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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「親の責任」と「社会で子育て」のはざまで。

そのときどき こどものこと


2年前に書かれたものでそういえば以前にも観た記憶があったような気がするけど、こんなブログがTwitterのTLに流れて来た。

 

ameblo.jp

 

小学校の教員さんが書かれた、ご自身の周囲で起こった学級崩壊のこと。

私も息子のクラスで学級崩壊を経験しているので、共感できる内容だと思いながら読み進めました。

後半のご自身が意識していた指導法という部分は家庭内での子どもへの接し方にも共通するヒントが詰まっていて、親としても一読の価値があると思います。

 

しかしながら、最後の一文を非常に残念に思いました。

保護者へ
 最終的にあなたのお子さんのに対する責任はあなたが負わなければならないのです。先生が負うものではないのです。誰か他人にしてもらうものではないのです。あなたのお子さんへの教育はあなたが行っているのですよ。
 だからこの子に一番良い教育を行えるように頑張っているのです、と学校へ様々要求する人がいます。あなた自身は具体的に何をしていますか?お子さんに、お子さんの発達段階に合った、お子さんの成長を促すための、何を問いかけていますか?お子さんはその問いかけで、どう育っていますか?心配はないですか?
 教師はたかだか数年しか関わり合えません。保護者はとにかく、死ぬまでつきあうのです。がんばってください。 

 

ここまで立派なことを書かれてきた方が、最後にこれを言うのか、と膝から崩れ落ちる気持ちがしました。とても悲しい。

 

教員という職業をしていたら、一部のモンスター的クレーマーに接する機会は確実にあるだろうと思います。

 

我が子が入学するまではそんなのテレビの中の話だろうくらいに思っていましたが、本当に実在しました。詳しくは書きませんがまさに前述の引用の中にあるような、我が子かわいさに学校へ色々な要求をし続ける保護者、自分の子から聴いた話を鵜呑みにして学校に怒鳴り込んでくる保護者…色んな親がいるんだなぁ…と驚くことは一度や二度ではありませんでした。

 

片田舎の小さな小学校でもこんな感じなら全校児童千人を超えるようなマンモス校だとどんな人たちが…と恐ろしくなったものです。

 

教員を馬鹿にするような発言をする親にも出会いました。

そこのお子さんが教員やほかの保護者が注意するのをまったく聞かずに大人を馬鹿にしているのを見て「あぁ親がそう言えばそうなるよね」と思ったりもしました。

 

このブログで教員の方も恐らくは、そういうモンスター的保護者に直面して来た過去があるのだろうとお察しします。

 

ですが、それはあくまでもそのモンスターペアレントの話です。

それへのクレームと、(すべての)親への話をごっちゃにしてしまっている、とても残念です。

 

 

このブログ記事について「社会で子育てをと言う人はどう考えるのだろう」というコメントをされている方を見ました。

 

「社会で子育て」

とても漠然とした言葉なので定義も人それぞれなのだろうと思いますが、私はこの言葉を親の責任放棄とはとらえていません。親だけに負担が集中して育児が崩壊しないように、たくさんの大人の手、社会福祉の手のなかでその子にとってよりよい環境で成長を見守っていくこと、支えていくこと、ととらえています。

 

その考えのもと、教員は私にとって学校に通う時期をともに支えてくれる存在だと思い敬意を持って協力をお願いしています。

学校にいる間の我が子を任せているということ。

それは、無責任に委ねるのとも、全責任を自分が負う前提で任せるのとも、私の指示通りに動いて欲しいと考えるのとも違う、一定の責任を持ったプロに我が子を任せていると思っています。

共に子供を育てる仲間だと思っています。

 

その立場にある教員という人に

先生が負うものではないのです。誰か他人にしてもらうものではないのです。あなたのお子さんへの教育はあなたが行っているのですよ。 

と思われていたら、と想像して悲しくなったわけです。

もちろんこの方と我が子の関わる先生方は同じ人ではないのであくまでも一教員の一意見として受け取ってはいるのですが。

 

親は死ぬまで子供のことに責任を背負って生きていかねばならないのか、私はそうは思いません。

背負える人は背負えばいい、でもそうでない人もそうできない人もたくさんいます。

精神的にできない人、金銭的にできない人、体力的にできない人、それぞれの事情で、それぞれの接し方しかできません。そして自立すればそこから先は子供それぞれの人生です。誰をどう頼りどう生きていくかも、彼らが決めます。自分で決める能力が乏しければ社会福祉のお世話になるかもしれませんし、誰かに助けてもらうかもしれません、その中に親である自分が入る可能性ももちろんありますが、絶対ではない。

 

教員も同じだと思うのです。

子供たちの人生に全責任は負えない、負わなくて良いと思う。

そして能力やそのときのメンタルの状態や相性や、色んな理由からどの教員も同じことができるとも思わない。それぞれの限界がある。

でも「先生には子供に関する責任を負う必要は無い、全部親にある」とは思わないで欲しいのです。

たとえ接する年数は親に比べてはるかに短くても、子供たちの人生にときに大きな影響を与える人であることには違いないのだから。

紹介したブログでも詳しく書かれていたように、学級崩壊の要因は色々と考えられます。教員の腕次第な部分も実際にはありますが、じゃあその腕の無い教員はダメだという話ではない。ブログ主さんのように実力のある教員を含め、周りの教職員やスクールカウンセラー、外部の相談機関などが連携して担任をフォローする体制を整えて行く道もあるのではないでしょうか。

 

1人で全部抱え込めない親が崩壊しないようにいろいろな社会福祉が充実していってほしいと思うのと同じように、担任が1人で全部抱え込んで崩壊せずにすむような仕組みが充実していってほしい。

 

子の親でも、教員でも、1人で何でもできる完璧な人間ばかりではありません。

長い人生のなかで、完璧な人間でいられるときばかりでもありません。

 

様々な事情で抱え込むのが難しい人がどんどん周囲を頼り、たくさんの大人の手で子供たちを育てていくこと、その子その子にとってベストな、豊かな環境づくりにいろいろな大人が関わること。

 

親にも、教員にも、親戚や友人や地域の人たちや、色んな人が、それぞれのその場の責任や関係性のもとで子供たちに関わっていく、それが「社会で子育て」することだと私は思うのです。

 

現状として、家庭に問題のあるお子さんが問題行動を起こしやすい、という現状は園や学校現場では確実にあると思います。

そんなご家庭も「親の責任」という言葉で済ませることはできない、ある種支援が必要な家庭、適切な養育ができていない状態とみなす必要があるのかもしれません。

親の意識改革とか、家庭の問題、として解決ができる話ではないと思うのです。

 

そんなケースも含めて、社会で解決していく枠組みづくりに目を向けたい。

親に重きを置いてそれを全体に強いていたら、虐待もネグレクトも機能不全も貧困も、世代間連鎖は止められない。 

 

このブログでも何度も書いていること。

「親がちゃんとしてないと子供がまともに育たない」社会から、一日も早く脱却したいのです。

 

2016.11.17午後一部追記しました。

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