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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「産後、夫が使えない!」というときに。

夫婦・家族のこと


「旦那は学生の新人バイトと思え」

数日前に「子どもが産まれたら旦那は学生新人バイトと思え、察することは求めたらダメ、でもやる気はあるから的確に指示をすれば動く」という先輩からの教えについてのツイートが流れて来てました。

男性という性が察する事が苦手なのか、という議論は置いておいて、でも妻の脳のなかの理想の育児を夫が察してみなまで言われずに手を出す、というのはとても難しい。それがうまくすりあわないことに起因した夫婦間のトラブルはとても多いと思います。

そう考えると、経験も知識も無いけど意欲はある、という父親1年生の男性をとらえるために学生の新人バイトという例えを出しているの、面白いなと思いました。そして、なるほどそれは視点を切り替える一つの方法だ、と私は思ったんですね。

 

「産まれる頃には正社員になっとけよ」

それに対してある方が「子ども産んだばっかりの母親が夫の教育もしないといけないなんてアホか」「産まれてくる頃にはバイトじゃなくて正社員になっとけよ」とツイートされていて、それもまたたくさん拡散されておりました。

正社員にくらいなっといてくれよ、という言葉にうんうんとうなづくお母さんも多いんだろうなと思う。新生児を抱えて右往左往するなか、こちらの意図を察してくれずに役に立たない(ように感じる)夫に「使えねえ!」と思ったあの日を思い出しました。

 

2つのツイートの決定的な違い

この2つのツイート、同じような産後の夫への不満を描いているように見えてその視点は実は全く違います。

前者が見ているのは状況の打破、解決、そしてそのための方法。

後者が見ているのは理想、あるべき姿。

それ自体は理念として私は正しいと思うし、声を上げていくことや時代を切り拓いてうえで意識していく必要のあることかもしれない。でもそれを訴えるだけではおうちのなかは変わらないし、その理想に自ら適さない男性への批難に留まるようにも見えてちょっと残念です。

 

目の前の現実をどう打開していくか、起こっている問題にどう対処していくか、というソリューションとしての視点である前者では、使えない夫に対するわき上がる感情はおいといてとりあえず「的確な指示」を出すことが分かり易く表現されています。妻だって母親一年生なわけで、ベテラン社員のような的確な指示を出せるとは限らない。でも、今目の前にある洗濯物を片付けたいと腹の中で思って待たずに「洗濯物を片付けたいから手伝って欲しい」と言葉に出すだけで良いと私は思う。

 

後者のツイートは確かに理想としてはそうなんだけど、父親となる可能性のある人がそれを見てちょっと覚悟したりするかもしれないなとは思うんだけど、でも、現状で困ってる人を見据えた解決策ではなく、あるべき理想を見据え、その末にそうじゃない男性への批難へと繋がってしまっているようにも見えます。

 

限界を超えての「使えねえ!」

自分の経験から、夫に対して「使えねえ!」と思ってしまう状況、その時点でもう個人の限界は超えてると思うんですよ。赤ん坊抱えて家事と育児(+仕事やめんどうなあれこれがある人もいると思う)を同時進行で背負ってこなしている、のに本来車の両輪であるはずのもう一人の存在が余りにも頼りない、自分の思うように動いてくれない、怒りや時として殺意に近い感情がわき起こることも私は多々ありました。

「それくらい言わなくてもわかるでしょ!」「なんでわからないの?」「これくらいやっといてよ」と何度腹の中で思い、時に口に出したかわかりません。

 

でも。

そこで必要なのはその感情をどうするか、じゃないんですね。

負の感情が湧いて腹を立てたり悲しくなったりしている私の目の前には、既に崩壊したおうちの中がそこに広がってる訳です。乾いたけどタンスに入りきれてない山積みの洗濯物、シンクの中の洗い物、溜まっていく部屋の隅のほこりやお風呂の汚れ、自由に買い物にも行けず、トイレでもゆっくり出来ず、美容院にもネイルにも行けずにヨレヨレの私、プラス泣いている赤ん坊、がそこにいたりするわけです。

 

まずそれをなんとかしましょうよ、という話だと思うんですよ。

 

「選んだのはあなたでしょう?」

「夫婦とはかくあるべきである」「母親とは」「父親とは」そんな理想は誰しも持っているものかもしれません。夫である人にどんな父親であってほしいのか、自分がどんな母親でありたいのか、自分の生い立ちや尊敬する人たちや、色々なものから影響を受けた自分の中の理想の夫婦像はあると思う。

結婚する前から具体的に思い描いている人もいるかもしれないし、漠然としたまま結婚して実生活が始まってからこうして欲しい、あぁなりたい、っていうのが出てくる人もいるかもしれない。

 

そして、そこに自分が、そして目の前の夫が、適合していないことの辛さもまた時としてあると思う。

 

一番理想的なのは、結婚前に自分の中の抽象的な理想をしっかり把握した上でそれに合致する人を選び結婚することなのかもしれない。でも二十歳かそこらの私にはそんなことできなかったし、大好きになった人と結婚してみたらこんななっちゃったっていう、ここしばらくTLで非難囂々のあの朝ドラのヒロインよろしくの計画性のなさで生きてきたので結婚や出産したあとでどんな夫婦関係を構築していけばいいかなんて考えてなかったというのが正直なところ。

 

そうやって踏み込んだ現実の中で悩んだり苦しんだりしてるときに投げかけられる「でも選んだのはあなたでしょう?」とネットでもリアルでも何度も見聞きした言葉でもあります。

 

うん、確かにそうなんだよ、そうなんだけど、でも、それ言われたらそれ以上何も言えずに井戸の奥に潜り込んで悲しい現実を自分一人で抱え込んで誰にも愚痴を言えず沈むだけになっちゃうような気がするんだよ。

 

過去は薄目で、現実をしっかりと。

そこで「自分が選んだ」自分の過去にとらわれてしまったらしんどくなっちゃう。そんなとき、自分の人生だけど、自分の選んで来た道だけど、でもその過去にはちょっとだけ目をつぶっても良いんじゃないか、と私は思う。薄目を開けて見るくらいで、ちょっと目をそらしたくらいで。そして、自分がしっかりと目を凝らして見つめないといけないのは今目の前の現実。自分の目の前に広がっているおうちのなかと、目の前にいる大事な子どもと、目の前にいる配偶者。その現実をどう変えていこうか、それが、混乱の中で見据えないといけないことなんじゃないかと思う。

 

過去も自分以外の人も変えられない

「産まれるころには正社員くらいにはなっといてほしい」それは女性側の切実な希望かもしれない。どういう夫であって欲しいのか、父親としてどう振る舞って欲しいのか、それを自分がみなまで言わずに察して動いてくれる、そんな理想的な父親と結婚したいと思うかもしれないし、夫にそうなって欲しいと思うかもしれない。

 

でも、自分の過去を変えられないように、そして自分は他人から強制的な力を受けて変わるということが無いように、人は人を変えることは出来ないんですね。

 

どんなに好きで結婚した相手でも、夫という人の考えることや望むことを妻がコントロールすることは出来ない、もし出来ているように感じられるとしたらそれは、妻の勘違いか共依存という病的な人間関係です。

 

私たちは周りの誰も変えることはできない、夫でも我が子でも。

でも変えられるものが一つだけあります。それが、自分の視点だと思うんです。

 

理想にとらわれた視点を切り替える

産後に自分とうまく協同する夫であって欲しい、そうあるべきである、という理想を抱くこと自体を責めるつもりはありません。でも、その理想に支配されてそこから抜け出せずにいたら、最終的にそこに行き着かなければならないという足かせを自分にはめることになります。具体的な解決策が見出せないまま、その理想という足かせがついた状態であがくことになってしまう。

まず、その理想にとらわれた視点を切り替える。

これまで書いてきたように、現状の打破に必要なのは理想ではなく現実的な対処法です。今の私が楽になるために、今私が望む状況になるために、何が必要なのかを考える。

漠然とした、素敵な夫が支えてくれるというフワフワ浮いてる雲を掴むような話ではなくて、「トイレに一人で行きたい」「買い物に一人で行きたい」「洗い物を済ませたい」…そんな一つ一つの目的を自分や周りの家族、得られるサービス、実家や親戚や友人…色んな手段を講じて叶えるためにはどうしたらいいかをスモールステップで考える。

困難に直面しているときに「夫を教育してやる負担が増える」のではなく「夫を変えたい」という無理な幻想にとらわれるのでもなく「私の望む状況を手に入れる」という目的のために現状を打破するための具体的な行動を自分が起こす。

 

そのための的確でわかりやすい方法の一つが「夫を学生新人バイトと見なして具体的な指示を出す」という助言だったのではないか、と思うのです。

 

やって欲しいと思うことを口に出す、相談する。

 

もちろんそれ以外にも、甘いもの食べてストレス解消するとか夫以外の周囲を上手に頼るとか、解決策は色々あるわけでそれは過去にもたくさん書いてきてまた同じような話題をループさせてるなぁと自分でも思ったりしてるわけですが。(白い犬先輩(id:zuiji_zuisho)ごめんなさい)

 

おわりに

夫の立場としても、妻から「使えねえ」と言われ、「新人バイトだと思って指示を出せ」と言われること、心外だと思うかもしれない。

うん、確かにリスペクトはそこにないよね、と私も思う。

でも少なくとも好きあって結婚したなら、最初からそんな風に旦那さんを見下すような状況ではなかったと思うんですよ。でもそうなっちゃうとしたらそれ、そこまで追いつめられちゃうほど妻として母として抱え込んでるものが多すぎてキャパオーバーしてるからなんじゃないかなと思ったりします。そして、そのキャパを超えたしんどさを本人が分析してこうすればいいって思えるような状況にすらなれてないのかもしれない。

 

結婚前後に優しく自分をいたわってくれていた奥さんが、なぜか自分を見下したり苛立ったりしているとしたら。

抱え込んでしまった自分のタスクに押しつぶされて余裕を無くしているのかもしれない、という視点から具体的に指示を出してくれるよう話してみるのも良いのではないかなと思います。もちろん、妻の側としてもそれを労ってくれるような、手を差し伸べてあげたいと思うような、そんな対応を心掛けていくべきところなのかもしれないのだけど、それを求めちゃうとまた妻への理想にとらわれるという、槍の投げ合いみたいになっちゃうのかもしれないなぁ、そこへん、お互いがコントロールし合わないような人間関係を保つためにはどうしていったらいいんだろうと、またそんなことを考えたりしています。

 

ご参考までに、の過去記事

ハーゲンダッツの販促記事です。

 

人を変えられない、という考えの起点になっているエントリ。

 

ストレスの塊をこつんこつんと叩いて壊す方法。

 

過去記事の中でももっともアクセスが多いのがこれ。

 

白い犬先輩からの課題にお答えすべく書いた、総括的な。

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