スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「迷子紐(幼児用ハーネス)より手をつなごうよ」に対する違和感


「迷子紐、許せる?許せない?」

末っ子5歳を連れて行った病院、調剤薬局についたのはお昼を少し過ぎた頃で、待ち合いのテレビでワイドショーっぽい番組が流れていました。

 

色々なトピックについて「許せる・許せない」を討論するコーナーらしく、著名な教育評論家の方やママタレントなど数人が2つに分かれてそれぞれの見解を言い合い最終的になにかしらの方法でどっちが優勢かを決めるようになっているようでした。

 

いくつめかの話題が「迷子紐、許せる?許せない?」

幼児用ハーネスについては私もこれまでにこのブログ上やTwitterで言及して来たことだったので興味深く耳を傾けました。

 

 迷子紐ってなに?って方へ。こんな感じのリュックにつけるタイプのものが主流かなと思います。私も長男が産まれた10年ちょっと前に購入したこのタイプのものを使っていました。

 

結論から言うと、番組の作りはひどいものでした。

流れる映像やイラストはどれも「犬の散歩」状態で子供を歩かせハーネスがピーンと張らせて親がそれを握っているもの。場所も公園内など比較的安全な場所のおだやかなイメージを喚起させるものばかり。無くても何とかなるんじゃない?という感想を引き出したいのかな?と思えるような。

 

その映像のあとに、毒舌が売りの俳優が「言葉の通じる相手にすることじゃない」と一蹴し、ママタレントさんが「手をつながないと」と育児論を展開し、オネエタレントさんが「親が目を離さなければいいんじゃないか」と添える。

 

歩行中の子供の死亡事故の件数に触れたり、「許せる」側に回った教育評論家さんなど数人が色々と擁護の声を上げておられました。雑踏の中でもあり聞き漏らしてしまった部分もありますが、全体的にハーネスに対して否定的な印象を与える作りになってしまっていて、見ていてとても悲しくなってしまいました。一緒に居た末っ子が「ぼくはあのおさんぽひもはつけたことないよね?」と言うので「うん、君には必要になったことがないから使ってないけど、お兄ちゃんたちが小さい頃はあったほうが安全だったから使ったこともあったよ」と話しました。5歳児が映像だけみて「おさんぽひも」という言葉を発するほど、その映像やイラストは「優雅な犬の散歩」を強くイメージさせるものだったと思います。

 

もしあの番組で、交通量の多い道路で危機一髪命が助かる場面やスーパーや繁華街で一瞬の隙に走り出してしまう子供たちの様子が分かるシーンが流れていたらそれを見ていた人たちの印象は大きく違っていただろうに。そう思うとテレビによる印象操作の力は大きいなと感じます。

 

ハーネスの是非については過去に色々と書いてきたの言い尽くした感があるのですが、今日はこの番組の中で触れられていた「手をつなごうよ」という提言に感じた違和感について。

 

「紐でつなぐより手をつなごうよ」

2児の母である、著名なママタレントさんが仰っていたことです。幼児用ハーネスの話題が出ると必ずついてくるフレーズでもあります。

「手をつなげばいいじゃない」

うん、そうだよね、それで済むならそれでいいよね、という話かもしれませんが、私はこれに対して違和感があるんですね。手をつなごうで済まないから使ってる、それはなかなかに理解されないというモヤモヤもあるのだけれど、本当にそれが正解なの?って言う疑問もどこかにある。そのモヤモヤとした違和感を紐解いてみたいと思います。

 

1、多動の可能性

これについてはなないおさんが過去に丁寧に紹介してくださっていますのでこれ以上の言及は不要かもしれません。

nanaio.hatenablog.com

うちの子はハーネスが無いと命の危険があるほどの多動がある子はいませんでしたし基本的に車移動の生活なのでそこまでの緊急性はありませんでしたが、それでもスーパーのレジや選挙時の投票に私1人で行かねばならないときなど、どうしても手を離さざるを得ない場面があるときには念のためと思って使っていましたし、あって助かったと思うケースも実際にありました。

 

2、手をつながるのを嫌がる子

子供の中には、身体への接触を極端に嫌う特性を持つ子もいます。そのなかには、手をつなぐことを嫌がるタイプの子も当然ですがいます。小さい頃から手をつなごうとすると泣いて嫌がったりするお子さんもいます。生まれつきの特性として本人が拒んでいることを強いるわけです。躾のレベルでどうにかなることではありません。視力の弱い子に「裸眼で見えるようになれ」と強いているのと同じです。

言葉上で簡単に「手をつなげばいい」と言っても、実際にこのタイプのお子さんと手をつないで移動するのは保護者にとって相当な困難だと予想できます。

 

3、肘内障の可能性

特性に関わらず「手をつなぐ」ことによる危険性として想定されるのが肘内障(ちゅうないしょう)です。

幼稚園程度の年齢の子どもによく起こりますが、手を強く引っ張られたときに、腕がだらっとして、まるで「ひじが抜けた」状態になることをいいます。これは脱臼ではなく、ひじの関節の細い輪状の靭帯がずれた状態です。
骨と骨とを輪のようにつないでいる靭帯が未発達なために起こるもので、靭帯が十分に発達する7才以降にはほとんど見られません。
この状態になると、子どもは痛がって泣き、腕をダラリと下げ、ひじを曲げることができません。あるいは、手のひらを後ろに向けた状態でじっとしています。(参考:肘内障 - gooベビー

うちの子も過去に数回、手をつないでいるときに転んで腕をひっぱる形になってしまったりしてこの状態になり、整形外科に駆け込んだことがあります。お医者さんに数秒施術してもらえばすぐに治りますが、繰り返すと癖になりズレやすくなるとも言われています。(ちなみにこのときに「治し方教えてあげるよ」と医師から言われましたが怖くて無理…とお断りしました…)ほんの一瞬腕を引っぱる形になってしまうだけで起こる可能性があります。そして怖いことにすぐに気づかない場合もある。うちの子が初めて肘内障になったとき、登園前に腕を引っぱる形になってしまっていたのだけどその場では気づかず、登園後しばらくして先生から「息子くんの様子がおかしい」と連絡を受け受診しました。ずっと泣き続けたり痛がったりするわけではないこともあるので要注意です。

 

大人しく手をつないで歩けるタイプの子でも、転んでしまったりしたときに親が手をひっぱり形になれば肘内障になる可能性は大いにあります。(うちでも多動傾向のない子がなったことがあります)多動傾向のある子ならそのリスクはさらに大きくなる。「手をつなげばいい」と言う説を唱えるときに、このリスクが同時に語られないことには違和感をいつも覚えます。

 

4、「手をつなぐ」ことは「正しい」の?

最後に私が抱えるモヤモヤの一番そこにあるこの気持ちを言葉にします。

ハーネス否定派からの声でよく「親が子と手をつなぐ」ことが最適解のように語られるのだけれど、大人が子の手を引くことってそんなに正しいことなんだろうか、と疑問に思うこともあるのです。

 

子供が大人を信頼して手を差し出し、大人がそれに寄り添い同じペースで歩むという微笑ましい絵面が浮かびやすいかもしれません。そんな親子の姿を想定し、そこに行きつくことを良しとして「手をつなぐ子に躾ける」ことを奨励しているのかなと感じたりもします。

 

でも4人の子を育ててみて思うのは、そうやってすんなり手をつないでくれる子も、そうじゃない子もいること、そしてそんなふうに穏やかに共に歩ける状況ばかりで生きているわけでもないことも事実なのです。

 

あたふたした子供との毎日の中で、幼児に歩調を合わせてゆっくり歩けないこともある。そんなときに私は大人が子供の手をひっぱる形になるのがとても嫌いです。肘内障の可能性があるのはもちろんですが、子を引きずっているように見えるのがなんだか嫌なのです。その姿への嫌悪感が自分にあるので、私は無意識になるべくそうならないよう努めていたのだろうと思います。あるときママ友さんから「スズちゃんちの息子くんは小さい子を連れて歩くときに手を引っぱらないで背中をそっと押してあげてるね、子守りに慣れてるんだね」と言われて気づきました。

 

犬の散歩状態でハーネスを使っている親子を見たときに感じる嫌悪感も、私のなかのこん潜在的な嫌悪感と似たようなものなのかもしれません。それを無自覚なまま自分を正当化して周囲を批判する種にしないように、私も気をつけねばなりません。

 

おわりに

過去に書いたハーネス三部作でも同じ結論に至りましたが、結局は「使い方」なんじゃないかと思うのです。

ハーネスを使うときに張ったリードに周囲の人がひっかかったりして迷惑をかけて反感を買ってしまうことがあるように、手をつなぐ行為でも子を引きずる形になれば肘内障の可能性も高まるしリード以上に子を拘束する道具のように使ってしまう可能性もある。

 

「手をつなぐ」行為は親子のあるべき姿として最適なのか、私はそうは思いません。特性や個々の性格、生活環境、安全性、色々な要素のあるなかで「子供の命を守ること」と「自分の命を守れる子に育てること」を同時に考えながら育てていく。その過程でどれがその親子にとっての最適解なのかはわからないと思うのです。

 

手をつなぐこともハーネスも、また違う形での安全の守り方も、その使い方や状況によっては子供にとっての害になることも、周囲に不快感を覚えさせることになる可能性もある。周囲の抱く感情については、自分がどこまで配慮すれば良いかという問題はついてきます。もちろん度を超して批判をしてくる方についてはある程度のスルーは必要かと思いますが、社会の中で生きていく以上「どんな使い方をしてもいいだろう」とは言えないと私は思います。

 

過去に記事を書いたときに、人ごみのなかでピンと張ったハーネスに引っかかって危険だったという声もありました。あくまでも道具の一つとして、適切な使い方をするというのはユーザーの側が気をつけねばならないことだと思います。しかしながらベビーカー論争でも同じようなやりとりがあったと思いますが、一部の非常識なユーザーのために本当に必要として使用している人たちまで批判に晒されることもおかしなことだと思います。

 

親子の数だけ、選ぶ道具と使い方の答えがあるのだろうと思う。躾の中で手をつなげる子はそれが適していたというだけ。そして手をつなぐことを習慣づけて覚えたとしてもそれだけが自分の身を守る手段ではありません。うちでも5歳になった末っ子は「手をつなぐ」以外の安全な道路の歩き方を少しずつ習得しつつあります。小学生の上の子たちとは安全の目的で手をつなぐことはまずありません。「手をつなぐ」ことが最終的に目指すべき目標地点ではけしてない、と思うのです。

 

その場その場で、子供の数だけ正解がある、と思うのです。解を導きだし、配慮の上でそれを使っているとしたら、そこに外部からの批判が入ることそのものが境界線の逸脱ではないか、答えはたくさんあっていいはずなのに、と思うのです。

 

参考までに。
2年前に書いた、ハーネス3部作です。ハーネスの使い方いろいろ図や反論などにも触れてます。

 

suminotiger.hatenadiary.jp

 

 

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2016.05.24 一部加筆・修正しました。

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