スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「りゆうがあります」大人にも子供にも。


素晴らしき合作、まうどん×ダイス先生コラボ

Twitterでなかよくさせていただいているまうどんさんと心理士のダイス先生のコラボブログ2作目がアップされていました。

 

止めること・叱ること | マンガ蒲田家★定型外家族

 

発達障害に限らず、子供と接するときの大事なことが書かれているとても参考になるマンガ、前作(わがまま?聞き分けがない?大人が子どもに「寄り添う」ということ | マンガ蒲田家★定型外家族)と合わせてぜひご一読を。夫にも読んで欲しくてURLを送りました。

 

心理士のダイス先生が普段Twitterで紹介されているちょっとした声掛けのコツや気持ちの持ち方、それをやんわりしたまうどんさんのイラストで見える化されたこれら作品、まうどんさんの絵がまた小憎らしくわかりやすい…!絵を描く才能ってすごいなぁと毎回感動してしまいます。もうこのコラボで育児本出して欲しい…。

 

今日のダイス先生のツイートから

このツイートを始点にした連続ツイートの内容、肯定的な言葉で端的に指示を出すスキルについて書かれています。気になる方はぜひ。

 

子供たちを育てていて、つい「ダメ!」「走らないで!」という否定的な言葉を使いたくなる。でもそれで子供たちがスムーズに指示に従うかというとそうでもない、イライラが募る…育児あるあるだなぁと思います。

シンプルな方法があるのだけれどつい自分の口から出てしまうのは否定的な言葉だったり、感情的な抑揚を含む表現だったり。

 

でもそのダイス先生が最初に紹介したまうどんさんの漫画の中で書かれているように、感情的な声かけで子供たちを持続的にコントロールするのは無理な話。長期的に見て違う手だてを用意する必要がある。

 

子供たちの「りゆう」

そんなことを考えていたら、チャビ母さんのこんなツイートが流れてきました。

 

うん、子供たちの行動にはちゃんと理由があるんですよね…。ただ本人がその理由を意識しながら行動を起こしていないことも多い。本人すら意識していないその理由に対して、周囲の大人がどこまで寄り添ってあげられるか、その理由の部分を否定せず受け止め、行動の部分を別の行動に転換するためのフォローをしてあげられるか、ここが難しいんだろうなと思います。

 

大人の「りゆう」

子供たちの行動に隠れた理由がちゃんとあるように、私たち大人の行動にもしっかり理由があるんだろうな、とも思うのです。

何かの問題のある行動を子供がとるとき、例えば店内で走っていたら。歩いて欲しい、止まって欲しい、それを子供に求める理由はなんでしょう。

 

走って転んでは危ないから

物や人にぶつかって壊したらいけないから

店内で走るのはマナーが悪いから

店内で走るような子供を育てている親だと思われて体裁が悪いから…

 

トリガーになる「りゆう」

自分の過去を振り返った時、子供を叱る中で自分の中でどうしても許せないこと、過去のトラウマ、周囲からどう見られているかの体裁、そんな、子供そのものと直接関係のない自分の中の理由が自分の中に塊として存在しているのに気づいたことがあります。

 

躾ができない親だと思われたくない、宿題を管理できないような親だと思われたくない、忘れ物をさせるような親だと思われたくない、こんな親でありたい、このくらいできる子であってほしい、こんなことしない子であってほしい…

 

子供の言動に対して穏やかでいられないとき、自分の中の普段意識していない何かしらの要素がトリガーとなって自分の感情を高ぶらせ、不適切な叱り方を引き起こしてしまっているのかもしれない。

 

意識していないけどそこにある「りゆう」

子供たちが自分たちの色々な行動にそれぞれの理由を意識しながら生きているわけではないように、大人である私も、自分の行動の理由を常々考えているわけではないのだなぁ…と改めて思い知っています。

 

前述のブログの漫画の2コマ目にあった「期待」もその一つなのかもしれない。こうしてくれという自分の中にある勝手な理由。3コマ目のように、いくつもある私の中の不条理な理由は太い鎖で私を縛ってグルグル巻きにして私の色々な記憶や感情を引き起こします。

 

3コマ目の最後の一言「たぶん完全に自由になるのは無理でしょう(私もです)だから、そのことを自覚する

 

子供たちの隠れた理由を私が寄り添い意識するように、私もまた自分の行動に隠れた自分の中の理由にを自覚することで、自分で寄り添ってあげる必要があるのかもしれません。

 

おわりに

色々つぶやいてたら、まるむし(id:marumushixさんが返信をくれました。

 

ぐずぐずにも言い訳にも、その子なりの理由がある。そしてそれにイライラメラメラしちゃう自分にも、きっと自分なりの理由がある。

 

それぞれの「りゆう」を意識できる自分でありたいなと、改めて思うのです。そしてそれを自分に課すことはやっぱり重たいので意識しときたいのは

です。

 

おまけ。

今日のタイトルはこちらから。りゆうがあるんだよ、どんなことでも。

 

スポンサードリンク