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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

日常の風景を変える視点の変化と新しい窓口

そのときどき


いつも職場で流れているNHKラジオ、今日は国語辞典を編纂されている飯間浩明さんがゲストでした。

 

ワードハントという日常

辞書の編纂といえば小説「舟を編む」を思い出します。

飯間さんも同じように言葉を集めることを日常的になさっている方。自宅ではテレビや雑誌や新聞から目新しい言葉や見かけなかった使われ方を見つけてはピックアップされているというお話、例えば最近の若い女の子向けの雑誌で複数「ぶりっこ」という表現が使われていることに着目されていて「こうやって使用されていることをふまえておかないといけない、知らないと『古い言葉である』なんて説明を書いてしまう」と仰っていました。

 

そして外出先ではタブレット端末を持ち歩いて気になる看板や標示を撮影して残しておくのだとお話されていました。

 

「楽しそうですよね」と番組のMCさん。

「そうですね、苦しいなかにも楽しさがあります」と飯間さん。

 

何かを探しながら歩くことで、多くの人が気づかずに通り過ぎているあちこちに眠るお宝のようなものを探す事が出来る、意識すると世界が違って見える、それが面白い、と語っておられました。

 

これ、何かに似てるぞ、と思って思い出した事。

数年前から子供たちと足しげく通っている、バードウォッチングの経験でした。

 

野鳥を探して

初めて参加した数年前、野鳥の会が主催するそのバードウォッチングが開催されたのは、子供たちや犬を連れてよく散歩する通い慣れた公園とその周辺の水場でした。

冬の野鳥観察、そこにどんな鳥がいるかは何年も前からその場を知っている私にとって分かりきっていて、子供たちが楽しめたらいいなぁと思っていた程度の気持ちで参加しました。その時点で私が口頭で挙げられたその場に居たと記憶していた鳥は10種ほどだったでしょうか。

 

2時間ほどのバードウォッチング、そしてその後の「鳥合わせ」と呼ばれる、その日見た鳥の種類を参加者全員で確認する時間になりました。(余談ですがこの「鳥合わせ」というネーミングの語感がなぜかとても好きで、いつもその時間が楽しみだったりします)

 

その日の2時間の間に歩き回って見つけた鳥は、声だけ確認できたものも含めて50種ほど。野鳥の会の先生方も「今日は多かった!」と声を上げるほど、近年ないたくさんの数を確認できた回だったようでした。

 

私の世界が変わった日

その公園にその日たまたま鳥がたくさんいた、というのは恐らく事実なのだけれど、それでも日常的にそこを訪れている私にとって特段なにかの変化があったわけでも、誰かがそれを仕掛けていたわけでもない、いつもの公園でした。

 

違っていたのは、鳥の種類を知っている先生方と一緒だったこと、そして私が「鳥を探そう」という目で周囲を見ていたこと。

 

とても大げさなのだけれど、その日を境に私が見て来た世界が一気に姿を変えたと思っています。

 

家の前の電線にとまっている小鳥の姿が見えたら「あれは何だろう」と注視するようになりました。上空を飛ぶ猛禽類が見えたら「トビかそれ以外の種か」と尾を確認する癖がつきました。鳥の声が聴こえたら「そこにいるんだな」と感じるようになりました。

 

これまで日常の風景の中に埋まっていて気づかなかった鳥の姿や鳥の声が、私の世界のなかに出現した、私の世界の中にこれまで居なかった鳥という存在が突然浮き上がって来た、そんな感じでした。

 

日常の中に埋まっている色んなもの

息子たちが虫を好むようになり通りすがりの葉にとまっている幼虫や草原のバッタに目が行くようになり、末っ子が電車に興味を持つようになりこれまで気にしていなかった線路の音や汽笛が気になるようになりました。

子供たちと長距離ドライブをする時の退屈しのぎに対向車のナンバープレートの下一桁をカウントする遊びをし始めてから、子供たちと一緒にナンバープレートの数字に興味を持つようになりました。

 

それまでは気にする事無く風景の中に埋まっていたそんな色んな要素が、何かをきっかけに浮き上がって来て自分の周りの日常的な風景を変えて行く、私の生きる場所が変わらなくても、見えている世界がどんどん変わっていく。

 

視点をくれる、子供たちとの暮らし

飯間さんが辞書の編纂を通して色々な言葉が浮き上がった景色を目にしているように、私も日々いろんなことに出会い、興味を持つことでこれまでの景色がどんどん変わって行く経験をしています。

その出会いをくれる最大の要素が、今は子供たちだなぁと感じます。私がこれまで興味があまり無かった分野のことを一緒に調べたり出かけたりする機会が増えることで興味の幅が広がったり、普段通っている道でも「ここから電車が見えるんだ」とか「この水場はいい遊び場になりそうだな」とか気になるようになる。

 

子供たちが興味を持った色々な生き物や電車や車、習い始めたサッカーやダンス、アレルギーや発達障害などハンディのこと、良いことばかりとは限らないけど、子供たちを通して色んな人や物と出会いながら私の世界が広がって行く、それをようやく「面白い」と思えるようになってきたように思います。

 

末っ子がやっと5歳、てんてこまいだった日々が少しずつ落ち着いて来てやっとそれを感じられるようになったのかもしれません。

 

4人いたらお世話もお金も4人分、大変さも山のように襲ってくるのだけど、それと同じように私にやってくる色々な人との出会い、興味の対象との出会い、そこから広がる新しい世界。

 

長男がサッカーを習っていなかったら私は今もオフサイドの意味が分かっていなかったと思うし、末っ子がアレルギーを発症していなかったら出会えなかった友人も複数いる。特性の強い次男はお世話の大変さと同じくらいたくさんの人との出会いを私にくれているし、娘を通して始めた趣味でも新しい世界と繋がった。

 

4人の子供たちが居ることで4人分の窓口をもらっていること、それをいつまでも面白がれる自分でありたいと、そんなことを考えています。

 

 

舟を編む (光文社文庫)

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辞書を編む (光文社新書)

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不採用語辞典

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