スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

組体操が無くなった運動会の感想文


今年度からなくなった組体操と保護者の反応

昨年度から何かと話題になっていた組体操、ついに息子たちの学校でも今年度の運動会から別の競技への変更となりました。

 

昨年度まで組体操を堂々とこなす高学年の子供たちを見て感動をしていなかったわけではありません。長男が1年生の頃に初めてそれを目にしたときは、うちの子がこんなことできる日がくるんだろうか…!って驚いたし、機敏な動きの子供たちが最後にタワーを完成させたときはすごいなぁと感動したのも事実です。

 

でも毎年練習中に軽微とはいえケガをした子の存在も知っていたし、体格のいい子が一番したで辛そうだったのも見て来ました。

 

批判も覚悟の上で変更を決めてくれた学校の英断にまず最初に感じたのが「我が子の大ケガを心配しなくてよくなった」という安堵。

あぁやっぱり自分もあの競技にこれまで不安を感じていたんだ、と改めて意識しました。

 

声高に変更についてもの申す保護者はいなかったものの、どうなんだろうね〜ちょっと寂しいね〜という反応はチラホラ見られていました。

 

 

子供たちの反応

組体操が無くなった!という情報はすぐに子供たちの間で広がっていき、帰宅後に長男が「組体操ないって、やったーーー!!!」と口にしたんですね。

昨年度練習を経験している彼にとっては、組体操は辛いものでしかなかったようです。次男は自分が経験していないためそこまでの喜びようではありませんでしたが、それでも周囲からあれこれ聞いてきての感想として「違うものになって良かった…」とこぼしていました。

 

うちの息子たち以外の高学年の子たちも口を揃えて喜んでいる様子が見聞きされ、あぁこんなにしんどいだけのものだったんだなぁ…と改めて。

子供たちはこれまで組体操の無い運動会を知らなかったからやってきていただけで、本当に辛かったんだろうなぁ…と過去の卒業生たちの顔が浮かんだりもしました。

 

数日後には代わりに導入された演舞の練習のきつさに弱音を吐くようになるのですが、それでも「組体操よりはマシ…」と長男の感想。

 

当日は確かに組体操ほどの大掛かりなパフォーマンスではなかったものの、練習の成果が見える演舞を披露してくれました。

 

「組体操」というパフォーマンス

あの組体操が何故こんなに長い期間続いているのかは私にも良く分かりませんが、他の色々な競技に比べて「がんばってるところが分かりやすい」というのはあるんだろうなと思います。

きびきびした動き、小集団でのパフォーマンスからだんだんと大掛かりになっていく披露の仕方、決まった!という瞬間。

 

パフォーマンスという面では、確かに良くできているとは思う。

 

近隣の幼稚園でも組体操を取り入れている園があったのですが、そこは体育を専門に指導する教室が年間通して行われていて、その中で練習を続けた成果を披露する、という形で行われていました。安全性にもかなり配慮されている造りになっていて、無理なく見栄えのする演技で構成されていて、専門家が絡むとこうなるのか〜と感心しました。

 

小学校ではそこまでの専門性の高さは求められない。その結果が、過剰なパフォーマンスや行き過ぎた指導によって子供たちを心理的に追いつめたり、ケガを誘発したりすることにつながっているのかもしれません。

 

息子たちの学校でも、変更を決めたときの学校からの説明のなかで「運動会練習という1ヶ月足らずの短い期間で練習して仕上げていいような種類の運動ではなく、その無理を子供たちにはさせられない」というお話があり、世論で批判されているから、ただ危険だから、という理由で思考停止的に変更を決めたわけではないことも学校の判断に好感が持てた理由のひとつでした。

 

「がんばっている姿を見たい」親の心理

親としてはやっぱり、運動会で子供ががんばっている姿を見るのは嬉しい。

発達に困難のある次男にとっては毎年様々なハードルのある運動会でもあるけれど、それでも去年より今年できるようになったこと、成長が見られること、それを見ることをやっぱりどこかで期待しているような気がします。

 

その親の心理が、組体操のような派手なパフォーマンスを下支えしてきてしまったのかもしれません。

 

見えなくてもがんばってた子供たち

運動会という場で、保護者が子供たちを主に見るのはグラウンドの中に居る姿だろうと思います。テントや限られた撮影スペースから、用意された場に出て来た子供たちを見る。数年前まで私もそれがメインでした。

 

ここ数年、PTA関連のお仕事があったり色んな理由で運動会開催中に保護者テントではないところをウロウロすることが増えてきて、今年度は複数の役目をうっかり引き受けてしまったこともありほとんどテントに座る暇なく、ずっと本部やグラウンドの中や児童席周辺をウロウロし続けていました。

 

そこで見たのは、舞台裏での子供たちの姿でした。

 

用具や進行など高学年の子たちはそれぞれが1人1つ係を担当し、低学年の子たちに招集をかけ入場門に並ぶよう指示をだしたり(「静かに」とか「2列で」とか手書きで書かれたボードを出して知らせていて「視覚支援だ!すごい!」と思いました。)、プログラムに合わせて用具を持ってグラウンドとテントをダッシュで往復したりしていました。

 

応援団の子たちは応援合戦としてグラウンドに出る以外の時間にもずっと交替で児童席で声援を送っていて、それに合わせて席や入場門で待機する子たちも大きな声で応援し、児童席の後ろで紅白の応援旗を交替で振っている子たちもいました。

 

体調の悪そうな子にいち早く気づいて救護テントへ行こうと促す子、演技のあとに足にハンディのある子の肩を抱えて一緒に児童席へ向かう子、衣装の着替えを急いでやるために遅い子を手伝ってあげる姿もありました。

 

救護テントには運動会を嫌がっていた子が座っていて「お、来たね」って声をかけたらニヤッと笑っていました。

 

派手でなくても、ずば抜けて秀でてなくても、子供たちはそれぞれにそれぞれなりにがんばってるんだよなぁ…と改めて感じた一日でした。徒競走で一番になるとか、組体操で華やかな姿を見せるとか、そんなの子供たちにとっての運動会のごくごく一部でしかないんだなぁと。

大人が分かりやすいがんばりだけじゃないんだよなぁと。

 

おわりに

私は今年たまたま色んな子たちを見てまわることができたけれど、どの保護者もそうすればいいってわけでもないんだろうなとは思います。

 

その子なりのいろんながんばりが、たとえそれが周囲から分かりやすいものではなかったとしても、親の目に写るものではなかったとしても、きっとそれぞれにあるんだろうなと思う。それがあるってわかってたら、派手な組体操なんか別になくてもいいんだよなぁって思ったりするのです。

 

集団の中で秀でた運動能力を見せるとか、カッコいいところを披露するとか、それだけが運動会じゃないんだよなって。

 うちの子たちは足もそんなに速くないし、運動会は活躍の場というわけではなかったりします。むしろ練習が辛くて運動会なんて無くてもいいとすら思うこともある様子。

 

でも、

長男は騎馬戦でちょっと活躍できたのがうれしかったようです。

次男は踊りをほめられたり、係の仕事をこなせたことが自信につながったようです。

娘は走るのがもっと早くなりたいから練習したいと思ったようです。

 

それぞれがそれぞれにステップを上がれたんだろうなと思う。それが、運動会の本来のあり方なのかもしれない。それを感じる場に同席できたこと、それを子供たちと話す機会がもてたこと、それがありがたかった、そんな今年の運動会でした。

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