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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

振り向いて泣いてしまう親と、前だけを見ている子どもたち。


卒園シーズンの今日この頃です。

 

卒園式で歌われる歌のなかで私が好きなのが「ドキドキドン!一年生」

 


ドキドキドン!一年生

 

一年生になるドキドキ、不安だけど楽しいこどもたちの心のなかを歌ったこの歌が私は大好きです。卒園式の、誇らしく楽しそうな子どもたちの笑顔、これからやってくるランドセルを背負った未来の自分を思っているのかな、その楽しくてキラキラした笑顔が、この歌を歌うともっと明るくなる。

 

保護者や役員として例年参加している卒園式でこの歌を聴くのを楽しみにしていたのだけれど、ここ数年はあまり聴かなくなりました。

 

代わりに、お友達との思い出や園でのことを歌った歌を卒園の歌として歌っている子どもたち。大人が思い起こし涙するような、園でがんばってきた僕たち私たち、お友達を忘れないよ、お別れだよ、という園生活をふりかえるようなその内容に、なんだかちょっとだけモヤモヤとしたものを感じてしまいます。

 

感動ポルノ…

そんな言葉も一瞬脳裏をよぎるような、大人が作り演出する子どもたちのお別れの場、という印象の卒園式にじわりじわりと違和感を覚えるのです。

 

うちの子どもや周りの子たちを見ていて思って来たことだけれど、卒園式でのお別れということを彼らはあまり強く意識はしていなかったように思います。お別れ、寂しい、悲しい、これまでの色々、という過去や今のことよりも、彼らはランドセルを背負って登校する未来の自分たちのワクワクを感じてる。園が最後という寂しさよりも、ここを巣立って小学生になるんだという未来を楽しみにしている、そこに大人が、お別れの寂しさや巣立つという感動を無理矢理ねじ込んで享受している、というと大げさなのだけれど。

 

これまでの園生活での大変さや離れる寂しさや環境が変わる不安を感じるのは先を見通せる大人だからなんだろうな。だからお世話になった先生とのお別れを心細く思い、これから始まる小学校生活への不安を感じ、凛々しく卒園の証書を受け取る姿に成長を感じ、慌ただしさのなかで過ぎていった手を焼いた日々を思い返し、親は涙するのかもしれない。

 

まだ幼い彼らは卒園式のあとも元気に手を振って「またね〜〜」と笑う。寂しさやお別れの意味を先を見通して感じられるようになるにはあと数年、という子もたくさんいるのが6歳くらいの子どもたちの集団。いつもと同じように楽しそうにお別れ会の時間を一緒に過ごし、本当の本当に最後のお別れだと言われてもやっぱり「ばいば〜〜〜い」って笑って手を触り合ったりする年長児の子どもたち。

 

そんな彼らを見ていると、このお別れを惜しむ雰囲気に彼らを無理に巻き込まなくてもいいんじゃないだろうかと思ったりもするのです。お別れを惜しみ盛大なイベントにしたいのは大人だけなんじゃないのかなぁって。

 

長男が来年度卒業を迎えようとしていて、卒業式やその後の謝恩会というのが自分のなかで近いものとなっているのだけれど、袴で参加するのが流行っているとか謝恩会を盛大にやるために保護者の準備が…とか聴いているとあぁここでも子どもたちの行事を通して感動したい大人たちのあれこれに子どもが巻き込まれてしまう事態が起こるんだろうかとちょっと不安になる。

もちろん園児とは違って、12歳の子どもたちにはお別れの意味も分かっているだろうし大人に近い程度の見通しを立てることもできているだろうと思う。泣く子も多いんだろうな。

 

でもやっぱり、大人の目線からではなくて、大人が満足するためではなくて、彼らの目線、彼らの気持ちに寄り添った式典であってほしいし、そんな会を催していきたい、と思う。

 

来年度は長男が卒業、三男が卒園。はやいなぁ。

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