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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

つまんない授業と聴いているふりをするスキル


TwitterのTLに流れて来ていた、授業中に絵を描いてたというツイートを見て思い出した自分の過去。

 

小中高と、なんで自分はここに座ってこんな退屈な時間を過ごさねばならないんだろうとずっと思ってた。先生は教科書に書いてあることを喋ってるだけだし、それは教科書を読めばわかるし、教科書を読んでなくても授業が始まって数分で内容は頭に入ってきたし、出される課題も先生が提示した時間の半分以内には終わってあとは何もすることがない。ここはなんて退屈な場所なんだろうと思いながらぼんやりと外を眺めたり、ノートの隙間に絵を描いたり、隣の子に話しかけて叱られたり、手紙を書いてまわしては叱られたりしながら過ごしてた。

 

高校生にもなると夜更かししたりもするようになって昼間眠い。退屈な授業はちょうどいい催眠術となって私を心地よい眠りに誘う。春先なんかもう眠くて眠くて仕方なくて、つまんない授業のときはほとんど寝てた。業を煮やした化学の先生から教室中に響く音でげんこつをくらわされたけどあれは私立高校だったからアリだったのか、昔だったからアリだったのか、みんなが何とも思わないほど私の睡眠が度を超していたからだったのか。

その後呼び出された職員室でその化学の先生と担任だった数学の先生が「こいつはずっと寝てるくせに点は取れるからむかっとくるんだよ」と笑い合っていたからあぁ良い学校に入ったんだなとそこからも卒業までそれなりにのびのび過ごさせてもらった。

 

高校の途中からはノートを取るという趣味ができた。ルーズリーフ1枚にすごい細いペン(当時発売されたばかりの0.3mmのボールペン)を使って小さな文字とイラストで1単元を丁寧にまとめあげるというのをやったらクラスの友達にすごく受けてテスト前にコピーさせてくれと頼まれたのが嬉しくて、そこからは授業中は延々それを書いていたので叱られることがなくなったなぁ。

 

先日のこと。

小学校4年になる息子の担任と話したとき、次男の授業中の様子について「授業聴いてないな〜ってことはよくあるんですが騒音など実害のないものはスルーしてます」と仰っていて、先生のご理解に頭が下がる思いだと何度もお礼を言った。次男と話してみると想定のどまんなかの答えが返って来た。

 

「だって、知ってることばっかり先生が話すからつまんないんだもん」

 

そうだよね、うん、お母さんもそうだったわ、ごめん遺伝だわ。

 

つまんない授業をどうするかを息子と話す。とりあえず実害(立ち歩きや騒音など授業の邪魔になるもの)はダメだよねという概念を息子と共有する。うんそれはよくない、じゃあどうしよう。

 

「とりあえず、つまんないなと思っても座っとかないといけない」と次男。

うん、それが君にとっての授業だ、登校する以上やむを得ない、仕方ないから対処せねばならない。

 

次男と考えたのは、たとえば「一人しりとり」脳内で延々自分と自分でしりとりを繰り返す、これは母ちゃんも昔よくやった。あとはお話を考えて脳内で再現して楽しむ。読んだ漫画を思い返す(これは夫がよくやってたらしい)。

 

ここまで話しながら、なんでこんな苦行やらないかんのかなあと自分の中に違和感がもりもりと盛り上がる。つまんない話を1日数時間聴き続けないといけない。もう知ってることやすぐにわかることだけが積み上がっているのに。

 

ここでつい思う。クソみたいだな、義務教育。個人の能力に合わせてステップアップどんどんしていって個々に伸ばしていけたら…(でも家庭で十分にそれができないのわかってるし、知ってることが口からでちゃうタイプの次男は先取り学習は控えてるのでそうもいかないからそもそも無理なんだけど)

 

でもね、ともう一人の私が横から声をかける。

「座って話を聴く姿勢を持ち続ける能力、ほんとに要らない?」

 

大人になった私が、その「座って人の話を退屈だと思いながらも周囲から浮かないように聴き続ける」場面に出会わないかというとそうでもない。園や学校でいろんな式典の長々とした挨拶、興味ない話題だけど参加しないといけなかった講演会、役柄上出席しないといけない会議、いやちゃんと聴かないと困るものや必要なものの方が多いんだけど、でも「なんでここに座っとかないといけないんだろう」とモヤモヤしながらも時間を過ごさないといけない場ってときどきある。

 

それに、本当にクソみたいにつまんなくてもその話を興味をもって聴いている素振りを見せる子は有利だ。内申点も良いだろうし、就職してからも評価は聴いてない奴より良いかもしれない。聴いているような素振り、無駄とはけして言えない。

 

周囲から浮かずに授業という流れの中で違和感なくそこに存在し、話を聞いているように話者に感じさせることが出来る、これも一つの能力なんだろうなと思う。それを入学した頃から、いやその前から誰かに教えられることもなく手にすることが出来る子もいるんだろうと思う。うちの4人の子のうち私は教えてもないけど出来てるなって子が複数いるから、成長するなかのどっかの過程で掴めるタイプの子もいるんだろうな。

 

でも私も次男もそうじゃないっぽい。

 

次男が「おれはつまんねえ話なんか聴かないぜ!」っていう豪儀な言い分が通るような高見に登っていけるなら、必要ない能力かもしれない。今の彼の持ってるものを磨き伸ばしてそこに行き着くようにサポートしていくのも、親としての一つの方向かもしれない。

 

でも彼がそこにいけるかという針の穴通すみたいな目標を持つことは私にはできない。

とりあえず授業はつまんねえかもしれないけど、お利口さんのふりをしてたら通知表の丸、たぶん増えるよ、聴いてるふりをし続けるのもまぁそのうち役に立つかもしんないよ、話聴いてるふりしてたら意外と面白い話も聴けるかもしれないよ、悪いことばっかじゃないと思うからとりあえず前向きに「座って聴いてるふり」しとこうぜ、っていうのが次男と私の結論。

 

私はこれまで幸いなことに、授業中露骨に話を聞いてなかったことについて激しく怒ったり面倒なことを言うような先生には当たったことがなくて、それはほんとにラッキーだったんだなってTwitterやなんかで色んな方のお話を聴いてると思う。

 

話をちゃんと聴いてないってことで感情高ぶらせて怒る大人はいるね、うん私も時々ムカッと来るから他人事じゃない。

 

もしかしたら次男がこの先出会う指導者や上司のなかにその手の人が居ないとは限らない。その時にその態度を理由に理不尽に傷つけられることはできれば防ぎたい。

 

「聴いているふりをする」にはスキルが必要なタイプの子もいる、私もそうだったけど、でも大人になってみるまでそのスキルというものが存在することも、社会の中で生きて行く上で身につけといた方が得なのも知らなかった。教えてくれる大人には出会わなかったなぁ。出会えてたら人生違ってたんだろか。

 

そんなこんなを話して数日後の次男の感想は

「座ってぼーーっとしてるとさぁ、色々考えることあったりするね、うん」

だそうです。

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