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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

Twitterの1万字と、夫婦別姓と、反対意見

そのときどき


いや、たぶんそんなに深刻な話じゃないとは思うのだけどね。

 

Twitter社が1ツイートあたりの字数制限を140字から1万字に拡張するというニュースで朝から賑やかなTLで。

www.huffingtonpost.jp

 

この報道を受けてTLでは色んな意見が飛び交ってました。拒否反応を示す人、早速ネタにする人、改善案やそうなったら辞めちゃうぞって声も。私はどうだろう、元々ダラダラ長いツイートをついやってしまうからと始めたのがこのブログだったから、Twitterでたくさん呟けるようになったらブログの存在意義自体も怪しくなるんだろか、それともTwitterの居心地が悪くなって使うの辞めちゃうんだろうか。

 

私が目にした意見の多くは、140字のままでいてほしいな、っていうものでした。うん、私もその方が楽だしそうあってほしいなぁ、って思ってたらとあるフォロワーさんのツイートが目につきました。要約すると「でも140字で呟く自由は残ってるんだよ…!」というもの。

 

なんかね、それはとっても目から鱗でした。そうか、その自由は誰にも残されてるのになんとなく抵抗を感じてしまうし、拒否反応を示したり方針を批判したくなってしまう。出来ていることは変わらない、はずなのに。

 

いやもちろん、140字という制限があることをうまく利用して楽しんでいた側面は大きくて、それが取り払われてしまう寂しさというのは確実にある。その楽しさの部分を削られてしまうことへの抵抗……

 

と思いつつ娘を習い事に送って行く車の中でふと思ったんですね。これ、例えば夫婦別姓の容認を求める声への反発ももしかしたらこんな、今ココにある安住を取り払われてしまうことへの抵抗なのかもしれないなぁって。いや冒頭に書いたようにそんな深刻な話じゃないのは解ってるんですよ、次元が全然違うのも。でも構造として似てるのかもなぁと。

 

与えられている今この環境で自分たちは楽しく安心して過ごしてる、ここでコミュニティを形成して、この仕組みを利用して毎日を過ごしてる。それを、誰かが変えようとしてる。(でも元々出来ていたことは維持されてる)

 

変えようとしている側にも理由がある、あるから変えようとしてるんだろうしね。そこの細かい部分については記事からはあまり多くは読み取れないけど、その方が会社として助かるとか、140字は日本語以外の言語では少な過ぎるというツイートも流れて来てた。(この理由が、夫婦別姓を求める人たちの主張と同レベルで扱えるものではないとは思うけど)

 

誰かの何かの不利益がある、制度を変えた方が都合が良いと考えている人がいる、変えようという声が上がる、反対の声が上がる。

 

もちろんただのSNSの仕様変更だから、みんな軽い気持ちでフランクに自分の見解を呟いてる。そんなもんだろうと思う。でもこの流れを見ながら、もしかしたら夫婦別姓を含むいろんなマイノリティのための改善案に対する反対意見の中には、こんな風にその理由や事情はあまり気にせずに自分の視点からの意見だけを言い続けてしまっているケースもあるのかもしれないなぁ、と思ったりしたのでした。

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