末っ子三男が生まれて少ししてから始めたのがTwitter。そこでは同年同月に生まれた子のいるお父さんお母さんたちとタグを通していっぱい繋がって、そのときどきの悩みを夜な夜な話してきたなぁと思い出す。
うとうとしつつも自分から離れない乳児に授乳しながらガラケー開いて小さな画面のなかに自分以外に起きてる人がいるのがなんかうれしくなったり、子育てのことや夫のことなんかをぽろぽろ愚痴ったり。
今日のTLに、久しぶりにそんな時期を思い出すアンケートが流れて来てた。1歳児の離乳食について。遊び食べ、手掴み食べ、その単語のひとつひとつすら懐かしくてなんだかじわっと色んな思いがこみ上げてくる。
数日前に流れて来てた、漫画家の西原理恵子さんの「毎日かあさん」の一節「なんで家事なんかしてたんだろう、もっと抱っこしてあげてればよかった」って言葉に、前思春期に入ってもう私を恋しがることもなくなっちゃったデカい息子たちが私に伸ばしてたかつての小さな手のひらを思い出しては目が潤む。
Twitterを続けてると、乳幼児育児にどっぷりつかってたあの頃の自分にふと引き戻される瞬間がときどきやってくる。小さな長男が仕事用のPCに向かう私の足に絡みついていたあのときに、なんで私は仕事してたんだろう、やめて抱っこしてればよかったなぁってサイバラさんばりに思い返してみたりもする。
子どもたちと一緒に暮らし始めてからもうすぐ12年になる。
離乳食をどうするか、目の前で遊び食べしてるのをいつ止めたらいいか、靴下ははかせたほうがいいのかよくないのか、どのタイミングで病院に行ったらいいのか、発達の困難をどこに相談したらいいのか…日常の些細な疑問から子どもたちの人生に関わるかもしれない大きな選択まで、12年間に本当に毎日毎日いくつもの「どうしよう」とつき合って生きてきたように思う。
そのときの私がそのときの精一杯で、情報をかき集めたり誰かに相談したり悩んだり泣いたりしながら右に行くか左に行くかを考え選択してきたのだけれど、通り過ぎてきていま、その道をふりかえってみて思うこと。それが「私が楽な方にしとけばよかったんだ」ということ。
子どものためと思って辛い方の選択肢を選んできたことも何度も何度もあった。でもその重さに耐えきれなくなってイライラが募ったり、しんどくなったり、夫に泣きついたりすることもたくさん。
母ちゃんが笑顔でいられない選択肢をなんで私は選んじゃったんだろうと、通り過ぎたいまは思うのです。
どうしようって悩んでいる、というスタート地点に立っている時点で、あなたはいい親だと思う。
だから、子どものためを思って辛い方の選択肢は選ばなくていいんじゃいかな。迷うという、いい親の条件を満たしているのだから、あとは子どもの前でいい笑顔でいられる方を選んでも間違えないと思う。
困ったら、楽な方を選んでいい。
笑顔がわからなくなったら、鏡の前や誰かの前で、自分の子どものいいところを話してみて。その顔が、あなたのいい笑顔、お母さん(お父さん)のいい顔。それを子どもに見せてあげられるような、楽な育児をどうか選んでください。
迷ったら、悩んだら、困ったら、自分がいい顔でいられるような楽な方を。それが、たぶん子どもにとっての一番の栄養だから。