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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「人を頼って生きる」ことと「共依存」


久しぶりにブログを書いています。

 

今日は、最近はてなTwitterで話題になっている18歳の大学生についてのイケダハヤトさんのこの記事を読んで気になったことを。

 


「登記が難しくてできない」

イケハヤさんのこの記事にもリンクされているけんすうさんのnote記事で、けんすうさんが石田さんと話した内容が記されています。

 

この中で「登記が難しくてできない」と二の足を踏んでいる石田さんに

「登記とかは超カンタンなはず。司法書士に頼めば一瞬だし、自分で調べてもできるはず。少なくても登記くらいの手続きレベルの話はすぐに終わらせたほうがいい。イメージ的には今日中にすすめるくらいじゃないと辛いと思う。」(起業家志望の石田さんと話してみた時のメモ|けんすう|note

 

と勧めるけんすうさん。

対してイケハヤさんはご自身のツイートで

スタートはみんな大したことないですよw ぼくも最初はひどかった!まともにビジネスできるようになったの最近ですよ……。登記は難しすぎて妻に任せましたw (石田祐希を笑うな。 : まだ東京で消耗してるの?

 と書かれています。

 

できないことを人に頼る姿勢

けんすうさんの実業家としてのスタンスからしたら、イケハヤさんの「妻に任せた」って情けない、って見えるかもしれない。でも私は、それもありだよなぁと思うのです。

 

人間、1人で最初から最後まで何でもやり遂げられるわけじゃない。

能力的に無理なことも、時間的に無理なことも、金銭的に無理なことも、いろいろ。

何かやろうとしたときに、人を頼らずやり遂げないといけないなんてきまりはどこにも無いわけで、できないことは人を頼ればいいと思うのですね。

 

けんすうさんも司法書士というプロを提案しているように、請け負ってくれるプロに対価を支払って頼むという手もあるし、イケハヤさんのように頼りになる配偶者にお願いするという手もある。

 

自分で頑張る、だけが答えではないんですよね。

 

「欠けた人間」としての私

私がそう思うのは、自分がとても欠けた人間だからかもしれません。

 

注意欠陥傾向のあるの私は、自分一人ではスケジュール管理すらまともにできません。

同僚や夫や友人、ときに子供たちにも協力をしてもらって、仕事や学校関係の諸行事や子供たちに関わる自分の予定を管理するお手伝いをしてもらっています。

 

お金の計算も苦手ですし、複数の女性と平和的に話し合いを進めるのも苦手です。その辺も場により事情を説明して協力を依頼することはよくあります。

 

自分のものすごく苦手なことを意地を張らずに認めて人を頼ることができるようになったのはごく最近のこと。

それまでは高過ぎる無意味なプライドのために自分で何でもできると抱え込んではやっぱりできずに崩壊していました。そういう過去の自分と今の石田くんの存在がどこか重なることも気になる所以かもしれません。

 

共依存の怖さ

過去の私は、自分に何が欠けているかを理解もせずに周囲の人が適切に助けてくれるのを待っていたような気がします。そしてそれはとても危険な状態でした。

 

なぜか。

 

自己理解がない状態で人を頼ること、人に甘えることは、共依存を産むからです。

 

自分が得意なこと、苦手なこと、自分に欠けていることを知ること、どのように人を頼れば良いかを考えること、そのステップを踏まずに誰かを頼るということは、その人と自分の境界線を見失うということ、それが、共依存です。

 

寄りかかった相手が自分の依存を嫌って距離を置かれたら、1人では立てないから倒れてしまう。

自分が自分という1人の人間として立つことを止め、相手に寄りかかり、相手が1人の人間として立つことを阻害してしまう、そんな人間関係に陥ってしまいやすくなってしまうのが、共依存の怖さです。

 

共依存にならないための、自分のトリセツ

人は1人では生きられません。

なんでも自分で全部こなすことはそうそうできません。

 

だから社会を形成して生きているし、補い合って暮らしている。

できないことは人に頼っていいんですね。

 

でも、自分のことをちゃんと知らないと共依存に陥ってしまう。

 

それを防ぐために必要なのが、自分自身の取扱説明書を把握すること。

欠けている人間である自分のトリセツを、自分で持っておくこと。

自分自身を自分で知っておくことです。

 

知って、頼る

自分自身を知って初めて、自分の足で立った状態で人を頼ることができるんじゃないかな、と思うのです。

相手と自分の境界線をしっかりと意識しながら、自分はこれが苦手だということを丁寧に表明できること、そして相手にそれを適切に依頼する。そのステップを踏めば、自分がどんな恩恵を受けたかを理解できるのでそれ対する感謝や労いや対価を提供することができるようになります。

 

おわりに

人を頼ってはいけない、何でも自分でやらないと、という妄想みたいなのに取り憑かれてしまいがちな人にとって、逆に「人を頼ってもいいんだよ」っていうのは光明でもあると思う。

でもその人を頼るという行為のためには何が必要なのかをちゃんとわかってやっていかないと、自分の思うような結果に至ることすらできないのかもしれない。

 

人を頼る、って、思ったよりずっと難しい。

 

だからこそ、まだ18歳の青年には難しいんだろうなとも思うけれどやれるようになったらどんどん世界が広がるんじゃないかなとも思う。

 

「ありがとう」「ごめんなさい」「困っているから助けて下さい」

 

これが建前でなく言えるようになること。

そのための最初のステップが、自分のトリセツを持つことなのかなぁと思ったりしています。

 

ぼくのニセモノをつくるには
 

 

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