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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

お母さんも「一人でできないもん」でいいんじゃないだろうか。


少し前に「りっすん」さんでこんな記事を書かせていただいてまして。

その中で

30代~40代向けの雑誌やネット上の記事には、働き方や家族との過ごし方、掃除や収納の仕方、お料理……いろんなことについての「私はこうしています!」という、たくさんのライフハックが詰まっています。

その中には、ワーキングマザーのタイムスケジュールとして「朝3時に起きて……」とか、もうスーパーウーマンしかできませんよね?っていうスタート地点にすら立てない記事もちらほら。

とこんなことを書いていましたら昨日だったか本当にそのまんま午前3時起きでワンオペでバリバリ育児してますっていうワーキングマザーさんを取り上げた記事が流れてきておりました。

読むと心が折れそうになるかもなのですが一応リンク貼っときます。

仕事と家庭の両立は「親にしかできないこと」を絞り込み、愛情を集中投下 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

 

「親にしかできないこと」ってなんだろう

小さく紹介したスーパーワーママの記事でも触れられていた「親にしかできないこと」をセレクトしていくこと、これは私も色々と考えてきたことで。

過去にTwitterで何度か呟いたことがあるんですが、子供が小学生になると圧倒的に「親にしかできないことが増えるな」と思っていたんですね。

乳幼児期には身の回りのお世話とか食事の用意とかまぁお金や血縁や友人なんかの人脈を活用すれば外注できることは結構あるなぁと。まぁ自分を振り返ればその辺も「お母さんだから頑張らないと」って抱え込んでは暴発していたわけですが。

 

学校に入るとどんなにコミュ障であってある程度は教員や他の保護者と接触はしなきゃいけない。それはなかなか他の人には変わってもらえなくて、子供のトラブルや問題行動があったり、話し合いの場があったりすれば頻繁に足を運ぶことになる。

家では家で、丁寧に様子を見てれば気づいた、っていうような不安定さに直面することも出てくる。宿題を毎日やってるか、忘れ物は頻発してないか、食事の量は、体調は…

って色々様子を見ては必要に応じてケアしていくことも出てくる。

その丁寧な根回しは他の人には簡単に頼めない、同居してるけど不在の時間が多い夫にすらなかなか肩代わりしてもらえない…

 

うちは特に発達障害のある次男がいることもあって、そちらに忙殺されて丁寧に4人の子供たちと接することができていないんじゃないか、母親としてすべきことができていないんじゃないか、という不安や焦りがいつも自分につきまとっているんですね。

 

上記の記事の中では「親にしかできないこと」としてこう触れられています。

「母親でないとできないこと」としては、子供と一緒にお風呂に入ってあげるなどのスキンシップ、寝る前の絵本の読み聞かせ、ストレッチなどの儀式があります。私の場合、子供と一緒に過ごす時間は普通のお母さんの半分程度しかないので、その時間の質をいかに上げるかを考えます。

私の母も働いていたのですが、思い返すと母は、授業参観や展覧会などの学校行事は、どんなに忙しくとも必ず来てくれていました。私自身、いまだにそのことを覚えていますから、学校行事には必ず参加しています。

 

家庭ごとの「親にしかできないこと」

引用したことを「うちはやってない」「うちは夫がやってる」等々、家庭ごとにいろんなやり方があると思う。スキンシップが必要な時期もあるかもしれないし、子供の特性によってはそれが必要ない子もいたりする。

 

朝の3時に起きて家事育児仕事をかけ持つスーパーワーママには私はなれないけれど、その「うちの子には何が必要か」「自分にしか与えられないものは何か」を絞っていく作業もひとつのライフハックだよなぁ、と記事を読みながら思いました。

 

もう一個、踏み込んで「本当にそれ、親にしかできない?」

今回久しぶりにブログを書こうと思ったのは、もういっこ踏み込みたかったから。

自分が絞っていったそれぞれのことって「本当に親にしかできない?」って再考する価値があるかもしれないと思ったから。

 

NHKの朝の連ドラを毎日観ているのだけれど、「べっぴんさん」の中で主人公のすみれは母親像としてはちょっと心細い感じで描かれていて。仕事に没頭するあまり娘のさくらとうまくいかなくてすれ違って、結局さくらはお母さんでは満たされなかった母親の愛情の部分を伯母であるすみれの姉に求める。

 

こう書くと、すみれの母親としての至らなさがさくらを苦しませたように見えるかもしれないし、ドラマの中ではそう描かれてた。

 

でも。

ふと見ていて思ったんですね。

子供が求める理想的な母親像を与えられなかったら、それで親として詰むんだろうか、って。

 

「一人じゃできないもん」でもいいんじゃないか。

ドラマの中のすみれは、子供がお母さんと一緒にいたい時間に家にいてあげなかった。でも長期的に見ればその間の業績がなければさくらが自ら希望する学校への進学や海外への留学を叶えるだけの経済力を維持することも多分できなかった。

 

伯母である姉の力も借りながら、さくらはそれなりに大人になっていっていると見ることもできるんじゃないかと思ったんですね。

 

もちろん幼少期の愛着が足りない問題で大人になっていろんな影響が出てる人も現実にいるし、家庭の問題から子供が学校で問題行動を起こすこともあるわけで、「親が子供に接しなくていい」っていう話ではないと思うんですね。

 

そうじゃなくて、母親として一人で愛情をかけるところもお世話も家計を維持することも全部できなくても仕方ないじゃない、そんときは誰かの力を借りてトータルでなんとかなるように持っていってもいいじゃない、そうなった時に凹まず胸を張ったっていいじゃない、って思ったんです。

 

おわりに

前に、ちょっと学校でしんどくなってる息子のお友達がとある場でパニックを起こしているのに遭遇したことがあって、お母さんが色々と声をかけるけどなかなか動けなかったことがあって。

私がたまたまその子のことを小さい頃から知っているから、お母さんちょっと交代しよう、って声をかけて、ゆっくりお話をしてお母さんと話せるところまで落ち着かせたんです。このエピソードだけだと、お母さんがどうにもできなかったことを私が何とかしてあげたように見えるかもしれないけど本質はそこじゃないと思うんですね。

 

その子にとってお母さんにしかできないこともきっとたくさんあるんです。

でも、お母さんがしんどいとき、手に余ったとき、お母さんが苦手な分野で、お母さんが手を離して違う人が肩代わりしてもいいんじゃないかなって。

 

同じように私の子供たちのことで私が困った時にも、きっと色んな場面で子供たちを助けてくれているはず。

そこにはこれまでに私が気づいていないものも含まれているんだろうなって。

 

私がお母さんとして子供たちの全てを把握して全てを網羅して全てを守るなんて無理だから、誰かの力を借りたい。というか現状、本当にたくさんの人の手を借りてる。

その人たちの力もみんな足してやっとお母さんであれるんだろうなと思うのです。

極端なことを言うと、その人たちみんなうちの子のお父さんお母さんなのかもしれないとすら思うのです。

 

きっとこの先子供たちが私には言えないこと、私には頼めないことを、今よりもっともっと周りに頼っていくんだろうと思う。それを前向きに、ありがたいなぁと思える自分であるためには、と考えたりしています。 

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