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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「合理的配慮」を受けるためのプロセスと、その交渉のための第三の支援


「配慮」を求める声

ここ数日、映画の字幕のことで色々と議論が紛糾している様子を眺めていました。

聴覚障害のある方にとっては字幕が無ければ劇場では観ることすらできない、そこへの不満の声や、実際に現場で行われつつあるさまざまな配慮、今後実現可能性の高い技術などについて、色々な意見が交わされていました。

 

その中には、発達障害特性ゆえ字幕がついていることが逆に困難になるという声も存在し、障害に対する配慮の底の深さを感じています。私自身も字幕がついているとそこに意識が集中して画像を見逃したりしやすく、デジタルテレビの字幕のような不細工な文字が画面を埋めるような映像は観ていて辛くなるので、全映画に字幕がつくことになったら映画館で映画を観られるかは正直わからないところではあります。

 

一方に寄り添えば他方に支障が出るかもしれない、そうならないような体制が構築されていくこと、それは以前はユニバーサル(デザイン)と呼ばれ、最近ではインクルーシブという言葉が充てられることの多くなってきた配慮の理想的なあり方ではないかと考えています。

 

議論の中での「合理的配慮」のあり方

配慮について求める声やそれに付随する議論のなかで「合理的配慮」という言葉が散見されていました。

気になったのはその中に、この言葉の持つ意味を誇張してとらえられているのでは?という表現が見られたこと。ハンディを持つ人たちが権利を主張し、配慮を求めている中で、マイノリティが必要とし求める配慮はコストがかかっても提供されてしかるべきだととらえられている?と感じるような使い方をされているものもありました。

 

もちろん、定義を正しく把握された上で話をされていた方もたくさんいらっしゃったと思います。が、誇張や誤用が流布してしまうことが気になりました。

 

 

「合理的配慮」とは

合理的配慮とは、障害のある人が障害のない人と平等に人権を享受し行使できるよう、一人ひとりの特徴や場面に応じて発生する障害・困難さを取り除くための、個別の調整や変更のことです。

2016年4月1日に施行される「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(通称、「障害者差別解消法」)により、行政機関や事業者には、障害のある人に対する合理的配慮を可能な限り提供することが求められるようになりました。

(参考:合理的配慮とは?考え方と具体例、障害者・事業者の権利・義務関係、合意形成プロセスについて | LITALICO(りたりこ)発達ナビ

今年の4月に「障害者差別解消法」が施行され、その中で可能な限りの提供が行政機関には義務付けられ、民間の事業者には努力義務が課せられました。

 

この法整備により、これまでは配慮の内容や程度がサービス提供者に委ねられていましたが、障害を持つ人たち、障害により社会生活に困難が生じていた人たち、マイノリティ自らが配慮を求めることが可能になったことになります。

 

注意する必要のある「負担の重くない程度」という註釈

障害者差別解消法のもとでは、どんな配慮も求められたら提供しなければならないということにはなっていません。

ある人に配慮を行うことで、他の人たちの生活や活動が困難になるほどの影響が生じたり、あまりにも大きな負担を伴う場合は、「合理的」ではないとして、行政機関・事業者はその配慮を断ることができます。その配慮が「過度な負担」かどうかは、以下の観点を考慮しながら、行政機関や事業者が、個別の場合に応じて判断すべきとされています。
 
 ①事務・事業活動への影響の程度(事務・事業の目的・内容・機能を損なうか否か)
 ②実現可能性の程度(物理的・技術的制約、人的・体制上の制約)
 ③費用・負担の程度
 ④事務・事業規模
 ⑤財政・財務状況

(参考:合理的配慮とは?考え方と具体例、障害者・事業者の権利・義務関係、合意形成プロセスについて | LITALICO(りたりこ)発達ナビ

 

過度の負担が生じない程度、という線引きが存在していることになります。

では提供側は「負担が生じるからできません」とバッサリ断ることができるか、というとそうではありません。

ただし、「過重な負担」を理由として配慮を断る場合は、配慮を求めた本人にその理由を説明する義務があります。また、負担が少ない形で他の配慮が実現できないか検討することが望ましいとされています。

(参考:合理的配慮とは?考え方と具体例、障害者・事業者の権利・義務関係、合意形成プロセスについて | LITALICO(りたりこ)発達ナビ

 

合意形成のためのプロセス

合理的配慮を事業者などサービス提供側に求めるときには適切なプロセスを経ることが望ましいとされています。

①本人や保護者・介助者から、必要な配慮に関する意思表明をすること
②学校や企業、行政などがどんな配慮ができるか検討し、本人と話し合うこと
③どんな場面でどんな配慮ができるか、お互いに合意したうえで実施すること
④配慮を実施したあとも、定期的にその内容や程度について見直し・改善をすること

(参考:合理的配慮とは?考え方と具体例、障害者・事業者の権利・義務関係、合意形成プロセスについて | LITALICO(りたりこ)発達ナビ

配慮を必要とする側が、必要な配慮に関する意思表明をすることがスタートです。

そして、それについて提供側が検討し、本人やその代弁者と話し合いを重ね、負担により不可能なケースについては本人側の納得のいく説明をし、代替案についても話し合い、お互いに合意した上でサービスが提供され、その後も定期的に内容を見直すためのコミュニケーションをとっていくことで双方にとって、また他の参加者にとっても過ごしやすい環境を模索していくことができるのではないかと考えます。

 

話し合いをするために

前述したように、合理的配慮を求めていく過程ではサービスを提供する側との交渉が必要となります。知的障害や自己肯定感の低さ、トラウマの存在など様々な理由により、ハンディを持つ当事者、不当な扱いにより心理的なダメージを受けた当事者が1人でその交渉の場に臨み対応するのが難しいケースも想定されます。

 

そのときに、当事者の求める必要な配慮を言語化し、形にして提供側に求め、交渉を進めるためのフォローをしていく代理人のような支援者が間に入ることも必要になるケースが出てくると思います。

 

交渉という第三の支援

辛い思いをしている当事者が声を上げることがまずスタートです。ネット上ではそれが、あちこちで起こっているのだろうと思います。

ただTwitterなどネット上のやりとりで難しいのは、その声が助けを求める当事者の声なのか、吐き捨てられただけの愚痴なのか、どちらなのかの判断がつきにくいこと(当事者がそれを区別して発信していないという可能性も含めて)。

そして仮想空間ゆえ、助けを必要としているのか、必要としているとしてそれを誰に求めているのか、の判断がしづらいこと。

 

それゆえにうまく言語化されていない状態の当事者の声が独り歩きして非難が集まってしまったり、言葉の誤用や誇張による誤解が生まれる可能性が生じたりと、配慮を求めるために本来必要なプロセスの外で不要な論争が起こり、それにより傷つく当事者が出てしまうこと、そしてそのやりとりのために障害者に対する偏見やさらなる差別が助長されてしまわないか、という懸念もあります。 

 

法が整備されたことで、外枠はできました。

今後はその枠の中で、これまで出てこなかった声からさまざまな配慮の可能性を模索し、言葉にし、配慮を求める交渉をしていくため支援が受けられる体制、そのレールを敷いていく必要があるのではないか、と考えています。

 

おわりに

コミュニケーションスキルのある人だけが得られる配慮、ではいけない。

 

どんな困難やどんなハンディやどんな心の傷がある人も、その人それぞれの主張を周囲に受け入れられる形で表出することが可能になるようなフィルターのような支援が、新たに必要になっていくのではないか、と考えています。

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