「テロなんてなんの意味も無いよね」
今朝のこと。
食卓を囲みながらニュースを見ていたらパリのテロから1年という話題が放送されていました。
熱心に見入る子供たち、それぞれ何を思っているんだろう…と思っていたら次男が言いました。
「ねえお母ちゃん、テロなんてなんの意味も無いよね、やらなければいいのに」
返答に困りました。
「うん、そうだね」とは言えなかった。
「違うよ、意味はあるよ」とも言えなかった。
「やらなければいいのに」の部分には全面的に同意できるのだけれど、「なんの意味も無い」の部分についての答えが出ない。
うーんと考え込んでいたらテレビはまた次の画面に進み、次男もなにごともなかったようにそれを見ながら朝ごはんを食べ続けていました。
「なんの意味も無く」はないのかもしれない
とても難しい問題だ、と思いました。
テロ行為は非難に値する、絶対にやってはいけないことだということはわかります。
でも「意味の無いことをやっている」わけでは多分ない、そこになにかしらの目的があり、そこに至るまでの何かしらの要素がある。
なにもないところに突然悪事を思い立ってやっているわけでは、けしてないと思う。
でもそれをどうやって子どもと一緒に考えていったらいいんだろうと思いながら、昔読んだ本を思い出しました。
「まんが」とありますがコミックスというよりは絵を多用しながら平易に解説した本という印象でした。本棚にしまってあるはずだからまだ読み返してみようかなと。
思考停止せずに思いを馳せる
テロリストの行為を容認することは私にはできません。
でも、子供たちが「悪い奴らがアホなことをやっている」という認識で終わってほしくないなとも思う。そいつらを駆逐すれば問題解決、ではけしてない。
なぜパリで同時多発テロが起こったのか
なぜテロリストがその手段を講じるに至ったのか
情報を自分の力で集めること、それを自分で整理して考えること、ぱっと見でわかりやすいところだけで判断せずに背景に思いを馳せること、その訓練を一緒にして行けたらなぁ、と改めて思いました。
もっと身近な問題についても同じことが言えるのかな、と思ったりしています。
誰かが誰かをいじめました、それだけ聴いたら、いじめをやった悪い子をたしなめればいい、という発想に至るかもしれない。
でも、なぜその二人に諍いがおこったのか、なぜいじめたくなったのか、双方それぞれの抱えているものに思いを馳せ、気持ちに寄り添っていかないと本質的な問題の根っこには辿り着けないのではないか、と思うのです。
おわりに
マスメディアの情報から印象だけでものを言ったりするのではなく、自分の力で情報を拾ったり寄せ集めて考えたりできる子になってもらえたらなぁ…と今回の次男の発言を受けて改めて感じています。
私はこういう情報からこう判断した、君はどうだろう、って話すような時間を、成長とともにこれから少しずつ増やしていけたらなぁ…