先週末、発達ナビさんに書かせて頂いた記事がアップされました。
少し前にコノビーさんに記事を書かせて頂きましたが
今回は同じリタリコさん系列の発達ナビさんから「感動ポルノ」をテーマにした記事を、というご依頼を頂きました。
繰り返したメールのやりとり
お話を頂いたのは「24時間テレビ」と「バリバラ」の放送を間近に控えたころ。
編集長の鈴木さんと内容を詰めるために何度も何度もメールをやりとりしましたが、テーマがテーマだけに本当に言葉にしていく作業が難航しました。
いつものブログや寄稿記事では思いついたり頂いたりしたテーマについて、小一時間うんうんと考えれば大抵形になるんですね。あれこれ考えたり、ぱらぱらとツイートしたり誰かとそれについて話したりしたらパーーーーっと脳の中で全体像がクリアになって、よし書ける!ってところに至る。
ところが今回はそれがなかなか来ないんです。
依頼されていること、自分が書きたいこと、見えているものや考える過程で見えて来たもの、障害を持つ子のお母さんたちにクローズドの環境でお話を聞かせてもらったり逆にこちらの考えたことを吐き出して聞いてもらったり。
そして見えて来た骨子を鈴木さんに長文メールで送りつけては細かいお返事をいただきまた考える作業に入る…を放送の前後数日何度繰り返したことか。
レベルアップを夢見て
直前にライターのヨッピーさんがPCデポについての記事を書いたことについてご自身のブログで触れているのを読んだんですね。
その中でヨッピーさんが「自分のレベルが上がったような(うろ覚えですいません)」と記事に取り組んだ経緯の中で書かれていて、ハードルの高過ぎるテーマに取り組んでいる自分ももしかしたらこれを乗り越えたらレベルアップの音が聴こえてくるんじゃないかと甘っちょろいことを考えたりしました。
しかし、考えても考えてもまとまらない。
やっぱり私はヨッピーさんにはなれない、なれるわけない…とカレーの鍋を混ぜながら落胆したり、いやミムラさん演じる向田邦子さんも中華料理屋で何度も唸っていたじゃないか、担当さんからの電話から逃げていたじゃないか!と思い出して根拠の無い自信を取り戻したり…
そして壊した、お腹
考えて考えて、でも答えが出ないんですね。
見えて来ないんですね。
夫に話を聴いてもらったり、友人に励ましてもらったり…
たぶん、相当煮詰まっていたんでしょうね。
お腹がキューーーーっと。キューーーーっと痛んでトイレと友達になる時間が続きました。
トイレの中で考えた、たくさんの書きたかったこと。
座って、スマホ片手に鈴木さんとのやりとりを何度も読み返し、広がり過ぎている頭の中を何度も何度も整理し、ときにツイートでそれを漏らし…
今回の記事はユーザーさんの読みやすさも考えて2000字程度にする前提で書いていましたので、その都合で端折ってしまった内容がかなりありました。
バリバラがこれまでやってきたこと
感動の対極にあるのは笑いなのか、ということ
障害者でも芸として面白くなければ笑っても良いのか(「障害者を笑ってはいけない」というある種の逆差別の存在)
大衆が感動を望むからメディアがそれを提供するのか、はたまたメディアが提供するから大衆がそれを受け入れていくのか
24時間テレビの番組そのものについて思う事
(募金と視聴率の関連、番組としてのこれまでの経緯と視聴者としてのありかた)
(実際の番組内容よりも「障害者を見せ物にしている」イメージが強く広がっている印象について)
(番組の作り方、エンターテイメントとしての質、そこに障害者を利用されること)
(寄付の募り方、その経緯、実際の使途)
24時間テレビよりも…という代替案と「ズルい」の心理
テレビの外にも「キラキラした頑張る障害者」の存在とそれを消費する社会はあること、またそれを障害者サイドも利用せざるを得ない状況になっているのではないかということ
テレビで「頑張る障害者」がクローズアップされることについての抵抗(ワーママ特集とかでも同じ事が起こって来なかったか)
バリバラのなかで鈴木おさむさんが言及していた「ドラマのキャストに見える障害者がいない」ことと、逆に障害者ではなく「奇異な人」としてたくさんの創作物のキャストとして描かれてきた発達障害者の存在
……ざっと書き出しただけでもこれくらい、この倍くらいの「思いついたけど掘り下げ過ぎたら2000字にまとまらないから書けなかったこと」が鈴木さんとのメールのやりとりや自分のメモログのなかに残っています。
もっと、書きたいし、知りたい。
今回の記事のテーマを頂いてから、色んなことを調べたり、当事者の方にお話を伺ったりして「知らなかったたくさんのこと」に出会いました。
その知らなかったこととの出会いで、これまで私が抱いてきた先入観や誤解がガラッと崩れた場面も1度や2度ではありませんでした。
まだまだ私の知らないこと、知らない過去、知らない概念、知らない誰かの経験や思いがそこにある。
「知る」ことからこんなにたくさんのことが見えてくる。
「知る」ことでこんなに思いを馳せられる、傲慢な自分から一歩出ることができる。
もっと、もっと知りたい。
今回高過ぎるハードルを私に課してくれ、知らないたくさんのことに出会うきっかけをくれ、そして端折り過ぎた記事を丁寧に編集してくださった発達ナビ編集長の鈴木さんをはじめ、お話を聴かせてくれた友人のみなさま、私の垂れ流す愚痴を聴いてくれたフォロワーのみなさま、そして記事を読んでくれているたくさんの方に感謝申し上げます。
レベル、ちょっとは上がったかな。