スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「ありがとう」の与えてしまうもの 〜コワニラさんの教室でのエピソードから


先日、ご依頼を頂いて保育士さん向けのサイトに記事を書かせて頂きました。

ついつい「すみません」が口からついて出てしまう自尊心の低い自分の悪い流れを変えたくて意識していることについて書いたこの記事、「ありがとう」という言葉について考えていたところに、TLにコワニラさんのこんなツイートが流れてきました。

 

「ありがとう」という言葉の持つ力

前述の記事のなかで触れたのですが「ありがとう」という言葉にはプラスの意味が大きくあると感じています。プラス、つまり「肯定」の意味を相手に与える言葉です。

子供たちに対してその言葉を使う時に与えるのは感謝の気持ちや嬉しいと感じた気持ち、とつい思いがちですがそれ以外にも実際にそれを言われた人が感じることがあります。

 

それが「その行動は間違っていない、繰り返しても良い」というメッセージ。

 

「ありがとう」という言葉にはその言動を肯定し「あなたは正しかった」と認めることに繋がる可能性が秘められているのではないかと思っています。

 

この「ありがとう」が伝えてしまったメッセージ

では、このコワニラさんが書かれていた先生が児童に贈った「ありがとう」でどんなメッセージが伝わってしまったのでしょうか。

 

おしゃべりをしていたB君たちに「静かに!」と声をかけたA君は先生から褒められて嬉しかったかもしれません。と同時に「その注意は正当なもので今後も繰り返して良いです」というメッセージも受け取ってしまった可能性があります。

 

先生は「ありがとう」という言葉に乗せてA君に「キミが先生の代わりに他の児童に注意してよろしい」という許可を与えたことになります。

 

教室で注意するのは誰か

本来、教室内で授業を統率するのは授業を行う先生(教員)の責務であり、授業を妨げになる児童の行動について管理するのもまた教員が行うべきことです。

その権限を誰かに与えるのは細かい配慮が必要となることなのではないかと思うのですが、この先生は「ありがとう」という言葉に乗せてうっかり児童にその権限を渡してしまっている状態になっています。それに気づいているのかな、と思っていたら

と書かれていたので暗に与えているメッセージ性には気づいておられなかったご様子です。

 

「監視役」になる子供たち

A君のように先生から「注意する役をして良し」という引導を渡された子を見て、同じようにB君のような児童に注意をし始める子もたまに見かけます。クラスの状態によってはそんな子がどんどん増えてしまって収集がつかなくなってしまったり、子供同士の中に注意する側とされる側という亀裂が生まれてまとまらなくなってしまったりするケースも散見されることがあります。

前述のコワニラさんのツイートから察するに先生が「注意しなくていいです!」といわざるを得ない状況になっていることから注意する子たちが現れて収集がつかなくなっている様子かもしれません。

 

悪い子を注意すれば先生から褒められる、それは一部の子供たちにとっては「自尊心を充たすいい方法見つけた!」という甘い蜜になってしまうこともあるのではないかなと思います。

注意すれば先生が「ありがとう」と言ってくれる、先生と同じように目につく行動をとる子を注意して良い立場になれる。自尊心が低めの子供たちがもし教室に居たら、こんなに簡単にその心の欠けた部分を充たす方法はないと飛びついてしまうかもしれません。

 

褒められることはとても気持ちのよいこと。自分が誰かの悪い所を見つけた!指摘した!先生が注意した!褒められた!A君がもしそうやってクラスの監視役となってしまったら…その後クラスの他の子供たちと仲良く過ごし続けられるでしょうか。クラスの他の子供たちと対等に活動できるでしょうか。監視役のA君と監視される側のB君たちはお互いをクラスの仲間だと認識できるでしょうか。

 

おわりに

今回のコワニラさんの書かれていたケースで使われていた「ありがとう」という言葉が適切であったかという疑問について、私は「誤用であった」と考えています。

「ありがとう」という言葉のもつメッセージ性に気づかず、A君がどんな意味で受け取っているかを意識せず、結果としてA君がクラスの他の児童とうまくいかなくなる可能性を秘めているからです。

 

子供たちに接していくなかで「ありがとう」をたくさん使ってその言動を認め、褒め、自尊感情を高めていくお手伝いをしていくことは大事なこと。でも一つ使い方を間違えるとA君のように誤ったメッセージを受け取ってしまうことになるかもしれません。

 

最初に紹介した記事では「ありがとう」をたくさん使うことで自分の周りがどんどんよくなっていく効能について考えていますが、「ありがとう」は自尊心を高める魔法の言葉であるのと同時に、承認欲求を簡単に充たしてくれる麻薬のような力もまた持っているのかもしれません。

 

自分が周りに対して「もっと褒めてくれてもいいのに!」と憤ってしまうときは精神的に弱っているときかもしれませんし、基本的自尊感情が充たされていないが故にそれを求めている状態になってしまっているのかもしれないという一つのサインになるのかもしれないなぁと、そんなことを考えたりしています。

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