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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「やる気が無いなら帰れ」考 〜当該保護者や学校関係者にお話を伺いました②


前回の続きです。

 

おさらいすると…

「やる気がないなら帰れ」という発言に悩むふみきちさんのツイートを発端として、その言葉を受けて本当に帰ってしまうことと発達障害の関連、またなぜその言葉がたくさんの方の琴線に触れたのかについて、ふみきちさんとの会話を元に色々と考えてみました。

 

 

 

今回はその続きとして、今の学校現場でこの「やる気が無いなら帰れ」という言葉を教職員が発したら、というお話や、ふみきちさんの息子さんをはじめ発達障害特性ゆえ本当に帰って来てしまいかねない子供たちがどう対処していけばよいのか、ということについて、ふみきちさんや学校関係者の方などにお話を伺った内容をまとめていきます。

 

学校でその発言が出たら…

現役で教員をなさっている方と、自治体で支援に関わるお仕事をされている方にお話を伺ったところ、お二方声を揃えて「NGワードだ…」と仰っていました。

 

未だに言っている先生もいるだろうけど、という前置きがあった上で、今の学校現場では「帰れ!って言ったら本当に帰るから、帰れとは言わないようにしている」「下手な指導の例として笑い話のネタになっちゃう感じ」のだそうです。

 

地域性や学校単位での校風の違いなどにもよるところが大きいかもしれませんが、お話を伺えた関東首都圏の公立小中学校勤務経験のあるフォロワーさん曰く、もし学校のなかでその発言が出たら職員室は大騒ぎになる、発言した教員には指導が入る、と仰っていました。

 

また、支援担当のお仕事をされている方も「教育委員会側も『帰れ』『出て行け』という言葉は子供の教育を受ける権利を奪うことになるから言ってはいけない、と話しているはず」と仰っており、教育現場では「帰れ」というワードそのものが禁止事項だという概念が広まりつつあるようです。

 

もし本当に子供が帰ってしまったら…

教員の「帰れ!」発言に乗っかって子供が自主的に下校してしまったらどうなるのかも伺ってみたところ「普通は校長室呼び出し案件」との返答を頂きました。

 

まず下校予定時間より前に子供が学校を出ているという問題。もし教員の「帰れ」発言があってもなくても、本来学校に居るはずの時間に子供が学校を出たことが分かったら教員はまず保護者に連絡、その後他の教員と連携して所在を確認、また学年主任や管理職に報告、という手段をとらねばならないのではないか、と現役教員さんのお言葉。

 

もしご自身の学校で「帰れ」発言のあとに不在→帰宅となれば学年主任や管理職と一緒に自宅まで謝罪に伺うような案件ではないか、とのことでした。

 

私の子供たちが通う学校でも、災害など緊急時の対応について学校の先生方と話した事がありましたが、児童を下校予定時刻より早く帰宅させるときは必ず担任が電話で保護者の在宅を確認し、同意を得てから下校させねばならないことになっている、と聞きました。

 

今回のふみきちさんのケースのような、通常の学校運営が行われている日ではないある種イレギュラーな登校日にそのルールが適用されるかどうかについては判断が難しいところだろうとは思いますが、本来の下校予定時刻より早く学校から出ているのを把握していても保護者に連絡が無かった点についての問題点は指摘されても仕方ないのではないか、と思われます。

 

先生に一極集中していないか、という懸念

ここまで読んで頂いた所で、今の学校の先生に過度の負担がかかっているのではと感じられた方も多いのではないかと思います。それは私も感じていていることですし、ふみきちさんご自身も想定されていることで、だから「教員が悪い」「指導の仕方が悪い」で一蹴できる問題ではないのではないのではないかと思います。

 

あの話題になってしまったTogetterのまとめ記事では「先生の指導力の無さ」に話が集中しているようにも見え、まとめに使うツイートの選別の仕方や編集方法からもその意図が垣間見えるような気がしました。

 

ただ、そこを責めても何も変わらない、むしろ担任個人を攻撃して余計疲弊させてしまうことにもなりかねない、とも思います。

 

ふみきちさんご自身もその流れを懸念され、こんな風にツイートされていました。

 

担任の先生がどんな背景があってあの「やる気が無いなら帰れ」というNGワードを口にしてしまったのかはわかりません。そういう思想がもともとあって日常的に言っているのかもしれないし、他に言葉を見つけられないほど切羽詰まって言ってしまっているのかもしれない。

どちらにせよそこをピンポイントで責めてもふみきちさんの息子さんの環境が良くなっていくことには繋がりません。学校の環境全体を、教職員のみなさんの就業環境をよりよくしていくべきだというマクロな視点と、ふみきちさんや次男さんにとって自分の目の前の困難とどう向き合っていくかというミクロな視点の双方が必要になってくるし、保護者としては先ず子供にとっての目の前の課題、ミクロな対応を優先して行くことになろうかと思います。

 

ふみきちさんの見つけた「こたえ」

複数のフォロワーさんたちとの会話や次男さんのことを相談している専門家の先生への相談からふみきちさんが見つけた3つの答えを教えてもらいました。

 

1、その場で確認する

言葉から相手の意図が見えなかったりしてその場の行動を決められない、という状態に陥ってしまったときの対処法、佐川・抜け首・なん ‏@nankuru28さんのアイデアです。

 

リスクとして、「おちょくってるのか!」とかえって相手を怒らせる可能性はゼロではないなぁとは思います。が、それで更に怒る人、というとそこである種の人付き合いを考える線引きができるかもしれない、という見方もできるかもしれません。

 

2、先送り&リカバリー

こちらは 寺島ヒロ @terashimahiroさんのアイデアです。 

 

この先送り法は私にとってとても画期的な方法に感じられました。

自分や子供たちのソーシャルスキルの向上のためにどんなトレーニングをしていくべきか、と考えたり情報を集めたりするとき、ついその視点が「その場をどう繕うか」に集中していたような気がするのです。定型発達の人と同じような行動がとれるようにどう繕えばよいか、定型発達の人の輪のなかで浮かないようにどうすればよいか、いつもそんな視点で考えて来たような気がします。

 

でも、そうではなくてよかった、それを教えてくれたのがこの寺島さんの方法でした。

 

今この場で答えを出さず、落ち着いて自分のペースで考えてからリカバリーすれば人間関係が大きく崩れることはない。たしかに、人間関係ってその場限りではないことのほうが多いんですよね。一度失敗しても誠意を持ってあとから働きかけて関係を修復することもできる。そしてこれに対応してもらえないなら関係の継続は難しいという判断指標にもなるのかなと。特性のある自分を受け入れてもらいながら関係を続けられる人というひとつのフィルターになるのかもしれません。

 

 

3、 その環境そのものから離れる

「やる気が無いなら帰れ」と発する人そのもの、その人の存在がある環境そのもの、そこから離れるのがベストではないか、というのが、ふみきちさんが相談をされた専門家の先生の助言です。

 

そんな甘いことが言ってられるのか、と言われるかもしれません。でも私も、これがもっとも次男さんにとっても、「やる気が無いなら帰れ」と言われて辛い思いをした過去のある人にとっても有効な方法なのかもしれない、と感じました。

 

自分が属している環境そのものを自分が変えていくというのは簡単な事ではありません、リスクも大きい。

でも、自分が属する環境を選ぶことはできる。

 

この視点を持っていること、合わないなら違う環境を求めて離れることは何も悪いことではなく、むしろ発展的で自分のためになるのかもしれないということ。それを知っておく、周囲から肯定されておくことのメリットはとても大きいと思います。

 

「帰れ」という言葉が出ない環境に身をおくこと、職場で言われたら退職を考えてもいい、とふみきちさんは療育の先生から言われたそうです。

 

学生の身分で環境を変える、避ける、というのはそう簡単ではないかもしれません。が、そういう道もあるのだ、それは選んでもいいのだ、と知っておくだけでも救いになってくると思うし、いずれ進路を選ぶときの指標にもなるのかもしれません。

 

3つの方法すべてがふみきちさんの息子さんに有効か、即効性があるか、というとそれはまた別のステップになるのだろうと思いますが、この策を含めていろいろと試行錯誤しながら本人にとってベストの方法を見つけていくことになるのだろうなと思います。

 

 

おわりに

ふみきちさんや学校関係者のお二人、またいろいろなフォロワーさんたちからたくさんのお知恵をお借りして、今回の記事を書く事ができました。

ご協力いただけたみなさまにこの場をお借りして改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

「やる気が無いなら帰れ」と言われたらどうしようか、これは私も、うちの子供たちにとっても他人事ではありません。田舎ゆえ、私たちの周囲にはまだまだこの言葉が実際に出てしまっているのを見聞きすることも日常的にあるのが現実です。

 

本当はこんな言葉が死語として消滅してくれたらいいのに、と思っています。でもそれは私がコントロールできることじゃない。

 

私も、子供たちも、たくさんのこの言葉で傷ついたことがある人たちも、その人なりの対処法を模索しながら少しでも穏やかな暮らしが続けられることを願ってやみません。

恐らくは時間が経過すればするほど、この言葉の効果は過去ほど得られなくなっていくはずです。師弟関係が明確な場以外では通用しなくなる日もそう遠くない。この言葉に頼って指導をしている人たちがそうではない、より相手に伝わりやすい方法を見つけられたらいいなぁとも思って居ます。

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