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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

夫をチンパンジーと見なすライフハックと自他境界


「夫をチンパンジーと思ったら」

朝TLに流れて来た2つのツイート。

1つは妻側から「夫が空のバターの容器をそのまま冷蔵庫に戻していたから怒った、相手をチンパンジーとみなしたら仕方が無いと怒りが和らいだ」

もう1つは夫側から「空のバターの容器を何気なく冷蔵庫に戻していたら妻が人に思えない様相で怒った」というもの。

 

本当にご夫婦が同じ案件について語ったのかどうかは本旨ではないので追いかけて確認はしていませんが、この2つ(特に奥さんの側)のツイートから行きついた面白いことについて今日はまとめてみます。

 

「ネコだと思えばいいんだよ」

小さい頃から落ち着きもなく子守りにも躾にも手を焼いて来たうちの次男坊。生来の愛嬌でカバーしたりそれなりの支援を受けたりでなんとか楽しく学校に通っていますが、彼のアホな言動や突拍子もない行動に対応するのは本当に大変、すぐに沸点に到達して大きな声が出てしまう私に、ある時夫が言ったことがありました。「次男のこと、ネコだと思えばいいんだよ。ほら、ネコだと思って対応してごらん、イラッとしにくくなるから」

 

わざわざ狭いところを通って私にぶつかっていく次男…「ネコだからしょうがないか…」

何度言ってもこたつから出て来ない次男…「ネコだしね…」

ケンカしてお兄ちゃんの顔を引っ掻いて…「ネコだし…いやそれはだめだろうよ!」

 

さすがに手をあげるとかそう言う部分についてはきっちりと叱らねばなりませんが、それ以外の日常の些細なイライラは確かに「ネコだし…」と思うと心が波立ちにくかった気がします。

 

もちろん人間の子どもである次男ですから、その尊厳は保たねばなりません。なにからなにまでネコと同様と見なすわけにも、本人に「お前をネコと見なす」と言うわけにもいきません。あくまでも私の心の中でいらだちを抑えるための一つの呪文のような感じで「ネコだ…あの子はネコだ…」と思っていた時期がありました。

 

なぜ、動物と見なすと落ち着くのか

「夫をチンパンジーと見なす」と書かれていた方の日常のツイートは存じませんので掘り下げることはできませんが、当該のツイートを拝見して自分が次男について「ネコだ…」と気持ちを落ち着かせたようにある種の諦めに近い気持ちで相手との距離をおくための方法なのだろうなとは感じました。

 

なんで相手を動物と見なすと落ち着くんだろう…動物に限らないような気はするんですね。言葉がうまく通じない相手を「エイリアン」だと称したツイートを見たこともあるし、自分でそう思って相手との距離を置いたこともある。「外国人」「異星人」「異次元から来た人」「チンパンジー」「ネコ」「カブトムシ」…自分とうまく意志の疎通ができない、指示がうまく通らない、コントロール不能な存在に対してそんな風に、自分以外の属性を当てはめて「だから仕方ないよね」と諦める。これ、一見自分のレベルに理解が達していない相手に対する不満や不快感を自分の中が流して「あげる」、というやや上から目線ぽい臭いのする行動に見えます。が、本当にそうかな、というのが今日思ったこと。

 

これ、実は「自他の境界線が緩い自分に無自覚で、それゆえに起こっている苛立ちを抑えるために相手を自分とは違う属性だと見なすことで境界線を意識できた」という状態なんじゃないか。

 

そもそも「自他の境界線が緩い」自分がそこにいるんじゃないか、と。

 

自他の境界線とは

「自他境界」「自他境界線」「自他の境界線」などの言葉で検索すると発達障害の特性のひとつとして語られるブログやサイトが色々と出てきます。

はてなブログでも著名ななないおさんのブログでも取り上げられています。

こうやって読むと「自他境界が緩い=発達障害」と受け取られてしまいそうですが私はそうは考えていません。傾向が強ければ社会的に困難を起こしやすかったり支援を必要としたりするけれど、そう強くはないけれど傾向として持つ人というのは少なからずいる、その辺は発達障害がオンオフの障害ではなくゆるやかな連続体のなかで環境や特性の強さにより支援を必要とするケースもあるし必要としないケースもある、と考えています。

この辺のことは過去にも書いたことがありました。

 

自他の境界線というのは簡単に言えば「自分と自分以外の人間には境界線がある」と認識をするということ。

「私以外は私ではない(あの歌みたいですが)」「私とあなたは違う人」というように私と自分以外の人間が「違うものである」と理解しているということ。

 

掘り下げていくと「自分の脳みそは他の人の脳みそとは違う」「自分が考えていることを相手が同じように考えるとは限らない」「自分にできることが自分以外の人間にも同じようにできるとは限らない」と認識して生活をするということ。

 

小さい子と接していると自分が知っていることは当然周りの大人も知っていると勘違いしていたりすることはままあります。成長に伴い自分と他人との違いを認識できるようになっていってそういった勘違いが少なくなっていく。発達障害の子のなかにはその成長がなかなか年齢相応に伴わなかったりして周りの子と認識に差が出て生活や学級の中でトラブルに繋がったりしてしまいます。なないおさんのブログで詳しく描かれているような状況です。

 

自他境界トラブルとして見る夫婦喧嘩

発達障害の診断が降りる降りないに関わらず、自他境界の緩さが影響したトラブルというのは社内やママ友関係の中でも割とよく発生してるように思います。

そしてその最たるものが夫婦喧嘩なのかな、と。

 

なぜ家庭内で起こるのか、それは、日頃無意識ながらも保ち続けている自他の境界線が緩むタイミングが安住の空間である家庭内だから。

 

恐らく多くの社会人として生活している人たちは公の場で出会う相手に対して自他の境界線を意識しなければ対人関係のトラブルが起こる、ということを経験則的に学んでいます。だから、外では意識できる。

 

でもその緊張の糸が切れる家庭内に、もっとも身近な他人である配偶者が存在している。そう、他人なんですね。目の前の夫や妻は他人です。自分以外の人間です。自分ではないんです、言葉にしたら当たり前のそのことが、緊張の糸が切れていて、頑張るスイッチをオフにしていて、疲れを顔にも言葉にも出していい家庭という自分のプライベートな空間になると途端に認識するのが難しくなる。

 

その結果が、自他の境界線を逸脱した苛立ちと、それに起因する夫婦喧嘩なのではないかと思うのです。

 

だから「チンパンジー」

プライベートな空間で自他の境界を意識することが難くないという方も少なからずいらっしゃると思います。私の友人の中にも「夫婦喧嘩なんてしたことない」「夫に苛立ちを感じたこともない」という私からしたら神様みたいな人も複数います。

私とその人の違いがなにかを掘り下げていくのはトラウマにも抵触する危険な行為なので避けるとして、何かが違うから仕方ないんだろうな、という諦めは必要です。

 

苛立ってしまうものは仕方が無い、自他の境界線を意識することが苦手なのはもうしょうがない。それが私の限界なのです。それが、夫の言動に、妻の言動に苛立ってしまう人の限界なのかもしれません。

 

でも子供のためにも、自分の精神的安定のためにも、夫婦喧嘩は減らすに越したことありません。能力的に限界な自分がトラブルを減らすという目的のために何が必要か、それが、相手を異なる種だと見なす種類のライフハックなのかもしれません。

 

おわりに

「イラッとしないように夫をチンパンジーとみなす」

「カチンと来て怒鳴らずに済ませたいから息子をカブトムシやネコとみなす」

 

それだけを見てライフハックとするのも一つのライフハック。でも何かモヤッとしたものを感じたり、琴線に触れるようなことがあったら掘り下げてみた私の経過も一つの参考にして頂けたらなぁと思います。

 

苛立ちが異種と見なせば落ち着くなら、それは相手が悪いからじゃなくて自分の中で相手をきちんと境界線を引いて距離を置けてないからかもしれない。

私と相手は違う人。

「空の容器をそのまま冷蔵庫に戻したら私が困る」こともまた、相手の脳みそに無ければ伝えなければわからない。それくらい察するのが簡単にできる人もいれば、できない人も、家庭のなかではスイッチ切ってるけど言われて意識すればできるって人も、いろいろなんです、多分。

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