スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「折り合いをつける」という視点


最近、「折り合いをつける」という言葉が気に入っていて、よく使っています。

これまでの人生でも色々やってきたことだとはと思うんですが、この言葉を通して意識することで色々としっくりきた感じがしているのです。

 

公の場での「折り合い」

年度末を前に、私や夫の周りでも役員ぎめだの引き継ぎのための話し合いだのが頻発していてパンク寸前な我が家です。

先日参加したとある会合の中である議題についての意見が交わされる場がありました。

 

理想と現実

Aさんが主張していたのは、正論でした。

こうあるべき、こうすべき、というど正論。

人員に余裕があり、能力のある人が集まっていて資金も潤沢にあり、担当者への適切な報酬が支払われる前提であれば是非そうしたい、と思うような、理想的なありかたでした。

 

でも現実には、私たちが参加している会はギリギリの資金で、保護者の有志がボランティアでやっています。

 

試験や色々な条件をクリアして入会した人たちの集まりではなく、保護者は経済的にも能力的にも雲泥の差があるだろう状態、役員になるのも優れた人だけの特権ではありません。みんなで持ち回りですし、当然報酬らしいものは皆無です。

 

Aさんが主張していたことが実現すれば組織はもっと健全になるだろう、ということはわかります。が、それを実行するための土壌がそこにはありません、もし無理に導入すれば役員になる人の負担が増大して運営に支障をきたすことも想定されるし、長期的に見ればその負担が大きいことが災いして入会希望者が減ることも、そのために存続が難しくなることも十分あり得ます。

 

現状の組織の中と、先を見越した結論から言うと、Aさんの主張をそのまま受け入れることは難しいと言うのが、私たちの会の現実です。

Aさんの主張の方向性は汲み取りながら、じゃあこうしたらどうだろう、という妥協点を見つけるための話が進みました。(若干腑に落ちない様子ではありましたが)。

 

「折り合おう」とする姿勢

似たような場面で折り合いがつけられず意見が拮抗して口論に至ってしまうことも、たまに見かけます。

違いは、意見が食い違う双方に「折り合う点を見つけよう」と言う視点があるか否かだと考えています。

 

自分の意見を持ち主張する、と言うところまでは同じです。

違うのはそこから、自分の意見が正しいのだから周りがその主張に合わせるべきだ、となるか、自分の意見はこうだけど周りの意見や全体の現状や将来の状況などに照らして全体として今後どうしていくべきか、となるか、その視点の有無、視野の広さ、見通しが立てられるか否かの違いなのかな、と。

 

正しいとはなんだろう。

ここで一つ考えたいことがあります。これは最近子供たちとよく話すことでもあります。

「正しい」と自分が思っているそれは、いつでもどんな場でも正しいのだろうか、共通なんだろうか、いかなる場でも主張できることなんだろうか、と言うこと。

前述のAさんの意見は、Aさんにとっては最適解だったのだろうと思いますし、法的な問題もなく、決して間違った話ではありませんでした。

本来あるべき形、望ましいあり方、理想的な状況、ではあったかもしれません。

が、この会でそれを突き通すことで起こりうる弊害については想定されていなかった。

 

Aさんにとって正しいと考えていたことは、ある場では最適解かもしれなかったけれど、この場ではそうではなかった。

 

自分の思う正しさというのは、あくまでも自分の脳の中での答えでしかない。

集団全体にとっての正解が、自分の思う正しさとイコールになるとは限らないし、その正解を見極めるためには集団の性質や周りとの関係性や時勢や色々な要素から掘り下げていかないといけないのではないか、と、そんなことを子供たちと最近よく話しています。(最近だと次男と話したメダカについての話はまさにそんな会話だったんじゃないかと思います。) 

 

おわりに

ここまで書いてきて、この「折り合いをつける」というのがこれまで私がブログや色々なメディアで記事を書かせていただく中で言葉にしてきた、夫婦の関係にもつながっていくのだなということを感じています。

 

理想的な夫婦像というのはあるかもしれません。

でも現実には、妻は自分であり夫は目の前にいるその人、そして子供たちや舅姑などの家族、家の形状や土地柄、いろんな要素が絡み合っている中で生活している。

 

その中でその集団にとっての最適なあり方を見つけるために必要なことは、主たる構成員がお互いに「折り合いをつけていこう」という意志があることなのかもしれない。

それを持たずに「自分が正しいのだからこうあるべき」という姿勢でいたらいつまでもその折り合う点は見つけられないのかもしれない、と思ったりしています。

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