられる程度の余裕を持って仕上げることができました。
マイツールとは
特別支援のなかでは「支援ツール」という言葉でまとめられていることが多いようです。なないおさんのブログにも記載がありました。
このブログの中にあるような、毎日やることの手順を紙に箇条書きにしたものや、持ち物をカードに記したもの、にののさんのブログで以前紹介されていた朝のおしたく表などもこの支援ツールだと思います。
支援ツール(マイツール)の定義のようなものを探したのですがうまく見つけられませんでした。私は「周囲と同じ結果を生むために使うツール」と認識しています。他との比較をするのが良いのか悪いのかは解りませんが、少なくとも私は「周りの子が難なくやっていることと同じ結果を生むことをサポートしてくれるツール、それを使えば周りの子と同じ結果に辿り着くことが可能になるツール」として理解しています。
大人になるにつれそれが、周囲との比較ではなく「自分が望む結果を生む為に役に立つツール」としてスライドしていくといいのかなぁと考えています。
具体的な宿題の支援
今年私が息子にやったのはそう難しい支援ではありませんでした。
筆記をめんどくさがる次男は計算ドリルを前にまず、ノートに問題を書き写すところでつまづきます。そこでもうめんどくさくなってしまって前に進めなくなることもあり、これまでは気分が乗った時に一気に終わらせるというギャンブルのようなやり方をしたこともありました。
今年はそこを見直し、計算が理解でき解ける、という部分と、全問終わらせる、という2点に目標を絞りました。具体的には、計算ドリルを拡大コピーしてノートに貼付ける、桁の多い筆算のときは位取りを間違えにくくなるように補助線を縦に薄く引いておく。
こうやって、全ての問題が大きめに書かれたノートを用意したことで次男はめんどくさがることもなくすらすらと問題を解き進めてゆきました。
ノートの支援ツールについてはまうどんさんのブログで娘ちゃんに行った画像が載っていました。(参考:夏休みの宿題記録 その1 | マンガ蒲田家★定型外家族)
他には漢字プリントを拡大コピーしたり、マスのなかに補助線をフリクションペンで書いたり。その程度の、ちょっとした工夫で毎年泣きながらやっていた宿題を彼は難なく終えることができました。
注)この工夫はあくまでも次男の苦手な部分を補うものなので、お子さんそれぞれにどういう手法が良いのかは違っていると思います。
こだわっていたのは私
宿題を終えられた次男を連れて夏休みの終わり頃に学校を訪ねたとき、たまたま担任の先生に会い「宿題はどんな?」と問われた彼はとても誇らしそうな顔をして「どんどん終わってるよ!」と答えていました。
毎年頑張ってもなかなか出来なかった、という経験が積み重なってしまっていた次男、そんな彼に「みんなと同じやり方で終わらせないといけない」とこだわっていたのは多分本人ではなくて私の方だったんじゃないかと思います。
みんなと同じ方法で終わらせることができた、という安心感が欲しかったのかなぁと今振り返ると思ったりします。でも本当に必要だったのは私のその安心感ではなくて、「できた」という次男の気持ち、その気持ちの積み重ね。それを積み重ねることで得られる自尊感情の高まり、本当に必要だったのはそっちだったんだなぁと。
丁寧にノートを取るのはやっぱりまだ苦手なのだけど、マイツールを使うことで「できた」を得た彼の顔を見たときに、色んな子育ての本に書かれている「自尊心を高めるために「できた」経験を」という、まさにその大事さが本当の意味で解ったような気がしました。
みんなと同じ高さの跳び箱を同じ条件で飛べなくても、踏み台を少し高くしてあげることで「飛べた」経験が出来た、その経験を積み重ねることが大事なんだなぁと。
そして続編へ
タイトルのチキンライスに行き着かないまま文字数がかさんでしまったので、ここで一端おしまい。
次男にとってのマイツールである色々な踏み台と、私のチキンライスのこと、さてその二つにどんな関係があるのか、マイツールって特別支援の子たちにだけ特別に用意されるものなのか、日常とどう関係を持って行くのか、そんなことを続編で考えます。