スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

育児中の夫は「同じプロジェクトに所属する人」か「違うプロジェクトを担う人」かという視点


今日はちょっと趣向を変えて、ツイートを元に構成してみます。

前回のエントリ

に対するブックマークコメントやTwitterでの反応をまた色々とは意見しておりまして、その中で感じたことがこれ。

 

以前、TwitterでPTA関連のあれこれを話しているときにも思ったことだったんだけど、女性同士の輪のなかで指示を出すという話になったときに抵抗を感じる心理にはこの、指示を出す=上下関係が出来る、というイメージがあるんじゃないかな、と。

 

夫にとりあえず聴いた感じでは男性同士で何かやるときに指示を出し合うことにそれほど抵抗は無いようで「誰が偉いとかじゃなくてその場が円滑に回るためのやりとりでしょ?」という感じでした。

 

なぜ女性同士の輪のなかでそんな、指示を出す=上下関係、というイメージができやすいのかは私もよくわかりません。

 

前回のエントリでも書いたような、社会的な役割分担の強制による影響がなにかしらあるのかもしれません。

 

それはさておき、だから無理、だから出来ない、だから…では話は進まないし問題も解決しない。

そして大前提として、自分とは別の人である夫という人を変えてしまうことは出来ない、中身も、その人そのものも。

 

それを踏まえてじゃあどうしましょうか、というといつもの、視点の切り替えを考えます。

 

 

ここでのポイントは、洗濯物を畳む、というプロジェクトは本来「誰が担っていることになっているか」

妻が主としてやる、という共通概念が夫婦間にあるか、夫婦共にやることだという共通概念があるか、もしくは概念が共通ではないか。

 

概念が共通していないなら、そこは話し合う必要がある部分だし、相手の理解や協力が得られない状況にあるのなら自分がやるしかないのかもしれない。

 

私はそれについてどう考えているか、相手はそれについてどうとらえているか。

 

 

家事、という大きなくくりでも良いし、洗濯物を畳む・食器を洗う、という小さなくくりでも良い、それぞれの「プロジェクト」について、夫婦双方がそれをどうとらえているかを考えたことありますか?

ここ、大事なポイントなんじゃないかなと思ったんですね。

 

違うプロジェクトに所属している人が、たまたまそのタスクを済ませてそこにいる、自分の抱えているプロジェクトの作業の一部(例 洗濯物を畳む)が残っているが自分は他の作業に忙しい(または疲弊している、違うプロジェクトの仕事が控えている)から出来れば手伝って欲しい、というスタンス、だとしたらそこにあるのは「お仕事の依頼」で、そこにあるのは「お願い」であって「トップダウンの指示」ではないような気がするんですね。

 

その視点で我が家を考えてみると

 

平日は朝は子供の起きる前に出かけ夜は遅くなることも多い夫に、子供たちの細やかなケアを任せるのは無理、共同といっても分担作業もなかなかに難しい、だからそれらや日常的な家事は私が主に担うプロジェクト。何を買うかや何を選ぶかは私が勝手に決めてることが多い。

でも子供たちの将来のことや今抱えている問題、勉強や運動の得手不得手の認識や学校や園で受けている支援、持病など体に関すること、役員として携わっている仕事内容やそれぞれの担任との関係等、子供に関する責任や大掛かりな支出や計画は夫と徹底して時間を作って話をするし情報を共有しているし、何か決めるときに私一人でということはないから、こっちは夫婦で共同のプロジェクトなのかなと。

 

いわゆるイクメンと言われていたりする夫さんの担ってるものや夫もやるべき!とよくネットで言われているあれこれは、うちでは前者の「私が担うプロジェクト」に属している部分が多い気がする。うちはその中から私が夫に頼んでやってもらう部分も結構あるし、きっちり切り分けてるご家庭も、夫婦の共同プロジェクトとしてうまく回っているところも、色々だと思う。

どのプロジェクトを夫婦でどう分担するか、どう切り分けるかはそこそこの家庭によりけりだと思うのだけど、この視点から家庭の中を見回してみたり、夫婦で話し合ってみたりすることでお互いの担っているものを意識し合うきっかけになったりしないかな、と思ったりしました。

 

おわり。

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