素晴らしき合作、まうどん×ダイス先生コラボ
Twitterでなかよくさせていただいているまうどんさんと心理士のダイス先生のコラボブログ2作目がアップされていました。
発達障害に限らず、子供と接するときの大事なことが書かれているとても参考になるマンガ、前作(わがまま?聞き分けがない?大人が子どもに「寄り添う」ということ | マンガ蒲田家★定型外家族)と合わせてぜひご一読を。夫にも読んで欲しくてURLを送りました。
心理士のダイス先生が普段Twitterで紹介されているちょっとした声掛けのコツや気持ちの持ち方、それをやんわりしたまうどんさんのイラストで見える化されたこれら作品、まうどんさんの絵がまた小憎らしくわかりやすい…!絵を描く才能ってすごいなぁと毎回感動してしまいます。もうこのコラボで育児本出して欲しい…。
今日のダイス先生のツイートから
具体的な行動の形で、肯定的な形で伝えるのが大事。
抽象的な精神論で、否定的な形では伝わらない。
子どもでなくて大人でも、凸凹がなくても同じように大事なこと。
— dicegeist (@dicegeist) 2016, 1月 26
このツイートを始点にした連続ツイートの内容、肯定的な言葉で端的に指示を出すスキルについて書かれています。気になる方はぜひ。
子供たちを育てていて、つい「ダメ!」「走らないで!」という否定的な言葉を使いたくなる。でもそれで子供たちがスムーズに指示に従うかというとそうでもない、イライラが募る…育児あるあるだなぁと思います。
シンプルな方法があるのだけれどつい自分の口から出てしまうのは否定的な言葉だったり、感情的な抑揚を含む表現だったり。
でもそのダイス先生が最初に紹介したまうどんさんの漫画の中で書かれているように、感情的な声かけで子供たちを持続的にコントロールするのは無理な話。長期的に見て違う手だてを用意する必要がある。
歩いて欲しいときに「歩きます」と伝えるとスムースに通ったりすることがある。自閉症の子に対する指示の出し方として使われることも多いのかなと思うのだけど、この「歩きます」って誰がどうだとかいう無駄な情報がないから通りやすいんだろかとふと思った。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2016, 1月 26
ここでは歩きます、というシンプルなルールを明示する。それはテプラで「はさみ」と印字してはっておくような、余計なメッセージ性を含まないシンプルな指示になるのかなと。丁寧語を使うことで大人の側にも感情の抑制の効果があるような気がする。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2016, 1月 26
うん、この一瞬でどんだけ自分の感情を抑えて言葉にするか。 https://t.co/6dhVznZVyD
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2016, 1月 26
いや感情的な言葉かけそのものを否定するつもりはないんだよ。それはそれで意味があることもあるし、それをもって伝えられることもあるし。でも感情に任せた発言で言葉以上のものを受け取って欲しいと思うのはね、大人としてそこに依ったらいかんのかなとは思う。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2016, 1月 26
ブログで、夫婦間のことでそういうことに触れることもよくあるんだけど、言葉として強いけどやっぱりそれは幼稚だと思うのよ。大人として、言葉で適切に丁寧に対象となる子が受け取られる形で情報を発信する、そのためには紙一重の間で感情を抑えて表出を考える必要がある。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2016, 1月 26
子供たちの「りゆう」
そんなことを考えていたら、チャビ母さんのこんなツイートが流れてきました。
友達の子が私が座ってるソファで跳び続けた。友人が「跳ばない」「座ろうね」って言うと一時的には止めた。でもやっぱり続ける。でも「じゃんけんしよう」って誘ったら跳ばなくなった。遊び相手がほしかったんだね。
肯定vs否定指示と共に「なぜそれをしてるか」をくみ取るのも大事な声かけ要素かも
— チャビ母 (@chubby_haha) 2016, 1月 26
この場合「人に迷惑をかけるから跳ばないでほしい・座ってほしい」は大人の要望だよね。そういう「ルール」を教えるのは勿論しつけとしてとても大切な事だとは思う。でも「じゃ外で遊ぼう」とかってただ肯定語で指示を出すんじゃなく気持ちに寄り添って代替案を提示してあげるのも大切なんじゃないかな
— チャビ母 (@chubby_haha) 2016, 1月 26
うん、子供たちの行動にはちゃんと理由があるんですよね…。ただ本人がその理由を意識しながら行動を起こしていないことも多い。本人すら意識していないその理由に対して、周囲の大人がどこまで寄り添ってあげられるか、その理由の部分を否定せず受け止め、行動の部分を別の行動に転換するためのフォローをしてあげられるか、ここが難しいんだろうなと思います。
大人の「りゆう」
子供たちの行動に隠れた理由がちゃんとあるように、私たち大人の行動にもしっかり理由があるんだろうな、とも思うのです。
何かの問題のある行動を子供がとるとき、例えば店内で走っていたら。歩いて欲しい、止まって欲しい、それを子供に求める理由はなんでしょう。
走って転んでは危ないから
物や人にぶつかって壊したらいけないから
店内で走るのはマナーが悪いから
店内で走るような子供を育てている親だと思われて体裁が悪いから…
トリガーになる「りゆう」
自分の過去を振り返った時、子供を叱る中で自分の中でどうしても許せないこと、過去のトラウマ、周囲からどう見られているかの体裁、そんな、子供そのものと直接関係のない自分の中の理由が自分の中に塊として存在しているのに気づいたことがあります。
躾ができない親だと思われたくない、宿題を管理できないような親だと思われたくない、忘れ物をさせるような親だと思われたくない、こんな親でありたい、このくらいできる子であってほしい、こんなことしない子であってほしい…
子供の言動に対して穏やかでいられないとき、自分の中の普段意識していない何かしらの要素がトリガーとなって自分の感情を高ぶらせ、不適切な叱り方を引き起こしてしまっているのかもしれない。
意識していないけどそこにある「りゆう」
子供たちが自分たちの色々な行動にそれぞれの理由を意識しながら生きているわけではないように、大人である私も、自分の行動の理由を常々考えているわけではないのだなぁ…と改めて思い知っています。
前述のブログの漫画の2コマ目にあった「期待」もその一つなのかもしれない。こうしてくれという自分の中にある勝手な理由。3コマ目のように、いくつもある私の中の不条理な理由は太い鎖で私を縛ってグルグル巻きにして私の色々な記憶や感情を引き起こします。
3コマ目の最後の一言「たぶん完全に自由になるのは無理でしょう(私もです)だから、そのことを自覚する」
子供たちの隠れた理由を私が寄り添い意識するように、私もまた自分の行動に隠れた自分の中の理由にを自覚することで、自分で寄り添ってあげる必要があるのかもしれません。
おわりに
色々つぶやいてたら、まるむし(id:marumushix)さんが返信をくれました。
@suminotiger 娘を前にしてね。ぐずぐずや、言い訳にイライラメラメラになったときに、「〇〇(ムスメの名)にも、理由がある、理由がある・・・」って脳内でぶつぶつw
— まるむし(春が待てない) (@marumushi40) 2016, 1月 26
@marumushi40 頭ではわかってるんだけどなかなか難しいよね…うん、理由がある…理由がある…
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2016, 1月 26
ぐずぐずにも言い訳にも、その子なりの理由がある。そしてそれにイライラメラメラしちゃう自分にも、きっと自分なりの理由がある。
それぞれの「りゆう」を意識できる自分でありたいなと、改めて思うのです。そしてそれを自分に課すことはやっぱり重たいので意識しときたいのは
三割ね、三割くらい寄り添えれば。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2016, 1月 26
です。
おまけ。
今日のタイトルはこちらから。りゆうがあるんだよ、どんなことでも。