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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「公共の物をみんなが気持ちよく利用しましょう」のために必要な3つの識と整備すべきシステム

そのときどき


今年も夏休みは夫の休みがまともに取れなかったので、先日シルバーウィークを利用してキャンプへ、初のテント泊に挑戦してきました。

 

山積みの洗濯物をなんとか片付けて仕事用のPCを立ち上げてTLを流し見ていたときに目に入って来たいくつかのツイート。気になったのは、苔のテーブルがはがされていた!という記事(苔テーブルが!! - 十和田湖奥入瀬ろまん新聞)とそれへの反応、そして、沢山の方が言及されていた身障者用の駐車スペースの話題でした。

 

キャンプ場という無防備で不思議な空間

テント泊の夜、子どもたちを寝かせて焚き火をしながら夫と話している時、ふとここが不思議な空間であることに気づきました。外界の感覚とは違う、どこまでも無防備なのです。

キャンプ場ではそれが当たり前なのは分かっていたのですが、テントも道具も放置して車で買い出しに出る人もいるし、昼間みんな遊びに行って居なくなっているサイトもいくつもありました。改めてこの空間が成り立っているということがとても不思議だなと感じました。寝静まっている人もまだタープの下で宴会してる人も、みんな「ここに悪い人は居ない」という感覚のもとにそこにいるのだろうなと。しかし入り口が施錠されているわけでも、宿泊者の中に悪人が全く居ないという保証があるわけでもない、でもそれをみんな何となく安全だということを共有して、そして何事もなく夜が過ぎていく。

犯罪に関してだけではありません。共同の炊事場にもトイレも、マナーの悪い使い方をしている人にはほとんど出会いませんでした。張り紙や立て看板がたくさんあるわけでもなく、管理棟に注意事項一覧が掲示されている程度、でもまる2日滞在しても不快になることなくそれぞれが適度な距離を保ち周囲に配慮しながらトラブルが起こらないような環境が保たれている、それが成り立っているということがとても不思議で面白いなぁと、そんなことを夫と話したりした夜でした。

 

身障者用駐車スペースの話題で感じた疑問

そんなキャンプから帰って来て開いたTLでは障害者用の駐車スペースに関する色々な意見が飛び交っていました。

健常者に見える方の駐車に関する苦言や嘲笑もあり、それに対する反論もあり。

眺めながらふと思ったのは「これ、色んな課題がごっちゃになってやりとりしてるから噛み合ないんじゃないか?」ということ。

身障者用駐車スペースは車椅子の乗降がやりやすいように通常のスペースより横幅が広くなっている→車椅子利用でない身障者や見た目ではわからない障害、妊婦などそのスペースが必要ではない人は極力利用すべきでない、という意見を見ました。それは、そのスペースが無ければ乗降できない人が居る以上最もな意見だと思いました。

でも、です。

では店舗により近い駐車スペースを利用したいけど車椅子ではない弱者はどうしたらいいんでしょう?

 

改善のために必要なのは善意?知識?

そう思っているところに「どう見ても健常者に見える人が身障者用に停めていたら「頭に障害があるんじゃないか」って嘲笑されてるよ」というツイートと、「そう見られるのが嫌だから停められない」という内部に障害を抱える方のツイートが流れてきました。

 

色々な方のご意見を散見しながら、改善に向けて必要のは「車椅子の人は乗降にスペースを必要とする」という知識とか「見た目には分からない疾患があるけど店舗入り口から近い駐車スペースを利用したい人もいる」という現状認識とか、そういうものが共有されているという前提での「だからみんな譲りあいましょう」という意識とか、そういうことを想定して話しているように見えたんですね。

 

でもどこまで行ってもこれ多分平行線です。だって、車椅子ユーザーだけしか使うな、という意見に対して「じゃあそうじゃないけどしんどい人はどうしたらいいの?」に対する答えは「だとしても車椅子ユーザーが一番困るから配慮して」としか言いようが無いから。

 

でもこれ、善意とか知識を持ってる人の配慮とか、そういうことでどうこうできる話じゃないんじゃないか、と私は思ったんです。そんなのに頼ってるだけでは絶対に解決しないんじゃないかなと。

 

キャンプ場に必要のなかった、システムの問題

その場を利用する人たちに関する知識、利用する人たちの現状を認識していること、そして「みんなで快適を保とう」という意識、その3つが揃っていたところ、それが私が宿泊したあのキャンプ場だったのかもしれない。

それを共有している人だけが形成しているコミュニティでは、ベタベタと貼られる注意書きや管理人の強い監視や注意はさほど必要とされずに構成している人たちが少しずつ意識を払うことでトラブルを防ぎ安定を保っていた。

 

でもそれは私が利用したところがたまたまそうだっただけかもしれず、以前ネットで見たどこかのキャンプ場では若い男女の団体の利用は断る、という判断をしているところがありました。マナーの悪い利用の仕方をする団体が後を絶たず他の利用者を守るための苦渋の決断だとサイトには書かれていました。

 

利用のための知識や認識、そして安定を保つための意識、それが欠けてしまった時に必要とされるのがこの、利用を断る、という判断だったのだと思います。この断る、という行為と同じような形で様々な制約や罰則を整備すること。悪い事をする人がいる、意図的にマナーを守らない人や知識が無い人がいる、という前提で、そのような利用者がいたとしてもトラブルが起こりにくいようにシステムを構築しておくこと。

 

不特定多数の人が利用する場、そこでのトラブルの回避や弱者を守るためには、利用する人全員に知識や共通認識、高い意識を求めることだけでは無理なんじゃないかと。

 

駐車場のシステムの問題

広い幅を必要とする車椅子ユーザーが使い易いスペースと車椅子は使わないけど長距離を歩けない人が優先的に使えるスペースが同じ「弱者のためのもの」としてまとめられてしまっている状況で、車椅子の人はスペースが必要だからそれ以外は譲れ、と言われたらそこを利用したかった人たちは排除されてしまいます。

 

でも施設によっては、車椅子の人専用の乗降スペースとは別にスペースは通常とあまり変わらない幅の優先スペースを複数用意しているところもあります。これだけでもかなり状況は改善するのではないかと思います。

 

また、見やすく大きな看板を掲げて注意喚起をしている例も見られました。

 

これはほんの一例だけど、それぞれの場に合わせた色々な方法があるんじゃないかなと思います。

 

おわりに

不特定多数の人が出入りする場では、キャンプ場やかつてのムラ社会のような「共通認識やマイナールール、マナーの遵守意識がある(もしくはそれを周囲に求められる)」という前提ではトラブルは回避できないのではないか、と考えます。

そしてこれ、電車のマナーなどネットで話題になる色々な問題でも同じように感じることでもあります。

もちろんネットで色々な知識を広め、周知のための尽力することはけして無駄ではないと思う。リアルでは知り合いがいなくても、ネット上の車椅子ユーザーや内部疾患に悩む人の本音を聞いて自分の行ないを改めたり、譲る意識を持ったりすることに繋げられたらそれはとても有意義なこと。

でもそれだけで解決できるわけでは多分ない、知識の周知や注意喚起、高い意識を求めることだけに頼らず、システムの構築やデザインの工夫で「起こり得ない状況を作っていく」ことを見落としてはいけないのではないかと、そんなことを考えています。

 

補足 2015.09.25

「キャンプ場利用者はマナーの悪い行ないで不利益を被るけど駐車場では自分は得して不利益は特に無い」というご意見がありました、うん、ほんとにそうだと思う。

これ、いわゆるムラ社会でマナーが遵守されてる理由の最たるものだと思ってます。なにかやらかしたらそこに住むことすら出来なくなるほどのペナルティが待っている、マイナールールを守らないとそこで快適に暮らせない、それが田舎です。

ど田舎にいくとどこに行っても必ず知り合いがいます。それほどではない小さな町でも初めて会った人でも必ず共通の知人がいたり、遠い親戚だったりする、スーパーの店内でも、駐車場でも、公の場で出会う人たちが「自分と無関係ではない」こと、それが良い意味だけで作用するわけではないのだけれど、その関係性が、「良い人、知識のある人だけではない」社会のなかでひとつの制約となっていたし、現在もそれが生きている場がある、ということなのかなと思います。

 

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