長男がこの春中学生になってから、学校のイベントや授業参観、部活の試合など、中学生としての活動を見に行く機会がちらほら出てきました。
先生主体の行事と違って、中学はいろんなことが生徒主導。
生徒会の子たちなのかな、中心になる子たちが先導して盛り上げたり、黄色い声が響くその活動の様子は自分が中高生だったころを思い出して何だか甘酸っぱい。
先日のとあるイベントを眺めながらそのあまりの眩しさに「青春だねぇ、私らもあんなだったのかなぁ」と思わず同窓の夫にLINEを送ってしまったほど。
キラキラ輝く楽しそうな中学生。
それを見ながらいつも同時に感じるのは「来年はここに次男が…」という一抹の不安です。
我が家の長男と次男は年子、発達障害の診断はあるもののおそらくは公立中学校の通常級への進学になる可能性が高そうな次男と私にとって、来年度に控えた入学に向けての準備は今年度の大きな課題です。
そういう意味では、年子の長男のおかげで1年先の行事が色々と見られるというのは私にとっては次男の1年後を想定する材料をもらえるまたとない機会になっています。
これまでも小学校の様々な行事のときに長男の学年で色々と経験させてもらって次男のときにどんなことに配慮を求めたらよいか、どんなサポートをしたらよいか、何があるとスムーズか、と考えるヒントをもらってきました。
私にとってはそんな風にありがたい存在とも言える年子の長男ですが、彼本人にとっては1学年下の次男の存在は時に辛いものだったかもしれません。
学校で落ち着かなかったり、全体集会の時に感想を求められ挙手をしてどんどん喋り続けてしまう様子だったり、そんな奇異な次男の言動に恥ずかしい思いをしたり、時にクラスの中でからかわれてしまうこともあったようです。
中学に入り、これまで弟妹がいつも同じ学校に通っていた環境から離れた長男はとても楽しそうで、リア充という言葉がそのまま当てはまるような彼の様子に安堵しつつも、来年次男が入学したらどうなるんだろう、また誰かにからかわれたり不快な思いをしてしまうことがあったら、という懸念がつきまといます。
次男に関しても、あの生徒主導の進行がグダグダで騒々しい体育祭や体育館でのイベントにスムーズに参加できるんだろうか、空気を読み合わねばならないような集団行動に馴染めるんだろうか…不安はつきません。
支援体制が小学校ほど充実していない(小学校も充実しているとはとても言えなかったけどさらに手薄なのは見て取れる)中学校で、どんな環境が次男を待っているんだろう。次男の入学で長男にどんな影響があるだろう。
考えても仕方がないことに不安を募らせるのは私の悪い癖で、夫はそんな私を見ていつも苦笑いしています。
私にできることはなんだろう、ひとつずつ考えます。
中学の先生と入学後の支援について話をする場を持たせてもらうことは、すでに通級担任や学級担任と少しずつ相談を進めているところ。
入学に向けて学習面での困難が少しでも減らせるような下準備は通級でやってもらってる。
学校との良好な関係づくりについては今年度から少しずつ意識して先生たちとも仲良くなりつつある。
こうやって書いてみると、あぁわりとできることはやってるじゃない、とも思える。
あとはもう、次男が次男なりに、長男が長男なりに、それぞれの持ってるもので頑張っていくんじゃないかな、とも思えてくる。
私は私のできる範囲で、私のやれることをやっていけば多分大丈夫。
キャパオーバーを起こさないように適度に手を抜いて、適度に子どもたちに色々任せて、適度に周囲を頼って、まだまだ長い来年度までの道を息切れしないようにぼちぼち行かねば。
うちは朝ごはんはセルフ(おかずは作りおき惣菜、余裕のあるときはなんかしら作っておいとく)なんだけど、長男がこないだ「ねぇ、どこんちもお母さんが朝ごはん作ってるらしいよ‥‥!」って言ってきた。そうかー、みんな毎朝しっかり作ってるのかーすごいなぁ。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2017年6月22日
中学から帰った長男が放った一言。
そうか〜申し訳ないなぁという気持ち半分、でもそうやって苦手なところの手を抜かせてもらうことでなんとか色々がんばってるんす、いつもありがとうという気持ち半分。
できることを できる人が できるだけ。
自分に何ができるだろうって考えるといつも同時に、いかに自分が人に支えられて生活してるかを痛感する。
これからはもっともっと、子どもたちのお世話になっていくんだろうと思う。
至らぬところの多い母さんとして、これからも一緒にいろいろがんばっていけたらなぁとそれぞれが食べていった後の食器をぼちぼち洗いながら考えた朝でした。